増 え つ づ け る 犠 牲 者 数 ― あまりに愚かな実態 ―
http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/kagai/kagai-tokei.html 一部、転載、させていただいた記事です
私たちは、日本軍および民間人が中国などアジア各地で犯した「悪行」を新聞、テレビなどのマスメディアを
通じて、いやというほど知らされてきました。
にわかに信じがたい膨大な犠牲者数、さらに加えて人間とは思えない残忍な所業の数々。
毎年8月15日(終戦記念日)を迎える頃になると、あるいは盧溝橋事件40、50周年、日中国交回復10周年、
あるいは20周年といった節目の年を迎えるたびに、それこそ判で押したように日本軍の「加害」を断罪する
大報道となり、また戦争を指導した日本軍部の愚劣さを批判する報道がつづきました。
いつしか、われわれ日本人はならされてしまったのでしょうか、あるいは不愉快な話にウンザリしたのでしょうか、
過去は現在のわれわれと関係ないとばかりに、傍観者のような態度で接しているように私には思えます。
「日本の加害」 とは、具体的にどのようなものを指しているのか、一度、確認しておく必要があるでしょう。
ここでは、日本の加害を「 量 」 と 「 質 」 に分けて、概略をお知らせします。
「量」といえば、「南京大虐殺」の30万人がよく知られています。
また、江 沢民・前中国国家主席が1995(平成7)年5月、ロシア政府主催・第2次世界大戦終結50周年の
記念式典の演説で、日本軍による中国人民の「死傷者3500万人」 という認識を、突如として示しました。
この数字は、日中平和友好条約20周年にあたる1998年に江沢民が国賓として来日したさいにも、
早稲田大学における講演で死傷者3500万人、「経済損失6500億ドル」 と公言しました。
これに対して、政府も主要な政治家も異論をさしはさむでもなく、ただ黙過しただけです。
「日本政府から反論がなかった」となれば、「日本政府も認めた」 という理屈もでてきます。
毎度のことといえばそれまでですが、ことを荒だてまいとするこのような対応は、度が過ぎれば臆病だし、
国益を著しく害します。
この膨大な加害者数のうえに、さらに「質」、つまり日本軍の異様な残虐ぶりが加われば、ナチス・ドイツ と並び、
「近代史上、例を見ない残忍非道な日本軍(人)」 という話が完結するでしょう。
こうなった原因は、日本の過去糾弾に精を出した日本のメディアであり、これに追随した学者や作家など、
いわゆる「文化人」 だったことを忘れてはいけないと思います。また、それらを唯々諾々と受け入れたのも
われわれ日本人であることもハッキリ認識しておくべきと考えます。
「あれらは過去の日本人であり、今のわれわれは違う」という段階で思考をストップさせ、「わずらわしい問題」との
かかわりを避ければ避けるほど、問題の解決は困難でしょうし、現に困難に直面しています。
事実を偽り、また覆い隠してまで、過去の日本を弁護する気はありません。「虚偽」や「誇張」を排し、
当時の日本の置かれた状況も踏まえ、「事実」にもとづいた歴史観(歴史イメージ)を構築すべき、と
異議を申し立てているのです。
1 1,700万人 アジア人虐殺 ・・・ アメリカの新聞報道
2010年8月6日、広島における原爆死没者慰霊式は例年になく世界の注目を浴びたとのことです。
というのは、アメリカのルース駐日大使が式典に出席することになったからです。
出席の是非、出席の意義などをめぐって、日本はもちろん、アメリカでもいろいろと論じられたようです。
保守系の米紙、ウォールストリート・ジャーナル(8月16日付け)は、キャシー・チェン 、
マリコ・サンチャンタ両記者の連名で、〈 (日本の) リビジョニスト(修正主義者)の教科書は、
第2次世界大戦中の「南京大虐殺」など、日本のアジアにおける残虐行為をごまかしてきた 〉などと報じました。
修正主義者の教科書というのは「新しい歴史教科書を作る会」の社会科教科書(中学生用、歴史分野)を
指しているのは明らかでしょう。記事を書いたキャシー・チェンは名前から中国系アメリカ人(女性)と
思われます。中国系のアメリカ人ジャーナリストが過去の日本を糾弾する例はNYタイムズでも見られますので、
これから先も彼らの出番が多くなるのは避けられないかもしれません。
また、同紙オピニオン欄にはウォーレン・コザックの寄稿文が載りました。ウォーレン・コザックは
カーチス・ルメイ将軍 の生涯を著した作家だとのことです。ルメイ将軍(空軍)というのは、
日本焦土化計画を立案し、8万余の犠牲者と4万人超の負傷者を出した東京大空襲 を指揮した司令官でした。
これには不愉快、不見識な話がありますのでつけ加えておきます。
戦後、ルメイ将軍は米空軍参謀総長に昇進、航空自衛隊の強化指導にかかわりました。
その効を認めたのでしょう、1964年12月、日本政府(佐藤 栄作首相。ただし、首相になって3日目)は
勲1等旭日大綬章授与をもって遇しました。東京をはじめ日本の各都市を計画的に爆撃、おびただしい
民間人死傷者を出した作戦の指揮官に最高級の栄誉を与えた日本政府。日本の卑屈な態度、強者への
迎合は今にはじまったことではないのです。
話が横道にそれましたが、この寄稿文のなかに以下の文が見えます。
〈 日本は原爆の被害ばかりを強調し、1700万人のアジア人を虐殺したことや、
『THE RAPE OF NANKING 』 の事実を戦後、子供たちに教えようとしてこなかった。 〉
1700万人虐殺というのはおおむね正確なのでしょうか、またこの数の根拠は何なのでしょう。
コザックは他のアメリカ人と同様、『THE RAPE OF NANKING 』の記述を事実と頭から信じ、
ここから得た知識を主体に投稿したのはまず間違いないと思います。
例えば、同書の次の文もこのことを 証明しているでしょう。
〈 The entire Japanese education system suffers from selective amnesia,for not until 1994 were Japanese schoolchildren taught that Hirosito's army was responsible for the death of at least 20 million Allied soldiers and Asian civilians during World War Ⅱ.〉
日本の教育は自分に都合の悪いところを忘れてしまう記憶喪失症にかかっているので、
天皇の軍隊が第2次世界大戦中に2000万人 の連合軍兵士とアジア市民の死に責任があると生徒に
教えてこなかったのだ、とチャンは書きます。
その原因はといえば、教科書検定によって重要な歴史情報が計画的障害にあった、
つまり隠蔽されたというのです( the deliberate obstruction of important historical information about World WarⅡ through textbook censorship.)。
ですがこの見方は著しく偏っています。事実はほとんど逆といってよく、日本のメディアが近現代史に
かかわる間違った事実、あるいは未検証の「残虐事件」「残虐行為」を大量に流した結果、その影響を受けた
教科書が、根拠のきわめて怪しい膨大な犠牲者数を載せ、また「残虐事件」や「残虐行為」であふれかえった
からこそ、教科書を見直す運動につながったのです。「新しい歴史教科書を作る会」の出発点が
「従軍慰安婦」問題にあったことからも判断がつくと思います。
「死者2000万人」についてですが、この数字の出所を突き詰めれば、日本の教科書記述であり、
われら日本のメディアであり、学者、文化人の論考等に行き着きます(次項参照)。
日本に対する悪意と偏見で固まったこの書は、日本のメディアをはじめ教科書執筆者や学者、文化人らが
垂れ流してきたものが、そのまま反映されたものといって過言ではないと思います。
著者のアイリス・チャン は、日本からの協力者もあったのでしょう、これら垂れ流された情報を
実によくつかんでいます。
われわれ日本人が知っておくべきことは、これら誤った事実が欧米人、とくに知識人の「共通認識」 に
なってしまったこと、およびそれらの発信元が日本であったこと、この2点と思います。この誤った認識を
是正するのは不可能に近い難作業でしょう。その理由の一つは、有色人種国である日本が同じアジア人に対して
悪逆非道を重ねたことは、多くの植民地をかかえ、有色人種を人間視しない過酷な労働などと引き換えに
繁栄してきた欧米人にとって、実に都合のいい話だからです。
なお、中国人の死者数について、チャンは両親から聞いた話として「1000万人以上の中国人が
殺害された」(killed more than 10 million Chinese people) と書いています。
2 2,000万人以上と教える歴史教科書
では肝心の日本は、アジア諸国に対する加害数をどう規定しているのでしょう。それを知るために
歴史教科書の記述を見ておく必要があります。というのも、教科書は文部科学省の検定を通った
ものですから、異論はあるにしても対外的には公的記述、公的数字と受け取られてやむをえないからです。
(1) 高校歴史教科書から
1994年、1998年の検定に合格した実教出版の「高校日本史B」の記述をご覧に入れましょう。
奥付に宮原 武夫・千葉大学教授、 石山 久夫・東京都立大学教授の2人が「著作者」にあがっています。
その他に、君島 和彦・東京学芸大学教授、大江 志乃夫・茨城大学名誉教授ら9名の名が見えます。
・ 加害数「2000万人以上」
「15年戦争はなにをもたらしたか ― 日本の敗戦」という項目のなかに、以下の記述(1998年検定版)があります。
〈 1931年からの15年におよぶ戦争は、大日本帝国の敗北と崩壊で幕を閉じた。この戦争で
アジア・太平洋地域の人々に与えた惨害はじつに膨大で、死者の数は約2000万人 をこえ、
それは日本人の死者数310万人をはるかにうわまわるものであった。そして、精神的、
物的被害もこれにまさるものがあった。 〉 とまず、大枠を説明しています。
一読して、どうお取りになりましたか。これを読んだ生徒のほとんどは、日本軍がアジア・太平洋地域で
2000万人以上を殺害、あるいは日本軍のせいでこれだけの犠牲者を出したしたと受け止めたのではないでしょうか。
今、あらためて読み返してもこうとしか読めません。そして、教科書は「アジア太平洋戦争による東アジア諸国の
死者の数は、各種の文献を総合すると」 と記述して、約2000万人にのぼる死者の国別内訳を欄外に掲げています。
それらを下記の表にまとめました(緑色)。
なお、水色で表した「文京2中」「本多公栄推計」と薄紫色のソ連版『第二次世界大戦史』については後述しますが、
教科書が掲げた死者数と酷似していることにご注意ください。
実 教 出 版 教 科 書 ほ か (単位:万人)
国 名 | 実 教 出 版 | 備 考 (実教教科書) | 文京2中 (1972年) | 本多公栄推計 (1973年) | 第2次世界大戦史 (ソ 連 版) | |
---|---|---|---|---|---|---|
1994年版 | 1998年版 | |||||
中 国 | 1、000 | 1、000 | 軍民の合計 | 軍 321 民 1000 |
1、000 | 1、000 |
台湾 | ― | 3 | ― | ― | ― | |
朝 鮮 | 20 | 20 | 軍 15 | 20 | ― | |
ヴェトナム | 200 餓 死 |
200 餓 死 |
200 餓 死 |
200 餓 死 |
200 餓 死 |
|
インドネシア | 200 | 400 | 200万人UP に注目 |
10 餓 死 |
200 | 200 |
フィリッピン | 100 | 111 | 軍 5 民 不明 |
軍 5 民 100 |
110 | |
インド | 350 餓 死 |
350 餓 死 |
大部分はベンガル における餓死 |
― | 350 餓 死 |
350 餓 死 |
シンガポール | 8 | 10 | 民 8 | 民 0.5 | ― | |
ビルマ | 5 | 15 | 数 万 | 5 | ― | |
ニュージー ランド |
― | ― | 軍 1.2 | 軍 1.2 | ― | |
日 本 | 310 | 310 | 185 | 221 | ― | |
総 計 | 2,193 | 2,419 | 1,745.2 +数万 | 2,102.7 | 1,860 | |
合 計 (除く日本) |
1,883 | 2,109 | ― | 1,560.2 +数万 | 1,881.7 | 1,860 |
ご覧になって、どのような感想をお持ちですか。
日本を除く死者は2、109万人 (1998年版。2003年検定版も同じ)という膨大な数にのぼっています。
この教科書を見るかぎり、ウォールストリート・ジャーナル紙の投稿「1700万人のアジア人虐殺 」や
『THE RAPE OF NANKING 』 のいう「2000万人以上」殺害が、間違いだと言っても
説得力を持ち得ないでしょう。ですが、この膨大な数、信じられますか。それとも今まで耳にしていた数と
大差ないため、何となく「こんなところかもしれない」と思いましたか。
(2) 「2000万人以上」 の内訳は
内訳を見てみましょう。
中国人の約1000万人は後述することにして、インドの死者350万人 (大部分はベンガルの餓死者)、
インドネシアの400万人(1994年検定版は200万人と半分)、ベトナムの200万人 (大部分が餓死者)、
フィリピンの111万人 などと出てきます。
これら膨大な死者数もさることながら、死者の原因が「日本(軍)による加害」であったことをご存知でしたか。私はこの教科書によって知りました。
① インドの餓死者350万人
まず、イギリスの植民地であったインドの餓死者350万人についてですが、
「ほとんどはベンガルの餓死者」(上記教科書)だったとしています。戦後独立したインド政府から
大量の餓死者は日本の責任だとし、公式に抗議や補償、事実関係の調査、責任者の処罰等の
要求があったのでしょうか。私は聞いたことがありません(やはりなかったようです)。
1943(昭和18)年を中心に翌年の1944年にかけて、「ベンガル飢饉」と呼ばれる大飢饉が
あったのは事実です。インド政庁の報告書では餓死者350万人とし、ほかに150万人、300万人など
諸説があるとのことです。
ベンガルはインド半島の東北部、ガンジス川とブラマプトラ川の下流域で、肥沃な穀倉地帯でした。
今は西部ベンガル(中心都市はカルカッタ)はインド領、東部ベンガルはバングラディッシュ領に
分かれていますが、当時はビルマと国境を接していました。なお、1912年まで、インドの首都はカルカッタでした。
ベンガル飢餓の原因にまず天候不順があげられています。それに日本軍が進駐していたビルマ、
仏印から米の輸入が難しくなったこと などが理由にあがっていますが、この理由づけは一部の日本人学者
が主体となって推進し、広がったものと思われます。ベンガル地域はサイクロンの通り道ですから
、自然現象による不作、凶作から食糧不足、餓死者の
発生につながることは想像できるところです。手元の年表でも、1918~1919年、1920~1921年
に飢饉が起こったとありますから、とくに珍しい出来事でもなかったのでしょう。また、食料が不足または
不足しそうになれば、商人らによる買占め、売り惜しみが必ずついて回りますから、一般市民から
食料はますます遠退いてしまいます。このことは敗戦前後、多くの日本人は経験したことです。
このベンガル大飢饉の前年、つまり1942年にサイクロンが襲ったという記録も見えます。
ですが、350万人(仮に150万人にしても)というのは膨大な数というしかありません。
カルカッタ市内をはじめ周辺各地で多数の行き倒れが出たというのもわかります。
天候不良による不作が、350万人(あるいは他の数)のうち何人の餓死者を出させたのか知る由も
ありませんが、この死者が日本の責任というのはまったくおかしな話でしょう。
インドはイギリスの統治下にあったのですから、まずイギリスに責任があったとのではと考えるのが
常識というものです。それとも、イギリスには責任といえるほどの落ち度がなく、
日本軍の作為のため大量の餓死者を出したのでしょうか。
最近、インド人作家・ムカージーがこの飢饉を題材にして『 Churchill's Secret War 』
(チャーチル秘密の戦争)を著し、チャーチルこそが大量死の張本人であると主張しているとのことです。
私自身、この本を読んでおりませんのでハッキリしたことは言えませんが、チャーチル首相
(1940~1945年)の人種的偏見(インド人への嫌悪、蔑視)のため、飢餓下にあるインド人に
救いの手を延ばそうとしなかったというのです。つまり、一般市民のために備蓄食料を放出しなかっただけでなく、
アメリカやオーストラリアからの食料支援の申し入れに対しても、食料輸送のために船を使うことを嫌って拒否、
一方ではベンガルから中東のイギリス軍に食料を送っていたというのです。悪徳商人による買占めもありました。
こうしたことから、ベンガル大飢饉はイギリス政府に原因があったと断じているようです。
これらの指摘は確かにありそうなことであり、かなり的を射ていると私は思います。
セポイの反乱(1857~1859年、セポイ=イギリス東インド会社のインド人傭兵 が武装蜂起
したのにつづき、市民、農民も加わった大反乱 )にあたり、タイムズ紙は「キリスト教会の破壊1に
対し100のヒンズー寺院を破壊、白人殺害1人に対し1000人を処刑せよ」と報復を煽り、
実際に虐殺など頻繁に起こったといいます。イギリスのインドに対する支配の傲慢、悪辣さは
長編映画「ガンジー」(1982年、英・印合作)からも、一端は分かります。
このような事情を一切抜きにして、350万人の餓死が日本の責任だと、
インドが言いもしないことを私たちは教えられるのです。
② インドネシアの死者400万人
インドネシアの400万人ですが、1994年検定済版は200万人になっていました。
この突然の死者倍増、何を根拠にしたのかサッパリわかりません。
日本とインドネシアとの間で万単位の死者がでるような戦闘などなかったはずです。
「ビルマ地獄、ジャワ極楽、マニラ享楽」と当時いわれていたことですし、それに日本の敗戦後
、「2000人の日本将兵」 が残留し、死者1000人近い犠牲を払いながらインドネシア独立のために
インドネシア人とともにオランダ軍と戦ったのです。この事実と400万人という膨大な犠牲者数と
どう整合するというのでしょうか。それにしても、4年経た検定で一挙に400万人へと倍増するに
至っては、そのメチャクチャぶりは
呆れるばかり、教科書というより宣 伝 文 書 と呼ぶ方が当を得ていると思わざるを得ません。
またこれが検定を通るのです。
何を根拠にこのような数字が出、検定を通ったのでしょうか。ここに、とんでもないカラクリ というか
まやかしがあるのです。それは「ロームシャ」 (労務者)に関する問題との意識的ともいえる混同です。
労務者の数について、
1985(昭和60)年8月15日付け朝日新聞社説「過去を直視し未来へ生かそう」のなかで、
〈 日本側関係者の推定では14万~16万人、あるいは22万余人とされるが、戦後の賠償交渉の際に、
インドネシア側は400万人 と主張した 〉と記しています。
つまり、400万人という数は、インドネシアが賠償交渉の席上で主張した労務者数 というわけです。
「ロームシャ」は日本軍の道路、橋、飛行場などの建設工事に狩り出され、その結果、
400万人もの命が奪われたのだと日本の教科書は教えるわけですが、インドネシアの教科書は、
これらの結果、「何千人ものロームシャ」 が世を去ったと記してあるそうです。
「400万人」と「何千人」の差が、「労務者数と犠牲者数とを取り違えてしまいました」とした
言い訳で済ませられる問題ではなく、日本の歴史教育学界に巣食った体質にまでさかのぼって
目を向け、現状を理解する必要があると思います。でも、どうしてこんな馬鹿な数字が教科書に
載ってしまうか理解できない方も多いでしょう。
おそらく、だれかが間違って、あるいは故意に「犠牲者400万人」とした論文、あるいは本に
書いたのだと思います(この見方が正しいのではと示唆する根拠はあります)。それが、アッという間に
日本叩きを旨とする左翼かぶれの学者、教育人の手によって採用されてしまったのでしょう。
日本軍にこれこれの「悪行」があったと指摘する論文なり本が出ると教科書にいち速く反映される、
検定も通る、こうしたことが繰り返されて教科書が出来上がるのです。
とにかく、日本を、日本軍を叩けるのなら、とにかく何でも使うという教科書執筆者の姿勢が
この教科書によく表れています 。まともな歴史教科書など期待すべくもなかったのです。
この「ロームシャ」の問題は、つい最近も「ブキチンギの穴」 で有名になりました。
スマトラ島のブキチンギで、日本軍(第24軍)は地下司令部建設のためにインドネシア人労務者を
動員、機密保持のために3000人を殺害 したうえ、穴に放りこんだといい、現地に「日本の穴」として
観光名所になっていました。
幸い、産経新聞の取材報道などから事実無根と判明し、総山 孝雄 ・東京医科歯科大学名誉教授の
インドネシア大使館への粘り強い働きかけなどで、単なる「防空壕跡」 との説明文に取りかえられました。
③ ベトナムの餓死者200万人
それにべトナムの200万人。これについては別項 ( ⇒ こちらへ )に報告してありますので
参照いただくとして、この数字を日本軍のせいにしている教科書はこれにとどまりません。
例えば、桐原書店の『世界史A』では、「ヴェトナムでは、日本軍が米を過酷に収奪したうえに、
自然災害も重なって大飢饉を引きおこし、200万人もの餓死者をだしたといわれる」としています。
それも「世界史」の教科書というのですから、これを書いた学者の頭を疑いたくもなります。
また、教科書によくでてくる表現なのですが、「 ・・・といわれる」 とあって、
これでは誰がこのように言っているのか、わからない仕かけになっていることです。
④ フィリピンの死者111万人
次にフィリピンの死者111万人ですが、この数はおおむね正しいのでしょうか。また、日本軍に
全責任があったといえるのでしょうか。細かいことですが、1994年版で100万人とあったものが、
1998年版(2003年版も)では111万人に増えています。4年間のうちに調査が進み、より
信頼できる数値が得られたのでしょうか。
これがお笑いなのです。上記の表を見ますと、ソ連の『第2次世界大戦史』(後述)では
フィリピンの死者が110万人となっていますから、教科書記述はソ連の見解を採ったものだといえます。
ところが東京裁判の法廷には、似ても似つかない死者数が提出されていました。
軍人の死者2万7258人、民間人の死者9万1184人 というものでした。
この数自体、どこまで正確かは分かりませんが公式な統計数字です。ただ常識的にいえることは、
実際の数(神のみぞ知るなのでしょうが)を上回る数の提出はありえても、大幅に下回る数値が
出てくる可能性は低いといえるでしょう。
南京虐殺問題では検察側が提出した数字を根拠の一つに、中国は30万人以上と主張しています。
この数値を受けて犠牲者30万人以上 と教科書に書きながら、こちらは怪しげなソ連のいう
人数を採用しているのです。
さらに言えば、民間人の死者だって、日本側に全責任があるとはいえません。
アメリカ軍の砲撃によって死んだフィリピン人も少なくなかったことは、当時の記録などからも
いえることです。下の引用文は、米軍の物量にまかせたというか粗っぽいというか、激しい砲撃が
フィリピン人住宅街も惨禍から免れなかった一例です。
〈 米軍の砲撃は遂に南岸に集中しはじめた。議事堂、財務省、農務省などは、堅固に
要塞化された筈であったが、大きな図体を地上に露出しているために、かたっぱしから
穴をあけられ吹きとばされてゆく。敵砲弾は、日本軍のいる海岸のフィリピン人住宅街にも、
もの凄い炸裂音をたてて落下するのだ。 〉(「マニラ市街戦」、小林 勇・社会タイムス外信部 、『秘録 大東亜戦史』所収 )
続きは http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/kagai/kagai-tokei.html
中略
要するに中国のかかげる数字はプロパガンダ、簡単にいえばデッチ上げなのです。それを真に受けて
大々的に報道するやら教科書に載せるやらして、今度は日本発として海外各国にとどけられ、
今度は日本叩きの材料にされるのですから、われわれ日本人はお人好しだと済ませられる話ではありません。
でも、日本人の反応の鈍さ、あきれるしか方策がないのかもしれません。
― 2006年 9月22日より掲載 ―
(2011年12月18日、大幅に加筆掲載)
「人肉食」も…旧日本軍のインド人捕虜への残虐行為
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