釈迦の本心一政治編 2010.8.20メモ、その3
仏言を学ぶ人たちに申し上げたい。あなたがたは、まず、「何ができないかではなく、自分に何ができるか」を考えるような人間となって欲しい。そのような人間になってこそ、世の中を変えていくことができる。
その人限りを救おうとしているのではない。その人を変えていくことによって世界を変えていこうとしている。唯物論が、政治の原理や教育の原理に使われることは許されない。
「正義とは何か」という観点は忘れてはならないと思うのであります。
<中略>「正義のある平和」を説かねばならないと考えます。「悪に屈服する平和」「悪に懐柔される平和」あるいは、「悪と融和する平和」こういうものは「奴隷の平和」であると私は思うのであります。
正義という考えは、この地上に悪魔の勢力を広げることを押し止め、彼らを教育する効果がある。
私たちはこの世から、そのような、悪は排除していきたいと強く願う。地球的なレベルにおいて、「正義とは何か」「正しさとは何か」「真理とは何か」というテーマが、常に検証され続けなければならない。
例えば、(自分の国に)原爆が落とされ、悲惨な人々が数多く出て、戦争の悲惨さを伝えるならば、同時にそうしたこと(新たな戦浄行為)を目指しているものに対して、きっちり批判をすべきである。
「富というものは、智慧と汗の結晶である」という考え方を、忘れてはならないということだと思います。
怠惰の上に、富を築こうとする者に対しては、厳しい指導が必要である。この世においては「勤勉なる者よりも、怠惰なる者が、多くなりがちである」という、人間の弱い心に付け込んで、自分たちの勢力を拡張しようとするものは「悪魔の心がそこにある」と言わざるを得ない。
この世は魂の修行場。人々が勤勉のうちに富を形成し、豊かな社会をつくっていくようにするのが基本形。
努力する者が、つまらない人生を生きているように思い、怠けるだけ怠けたものが得をするような、世の中をつくっては、相成らんと厳しく申し上げておきたい。
自分が易きにつく心を持っているなら、それを乗り越えることこそ、今回の人生の使命であると、強く信じなければならない。
宗教を信ずるものに、政治ができないというふうな、世の中の憶説、先入観、偏見と戦って、見事に成果をあげる道を、選んでいただきたいと思います。
・結論は、政治は宗教の前衛部隊としてその闇を砕破する使命を持っている。そう私は強く信ずる。政治が間違っているならば、闇の拡大再生産はいつまでも続く。そこに真理の光を当てなくてはならない。
<質疑応答
Q:目の前の闇を粉砕していくに当たり・宗教家が政治をしていく修行の要点についてご教示下さい
演説、戸別訪問等をしても人々の心が動かず、賛同者が増えないならば、宗教家としても力がないと言わざるを得ない。
政治家として多くの人の支持を集める能力は、一個の宗教家として、新たに信者をどれだけ獲得するような能力があるかということと、ほとんど同じだと思う。開拓伝道型の能力が極めて低いところが、根本的な問題。宗教において甘えがある。人間対人間として相手を説得し、相手の心を動かす能力が弱い。だから政治家としても、結果が出ていないのだと思う。
政治の場に出て話をして、支持者を減らすような方もいる。それは、相手の気持ち、聞くほうの気持ちがまったく分かっていないことを意味する
続く
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