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「南京大虐殺」の虚構――南京安全区文書の検証

2014年08月28日 00時05分13秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

「南京大虐殺」の虚構――南京安全区文書の検証

[HRPニュースファイル1106]より

http://hrp-newsfile.jp/2014/

 文/幸福実現党政務調査会 佐々木勝浩氏



 ◆南京安全区文書

これまで東京裁判の証言から「南京大虐殺」が本当にあったのかを検証してきました。

今回は、別の角度から、東京裁判の検察側の証言がいかに間違っていたかについて指摘しておきます。

裁判の最初に証人が出た後、検察側は「日本はこんな悪いことをやった」という証拠として

「南京安全区文書」を出してきました。

これは南京に残ったアメリカなどの宣教師たちが「国際安全委員会」という組織をつくり、

南京の南にいた船賃もなく南京城外に逃げることができなかった市民を保護する目的で

南京城内に「安全区(難民区)」をつくりました。

これについては日本軍も承認し戦闘の際に、日本軍は「安全区」に入らないことを約束しました。

これで安全区内の一般市民の安全を保障したのです。


実際に12月12日に国民党と間での戦闘が始まりましたが、日本軍が12月13日に南京に入城すると、

14日に日本の外交官であった福田篤泰氏が南京城内に入りました。彼は、アメリカやドイツの宣教師や

商人の身の安全を確保するようにとの命令を受けてやってきたのでした。

日本の外交官であった福田氏は、後に東京裁判で証言した宣教師のベイツ等と、その当時連絡を取って、

日本軍から被害を受けていないかを聞いて回りました。その宣教師たちが日本の外交官に提出した

文書が、ベイツらが書いた「南京安全区文書」です。

同文書によると、3日間で安全区の中で起きた事件は5件で、死者数は24人です。

つまりベイツは「南京安全区文書」で死者は24人と当時書いていながら、東京裁判では「1万2千人が死んだ」

と証言したのです。

つまりベイツが当時出した「南京安全区文書」の内容と、東京裁判で証言した内容とは、まるっきり違って

いたのです。ここからもベイツの証言がウソだということが分かると思います。



 ◆日本の外交官、福田篤泰氏の証言

しかし、この死者「24人」の報告についても疑問があります。日本の外交官である福田氏は国際安全委員会

の安全と外国人の希望や意見を受け付けるのが仕事ですから、毎日、安全区にある事務所に行くわけです。

そこに中国人がやってきて、あそこで日本軍がこういう事件が起こした、とベイツたちに報告にきます。

それをベイツがタイプに打っていたのです。

それを見た福田氏はベイツに対して、「中国人が言っていることを確認した上で打たなければいけない」と

注意し、実際に宣教師を連れてそこに行ってみると、何も事件は起きていなかったのです。

他にもアメリカ大使館から南京にあるアメリカ法人の会社に日本軍が入って、窃盗を働いているという抗議

が入りました。福田氏はびっくりして上海派遣軍の渉外担当の本郷忠夫参謀とすぐその現場に行ってみたの

ですが、そこでも何もありませんでした。

このように「南京安全区文書」に書かれていることは検証もされず、なかったことまで伝聞のままに記載されて

いるのです。ですから同文書にある死者24人という報告にも疑問があります。もし仮に24人は本当だとしても、

東京裁判で出てきた1万2千人という数字は疑問が残ります。

福田氏は、当時、安全区内の第三国人のパイプ役として毎日、安全区の中を行ったり来たりしています。

東京裁判には証人として出ませんでしたが福田氏は後にこう言っています。

「東京裁判でマギー神父が証言しているように、街路に死体がゴロゴロしていた情景はついぞ見たことがない。」



 ◆同盟通信の記者、前田氏の証言

さらに同盟通信の記者、前田氏の証言があります。(同盟通信は戦後に共同通信と時事通信に分かれた) 

通信社は取材のため上海から新聞記者とカメラマンが無線や食料を車に積んで軍の後を追ってきました。

前田氏は12月15日に城内に入り、その取材車で城内を回りました。その様子を次のように書いています。

「私は、車で城内を回った。住民居住区は『避難民区』とされ、その周辺には警備隊が配備されていた。」

つまり安全区の周りには、日本軍の警備隊がいて、むやみやたらと入れなかったという証言をしています。

しかし「(同盟通信の)旧支局が区内にあるとの理由」で前田氏は中に入ることができました。

「また店は閉じたままだが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。

生活が生き残り、平和が息を吹き返していた」。これが12月15日の難民区の中の様子です。

安全区には大学や日本領事館、ドイツ公使館などの大きな建物が建ち並んでおり、比較的、高級な街です。

そこに難民が20万人もおり、道路にまでムシロで覆いをして人でいっぱいだったということを書いています。

市民は安全区に避難しているわけですから、中国が言うように日本軍が30万人を虐殺したとすれば、安全区の

中に「死体がゴロゴロ」しているはずです。しかしそうではありませんでした。

ここからも最初の2、3日で男女子供1万2千人を殺害したというのは、全くのつくり話だということがわかります。



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1 コメント

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Unknown (朝日新聞だ)
2014-08-29 17:40:20
南京大虐殺があった
時代に朝日新聞記者であった、細川隆元や橋本登美三郎などが参加した座談会で、南京大虐殺などはないと発言しているそうです。

細川隆元は、その後政治評論家として活躍して、政治討論番組の司会を10年以上務めた方です。

橋本登美三郎は、自民党国会議員として、大蔵大臣・運輸大臣、自民党幹事長などを務めた方です。

そもそも朝日新聞のOBが南京大虐殺などなかったと発言があるのに、なぜ朝日新聞が南京大虐殺のあったと報道をするのか不思議なこと。
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