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徳島・川島町「聖地」の証明 - ご生誕地で「大日寺」の遺跡発見

2013年04月13日 00時00分00秒 | リバティ 学園 幸福実現党 関連  

徳島・川島町「聖地」の証明 - ご生誕地で「大日寺」の遺跡発見


螺髪、吉野川市で出土 仏像の頭髪部分 
 2013/4/9 徳島新聞より

http://www.topics.or.jp/localNews/news/2013/04/2013_13654719073111.html

 吉野川市川島町川島の民有地で、奈良~平安時代のものとみられる土作り
の仏像の頭髪部分「螺髪(らほつ)」が9個出土した。市教委や四国各県の
埋蔵文化財センターなどによると、古代の螺髪が複数見つかったのは四国初。

当時の神社仏閣の屋根に装飾として使われていた「鬼瓦(おにがわら)」と
「鴟尾(しび)」も同時に発掘されており、市教委は県内最古の寺の一つで、
川島町にあったとされる大日寺の存在を裏付ける物証になるとして、現地を
さらに詳しく調べる。
 
 見つかった螺髪は高さ、底径が各約2センチ。螺髪の寸法から、仏像は
比較的小さく座像なら高さ1・2メートル、立像なら2・4メートルほど
だったと推定される。

 螺髪は全国各地の遺跡などで出土しており、四国では今年1月、香川県
東かがわ市で1個見つかったが、9個も発見されたのは初めて。

 螺髪とともに発見された鬼瓦は縦26センチ、横23センチ、厚さ3センチ。
板状の土台に目や鼻などを後付けしている特徴から、市教委は奈良~平安時代
のものと判断した。一部が欠けているものの表情はしっかり残っており、
これほど保存状態の良いのは珍しいという。
鴟尾は縦12センチ、横6・5センチの断片で、魚のヒレのような模様が
刻まれている。

 ほかにも、寺院の土台部分に使われる凝灰(ぎょうかい)岩や、石を敷き詰めて
屋根からの雨粒を受けていたとみられる礫敷(れきじき)など、寺の存在に
結びつく遺構が一緒に見つかった。

 出土現場周辺は古文書の記録などで大日寺があったとされるが、裏付けと
なる出土品は公的な調査で発見されていなかった。市教委は「出土した鬼瓦や
鴟尾は立派な作品。かつて川島が栄えていたことを示す史料だ」と話している。

 現場が遺物出土の可能性がある文化財保護法の包蔵地に該当するため、
建設工事を計画していた土地の所有者が市教委に工事を届け出た。これを受け
て市教委が昨年10月から試掘調査を行い、螺髪や鬼瓦を見つけた。

 


 

リバティ記事

徳島・川島町「聖地」の証明 -
 大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地で「大日寺」の遺跡発見
 
2013.04.09

徳島・川島町「聖地」の証明大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地で
「大日寺」の遺跡発見
 
大川隆法・幸福の科学総裁の生誕地である徳島県吉野川市川島町で昨年
秋から年始にかけて行われた発掘調査で、奈良時代前後に建てられたと
考えられている「大日寺」に関する重要な遺跡が見つかった。

9日付徳島新聞が伝えている。発見場所は、JR阿波川島駅前の幸福の科学の
施設建設予定地で、幸福の科学川島特別支部の隣に位置する。

幸福の科学は発掘調査に協力するため建設計画を見送る予定で、
今後は県による調査が続けられる。
 
 
(写真1)「礫敷(れきじき)」。礫敷は建物を中心としてロの字型に配置されるため、
今後発掘が進めば、残りも見つかる可能性があるという。

(写真2)本堂の屋根にあったと考えられる「鬼瓦(おにがわら)」。
写真の鬼瓦は、これまでに日本国内で発掘された鬼瓦と比較しても、
かなりよい状態で見つかっている。

(写真4)仏像の頭部の「螺髪(らはつ)」。発見場所に本殿が位置し、
大日如来像が安置されていたことが予想される。

 


貴重な遺跡が次々発見 「国指定」の可能性も

 
この地域一帯は大日寺の敷地であったことが古文書で伝えられており、
「文化財保護法の埋蔵文化財包蔵地」に指定されている。2006年以降、
埋蔵文化財包蔵地内で建設工事を行う場合には発掘調査を行う必要が出てきた。

これまで近隣の川島城本丸跡には大日寺の塔の礎石とされる石や
JR阿波川島駅に大日寺跡石碑があるほか、住宅建築の際などに瓦が
多数発見されてはいたが、今回初めて、幸福の科学聖地川島特別支部の
境内地から、古代寺院大日寺の存在を確証しうる大量の出土品が発見された。
 
 
発見されたのは、屋根からの雨粒を受けていたとみられる「礫敷(れきじき)」
と、建物土台部分にあたる「凝灰岩(ぎょうかいがん)」だ(写真1)。

礫敷は建物を中心としてロの字型に配置されるため、今後発掘が進めば、
残りも見つかる可能性があるという。
 
また、金堂の屋根にあったと考えられる「鬼瓦(おにがわら)」

(写真2)が見つかった。その中には、これまでに日本国内で発掘された
鬼瓦と比較しても、かなりよい状態で見つかっているものがある。
 
 さらには、金堂の屋根の両側に据える瓦の「鴟尾(しび)」の一部である
鴟尾片が見つかっている(写真3)。
 
そして、仏像の頭部の「螺髪(らほつ)」も9点見つかった(写真4)。

9個も発見されたのも四国初である。これによって、発見された場所に
金堂が位置し、大日如来像が安置されていたことが裏付けされる。

さらに、当時の伽藍配置から、金堂の横に何層かの仏塔が位置し現在の
聖地川島特別支部の辺りにあったとも推定される。
 

徳島県内では、これまでにも同様の古代寺院跡が見つかっている。
石井町の「阿波国分尼寺跡」と美馬市の「郡里廃寺跡」があり、いずれも
「国指定史跡」となっている。大日寺について発見されたものは、
「県指定史跡」に匹敵するもので、今後の発掘によっては、「国指定史跡」
になる可能性もあるという。
 

四国・川島町が「聖地」であることが歴史的にも証明される
 
歴史的にも大きな発見だが、宗教的にも発見の意義は大きい。

大日如来とは、仏陀の悟りと修行、霊界の秘儀を象徴する存在であり、
毘盧遮那仏とも言われる。これは、東大寺の大仏と同じであり、幸福の科学の
ご本尊であるエル・カンターレのことである。

現地は、再誕の仏陀である大川総裁の生家とほぼ同じ場所であり、やはり生誕地
という「聖地」の下地ができていたということだろう。

中略
 
このように、大川総裁の親族の過去世の偉人をはじめ多くの諸菩薩如来たちが、
四国・川島町を中心とする一大霊場の建設に尽力していたのである。

今も四国は全国から多数のお遍路が集まり巡礼する、日本で最も霊的な土地である。

今回の「大日寺」遺跡発見で、この川島の地が、神仏への篤い信仰心により
結界が作られ、本仏降臨の「聖地」として選ばれた地であるということが、
ますます明らかになった。遺跡のさらなる調査・発掘が待たれることだ。


 
記事、画像など詳細

http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=5854

 




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