転載 http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page=569
本年も、十一月十五日が来て過ぎていった。
新潟で、横田めぐみさんが拉致された日だ。
本年も、助けることができずに三十三年が経った。
それを思うと、ある種の痛さが、身のなかを走る。
ご両親の悲しさ、やるせなさ、わびしさを思うと顔を上げられない。
思えば、北朝鮮の日本人拉致を独裁者の金正日が認めてから、
やっと、我が国の左翼も北朝鮮による拉致を認めたのだ。
さらに、振り返れば、我が国の左翼は、朝鮮戦争は、
南の韓国がアメリカと共に北を侵略した戦争であり、
大韓航空機爆破は韓国の謀略であるという公式見解をつい
最近まで維持してきた(現在、変更されているかどうかは知らない)。
我が国の左翼は、韓国を「軍事政権」で人民の自由を奪い
抑圧している体制であると非難し北朝鮮と親密な関係を築いてきた。
今でも、昭和四十年代から五十年代の韓国の軍事政権を
告発する岩波新書の「韓国からの通信」(T・K生)や
記録映画「ユンボクの記」、歌「イムジン川」を想い出す。
そのうちに、自民党の利権派が、我が国に最後に残った
「戦後の旨味」である北朝鮮の「戦後賠償利権」の匂いに
ひかれて北朝鮮との親密な関係を求め始めた。
自民党政権にとって、北朝鮮との国交樹立は
「戦後最後の外交的課題」であるとともに、
「戦後最後の賠償利権」だった。
ここに自民・社会の超党派の北朝鮮シンパ勢力が生まれた。
その象徴が金丸・田辺訪朝団だ。シンパ集団には当時の
与野党の幹部の多くが名を連ねている。
そして、当時のシンパ集団の事務局長クラスだった
自民党若手が、今の民主党幹部になっている。
加えて、当時の韓国の「軍事政権」を非難するなかで
育った北朝鮮派が、今の民主党内閣の総理、官房長官
そして閣僚になっている。
彼らにとっては、韓国の「軍事政権」を非難することが
「自由を求める良心的な政治活動」だった。だから、
韓国でスパイとして捕まった日本人拉致の首魁である
シン・ガンスの嘆願運動を展開するのは当然のことであり
嘆願書に署名して韓国に圧力をかけるのが「正義」だった。
これが彼らの政治活動の原点である。
北朝鮮による拉致された日本人救出問題は、我が国の、
このいびつな、まことに歪な、政界とマスコミ界の
なかで封印されてきたのである。
特に、韓国を軍事政権と非難し、本当の軍事政権で
ある北朝鮮を賞賛し、日本人を拉致していた
スパイ・工作員の自由を求め、拉致された日本人の自由を
無視してきた、現総理や官房長官や一部閣僚が、北朝鮮に
よる日本人拉致を認めたのは、小泉訪朝により金正日が
拉致を認めてからである。
しかし、これは「認めた」のではなく
「否定することができなくなった」だけである。
そして、政治家としてこのような育ち方をした者達、
つまり左翼が、我が国の政権の中枢を握っているなかで
十一月十五日を迎えていたのだ。
特に総理大臣、官房長官、拉致担当大臣、彼ら左翼は、
この日、何を思ったのだろうか。
改めて、拉致などは「でっち上げ」と、彼ら左翼から
非難されるなかで、娘であるめぐみさん救出、恵子さん救出
の街頭署名運動をされていたご両親の姿が想い出される。
そのときと、同じ、「無視」という無関心な状況がきている。
以上、拉致問題に関して左翼は、韓国を軍事政権と非難し、
本当の軍事政権であった北朝鮮を賞賛していたと述べた。
決して過去の話ではない。彼らは今、我が国の政権にありついている。
次に、もう二つ、左翼の特質をあげる。
それは、自分が人を批判する時には、あることないこと
情け容赦しないが、自分が批判されることは極端に嫌う
ということである。
また、権力を敵視し国家を敵視するが、自分が権力を
握り国家を牛耳れるようになれば、とたんに権力を乱用する。
これが左翼、共産主義者の特徴である。
後者については、大はスターリン、毛沢東、小は民青活動家、
日教組のドンとちんぴら、菅、仙谷と皆同じ。
そこで、菅や仙谷が、国会の委員会で広げていた資料を
マスコミに撮影されたり尖閣の映像が海上保安官により公開
されたことに極端な拒絶反応をしていることに関して述べる。
これが、左翼の特色である。
左翼は、自分が批判されることを嫌う、従って、その批判
を封印するために権力を乱用する。乱用して何をするのか。
言わずと知れた言論統制である。
本日の産経新聞朝刊に、仙谷が国会内で広げていた尖閣の
資料を望遠レンズで「盗撮」されたと騒いだことが指摘さ
れている。この騒ぎは、仙谷が言論統制によだれを流す
典型的左翼であることを示しているのだ。
同じ紙面に、航空自衛隊入間基地の航空祭において自衛隊
を支援する航友会の会長が挨拶で民主党政府批判に言及した
ことに北沢防衛大臣が「激怒」し、基地内での民間人による
民間人の政権批判の封じ込めを求めた事務次官通達を出した
と報道されていた。さらに、現内閣は日中首脳会談の内容
を隠しているという。
なに、あれだけ、乞食のようにねだって会ってもらった
首脳会談の内容を国民に隠す!
さらに、こともあろうに、この我が国で、民間人の言論
を統制するだとー!
やはり、こいつらおかしい。
入間基地祭での、航友会会長の挨拶は、
正しい!極めて正しい!この正しい言論が守られることが、
我が国の政治を前進させる。
この言論を統制するだとー!
この左翼反動め!
航友会会長の言うとおり、菅はじめ仙谷、民主党内閣、
速く辞めろ!
辞めてから中国共産党の「言論統制」を学ぶために留学
でもしてこい。ついでに、国籍も中華人民共和国にしてもらえ。
ところで、批判するのを好むが批判されるのを嫌い言論統制
を好むのが左翼の特色だと述べたが、自民党出身で、この特色
にぴったり当てはまるのがいる。
言わずとしれた、人民解放軍野戦軍司令官だ。
(実は、実質は上等兵以下、本当の野戦場では逃げて居ない)
まず、
菅内閣の尖閣周辺での映像秘匿は、共産党独裁国家の「中国共産党の言論情報統制体制」に我が国を組み入れる国家反逆にして民主国家日本に対する裏切りであること。
その映像を公開した海上保安官を逮捕すべきだと息巻く、菅と仙石のコンビは、権力を握れば、それを乱用する典型的左翼であり、日本よりも中国共産党に近い生き物であること。
その左翼体制のなかで、自衛隊基地内で民間人の言論を統制するような通達を指示した防衛大臣とその指示に従った防衛事務次官は、恥ずべき手下であること。
以上を前提にして、以下続けたい。
第一に、この体制下で映像を公開した海上保安官は国家に対して最大の貢献を為した公僕である。何故なら、彼は、民主国家を成り立たせる前提である「国民の知る権利」を確保したからである。反対に、「国民の知る権利」を奪っていた菅と仙石およびその内閣は、似非公務員であり最低の裏切り者である。
そして、今日の本題に入る。
あの映像から判断されることは、中国漁船の船長と乗組員が、ただの漁民ではないということであり、二度ぶつかってきてから急に温和しくなって唯々諾々と逮捕に応じ船を石垣港に曳航されるような奴らではない、ということである。
あの映像は、九月七日の日中で、逮捕は翌九月八日の未明である。その間、十二時間以上、洋上で何があったのか。
二度も追突してきた中国漁船と船長と乗組員は、それから我が巡視船に如何なる攻撃を加えていたのか、如何なる反撃をしていたのか。逮捕されるときの反抗状況は如何であったか。
さらに、海上保安庁は、漁船内には何があったのか、武器はなかったのか、如何なる装備を施した船なのか、漁船の航海記録や通信記録は確保し漁船が何処と通信していたのか把握しているのか。
これらの、全体像を国民は知る権利がある。
それに第一義的に応じねばならないのは、菅内閣と民主党である。つい最近まで、沖縄返還時の日米文書の暴露に熱中していた幹事長はどうしている。
しかし、同時に、国民の知る権利に応じる公的な責務を負っているのは、マスコミであろう。その為に、記者は取材源を秘匿できる。つまり記者は裁判において取材源に関する証言を合法的に拒否できる特権を与えられている。
では、マスコミは、この国民の知る権利に応じた仕事を果たしてきたか。
答えは、否である。
昨日、廃業する明石フェリーの最後の船に乗りに行った人から聴いた。神戸の海上保安庁の周辺には、マスコミ人が群れて黒山のようになっていてびっくりした、と。
十一月六日の、映像が公開されてから、彼らマスコミは、その映像をそのまま自分の局で放映しながら、誰が「流出」したのかという「犯人捜し」に熱中していた。
そして、保安官が名乗り出てからは、「流出」させたパソコン喫茶に群がって放映し、こともあろうに家宅捜索された彼の家を放映し、警視庁と検察が、「何時彼を逮捕するのか」に関心を集中させていた。
これは、本質的なこととはほど遠い。むしろ、彼と彼の家族を苦しめて、菅と仙石の「犯人捜し」と「憎っくき犯人いじめ」に迎合し、それをマスコミが代行するだけのことだった。
この公開された映像を前提にして、菅内閣が、中国に屈服して日本国民の知る権利を奪って中国の言論統制を受け入れたうえで、検察に嘘をつかせて船長を釈放させていたという背信的行状に切り込んだマスコミはない。
九月七日から八日にかけて、尖閣周辺で巡視船に乗っていた海上保安官は全て分かるはずだ。
彼らに夜討ち朝駆けで徹底的に取材すれば、その時尖閣周辺で起こっていた全体像を解明できる。漁船が巡視船の船尾に衝突してきた映像には、特色あるスキンヘッドの海上保安官が映っていた。直ちに彼に取材できたはずだ。
また、公開された映像以外の膨大な映像の獲得に執念を燃やすマスコミ人はいないのか。
マスコミは、小さな存在の被疑者の家には、土足で入り込むようにして群がるではないか。
何故、国家の運命を誤りかねない大きな許し難い権力による情報の隠蔽を暴こうとしないのか。この度の、映像公開に関して、マスコミも死んでいるのか、と危惧している。
政治が退廃し大道も信義も廃れた今、国を救うために、
言論人、マスコミ人、そして、草莽の崛起を強く願う。