2014年7月12日 16時0分 NEWSポストセブン
http://news.livedoor.com/article/detail/9036115/ より
韓国軍によるベトナム戦争中の大量虐殺事件は、現代史の一大汚点である。韓国軍はベトナム全土で、約100か所、推計1万人から3万人の大量虐殺事件を起こしている。
韓国軍が行なった戦争犯罪は民間人虐殺だけではない。彼らは行く先々で婦女子への性暴行を働いた。凌辱の末に殺害された者、韓国兵の子供を身ごもる者もいた。ベトナムの大地には犠牲となった女性たちの慟哭が埋もれている。
韓国軍が繰り返した蛮行の実態を、フォトジャーナリストの村山康文氏がレポートする。
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ベトナム南部の大都市・ホーチミンから列車と陸路で16時間。国道1号線を北上すると、南シナ海に面したフーイエン省・ドンホア県に到着する。
国道沿いには水田が広がり、水牛が田畑を耕していた。この長閑な田舎町の風景が地獄絵図と化したのは1966年、韓国軍の駐留が始まった直後だった。
地元紙『フーイエン新聞』のファン・タン・ビン編集長が語る。
「1966~1968年にかけて、韓国軍はフーイエン省の海側のほぼ全域に駐留していました。ドンホア県をはじめ、フーイエン省には韓国軍による虐殺現場が点在しています」
ビン編集長が纏めた「韓国軍による虐殺の実態調査」報告書には、韓国軍の蛮行の数々が収録されている。
「ベトナムの旧正月に当たる1966年2月18日、フーイエン省内の基地を移動する韓国軍が道中にあるホンドア村を襲った。韓国兵たちは村人30人を1か所に集め、若い女性を強姦した。その後、村人は銃で皆殺しにされ、井戸に放り込まれた」
「トゥイホア市のホアドン村では、シエンという名の少女が10人の韓国兵に輪姦された。彼女はその後殺害され、ナイフでバラバラに切り刻まれた」
本誌が取材を進めると、省内のいたるところに虐殺の爪痕が残されていた。ドンホア県のホアヒエップナム村では、1966年1月と5月の2回に亘って韓国軍による殺戮が行なわれた。当時11歳だったグエン・ティ・マンさんが振り返る。
「1月2日の攻撃では37人の村人が殺されました。村の男たちは捕まれば確実に殺されるので、ほぼ全員が逃げました。
まさか、残った女と子供に手を出すとは思わなかったのでしょう。しかし、韓国兵は女と子供ばかりの村人を整列させ、1人ずつ撃ち殺していったのです」
5月14日の攻撃では村人47人が犠牲となり、親きょうだい、親戚を皆殺しにされ孤児となった子供もいたという。
※SAPIO2014年8月号
ベトナム戦争 韓国軍による凄まじき「ゴダイの大虐殺」の証言
2014.03.17 http://www.news-postseven.com/archives/20140317_246337.html
ベトナム南部最大の商業都市ホーチミンから、飛行機で約1時間北上するとクイニョンに到着する。南シナ海に面したこの港町は今、静かなリゾート地として旅慣れた観光客の間で人気のスポットになりつつある。
そのクイニョンの中心地から、かつてゴダイ集落と呼ばれた農村部へと向かうと、リゾートの雰囲気は一変。そして気付かされる。ここがベトナム戦争時、韓国軍による「ゴダイの大虐殺」があった血なまぐさい戦場であったことを──。
ベトナム問題に詳しいフォトジャーナリストの村山康文氏は、先月末までベトナム戦争時の激戦地を訪れた。このゴダイ集落を訪れた時、韓国軍による大虐殺の凄まじさを知ったという。
その集落の村のひとつ、タイヴィン村があった場所には、現在、カラフルな壁画が建てられている。その鮮やかな色使いとは裏腹に、描かれている内容は悲惨そのもの。軍服を着た兵士たちの銃口が火を吹き、銃弾が村人たちの体を貫く。火あぶりにされる裸体の女性の姿も描かれており、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
“つり目”で表現された武装した軍人たち。彼らこそ、大虐殺の当事者である韓国軍である。右腕には、ゴダイ集落を襲撃した「猛虎部隊」の紋章である虎が描かれている。
集落全体では、1966年1月23日から2月26日にかけて、1004人の民間人が虐殺されたという。
15発もの銃弾を受けながら奇跡的に生き残ったタイヴィン村のグエン・タン・ランさん(62)が、当時を振り返る。
「韓国軍が村に来たのは朝9時ごろ。100人以上の歩兵が次々と村に入り、全25世帯、65人の村人を一か所に集合させました。韓国兵はその中から、年頃の娘を見つけると、彼女を集団から引き離し、村人の前で輪姦を始めたのです。
兵士たちに銃を突きつけられた娘はなす術なく、代わる代わる暴行されました。そして、最後の兵隊が事を済ませると、彼女を撃ち殺したのです。その一部始終を見せつけられた村人が怒り狂い、韓国兵に襲いかかろうとしましたが、その場で射殺されました。韓国兵は私たちを1度に殺さず、数人単位で射殺していきました。私の両親や親族も殺されました」
この壁画は、タイヴィン村での虐殺を忘れないための記念碑のようなものだという。その傍らにはゴダイ集落で虐殺された380余人の名前が刻まれた慰霊塔も建っている。そこには「韓国軍が行なった非道は忘れない」という内容の文字も書かれていた。
※週刊ポスト2014年3月28日号
韓国サイト 韓国軍人に暴行されたベトナム人女性の証言掲載
2014.03.20 http://blog.livedoor.jp/genpatu-genbak/archives/7404913.html
韓国ではベトナム戦争に参戦した韓国軍の蛮行が、ここに来て問題視され始めている。3月7日、かつて日本軍の慰安婦だったという女性とその支援団体代表がソウルで会見を開き、ベトナム戦争に参戦した韓国軍による「ベトナム人女性に対する性暴力や民間人虐殺」について、「韓国政府が真相を究明し、公式謝罪と法的責任をとるように」と訴えたのである。
韓国がベトナム戦争に参戦したのは1964年のこと。1973年まで、のべ32万人もの兵士を南ベトナムに派遣している。
実は、ベトナムでの韓国軍による蛮行を、当事者である韓国人が知ったのは1999年で、戦争終結からかなりの年月を要していた。発端は週刊誌『ハンギョレ21』(1999年5月6日号)が始めた1年以上にわたる連載記事だった。記者がベトナム当局から資料を入手し、現地取材と生存者への接触を重ね、韓国軍による殺戮の実態を白日の下に晒した。とくに殺害方法に触れた箇所は凄惨を極める。
〈生存者の証言を元に韓国軍の民間人虐殺方式を整理してみると、いくつかの共通したパターンが見られた。
●子供たちの頭を切り落とし、手足を切断して火に投げ込む
●住民をトンネルに追い詰め毒ガスで窒息死させる
●女性たちを次々に強姦したあと殺害
●妊婦の腹から胎児が飛び出すまで軍靴で踏みつける〉
まさに韓国史のタブーに初めて切り込んだ記事だった。しかし、長く封印されてきた蛮行を暴いたことに、政権は怒り、元軍人たちも大反発した。同誌を発行する本社の幹部が、退役ベトナム参戦軍人らに監禁、暴行される事件まで起こった。
それから10年以上を経て、ようやく同誌に追随する動きが出始めた。先の市民団体の声明の前日、韓国の市民参加型ニュースサイト『オーマイニュース』に、韓国軍人に集団輪姦されたベトナム人女性の証言が掲載されたのである。
韓国軍の基地で働いていた当時20歳の女性が、兵士たちに輪姦された挙げ句に妊娠。「ライダイハン」を出産し、現在に至るまでの苦労の人生を回顧している。
ライダイハン──。ベトナム語で「ライ」は混血、「ダイハン(大韓)」は韓国を意味する蔑称である。
※週刊ポスト2014年3月28日号
「ライタイハン」() 韓国軍がベトナムでしたこと
慰安婦のストーリーが崩れ落ちていく【速報】米政府「慰安婦は性を目的とした人身売買行為」
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