小さな音風景

乾きゐる音を曳きつつ枯れ椿転がりゆけり風の吹くたび 

何故、冷や水峠を・・

2016年10月02日 02時19分00秒 | 小さな日記
山頭火よ教えてくれ、山頭火よ教えてほしい、何故あなたは冷や水峠を通ったのですか?

筑紫野から飯塚へ行くには米の山峠の方が良かったのではないですか!

早くて近くてそれに坂もなだらかだし、

山頭火よ、あなたの地図帳には米の山峠は載ってなかったのですか、それとも誰も教えてくれなかったのですか!

あなたがどこを歩こうとあなたの勝手ではあるけれども、もしお会いしていれば道ぐらい教えてあげたのに。

まあ確かに行乞が目的と言う事を考えれば米の山峠では人家は少ないし距離は短いし分かる気はしないでもないが、

それに県道と言う事で物足りなかったのかもしれませんね。

筑紫野から飯塚へ行くには四つ程ルートが在りどれも一山超えなければなりません、どの峠もけっこうな

山道です。

北の方から言えば、⒈ 八木山峠(国道201号線)2、ショウケ越え(県道60号線)

3、米の山峠(県道65号線)4、冷や水峠(国道200号線)

と在り1、八木山峠と2、ショウケ越えは筑紫野から遠いので何となく分かる気がする。

山頭火よ、あなたは二日市温泉(旧武蔵温泉)から山家四つ角迄行き山家ー内野ー長尾と行乞をしながら飯塚へ向かったのですね!

そして冷や水峠を越え冷や水峠は思いのほかきつかったとか独り言を言いながら歩いては休み休んでは歩き飯塚まで

行ったのですね、そして昭和6年12月31日、年も暮れゆく頃、飯塚を行乞しながらあの名句

「うしろ姿のしぐれてゆくか」ができたんですね。


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2 コメント

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しぐれて・・・ (一句鑑賞)
2016-10-03 00:17:40
こんばんは
興味深く読みました。
なぜ米の山峠でなくて冷水峠だったのか?
なるほどいい疑問点ですよね。
私見というほどではありませんが・・・
いわゆる長崎街道だったからではないでしょうか。
歴史の上で重要な街道ですから、山頭火の心にその歴史の中のシーンや、また通ったであろう人物を思いながら歩いたのかもしれませんね。
米の山峠については仰るとおりでしょうね。

うしろ姿のしぐれてゆくか・・・は内野宿から飯塚を行乞していたときでしたか。
内野宿を訪ねてみたくなりました。

また朝倉街道の記事も楽しんでますよ。



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一句鑑賞さん (小さな音風景)
2016-10-03 09:05:11
こんにちは、

同じ峠越えでも他の峠越えとは違ってたんでしょうね!

この道、この峠を通らなくてどの道を通るみたいな、

冷や水峠は歴史上凄い峠ですよね、

シーボルト、吉田松陰、伊能忠敬、坂本龍馬、

福沢諭吉等々、

それから象やラクダ、虎、などの動物、、カステラ等の

南蛮菓子、異文化等、長崎から江戸へ向かって・・

山頭火もそんな思いを浮かべ歩いたのでしょうね。



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