SNSに費やす時間が長ければ長いほど、
自分は人よりも不幸だと思う傾向にある
とのこと。
アメリカの学者さんが大学生を対象に調査した結果だそうです。
これはつまり、
自分がSNS上で繋がってる人の投稿を見て
おしゃれなレストランに行っていたり
旅行をしていたりなど
充実した日々を過ごしている様子を知ることで
自分は何もやってない、
どこにも行ってない、
そんな寂しい気持ちになったりするというところでしょうか。
また、
知らなくていい情報を知ってしまう場合もあります。
たとえば
なかなかチケットが取れない人気アーティストのコンサートに関して
『チケット取れました!やったー!嬉しいー』などの投稿。
さらに
『土曜日と日曜日、両方行きまーす!』なんて投稿までも目にしたり。
チケットが取れずがっかりしてる人も多いはずなのに
嬉しい報告?ばかりが目立つため
羨ましくもあり悔しくもあり。
自分は1回も観にいけないのに
2公演も行ける人がいると知ったために
モヤモヤしてしまう。
知らなければ
“残念”だけだったはずの感情も
知ってしまったことで
まるで自分だけがツイてないような
錯覚に。
手軽さと気軽さから
すっかり身近な存在になってるSNS。
以前、
私自身がInstagramに何気なく投稿した
カフェでの飲み物を撮った1枚の写真。
それが思いもよらず
人を傷つけるものとなっていた、という経験があります。
少しご無沙汰になっていた友人からDM(ダイレクトメッセージ)が届き、
『しばらく連絡ないからお忙しいんだと思ってたところに、カフェの写真が投稿されて。
自分は忘れられてるんだとわかりショックだった』
とありました。
誰かが知りたがってるわけでもない
単なる自己満足の思い出写真。
公開する必要もなく
自分のスマホのアルバムに残しておけばいい程度のものでした。
そんな写真のために
イヤな思いをした人がいるとわかって以来
私はInstagramの投稿はしていません。
見る頻度もかなり減りました。
知らなくても困らないことだったり
知らせる必要もないことだったり
私にとってはほとんどがそんなものかもしれません。
とは言え、
便利で活用しているSNSもあります。
LINEやblogがそうです。
今やLINEは
主な連絡手段として利用しています。
そしてblogは備忘録。
文字にしながら自分の感情に気づいたり
気持ちが落ち着いたりすることも。
また、
振り返って思い出したり
当時と今の自分を比べたり。
自分と向き合っている
ささやかな時間です。