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10キロ前後でいいトレーニングコースがないか考えているappyさん
今日も別コースを考えたよ
お供は、黄色ブラウン、防寒着を着込んでいる
冬場が休業している遊園地「らくてんち」前をとおり
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横のハイキング道を通り、大型ホテル杉の井ホテル前を通り
最後は川沿いを下る。
登ったり、下ったり、コースは厳しい
私的には、フラットな道がいいのに、appyさんはより厳しくがお好み
寒風の中、2時間ほど歩く
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今日は1月17日 阪神淡路大震災から20年目
地震がきて、目の前の高校のグランドに避難したときはあたりは暗かったが
明るくなってきて、家に戻った。
マンションは阪神高速道路のすぐそばにあり、500m先では高速が崩壊していた。
7階の窓から外を見ると、あちこちの戸建てが倒れていた
隣に一人暮らしの女性からSOS. 扉が倒れた家具のせいで開かない。
この時、初めて長田が大火事になっていることを知る
我が家のテレビは、飛んでしまい、音だけで画面は壊れて映らなくなっていた。
ガスと水道は止まったけれど、電気は通じていた
冷蔵庫が倒れ、台所の蛇口の上に覆いかぶさって、バーを押して、水道が
ジャージャーと流れ放し。食器棚やタンスが倒れ、壁に激突、壁には大きな穴が
数カ所、倒れたガラスを踏んでしまい、部屋の中は靴を履いて歩いていた。
トイレも使えず、水を近くの川にくみに行って、それを利用
その日はどこから手をつけていいかもわからないほど、部屋はグチャグチャ
appyは、人命救助に出かけ、戻ってこない
翌日、職場に行き、飛んでいたパソコンを拾い、片づけ。出勤してこない、
できない職員もいるし、みんな殺気立っている
上司は、復興担当課に異動となり、わたしも仮設住宅のお世話係に。
食事は、毎食役所で支給されるおにぎりを食べ、暮らす。
あう人、あう人、無事であったことを確認しあう日々
もうあれから20年とは、仕事も人生観も大きく変わった震災だった。
忘れてはいけない。。。
今日も別コースを考えたよ
お供は、黄色ブラウン、防寒着を着込んでいる
冬場が休業している遊園地「らくてんち」前をとおり
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横のハイキング道を通り、大型ホテル杉の井ホテル前を通り
最後は川沿いを下る。
登ったり、下ったり、コースは厳しい
私的には、フラットな道がいいのに、appyさんはより厳しくがお好み
寒風の中、2時間ほど歩く
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今日は1月17日 阪神淡路大震災から20年目
地震がきて、目の前の高校のグランドに避難したときはあたりは暗かったが
明るくなってきて、家に戻った。
マンションは阪神高速道路のすぐそばにあり、500m先では高速が崩壊していた。
7階の窓から外を見ると、あちこちの戸建てが倒れていた
隣に一人暮らしの女性からSOS. 扉が倒れた家具のせいで開かない。
この時、初めて長田が大火事になっていることを知る
我が家のテレビは、飛んでしまい、音だけで画面は壊れて映らなくなっていた。
ガスと水道は止まったけれど、電気は通じていた
冷蔵庫が倒れ、台所の蛇口の上に覆いかぶさって、バーを押して、水道が
ジャージャーと流れ放し。食器棚やタンスが倒れ、壁に激突、壁には大きな穴が
数カ所、倒れたガラスを踏んでしまい、部屋の中は靴を履いて歩いていた。
トイレも使えず、水を近くの川にくみに行って、それを利用
その日はどこから手をつけていいかもわからないほど、部屋はグチャグチャ
appyは、人命救助に出かけ、戻ってこない
翌日、職場に行き、飛んでいたパソコンを拾い、片づけ。出勤してこない、
できない職員もいるし、みんな殺気立っている
上司は、復興担当課に異動となり、わたしも仮設住宅のお世話係に。
食事は、毎食役所で支給されるおにぎりを食べ、暮らす。
あう人、あう人、無事であったことを確認しあう日々
もうあれから20年とは、仕事も人生観も大きく変わった震災だった。
忘れてはいけない。。。
気持ちは、20年前と少しも変わっていないんですが、しっかり年は20歳取りました。
あっという間の20年、これからはもっともっと年月がたつのが早いんでしょうね~
一日、一日を大事に過ごしていきたいものです。。
健康第一ですね。
沢山の犠牲者の方達の事忘れないで、1日1日を大切に生きたいものです。
それにしても、20年は早かった(≧∇≦)