Lunatics in the air

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「ピンクスパイダー」!!

2011-04-08 | 舞台「ピンクスパイダー」
日本が戦後に遭った天災の中で最も悲しい出来事に起きた2011年3月11日。

私はこの時、東京の葛飾区新小岩の自宅で母と2人一緒に居間にいました。偶然とはいえ母と一緒だったのは幸運でした。
長い揺れは大きかったけれど横揺れ。私は体で母をかばいながら物が落ちてこないかどうかと揺れの方向と大きさを、神経回路をフルオープンにして感知していました。

千葉県成田市出身の私は東京で1人暮らしを始めてずいぶん経っていました。真治くんのファンになってからも11年。ファンとしては短いほうですけど、私の38年の人生の中の11年ですから、私にとってはかなりな長さです。

長く住んだ新宿駅から電車ですぐ近くの地域から、東京駅に近いほうの地域である新小岩に引っ越したのは昨年11月。その後、大学時代のサークルでの3つ上の先輩だった現在のダンナと今年1月29日に結婚式を終え、2月14日に入籍。

そして3月。韓国の大学で日本語を教えているダンナは韓国に行き、私は塾講師か家庭教師の職に就くために英語と数学の勉強に打ち込もうと準備をしていました。27日の「ピンクスパイダー」東京千秋楽のチケットを取って、真治に会える日を楽しみにしながら。


あの日はそんな時にやってきました。

「ピンクスパイダー」東京公演は何回かの公演中止を挟んで13日にようやく真治初日を迎え。聞くところによると真治はゲネプロも出来なかったそうですね。それでも舞台は良かった、と、行った方は言ってました。

震災のあまりにも大きな被害、続く余震、計画停電、放射能の危険性。

公演を続けるのにはすごくエネルギーが必要だったはずです。「節電」だけではなく「自粛」までもが強制されてしまうような空気の中で、この公演を続けようと決断することは。感謝と尊敬の念でいっぱいです。

3月27日、私も見ることが出来ました。いえ、「体感して参加することが出来ました」。

「考えるな、感じろ」と言ったのはブルース・リーでしたっけ。もう、それをそのまま表したようなステージでした。

生命の輝きはなんて眩しいんだろう。躍動する美しい生きている身体、弾む息、高く高く天井の果てにまで羽ばたいて響く歌声。

この場所に今日いることが出来た幸運を一生忘れずにいよう。私はそう誓いました。


1人でも多くの方がこの空間に参加することが出来ますように。


私は4月23日、大好きな武田真治くんの育った街・札幌へ「ピンクスパイダー」を再体験しに行こうと思っています。

お会い出来る方、よろしくお願いします。





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