照・テル・ぼうず

つれづれ日記

梅干し事件

2010-10-09 | 日記

 覚えてるよ、のりこちゃんときよれったが毎朝口の周りが黄色くなっていたのを。それにしても小学生時代の朝のあいさつが“梅干し食べた?”というのは、しぶいねえ・・・。きよれったが、梅干し好きな可憐な少女であったことも確かに覚えてるよ。特にに私から見て不思議だったのは、外側にしそが巻かれていてとろっと甘く、中に入っている梅干の酸っぱさと絶妙なコンビネーショをかもし出しているあの“封じ梅”が好物だったいうこと。粋なもんだね。

 もしかしてこんなことここで言ってはおこられかもしれないけど、話のついでなんでゆるしてたもれ。例の“梅干しの種事件”です。いつものようにきよれったが茶の間で梅干しをなめているときだったよね。 そして急に泣き出したと思ったら、私に言った一言が“おねえちゃんわたししぬかもしれへん。” それで私が、“なんで?”と聞いたら、“梅干しの種がのどに詰まって息できやんようになってきた・・・。”と泣き叫ぶではありませんか・・・。私はとっさに“あほんだらーーーー!”と言いながら、きよれったの背中を思い切り叩きました。するとそのとたん、口から梅干の種が飛び出てきて、きよれったの命を取り留めたのでした。それほどまでに梅干しをなめて好きだったんだよね。あの時力任せにたたいたこと、ごめんね。でもそれでよかったんだよね。

 申年の梅がいいとかで、その年にはテルちゃんも梅干をつけていたような記憶もあるのだけど、その辺ははっきりと覚えていません。テルちゃんの妹のツタちゃんおばちゃんのつけた梅干をよくもらって我が家で食べたようなことも心なしか記憶にあります。

 小さいころに比べると今のほうが梅干しが好きでよく食べています。昔は減塩とか蜂蜜入りなど無かったけど、今そういうものが出てきて柔らかい減塩のものが好きで食しています。私のイタリア人の友だち、キアラは、病気のときは番茶に梅干しの組み合わせが一番といっています。梅干しはきっと世界的なものになってきたんではないでしょうか。


卵つながり

2010-10-04 | 日記

 小学生低学年時の私の朝食は毎朝卵かけご飯でした。というのも、同学年の唯一女の子である、のりこちゃんとの朝一番のあいさつが『卵かけご飯食べた?』と『梅干し食べた?』だったからです。梅干しの種を大事に大事になめながら歩いての登校を楽しみにしていたうちらだったので、なるべくお話を省略できる現物主義に走ったのです。現物主義とは・・・。そうです。口の周りに卵かけご飯を食べたという痕跡を残す事だったのです。それが卵かけご飯の真実だったのです。

 卵といえば、日曜日の夕飯は卵焼き・シーチキンサラダもしくはハムきゅう・あと1~2品あったように記憶しております。そして卵焼きの横には紅しょうががいつも添えられていました。その伝統を受け継いで、卵焼きそのものの中に紅しょうがをいれて焼いたのが我が家のお弁当ベストおかず賞に燦然と輝いています。


さとみーなより(第一回:2010年10月3日)

2010-10-03 | 日記

 

さとみーなより(第一回:2010103日)

  私たち姉妹の育ての母親である照代おばあちゃんが今年の42日に永眠した。それがきっかけで長い間行き違いがあり交流を断っていた我々姉妹が 元のように(いやそれ以上仲良く)つきあいを再開するようになった。これはおばあちゃんからのプレゼントに違いない。だから天国から今もなお我々のことを見守り続けてくれているおばあちゃんが一番喜んでくれていると思う。それに健在の美津子母、亡き喜代次郎祖父、そして亡き秀明父も、みんなが喜んでいてくれると思っている。だから我々を育ててくれた親たちに感謝をこめて、どういうふうに愛情をこめて育ててもらってきたのかを我々姉妹でブログという形式をとって会話の延長として書き留めたい気持ちになった。きよれった、その考えに同意してくれてありがとう。

  たぶん、これは年を重ねてきたせいかもしれないなとおもってるんだけど。そして私たち二人とも共通して子供がいないということもあると思う。子供がいれば自分が親から教えてもらったことを次世代に伝えることができるけど、そういう形では残せないもんね。またもうひとつは 我々二人ともがアーティスト(?!)であることから、自分の根源(エモーショナルルーツ)に触れ、今ある自分を見つめるきっかけにしたいということもあると思う。それともうひとつ欲張って、それぞれのライフパートナーにこんな子供時代があって今の我々が存在しているということをもっと知ってもらいたいという気持ちもある。でも簡単に言えば、私たちがどんな面白い育ち方をしてきたかというのを思い返して、みんなで笑い転げたいということかな・・・。

  家庭を大切にし日々を丁寧に過ごすことを教え続けてくれた祖母が今の私たちに残してくれたものは大きいとおもっているだけど、どうかな?私はこれは衣食住全般から始まり、生活の知恵、人に対する気配りなど・・・これが私たち二人の財産なんじゃあないかとおもってます。

  まず簡単なところから、食べ物。いまの食べ物の嗜好は子供時代に何を食べたのかに大きく左右される。おばあちゃんはたいへん玉子料理が好きであったからきよれったもすごく影響されてると思うんだけど。おばあちゃんの玉子ずきは、私がアメリカに帰国する間際にいつもオムライスをリクエストしてもらっていたことでもわかると思う。ケチャップで甘くいためご飯に黄色い玉子の帽子を乗っけてその上にケチャップでハート型を描きおばあちゃんのイニシャルTS.をその形の中に描く。それを私が帰ってしまった後に食べながらどんな気持ちだったを考えると胸が切なくはなるけれど・・・オムライスを作ることが私の唯一できることであったから許してね、おばあちゃん・・・と思っています。それを最近始めたスカイプで何を食べているか聞くと、きよれったが“玉子かけご飯”という答えが間髪いれずに答えたから面白かった。そういえばきよれったが、毎朝玉子かけご飯を食べてから小学校にかよっていた。しかも玉子の後がついていたきよれったのの黄色い口元のビジュアルつきで思い出した。その辺のことやそれに関係するような玉子話しをききたいな・・・。