あまり注目されていないけど
評判がなかなかいいので行ってみました
な、泣いた...
個人的には「アナと雪の女王」よりも
こっちの方が比べものにならないくらい
名作だと思うのですが
まあ、ジャンルも違うし
比べるのはナンセンスですね
でも、宣伝の量も「アナ」に比べて圧倒的に少ないし
せっかくの名作なのに
もっと多くの人に観て欲しいし
もっと評価されていい作品だと思いました
映画 ■■ウォルト・ディズニーの約束■■
Yahoo映画の評価(2014年4/14現在) 4.18(5点満点)
ディズニー映画「メアリー・ポピンズ」誕生秘話
映画は随分前にビデオで観たことがあるけど
原作本は読んだことがない
今度読んでみよう
ちなみに私、基本的には
アンチ・ディズニーで
ディズニーランドなんて
どうもきれい事ばかりで
嘘くさい、胡散臭いと感じてしまうのです
愛とか夢とか想像力とか
綺麗な言葉を並べて
でも実は、すごい金の亡者
ディズニーランドのホストさん達が
いかにも「いい人」を演じているのが
な~ん~か、信用出来ないんだな
そうなの私は心がねじ曲がった
偏屈なヤツ
憎たらしいヤツなのです
映画の中で
「メアリー・ポピンズ」の原作者
P.L.トラヴァースは
本当にひねくれていて
憎たらしく描かれています
そして、エンドロール前に
実際の彼女の声や話し方が
録音されたテープから流れてきましたが
エマ・トンプソンが演じているトラヴァースと
寸分違わない
話していることも
本当に細かいことに拘っていて
聞いているだけでウンザリするよう
だから、実在したP.L.トラヴァースも
相当に頑固なひねくれ者だったのだな
と、分かりました
どんなに褒められても優しくされても
素直に受け入れず「フン、結構」とはね付け
とても素敵な歌を聞いて心が動いたとしても
決して「素晴らしい」とは言わず
「ダメ、ダメ、全然ダメ!」としか反応しない
まるで本心と逆に行動しているよう
あまのじゃく
何を話しかけても
「ダメ」とか「酷い」とか
ネガティブな言葉ばかり出てくる
そして、その苛つくまでのひねくれっぷり見ていると
私は自分を見ているようで
たまらなかった...
ああ、恥ずかしい、情けない
どうして人の親切に
素直に「ありがとう」と言えないのか
心動く音楽を聞いて
どうして素直に「感動した」と言えないのか
そんなことでは誤解されてしまう
あなたの気持ちは理解してもらえない
逆に、疎んじられ、嫌われるだけだ
どうしてこんなにひねくれてしまったんだろうな~
どうやったら
こんなに偏屈な人が出来てしまうんだろう
そしてそれは私自身にも言える
「どうしてこんなにひねくれてしまったんだ!」
P.L.トラヴァースとは対照的に
ウォルト・ディズニーは
才能に溢れ、社会的地位も高い人気者だけど
傲ったりせず、とてもフレンドリー
楽天的でおおらかで
誰にでも同じように親切に接して
いつも微笑みを絶やさない
誰からも愛されている、まるで太陽のような人
人として「理想的な人間」そのものであるかのように
描かれています
どうしたらディズニーのように
愛情溢れる楽天的な人になれるのか?
どうしたらP.L.トラヴァースのように
扱いにくい人になるのか?
その違いはどこから来ているのだろう?
私は「P.L.トラヴァースの作り方」として
この映画を観ていました
ネタバレ感想
私は漠然と
幼い頃の、両親からの愛情不足とか
両親との確執が原因なのかな~と
予想していました
逆に、ディズニーは
両親からの愛情を一身に受けて育ったみたいな?
実際には逆で
P.L.トラヴァースはしっかり父親から愛され
自分も、父親に対する深い愛情を持っていました
残念なことに父親はアルコール中毒で
仕事をクビになって
一家の大黒柱としてはとても頼りなく
家庭は不安に包まれ
家庭としてうまく機能していなかったかもしれません
母親が自分たちを捨てて
絶望の中、入水自殺を図ったのも
子どもであるP.L.トラヴァースにとっては
「自分たちは見捨てられた」
「愛され守られる価値がないんだ」という宣告になって
彼女の中にずっと傷として残っていたのでしょう
意外だったのはディズニーの方
まだ8歳くらいの頃
豪雪の中、新聞配達に朝と夕方の2回行かされて
行かないと「またベルトで叩くぞ」と
父親に脅迫されていたとか
今風の言い方をすれば
DV親父に虐待されて、強制労働させられていたのだ!
それでも、ディズニーは
「でも、私は父が大好きで尊敬している」
と、穏やかに言います
あんなに過酷な扱いをされても
父親に対する不信感とか憎しみは
生まれなかったらしい
2人の違いは何処にあるのか
P.L.トラヴァースの方は
未だに過去の傷に囚われて
過去の悲しみに、現在も支配・コントロールされていますが
ディズニーの方は
過去の悲しみは過去のものとしてしっかり決別し
今の自分の足を引っ張ったり
今の幸せに陰を落としたりさせていない所にあります
辛い経験にフタをして
押し込めているわけではなく
しっかり見つめ、浄化し
その上に、今の自分を築いています
子どもの頃の傷があったからこそ
愛情溢れるディズニーになっているのだと思いました
そうなのか
過去の傷は過去の物として折り合いをつけ
今の自分に影響させない
逆に、それをバネに飛躍していく
そういう心の切り替えが
私も出来ていなかったな
結局自分で自分の人生
グズグズにダメにしているのは
自分自身の嘆きや
過去に囚われる心の持ちようのように思いました
さて
この映画の中でニヤッとしてしまったのは
ディズニーが映画の完成プレミアム上映に
P.L.トラヴァースを招待しなかったこと
大勢のマスコミの前で
彼女に、例の偏屈な振る舞いや発言を
して欲しくなかったのです
ここにディズニーの本性を見たというか
愛と想像力と微笑みに満ちた
誰からも愛される善人だと思ったけど
やっぱりそれは演技で
笑顔の裏では狡猾に計算していて
P.L.トラヴァースへの感謝よりも
ビジネス上の成功の方を優先させたんだな
腹黒~い
こういうシーン、入れちゃっていいの?
って思った
ディズニー映画は
きれい事しか並べていないような気がしたけど
ちゃんと、王国の王様の
ちっちゃい所も描いてあって
そこはあっぱれだと思い、気に入りました
評判がなかなかいいので行ってみました
な、泣いた...
個人的には「アナと雪の女王」よりも
こっちの方が比べものにならないくらい
名作だと思うのですが
まあ、ジャンルも違うし
比べるのはナンセンスですね
でも、宣伝の量も「アナ」に比べて圧倒的に少ないし
せっかくの名作なのに
もっと多くの人に観て欲しいし
もっと評価されていい作品だと思いました
映画 ■■ウォルト・ディズニーの約束■■
Yahoo映画の評価(2014年4/14現在) 4.18(5点満点)
ディズニー映画「メアリー・ポピンズ」誕生秘話
映画は随分前にビデオで観たことがあるけど
原作本は読んだことがない
今度読んでみよう
ちなみに私、基本的には
アンチ・ディズニーで
ディズニーランドなんて
どうもきれい事ばかりで
嘘くさい、胡散臭いと感じてしまうのです
愛とか夢とか想像力とか
綺麗な言葉を並べて
でも実は、すごい金の亡者
ディズニーランドのホストさん達が
いかにも「いい人」を演じているのが
な~ん~か、信用出来ないんだな
そうなの私は心がねじ曲がった
偏屈なヤツ
憎たらしいヤツなのです
映画の中で
「メアリー・ポピンズ」の原作者
P.L.トラヴァースは
本当にひねくれていて
憎たらしく描かれています
そして、エンドロール前に
実際の彼女の声や話し方が
録音されたテープから流れてきましたが
エマ・トンプソンが演じているトラヴァースと
寸分違わない
話していることも
本当に細かいことに拘っていて
聞いているだけでウンザリするよう
だから、実在したP.L.トラヴァースも
相当に頑固なひねくれ者だったのだな
と、分かりました
どんなに褒められても優しくされても
素直に受け入れず「フン、結構」とはね付け
とても素敵な歌を聞いて心が動いたとしても
決して「素晴らしい」とは言わず
「ダメ、ダメ、全然ダメ!」としか反応しない
まるで本心と逆に行動しているよう
あまのじゃく
何を話しかけても
「ダメ」とか「酷い」とか
ネガティブな言葉ばかり出てくる
そして、その苛つくまでのひねくれっぷり見ていると
私は自分を見ているようで
たまらなかった...
ああ、恥ずかしい、情けない
どうして人の親切に
素直に「ありがとう」と言えないのか
心動く音楽を聞いて
どうして素直に「感動した」と言えないのか
そんなことでは誤解されてしまう
あなたの気持ちは理解してもらえない
逆に、疎んじられ、嫌われるだけだ
どうしてこんなにひねくれてしまったんだろうな~
どうやったら
こんなに偏屈な人が出来てしまうんだろう
そしてそれは私自身にも言える
「どうしてこんなにひねくれてしまったんだ!」
P.L.トラヴァースとは対照的に
ウォルト・ディズニーは
才能に溢れ、社会的地位も高い人気者だけど
傲ったりせず、とてもフレンドリー
楽天的でおおらかで
誰にでも同じように親切に接して
いつも微笑みを絶やさない
誰からも愛されている、まるで太陽のような人
人として「理想的な人間」そのものであるかのように
描かれています
どうしたらディズニーのように
愛情溢れる楽天的な人になれるのか?
どうしたらP.L.トラヴァースのように
扱いにくい人になるのか?
その違いはどこから来ているのだろう?
私は「P.L.トラヴァースの作り方」として
この映画を観ていました
ネタバレ感想
私は漠然と
幼い頃の、両親からの愛情不足とか
両親との確執が原因なのかな~と
予想していました
逆に、ディズニーは
両親からの愛情を一身に受けて育ったみたいな?
実際には逆で
P.L.トラヴァースはしっかり父親から愛され
自分も、父親に対する深い愛情を持っていました
残念なことに父親はアルコール中毒で
仕事をクビになって
一家の大黒柱としてはとても頼りなく
家庭は不安に包まれ
家庭としてうまく機能していなかったかもしれません
母親が自分たちを捨てて
絶望の中、入水自殺を図ったのも
子どもであるP.L.トラヴァースにとっては
「自分たちは見捨てられた」
「愛され守られる価値がないんだ」という宣告になって
彼女の中にずっと傷として残っていたのでしょう
意外だったのはディズニーの方
まだ8歳くらいの頃
豪雪の中、新聞配達に朝と夕方の2回行かされて
行かないと「またベルトで叩くぞ」と
父親に脅迫されていたとか
今風の言い方をすれば
DV親父に虐待されて、強制労働させられていたのだ!
それでも、ディズニーは
「でも、私は父が大好きで尊敬している」
と、穏やかに言います
あんなに過酷な扱いをされても
父親に対する不信感とか憎しみは
生まれなかったらしい
2人の違いは何処にあるのか
P.L.トラヴァースの方は
未だに過去の傷に囚われて
過去の悲しみに、現在も支配・コントロールされていますが
ディズニーの方は
過去の悲しみは過去のものとしてしっかり決別し
今の自分の足を引っ張ったり
今の幸せに陰を落としたりさせていない所にあります
辛い経験にフタをして
押し込めているわけではなく
しっかり見つめ、浄化し
その上に、今の自分を築いています
子どもの頃の傷があったからこそ
愛情溢れるディズニーになっているのだと思いました
そうなのか
過去の傷は過去の物として折り合いをつけ
今の自分に影響させない
逆に、それをバネに飛躍していく
そういう心の切り替えが
私も出来ていなかったな
結局自分で自分の人生
グズグズにダメにしているのは
自分自身の嘆きや
過去に囚われる心の持ちようのように思いました
さて
この映画の中でニヤッとしてしまったのは
ディズニーが映画の完成プレミアム上映に
P.L.トラヴァースを招待しなかったこと
大勢のマスコミの前で
彼女に、例の偏屈な振る舞いや発言を
して欲しくなかったのです
ここにディズニーの本性を見たというか
愛と想像力と微笑みに満ちた
誰からも愛される善人だと思ったけど
やっぱりそれは演技で
笑顔の裏では狡猾に計算していて
P.L.トラヴァースへの感謝よりも
ビジネス上の成功の方を優先させたんだな
腹黒~い
こういうシーン、入れちゃっていいの?
って思った
ディズニー映画は
きれい事しか並べていないような気がしたけど
ちゃんと、王国の王様の
ちっちゃい所も描いてあって
そこはあっぱれだと思い、気に入りました
こういう大衆文化に対して低俗って先入観のあるトラバース夫人に感情移入して、ウォルトや運転手さんに一発やられてしまうのが、この映画なんじゃないか、と(^_^;)
私はクリエイター論としてちょっとゾッとする映画でしたね。作り手と受け手で感想がやっぱり変わってくるんだなあって思いました
最初のうちは、ディズニーのぬいぐるみやら風船でいっぱいにされた部屋を見て「こんなことされてみんなが喜ぶと思うなよ!」と感じるのですが
だんだん素直になってきて、人に優しくしてもらえることに感謝の気持ちが湧いてきます。
最後にはトラヴァースさん同様、映画館にミッキーにエスコートしてもらえたことをとても光栄に感じてしまいました。
やられたー。
ゴーダイさんは作り手の目でご覧になったのですね
創作することには、不幸なまま亡くなった父親を救ったり、自分自身の魂も救ったりする力があるんだと思いました。
でも時には破壊してしまう力もあると思います。
創作、特に物語を編むということは自分の内面と向き合うことなのだな~と気付きました。