序 The best people possess a feeling for beauty, the courage to take risks, the discipline to tell the truth, the capacity for sacrifice. Ironically, their virtues make them vulnerable; they are often wounded, sometimes destroyed. ~Ernest Hemingway
第1章 概説
出生率が低いのは、本当に社会全体で育てる制度に欠いていたり収入が低いせいか、たとえば資産家レベルの年収があり制度上の欠陥を穴埋めすることができるだけの世帯当たりの子の数を後ほどデータを基に調べてみることとする※1。
まず日本の成年の意識の中で何が優先されているだろうか。結婚して子供をつくり家庭を持つことだろうか。結婚と云っても戸籍の問題はさておき、今の成年男女のカップリングの有り様は結婚という婚姻制度にとらわれず、むしろ束縛より自由を戸籍より愛そのものを希求し、事実婚や同居でずっと暮らしている者が増えてきている。そこには子供がいない。子はひとりでに育つとも言うが、子供を育てるには愛情を注ぎ責務を持てりとの健全な考えがそういうパートナーズにはちゃんと認識されており、それがゆえ安易に子をもうけるより、パートナーズいかんに関わらずひとりにおいても自己に割く時間と充実度、それこそキャンピングがしたいから自己実現の為まで人々は憲法に定められているように幸福の実現にむけていとまがない(※2)。加えて若者に見られるアセクシャル化、セックスレス化、傾向としてシングル化や晩婚化。ヘテロでもゲイ動画も受け入れオナニーする男性たちが普通に存在する。これは自然なことである。また社会問題にも網がかかるが閉塞性とロリータ、オナニーとゲームで満足する自己肯定の孤独がそこにあったりもする。ゲームで放置少女やウマ娘のTVコマーシャルを私は初めて見たときおったまげたものだ、そこまでやるかと。父親になりきって娘を育てるゲームアプリもある。娘はロリータなのだが、目が大きくあどけない顔をしてる割には胸がひどく大きい。このようなものの利用者が結婚して子をつくり育てるとはあまり思い描きがたい。またそんな絵面は地域社会や警察のポスターにも使われている。
絵面サンプル
人口の爆発的な増加(※7)が懸念され、食料ひっ迫のため、昆虫食や二酸化炭素排出規制もあって家畜の肉に代わる植物由来の人工肉が注目されており、そんな中にあって日本の食料自給率は極めて低く大半が輸入に頼っているが、こうして日本はそのまま世界の影響を被り食料ひっ迫に陥るのであって、子供への補助金が充実していても育ち盛りの子供が口にする物自体がなにもなくなるという事態に陥りかねない。
離婚率が非常に高くなっている。子供がいるいないに関わらずである。もはや子供を有しているからと離婚を食い止め子供が家庭をつなぎ留めるというのは現実的ではなく、なにより子をもうけないままシングル化する夫婦の割合も多いことに着目しなければならない。少子化少子化と言っている間に離婚後のシングル化もまたはなからのシングル化に加え増加しているのである、子のありなし問わず。再婚したとてもはや愛だけで子を新たにつくるかどうかは甚だ疑問である。少子化対策が叫ばれて久しいが、それは同時に世帯における少子が当たり前の如くになっているのだと逆説的に少子を喧伝はしていずとも無意識的にそう人々に受信されるのは無理もない事実である。右ならえであり、みんながそうなのだから私達もそうしようという同調意識がはびこる。もし政府の政策がこうこうだったら二人目も考えるかもしれない、という漠然とした街の声は、果たして前提として私達夫婦は子供を心底から多産でなくとも複数欲しい念願があるとしているかは甚だ疑問である。彼らは万一また子供を有するとしたらと仮定を創作していることを含意しているに過ぎない場合が多々あるのだ。
子育てへの手立てとしての政府施策(※4)の議論にも増して個人に対する福利厚生・福祉・心身ともの豊かさ・生活への経済的支援・孤独対策への政策のシフトに期待が寄せられているのではないだろうか。各個の充実は同性婚をも包含する。子がなければそれは婚姻家庭ではないというのは、あまりにも偏狭であり、子のいないヘテロ夫婦にも当て嵌まってしまう限りだ。一方私には遺伝子保存本能があり、私が母親となるある女性の卵と私の精子を体外受精させ、その受精卵をその女性に戻すといった一連の医療行為を分割させ、ここまでは保険適用でここからは保険不適用などであったなら非常に困る。
高度経済成長期に集中して造成された建造物のインフラは今まさに続々と耐用年数を迎えているが、それらを改修したり新造したりするには日本経済は底冷えしており、そもそもあの頃は財政が単に潤っていたのではなし、過ぎ去ってからというもの社会システムが変わっており、好景気に今湧いたとしてあの頃のような急峻で持続的な経済成長は望むべくもない。
「あなたはひとりじゃない」という政府のウェブサイトがあり内閣官房孤独・孤立対策担当室づけとなっているが、問題を抱えてるひとの為のサイトであって、問題が孤独であるひとの為のサイトではない。
遺伝子保存本能、自己増殖本能がかろうじて国力を支えているが、この少子高齢化で、移民労働者、IT、ロボット化に力を借りねばならない時代だ。工場、建設現場、農場はともかく、日本語を母国語としない移民労働者たちが介護の現場で細やかなところ心通わせる意思疎通は可能であろうか?機微というものがそこにはなくてはならず、老衰した脳なら尚のこと。日本育ちと外国語育ちの双方にとって苦労なことだ。日本在住の外国人が日本人成年層を凌駕する勢いで増加するというのは今の時点で考えにくいが、このままいくと日本文化や自然の継承はどうなるのだろうといささか取り急ぎの発想も浮かぶ。これからは外国人に日本人が半ば取って代わられるのだろうか。世界はまだまだボーダーレス化していず、よって政府要人だけは日本人で市民は人種のるつぼとなるには体制上いびつである。かくいう私は出会い系に登録してもアプローチしてくるのは外国人ばかりで個人的には同胞に枯渇し寂しい思いをしている自身である。
なぐさみとしての子供欲しい願望や長生きしてあとで今度は孫でなぐさみたい。いわゆる子孫繁栄という家や血の継承、後継ぎ、遺産相続などの考えはあまり勝っていない。
今のまま少子化対策や子育て家庭優遇を重点的に続けて、万一それが成功し日本社会の若い年代の層が厚みを増せば、それは回り回って余裕で政府が掲げている政策を継続せしめ、結果それは高齢者も助け、日本社会は穏当に豊かな社会になっていることになる。であるがそれはユートピア希求かもしれず、日本はやはりこのまま凋落の途を辿るかもしれなく、やはりしっかりした基礎付けがなければならないのではないかと思う。じつに若い層が増えていく工程表なりが為政者の頭にあるのならそれをパブリックに表現すべきだ。賢明な夫婦とて家族計画をしっかりと有する。むしろ各個は自分の豊かさや充実度をはかりたいのだから、まずこちらを埋めてやったのならいずれ自身から視野が広がる余裕ができて子育ても多子で考えるようになるのではないかとすると実に順番が逆だ。
なんでも自助ファースト、なんでもそれも人生だと言われた日には社会はどんどん矮小化していく。
熊本地方裁判所の中辻雄一朗裁判長は、「旧優生保護法は差別的な思想に基づき、子孫を残すという生命の根源的な営みを否定する極めて非人道的なもので、憲法に違反することは明らかだ」と指摘して国の賠償責任を認め、原告2人に合わせて2200万円の賠償を命じた。遺伝子保存本能をここでは「子孫を残すという生命の根源的な営み」という言い方で表している。暗闇の中いくばくかの光明たる言葉ではある。しかしながら、せっかく少子化のなかこの世に生を受け生まれてきた子供の自殺者数が増加していて、2022年の統計では500人を超えた(※8)。子供ながらに自らの行為で死んでしまうとは恐ろしく悲しく驚愕すべき問題である。併せて中高年の危機にも目を振り向けねばならない。私と同世代の50代男性の自殺者数も増加の一途であるのだ。
私は出生率を延ばす為の施策よりも、大学まで一筋一貫して無料にすれば良いとも思う。もちろん大学は進学したい者だけである。というのも、少子化のなか教育機関ばかり現れるようでは競争原理も働かなく定員割れさえ起こす。そこで完全学費無料にすれば、もはや大学など多くの者にとってほとんど意味がなくなる。大学の価値暴落だ。学生が来なくなると大学は淘汰されてゆく。世界ランキングのとても低い東は東大、西は京大、今の私学で云えば西の関関同立も成長へのスティングが与えられ皆で育てられるというものだ。こうして学歴社会は、もとより総大学卒のもろさがなし崩しに崩れ、皆が平等に、適材適所で自由に伸び伸びと生き易くなろうし、転職もし易くなるであろう。マイナスのリビドーであるひがみも何もない健気な切磋琢磨だけそこには存する、犯罪率の低い軽快な社会が現出するという良い循環を生じせしめるのだ。親も余裕をつくり易くなり自己充実が子があってもはかれるのだとその社会変化に大いなる発見を見出すと同時に、ふとまた子供を持とうという気にも振れるのだ。なにしろ自己充実が片やはかれるのだから。