The Diary of Ka2104-2

論文「少子化と新自由主義」第2章 ー 石川勝敏・著

第2章 

日本における子供の数と収入の関係※1※3

(「東京大学/主題・我が国における子供の数と学歴・収入の関係/副題・全国調査から明らかになる少子化の実態」という文献を見て)

図2-1. 収入と子供の数(男性)

 

 

 図2-1. 収入と子供の数(男性)をみると、年収別に見た40代時点での子供の数に該当する割合は、0人出生の場合、年収が上がるにつれ低くなるものの、いずれの階級も年代が進むにつれ0人出生は上昇傾向にある。1人出生の場合だが、これは階級を問わずその割合は均質であり、その年代順の出生数は、低所得者層はまちまちであり、中間層と富裕層では右肩上がりに昇ってゆく。2人出生。収入が高くなるにつれ割合が大きくなるが、いずれの階級も右肩下がり、3人含むそれ以上ともなると、その割合はいずれの階級も同様を呈し、年代順もすべての階級において右肩下がりである。

 次に右横の網羅的出生率として丸括弧内にmeanという言葉がついているが、これは平均も中央も意味し、子供の数の平均値なのか中央値なのか不明ではある。中央値とは、個々を合わせた全体の数が偶数の場合、たとえば3、5、9、2、4、7とあると数が6つ並んでいるので全体の数が偶数で、左から中央に向かって、と同時に、右から中央に向かって同じ数だけ進む。すると左側からと右側からと2つの数値、この場合9と2、が抽出される。この2つの値を足して2で割った数が中央値、奇数の場合は同じことをすると、1つ同じ位置の値だけ抽出されるのでそれがそのまま中央値というわけである。

 もとい、この図を見ると、600万円含むそれ以上の層は最新データの切れ端である1971年から1975年の間に至る5年間それ以下の階級よりも一番出生率が高いことになっているが、300万円含む超600万円以下とデータが近似で、両方共右肩下がりに出生率が下がっているのがわかり、着目すべきはデータの取り始めの1943年から1947年の間の率が、600万円以上でわずか2点数ポイントでしかなく、これは300万円超600万円以下のデータと1961年から1965年の間でクロスし、この時点で1点数ポイントであることだ。最低辺層は1948年から1952年の地点の1点数ポイントから1956年から1960年までの時点に丁度1ポイントに急落している。この時代の世相はどうであったか。最底辺層はそこからほとんど変わらず最終時点で0.7ポイントぐらいで終わっている。最終時点で云うと、富裕層は1.6ポイント辺り、中間層が1.2ポイント辺り、最底辺層が先述したとおり1ポイントを割り0.7ポイント辺りである。

 総じて云えることには、年収別に見た40代時点での子供の数に該当する割合図では、どの階級にあっても一人っ子が望まれてきていたし、年収別に見た出生年代別の40代時点での合計出生率の推移図でも、どの階級であれ1人から2人を望んでいるところ、最終的にはより進み幅が出はするがそれでも0人から2人である。

 注目すべきは、日本経済が年平均で10%もの成長を続けていた高度経済成長期(1955年~1973年)は、図2―1. 収入と子供の数(男性)の右グラフで見られるところの後半に当たり、出生率低下を決定づけている時期に当たるのである。これは出生率は豊かさをバックグラウンドにしないことを明示している。

 これら事象から見て取れるのは、大家族志向が崩れ核家族の途を自ら選択した日本人自らにその根拠を置くより他にあるまい。  


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