The Diary of Ka2104-2

小説「田崎と藤谷」第10章 ー 石川勝敏・著

 

 

第10章

 

 

 田崎は神経症を発症し倒れた。俗に言うノイローゼ、神経の過労だ。湯がいていたおそばが噴き出し麺と共に沸騰湯が鍋からこぼれ出し、IHのアラーム音が鳴っていたので田崎がかろうじて電源オフにしようとしたとき、それは自動に通電を止めた。彼はキッチン前で力尽きうつ伏せに横になったまま微動だにしなかった。

 電話の鳴り響く音が遠くで田崎の聴覚には届いていたかどうか。彼はまだ眠ったままだ。やがてはっと突如として起きた田崎に最後の着信音が2つ聞こえそれは止まった。着信履歴を開けてみる。もう1時間前から松井代表のスマホからの着信が繰り返されていた。しかも1回当たり5、6分との表記ばかりだ。

 藤谷は夕涼みのため自宅から自転車で散歩に出て近所を回遊していた。目的が目的なため、彼は自転車をゆっくり走らせていた。そこは一車線一方向の道路で歩道も自転車専用レーンもなかった。自動車は速度を30キロ毎時に制限されていた。静かだけれど大きな気配を感じた。と思うやいなや彼は意識を失った。40キロは出している自動車に後ろから追突され5メートルほど吹っ飛ばされたのだ。彼は頭をコンクリート舗装の道に打ちつけた。彼の脳裏に運転手ののっぺらなイメージのない顔と右手にスマホらしきを持っている画像が浮かんだ頃には辺りは騒然としていて救急隊員が呼び掛ける声が聞こえていた。彼は頭部から半袖の肩や上腕にべっとりしたものを感じ、横寝になったまま右手で左の首の付け根辺りを思わず触った。頭が重く痛かった。手を持ち上げ見てみると血らしいものがしたたるように付いていて、何があったのか彼はおぼろげながら捉えた。頭部からの出血がひどかった。藤谷は相変わらず無言ですぐ担架に載せられ救急車の中へ入れられた。「意識障害」との声が彼の耳に入った。すぐ全身麻酔をかけられ程なく昏睡に陥った。もちろんその点滴には止血剤も混入されていた。

 午後8時前だった。田崎はしんどかったので夕食に軽く冷やしそばを摂るつもりでいたその残骸を素早く片すと、松井代表のスマホに折り返しの電話を入れた。「何やっとったんや」と松井がせわしなさそうに田崎を問い詰めた。「意識がなかったんです、倒れこんでいました」「なんやお前もかぁー。いやな、藤谷が交通事故で頭打ったんよ。今病院で皆そろぅとる。藤谷まだねとっていて皆目覚めるのを待っとる。なんでも言語操作能力を診るらしいわ。ほんで他の検査はすべてもう済ませたってちょうどさっき看護士から聞いたところや」「今すぐ行きます。どこの病院ですか?」「○✕キリスト病院や、はよおいで」田崎は誰にも代金を請求できないタクシーを自宅に呼んでいる間ルームウェアから外出着に着替え、バッグの中の持ち物を精査した。何が要るんだろう、と田崎は忘れ物をしているかのような妄想にしばし囚われていたが、吹っ切れたことにはタクシーの運転手からスマホに到着の合図が示された。

 「そんなはずないだろ!」怒号が診察室をも抜けて轟いた。田崎だった。「俺の母さんだって自転車で車にはねられ、カテーテル手術を繰り返した挙げ句の果て高次脳機能障害になったんだぞ!ずっと寝たきりしたあと保健行政にも見捨てられ死んだんだ!あれは医療過誤じゃなかったのかい、え!」「二者混同というものですな」医者は淡々と言った。「お前が言ったんだろ、聞いて下さいと言う前に、皆さんご静粛にだなんて怪しいじゃないか、それを藤谷さんは大丈夫ですの一言であしらうなんて」「興奮なさらないで田崎さん、とりあえず先生からの詳しい話を聞きましょう」と田崎と藤谷とも親しい女性メンバー石川がさとした。だが田崎の溜まっていた失なう者への強迫観念は消えず、今度は大声で泣き叫びだした。これには4人とも皆が驚愕した。冷静沈着なあの芸術家が醜態を見せている。田崎の叫びを訳すとただ早く藤谷さんに会わせてくれであった。心からの叫びだった。田崎が唯一愛する藤谷だった。松井の一言が田崎には強烈だった。「静かにしておくれやす」田崎はがぜんしらけてしまった。声が止んだ。松井のその軽さが、松井のそのオカマさん振りが田崎をしてまったき空白へと追いやった。

 「まず患者さんの言語野はまったく健全です、まだ事故に遭ったばかりの部分は払拭されていませんが、普通に話せると言っていいでしょう」と間を見計らって医師は話しだした。「頭蓋内圧異常なし、頭蓋における骨折、ひび、皆無、脊椎の損傷なし、トルソー及び腕あしの骨折、ひび、なし、内臓損傷なし、CTスキャン・MR検査ともども異常は認められず、全身への打撲及び皮膚擦過傷、とりわけ頭皮の亀裂及び剥離が所見される、脳震盪が生じたことが考えられ、その帰結の一つとして脳の一時的な機能障害という蓋然性が残る。これらから軽度の外傷性脳損傷との判断を下すものとします。手術の必要はありません。神経学的検査や意識レベルの観察を行うため、3週間の経過監視を求めます、入院3週間というわけですーー白壁君、入院中について具体的な説明したまえ」それはカルテをそらんじているようだった。白壁とは藤谷の医療チームのチーフではなく一介の男性看護士だった。白壁があとを継いだ。「はい。入院中は認知負荷を最小限に抑えるため、面会謝絶です。頭痛や不快感を和らげるために、薄めた鎮静剤を点滴にて処方し続けます。努めての安静が必要ではありますが、私どもの方で、定期的に意識レベルや症状の変化を評価する為、当該患者さんを常時観察の下に置きます」


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