The Diary of Ka2104-2

私の遺影と終の住処(ついのすみか)~長文が苦手な人は障るかもしれません

タイトルでは遺影が先に来て終の住処が後に来ています。時系列でいえば終の住処のあと遺影です。遺影とは私の葬儀のときそこに飾るまさしく遺影のことです。

「遺影」を出そうと思い付き、併せて現在進行形の終の住処についても書こうと思ったが故のタイトルであります。

遺影と聞いていささか驚かれる方もいるかもしれません。ですがもう去年ないしは一昨年の撮影分のこととて、私はその折り既にその中の一枚を"遺影"とタイトル書きしずっと保存しておりました。この時の一連の自画像はそれだけを除きすべてネットにアップしたりショップで販売しております。どこにも収納フォルダーがないまま、むきだしの単体でピクチャのファイルでぽつねんとしております。

私は幾人かその遺影画像を預かって頂ける福祉関係職員を思い巡らしましたのですが、どうもそれは彼らに自死を暗示させるものでしかないだろう、それだからかたくなに拒まれるだろうと判断致しました。それでなぜか今日なぜかこの場で公開しようと思い至ったのです。私が万々一、自死する場合、私はそれを直前パブリックに向かって表明などしません。私が私の死を事前に知ることが出来る場合のみ、このパブリックにする遺影は意味を持ち得ます。余命残り数日が確定していたとて、ですが、私は酸素マスクを付けず臥床(がしょう)していないなど、どうして言えましょうか。ですので実務的には今ここで公表する私の遺影なんぞ誰にとっても何の意味もありません。

今の私には希死念慮は全く御座いません。短命であっても健康寿命が続く限り生きたいと願っております。これまで病魔に襲われ続けてきた人生を鑑みると健康だったとはとても云えず、よってこれから健康になると仮定するなら、相対的に私は私の失った時間分も合わせて長きに亘って生き続けなければならないことになりますが、それはそれでイメージングしづろう御座います。

私は大分昔に一度市役所の総務課にこのようなメールを送信したことがあります。「私が死ねば市の財政は潤いますか?」そうすると間もなくマンションのドアをドンドン叩く音が聞こえてきました。私のマンションは市役所の近くに所在します。私は一人耐えました。それは生活福祉課のケースワーカーで、行ってこい、とでも言われたのでしょう。大変な誤解です。私は死をたやすく口にする人格ではありません。私は生活保護支給費での生活苦を強く訴えていたのでした。その後どれくらい経ってか、そのリベンジの如く、私の支給費が突然ばっさり減額されているのをATMで通帳を通した後私が見ねばならなかった事件が御座いました。これは額面だけの話でなく本当に少額だけしか入金されておりませんでした。この組織的犯罪は続く相談を向けた保健所並びにのぞみ会運営吹田市相談支援センターシードにも繋がっておりました。

振り返ればこれまで人と云って思い付くのは異常にひどい面子(めんつ)たちばかりが周囲にいたように思われるので、これからは普通の人、一般の人、叶うならば、尊敬できる人や素晴らしい人達に巡り会えるだろうというのが、現今の私の希望的観測です。ここに友人も入ります。その遺影を託せる友人はまだでそれを公表するのはひょんなことに今宵です。そして幻声に異常にひどい面子たちのことをぎゃあぎゃあ言われるまでもなく又徒労でしかないことにはその異常にひどい面子たちのことを幻声の発せられる向こう側から私の脳の俎上に載せて幻声と全く同期して脳労働させられるまでもなく、友人に、ふとしたことから打ち明ける機会もあるでしょう。楽しい時も苦しい打ち明けも共有するのが友人の友人たる所以です。あなたには会社外でオペラ団外でオーケストラ楽団外で親しい友人はいますか?じゃあ会社内、以下同様、に限りましょう。あなたには職場内で親しい友人は本当にいますか?それともそれは同僚ですか?パーティーピープルですか?

昨今では巷間においても普通に普通の人が、遺言書を5,60代で書き、望む死に方の有り様や埋葬の方法を記したり、裕福な方なら認知症になったときのことを踏まえ老人ホームをそこで決めておいたり、終活をする時代です。私なら尚のことです。ですが、私の本心を綴った最後の記録、遺書というものは、書こうと思いますが、それに関してはついを目前と予想されるときに限ります。友人とおしゃべりしていたら、色々なことが削ぎ落とされてゆき、自身の核心だけ残るというものです。

よくよく考えるのですが、私が今宵遺影を公表するのは、今までの私のことや私の周囲の異常にひどい面子たちのことを永遠の如く皆さんに死ぬほど共有して欲しいという願望があるからに他なりません。誰もそれらを知りません。でもこの一言、異常にひどい面子たちという言葉に込めた私の思いはきっと皆さんとつながるとなぜだか確信できるのです。そうしてこれを境に私はより自由により私らしくこれからの道を歩けるような気がするのです。幸せになります。そう、一度死んで幸せ者として再生するのです。

石川勝敏の遺影

先日、ようやく大阪府の府営住宅に申し込む次第に至りました。

私の部屋はワンルームで何十年と暮らしているだけ又年の功もあって所有物で一杯であります。オフィス用の長テーブルの上にも物が一杯で私はその片隅でパソコンを触ります。食事はかろうじて空いている万年床に低いテーブルを不安定に置き、膝がガタガタになってしまっていてドクターに正座だけは絶対しないよう言われているのを無視せざるを得ず正座して頂いております。マンションが限界マンションなのは外見だけではなく、たとえば私の部屋に限って言えば、最初から壊れていたのが、呼び出しブザー、備え付けIH調理台、洗濯物干し竿を掛ける支え、寝て泊まるだけ様向けのとても小さな冷蔵庫は電源を入れていると、一応製氷の区分があってそこで霜が膨らんできて閉まらなくなるわ、電源落として霜取りしようとすると溶けてくる水の始末でおおわらわだわ、天井の蛍光灯は三本で一組のところ一本しか点かない、ひと雨降る毎にどの階の廊下も水で浸水する、あとは裏窓のサッシにガタがきていて冬はすきま風で寒い、私の部屋の前の廊下の電灯を何年も消えたままにする、帰ってきたら裏のガラス窓にひびが入っていた、ユニットバスの灯りはオンにしてもオフにしてもいつでもオンで点けっぱなし、裏のベランダの隣との境板はなぜかいつの間にかぶっ壊れていて一度は家主自ら直すと言って今尚風通しよろし、植物を置いていたのだが、何年にも亘って殺すわ、引っこ抜くわ、千切るわ、幹をぶち切るわ、盗んだようで消えてなくなっているわ、鉢を逆さにするわ、鉢の上に鉢を放り投げ置きするわ、自転車にステッカーを貼られるのはまだかわいい方で階下に置いていると破壊等様々ないたずらをされる、隣は何する者ぞ働いているのかどうかも不明なのですがこれが狂気の人で一度何か意味のないことで「殺すぞ」と大放言される、そしてこの人はなにやら家主とヤクザの契りを結んでいるように思える、洗濯機の排水溝がなくそのホースを家主が樋口(といぐち)にがばっと差し込む、家主から私自ら立ち退くよう仕向ける為嫌がらせを私が受け続ける、人の所有物件のドアノブを家主は来る度に触ってぐるぐる回す・・・・

私のマンションから近所のスーパーへ行くには、ちょうど閑静な住宅街を一本道で通り抜けるのですが、私はいつからかその沿いに隣との境がなかったり狭かったりするものの戸建ての空き住宅が何軒かあるのを意識するようになりました。そうして時機はやってきました。私は動き出しました。何年も何年もそのままなのですから。空き家にしたまま放置していては建物としてさびれてきますし税金を取られるだけですので、低い家賃でも毎月毎月定額が入ってくる方が家主にとっても住宅にしてもよかろうと思った私は、町のひとつの会だけ協力を取り付けられたもののあとが続かないので、思い余ってめぼしい空き家の隣近所に直に空き家のことをうかがったのです。私は直接持ち主さんと交渉したく思っていました。ですがこれがうまく情報を得られずでしたので、これを機に不動産屋に電話、不動産屋へ直行するも、そこらの空き家の情報は得られず、持っている賃貸空き家情報と云えばおしなべて高額物件ばかり、やんわりとその予算ですと適当なワンルームが見つかるかどうかですねとにこりとされ私の方で終止、私は終の住処(ついのすみか)だ、3部屋は要るという思いが募るばかりでした。ひょんなことに生活福祉課で引っ越し代を出してくれることを聞きつけた私に訪れたアイデアは市営住宅でした。それは空から降ってくるようでした。

市営、それに府営も、低所得層を考慮して運営されている筈、ならばワンルームから団地ひと部屋へはまずないだろうと思い、市役所のその係の職員に直接うかがい立てたところ、こんな不思議なことを言われました。単身者さんへは単身者向けが用意されており、複数人所帯へは複数人所帯向けが用意されており、単身者さんは1DKのみに入居されることになっておりまして、市営にしろ府営にしろ例外は認められませんと。それなら探せば民間の賃貸でもありまっさいな。どこが公営やねん。私は憤慨することしきりでしたが、その場ではいつもと変わらぬ紳士でした。

市営と府営、それぞれの募集要項と申請書が紙封筒に入ったものを手にできる日が来ました。それは先日の6月1日でした。とりあえず今回出されている物件が載っておりますので一度目を通すだけでも通しておこうと思ったのです。

ところが良い意味で係の職員の言葉に私は裏切られました。物件ごとの表記には、一人以上、二人以上・・・こういう断り書きが最左端にあり、部屋は寝室数として寝室1とか寝室2とか、こういう表記になっており、府営で吹田市内に1物件だけ一人以上で寝室3が実にあったのです。また、府営の同じく吹田市内で一人以上にも関わらず寝室2が複数見つかりました。2寝室の間取りサンプルを見てみると、キッチンがどうやらダイニングも兼ねているらしいこともわかりました。この寝室は畳部屋で6畳と4.5畳で構成されていてやはり小さいものです。あとはプライバシーに関わることですので何も言及しませんが、私は応募したのはしました。入居事由といった項目があって、番号抽選制らしいですが、私書いたのを読んだ上で抽選に掛けて欲しいと思います。

私の年齢は今55歳。還暦まであと5年もありません。決まればこれが最後の引っ越しです。生活福祉課が引っ越し代を出してくれるのも情状を酌量したというより、安い家賃の処に入ってもらった方が長期的に財政を考えるなら得策だと踏んだからかも知れません。もう引っ越し代も出ないでしょう。最後に終生私が住まう家。決まればの話ですが、これが私の終の住処・・・・。

私の頭の中にだけ出て来る絵としての幻覚はほぼ全てがふざけた漫画みたいのだとかそうでなければ脅迫であります。そんな中、私は6月1日の夜だったか、開け放たれた窓に大きな黄色かこがね色の月がかかり、その景色を前にして私が膝をついている姿の幻覚を私は私の頭の中しばらく見ていました。部屋の灯りはなく暗がりでした。彼は裸のようで、毛布を引っ掛けていました。涙しているのかなとも感じました。それを見ていた私は悲しくありませんでした。きれいだと思いました。彼が私なのできれいだなんてと罪の意識を持ちました。

しばらくしていると、隣の毛布のかたまりが声を発しました。「青い月と違って黄色い月はあたたかい」そう言うと毛布から首が出てきたのでぎょっとしました。どうやら光の具合らしくその先には顔があるようです。「君は誰だい?」と私は訊きました。「僕も裸さ」と顔らしき場所から声が返ってきました。「あなたと同じだよ」「なんで私は裸なの?」と私は聞き返しました。彼は言いました。「元に戻ったんだよ、僕たち二人とも」僕たちと言われても一向に顔が見えずけれど私はかえって彼に関心を抱き始めました。それを知られぬよう私は声を絞り出すように「全然寒くも暑くもないね」と彼に振ってみました。「もう恐怖も不安もなくなったからだよ」「私には何も怖がることも不安に思うこともないよ」するといきなり毛布から彼らしき物体のような物が毛布から飛び出て私に飛び付きました。「あったんだよここに」そう言う音源は彼の顔からでした。彼には顔が確かにあったのです。彼は指を私の額に突き出していました。「わからないよ、私には」と私は言って口を一文字にきっと結びました。彼はどこかで聴いたことのあるようなドルチェの音色で「飢えてても戦争中だったらよくわからなかったりするのと同じことだよ」と言い私の手を取りました。それはどんどん圧を強めていき最後にはしっかり私の手を握っていましたので、彼は実在するんだと私は夢のように思いました。「君はどうなんだい?」私は訊きました。「僕もここが悪かったのさ」と言いさま彼は自分の額に指を突き付けました。私はなんだかきまりが悪くなって気付いたら独りごちていました。「こがね色の月はあたたかいけど、青い月は神秘的だ」彼はなんだか熱を帯びた歌声のように「僕が黄色い月であなたは青い月です」と言いながら私に抱きつきました。「戦争前も戦争後もこれだけは変わらない」そう付け加えて。

上記の段落だけは私の創作です。

皆さんはどうお考えですか?特に中高年の方達は?終活。そして終の住処ーーー。


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