この話で、ま、終わりにしましょうか。暮れに突然工事中止になり、帰国しました。図面が無いのに工事が出たとこ勝負であれこれ進み、何でか?と思ってた結果がこれだ。オーナは平気で基礎(!)の変更もするし、今日やったことが次の日解体という・・・、全く気の毒なのはフィリピンの労働者諸君だヨ。目を合わせ「シカタネーヨ・・・」とワシラはペッとつばをはいてたがネ。要するに無届建築がバレてしまったということ。2階の柱組が残ったまま屋根が無いのにどーなるんでしょうかネ、と思ったが、ワシの知った事ではない。「あさってのチケット用意したからね」といわれ、ムッとする暇もなくて(オレはこういうサッパリした別れ方がすきなので)、バタバタと帰って来ました。さすがに成田は寒い ! 30℃~5℃の冷ゾー庫の中へ入るのは寒さに強いワタシでも冷やされている缶ビールの気持ちがワカリました。
ところで、帰りの飛行機の中は、大半が子どもと女性(オカーさん)でした。(なーんでか?)オカーさん同士はタガログ語で話し、子どもをしかる時は日本語です。はい、そうです、クリスマスに帰省して、日本に返るところなのです。オトーさんはどこにも居ませんでしたネ。屋台のマリーン(18才)やフランキーの息子(13才)が日本に行きたい ! と云ってた故が痛切にわかりますネ。親のしがない屋台を継ぐしかないのネ。しかし、まだ男の子はいい・・・、女の子はそれすらないので、海外へ、メイドやダンサーやらの仕事にでるわけです。同志同好の諸兄はこの点を充分理解して、Fパブで遊んで欲しい。そうすれば、もっと、深い喜びが得られるはずだ。(ただし、結果については責任は持たんがネ。)
又、前フリが長くなってしまった。(ワシのクセなのでしかたない。)ぜんぎの長いのはポイントを杷んでいれば感謝されるが、申し訳ない。
女の子は可愛い、少女はもっといい ! 素直で心から幸せを願う気持ちになる。乙女の頃はとてもいい !! 恋をして母になり、そこから急降下がスタートする。
ジプニーやトレイン、市場で子づれの母親を観察したところ、一人目、やや落ちついたカンジ、二人目、少し落ちた、三人目、疲れが見えて来た、四人目、どう見ても30才後半か、という具合におちてくる。
この変化がどうも、20才代~30才代前半で生じる。屋台のカミさんの年令と子どもの数やらを計算すると女性の20才代に出産、育児、重い負担がかかっているのですナ。(トーサン達はブラブラしています。)30代になると、夫婦が親子程の差に見えます。(パチシンコ夫婦、フランキー夫婦etc)
もちろん、ドラッグストアなど行かないし、アレ、スキンも探したのですが(ことわるが、使う為ではない ! )、有りませんでしたネ。(有ったとしても高いものでしょう。)帰って来て、久し振りに、新宿のS湯のあと、(あんときです。新幹線のEメール)紀伊国屋で本を立ち読みしていたら、
アマルテイセン 「貧困の克服」
アジア発展の鍵は何か ? 集英社 文庫
※ノーベル賞経済学、アジアで初めての人 インド人
さらっと手にしてみたら、ナーンダ、同じ事を考えていたヒトがいたな・・・と、発見してしまいました。
すっかり、ヤル気を失ってしまいましたが、どうも宿題と決めた事は了ませないと、何か、酒の味が良くないので以下のスケッチを、日記をめくり、報告します。
その1、クリスマスの前の晩ですネ、いつもの様に、ジプニーの仕切り屋(バッカー)ゲーリーボーイと市場のカラオケでビールをやりながら、オールデイズやロックバラードをウナッていました、でションをも催して、隣のマクドへトイレを借りに行きました。(いつもは市場の隅でスマしています。)入ってみると、室内が暗いのです。ジーっと目を凝らすと、窓側の一列がカップルに占拠されているのです ! その数がザッと×10と見た。男→右側、女→左側と整然と座し、固まっている。(キチョーメンな人々だなと思ったが、男は左手を肩に右手をフリーにする、ということだヨ。)昔の同伴喫茶に、かの国のマクドは夜の営業を変えるということでした。
その2、せっかくだから、正しい観光をしてみようと、マニラのリサールパークへ出かけました。
※リサール(フィリピン建国の父、恋人は日本人、おせいさん)
で、ものすごい光景!を目劇しました。何と、日本でいうと皇居前広場(モット広い)の様なところで、イタしているのですナ。リサールの銅像(10mぐらいの巨大なもの)の50mぐらい前。広大な芝の中央でアフリカンのカップルが上に下に、このクソ暑い中、ワタシは感動しました。(カナわない、素直に思う。素晴らしい !!) 30℃過ぎる暑さの中、真昼間堂々とイタシているパワーは、私らにはマネができませんヨ。周囲の屋台のオッサンやオバチャンは涼しい顔でダラーッとしていました。ま、男のヤサしさを感じるととすると、上になって、日影を作ってあげていたことか・・・。
その3、ジプニーの中で朝っぱらから・・・
目の前(2尺もない)でべったりしているんだな、ゴクミ風とアンチャンが。「オレのゴクミにナニスンダー」と云いたいところをグッとこらえて、ヒタすら観察していたのネ。マ、ナンダナ、フィリピンの若者は中々のテクニシャンが多いのです。トレインでも、バスの中でも(オレはデバカメか?)セカセカ早くは動かさない。ジーッとツボを押さえ、もむ様に動かしてひたすら待つ。すると、肩を押える手に力が入ってくる。波が押し寄せてくるのを感じてチョット力を加える。実にウマイ・・・。彼らはどこで学んだのだろう ?
その4、クロッシングの市場で
朝メシを喰っていたいたところです。ワリといい男(ヤクザ風、サングラス)と力石徹(あしたのジョーのライバル、知っているかな?)似の女がくっついていました。ダラダラとブチューとやっていて、オレは食い物を吐きそうになったが、グッとこらえて、マ、朝帰りの続きかと思いましたが、とにかく、世界共通なのでしょうか、日本でも同様ですネ。ブスの、その積極性はメスの本性ではないのかと・・・、種の保存という観点から見れば、彼女たちの責任ではない。と少しは弁護する。
最后に「恋愛」を規定したかのヘーゲル大先生の言葉を記して終りとしよう。「恋愛=自然的変化」は固体が自分自身に対して行う実在的な対立という契機である。この結果、個体は他の個体のなかに自己をもとめ、これが性関係(=恋愛)である。《ホレるということをムズかしく云うとこうなる・・・》
以上、おわり 東村山 独居庵 T・M生
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あちこちから、例のマサノリクンの日記、あれで終わりなの? どうしたの? とか、いろいろ問い合わせあり、なんとも酔っ払い爺の戯言(?)でしたが、こだわりが偏っているだけに面白かったらしいです、好評でした。もっと、続けたかったのですが、↑ 以上の理由で暮れに早々と帰国、残念でした。オチをつけようにも落ち着かず(?)、長々と引っ張ってしまって、読者の皆さんには失礼しました。先日、深夜作業の仕事の際に、この文受け取った次第でした、悪しからず !! どうも、旅人ではなくて東京での日常に戻るとテンションが下がるらしく、酒もマズイとのことでした。この宿題を終わり、ひょっとしたら、ウマイ酒のんでいるのかなあマサノリクン、余分にあるチケットでもう一度、フィリピンに行くと言ってましたが・・・、素の自分になれる旅はいいよねえ・・・!!
ところで、帰りの飛行機の中は、大半が子どもと女性(オカーさん)でした。(なーんでか?)オカーさん同士はタガログ語で話し、子どもをしかる時は日本語です。はい、そうです、クリスマスに帰省して、日本に返るところなのです。オトーさんはどこにも居ませんでしたネ。屋台のマリーン(18才)やフランキーの息子(13才)が日本に行きたい ! と云ってた故が痛切にわかりますネ。親のしがない屋台を継ぐしかないのネ。しかし、まだ男の子はいい・・・、女の子はそれすらないので、海外へ、メイドやダンサーやらの仕事にでるわけです。同志同好の諸兄はこの点を充分理解して、Fパブで遊んで欲しい。そうすれば、もっと、深い喜びが得られるはずだ。(ただし、結果については責任は持たんがネ。)
又、前フリが長くなってしまった。(ワシのクセなのでしかたない。)ぜんぎの長いのはポイントを杷んでいれば感謝されるが、申し訳ない。
女の子は可愛い、少女はもっといい ! 素直で心から幸せを願う気持ちになる。乙女の頃はとてもいい !! 恋をして母になり、そこから急降下がスタートする。
ジプニーやトレイン、市場で子づれの母親を観察したところ、一人目、やや落ちついたカンジ、二人目、少し落ちた、三人目、疲れが見えて来た、四人目、どう見ても30才後半か、という具合におちてくる。
この変化がどうも、20才代~30才代前半で生じる。屋台のカミさんの年令と子どもの数やらを計算すると女性の20才代に出産、育児、重い負担がかかっているのですナ。(トーサン達はブラブラしています。)30代になると、夫婦が親子程の差に見えます。(パチシンコ夫婦、フランキー夫婦etc)
もちろん、ドラッグストアなど行かないし、アレ、スキンも探したのですが(ことわるが、使う為ではない ! )、有りませんでしたネ。(有ったとしても高いものでしょう。)帰って来て、久し振りに、新宿のS湯のあと、(あんときです。新幹線のEメール)紀伊国屋で本を立ち読みしていたら、
アマルテイセン 「貧困の克服」
アジア発展の鍵は何か ? 集英社 文庫
※ノーベル賞経済学、アジアで初めての人 インド人
さらっと手にしてみたら、ナーンダ、同じ事を考えていたヒトがいたな・・・と、発見してしまいました。
すっかり、ヤル気を失ってしまいましたが、どうも宿題と決めた事は了ませないと、何か、酒の味が良くないので以下のスケッチを、日記をめくり、報告します。
その1、クリスマスの前の晩ですネ、いつもの様に、ジプニーの仕切り屋(バッカー)ゲーリーボーイと市場のカラオケでビールをやりながら、オールデイズやロックバラードをウナッていました、でションをも催して、隣のマクドへトイレを借りに行きました。(いつもは市場の隅でスマしています。)入ってみると、室内が暗いのです。ジーっと目を凝らすと、窓側の一列がカップルに占拠されているのです ! その数がザッと×10と見た。男→右側、女→左側と整然と座し、固まっている。(キチョーメンな人々だなと思ったが、男は左手を肩に右手をフリーにする、ということだヨ。)昔の同伴喫茶に、かの国のマクドは夜の営業を変えるということでした。
その2、せっかくだから、正しい観光をしてみようと、マニラのリサールパークへ出かけました。
※リサール(フィリピン建国の父、恋人は日本人、おせいさん)
で、ものすごい光景!を目劇しました。何と、日本でいうと皇居前広場(モット広い)の様なところで、イタしているのですナ。リサールの銅像(10mぐらいの巨大なもの)の50mぐらい前。広大な芝の中央でアフリカンのカップルが上に下に、このクソ暑い中、ワタシは感動しました。(カナわない、素直に思う。素晴らしい !!) 30℃過ぎる暑さの中、真昼間堂々とイタシているパワーは、私らにはマネができませんヨ。周囲の屋台のオッサンやオバチャンは涼しい顔でダラーッとしていました。ま、男のヤサしさを感じるととすると、上になって、日影を作ってあげていたことか・・・。
その3、ジプニーの中で朝っぱらから・・・
目の前(2尺もない)でべったりしているんだな、ゴクミ風とアンチャンが。「オレのゴクミにナニスンダー」と云いたいところをグッとこらえて、ヒタすら観察していたのネ。マ、ナンダナ、フィリピンの若者は中々のテクニシャンが多いのです。トレインでも、バスの中でも(オレはデバカメか?)セカセカ早くは動かさない。ジーッとツボを押さえ、もむ様に動かしてひたすら待つ。すると、肩を押える手に力が入ってくる。波が押し寄せてくるのを感じてチョット力を加える。実にウマイ・・・。彼らはどこで学んだのだろう ?
その4、クロッシングの市場で
朝メシを喰っていたいたところです。ワリといい男(ヤクザ風、サングラス)と力石徹(あしたのジョーのライバル、知っているかな?)似の女がくっついていました。ダラダラとブチューとやっていて、オレは食い物を吐きそうになったが、グッとこらえて、マ、朝帰りの続きかと思いましたが、とにかく、世界共通なのでしょうか、日本でも同様ですネ。ブスの、その積極性はメスの本性ではないのかと・・・、種の保存という観点から見れば、彼女たちの責任ではない。と少しは弁護する。
最后に「恋愛」を規定したかのヘーゲル大先生の言葉を記して終りとしよう。「恋愛=自然的変化」は固体が自分自身に対して行う実在的な対立という契機である。この結果、個体は他の個体のなかに自己をもとめ、これが性関係(=恋愛)である。《ホレるということをムズかしく云うとこうなる・・・》
以上、おわり 東村山 独居庵 T・M生
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あちこちから、例のマサノリクンの日記、あれで終わりなの? どうしたの? とか、いろいろ問い合わせあり、なんとも酔っ払い爺の戯言(?)でしたが、こだわりが偏っているだけに面白かったらしいです、好評でした。もっと、続けたかったのですが、↑ 以上の理由で暮れに早々と帰国、残念でした。オチをつけようにも落ち着かず(?)、長々と引っ張ってしまって、読者の皆さんには失礼しました。先日、深夜作業の仕事の際に、この文受け取った次第でした、悪しからず !! どうも、旅人ではなくて東京での日常に戻るとテンションが下がるらしく、酒もマズイとのことでした。この宿題を終わり、ひょっとしたら、ウマイ酒のんでいるのかなあマサノリクン、余分にあるチケットでもう一度、フィリピンに行くと言ってましたが・・・、素の自分になれる旅はいいよねえ・・・!!