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亡国のクライシス+

神主祈祷で安全は担保されるのか?追記

どこかの海開きで神主のお祓いで海の安全祈願をしたというNHKニュース。

この国の大半は仏教徒なんだから、安全祈願に坊さんが出てきてもいいはずだが、安全祈願はいつも神主。

海開きも
ビルの竣工式も
東日本大震災の慰霊祭も
サッカーチームの勝利祈願も
パチンコ屋の新規開店時も
みんな、坊さんでなく神主。

その神主が、キャバクラ入り浸りでも初詣バイト巫女の尻を触りまくっていても(仙台有名神社実話)、安全祈願はやはり神主。

神主って、そんな森羅万象をひっくり返すほどのチカラがあるの?

チカラがあるから、大枚をはたいて神主を呼び、何を言っているかわからない祝詞に頭を下げ続け、建設現場ではスーツ姿の社長や市長らが小さな砂山に「エイヤー」と鍬を入れる真似をする。

アホか!

アレを見る度に、笑いがこみ上げて来る。

子どもが見ても
「みんなで集まって学芸会の練習でもしているの?」と思うだろう。

神主は喜ぶだろう。多額の祝詞代を手にしてキャバクラへ直行である。

しかし、神主の仕事も減っている。結婚式での出番がなくなったのだ。
 
若い連中は、神主ではなく、
「アイシマスカ」の英会話教師のにわか牧師に結婚の仲介を頼むか、結婚式そのものにバカバカしさを感じるようになった。

神主受難の時代である。
海開きの祝詞
ビル竣工式の祝詞
サッカーチームの勝利祈願
パチンコ屋の開店祝詞だけでは、食って行けなくなった。

初詣のお賽銭もあるが、
この物価高生活苦で賽銭箱の中身が一万円札が千円札に、百円玉が十円玉になってしまった。
そのうち、海開きの仕事も「アンゼンマモリマス」のアルバイトにわか牧師に取られてしまうかもしれない。

その点、坊さんは大儲け。
高齢社会になって、人がドンドンと死ぬ。なにしろ、火葬場も順番待ちだという。うかつに死ねない。

千載一遇のチャンスである。
坊さんは海開きに呼ばれなくても、別に構わないのである。人が死ぬば、6文字から8文字で百万円前後の法名料、戒名料が懐に入る。しかも、無税。

しかし、これも消滅危惧種。
法名料、戒名料の無意味、くだらなさが若者たちから指摘され始めた。

脱お寺である。
公営墓地なら、坊さんも牧師も無関係で葬儀があげられる。法名料も不要、寄付も不要。坊さんの長い長いお経を我慢する必要もない。仙台でも郊外にある広大な市営の泉墓園に希望者が殺到していると聞く。

今、直葬が劇的に増えている。
坊さんや牧師がいなくても、安心して死ねる時代になった。しかも、愛する遺族の負担も少ない。

神主受難の時代と書いたが、
宗教そのものが存在を問われている。

これからは、
法名料、戒名料を受け取らない坊さん、
教会への寄付を強要しない神父、牧師の時代である。

人々を洗脳し、多額の寄付金持参の信者を囲い込む新興宗教の時代も去った。






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