50年前は、全国の大学で代々木派、反代々木派が跋扈していた。日本共産党系の代々木派民青に対する全共闘系の反代々木派。東アジア戦線も反代々木派の一派であった。
ノンポリティカルの中でも、代々木派の民青より反代々木派の全共闘系が学内でも比較的人気があった。しかし全共闘系にはその日の暮らしに困らないおボンボン学生が多かったことも事実だ。
本当の貧乏系は、ゲバ棒を持ったりヘルメットをかぶる余裕がなかった。その日の米を買うためのアルバイトで忙しかった。それを言うと共産党系からも全共闘系からも日和見主義と攻撃され続けた。
貧乏、苦学生系はアルバイトしないと食って行けなかった。日和見主義と言われようが仕方がなかった。
桐島がどこの大学だったか忘れたけど、逃亡中は生活が相当、きつかったと思う。それで昔の貧乏系学生の気持ちもわかったかもしれない。
あの頃、
誰も、何が大切なのかわからなかった時代だった。
でも、
桐島も含めて全共闘系の学生は、現在の共産党を含む全国会議員より、「正義のあり様」を真剣に考えていたような気がする。共産党系の民青は、共産党のための学生運動だったし、全共闘系も最初は国民目線の運動だったが、次第にセクト、個人のための学生運動へと衰退した。
しかし、
裏金とかキックバックとか政治資金パーティとか、大政翼賛的にゼレンスキーを礼賛すると か、姑息で低俗な今の国会議員たちを、容疑者桐島でさえ恥ずかしく思っていたことだろう。
その桐島が亡くなった。
彼の最後に見た夢は何だったのだろう。
全共闘系だろうが、共産党系だろうか、ノンポリ苦学生系だろうが、世の中の不正と闘っていた学生時代が懐かしくなる。