そんな記事を最近目にしました
パットは、私の大好きなバンド「ミスター・ビッグ」のドラマーです。
ミスター・ビッグは私の青春ですよ~
このブログ内でもこんな記事をカキコしていますよ
「MR.BIG復活!嬉しい!パート1」
「ポールは俺の青春です!」
高校時代にミスター・ビッグのファーストを聴いて一発でファンになりましたね!
ミスター・ビッグはベーシストのビリー・シーンが立ち上げたバンドですが、リーダーを決めずにバンド4人が平等に意見を言えるバンドにしたいというビリーの想いが全面に出ている素晴らしいバンドです。
日本でも凄い人気がありましたよね
特に仙台での盛り上がりは地元サンフランシスコを彷彿とさせる盛り上がりで来日の際には毎回訪れていますね。
仙台市民もミスター・ビッグを仙台に呼ぶために署名活動までしたそうです
東北の震災後、数々の海外アーティストが日本公演をキャンセルする中、ミスター・ビッグは被災地のための新曲を書きおろし来日ツアーをして売上の一部を寄付しました。
(震災後の海外アーティストのコンサートでは一番最初に行いました)
その時書き下ろした楽曲はこちらです。
「MR.BIG The World Is On The Way ~復興応援生ライブ2011~ 」テレビ番組「スッキリ!」での生演奏ですよ
パットの病気についてカキコする前にミスター・ビッグの歴史を・・・。
(大好きなミスター・ビッグも色々ありました・・・)
1989年1枚目のアルバム「MR.BIG」を発表
FREEの楽曲からバンド名を拝借したとおり当初はブルースに根差したZZ TOPのようなバンドを目指して立ち上げたスーパーバンドです。
「タラス」や「デビッド・リー・ロス」のビリー、サンフランシスコで有名だったソウルシンガーのエリック・マーティン、「ロバート・プラント」のツアー・ドラマーや「インペリテリ」のパット、そして「レーサーX」の私の大好きなポール・ギルバートの4人を集めた話題性満点のスーパー・バンドの誕生です。
1991年2名目のアルバム「Lean Into It」を発表
このアルバムで路線を変更して大ヒットしましたね。
数あるスーパーバンドがダメになっていく姿を見て、ポールが提案してキャッチーな楽曲を沢山収録しました。
ライブにも行きましたよ~
1993年3枚目のアルバム「Bump Ahead」を発表
レコード会社が前作のヒットに味をしめて、新作も前作のような作風を要求してきて、完成していた作品から3曲を削り、バラードのカバーを1曲追加するという提案にポールが激怒するという1コマがありました。
この頃には日本での人気が超爆発して、ず~っとツアーしていましたね
私も何回も観に行きましたよ
しかし、この頃から次第にバンドの中で軋みが・・・。
1996年4枚目のアルバム「Hey Man」を発表
このアルバムはセールス的にも良かったのですが・・・。
楽曲は何処か虚しさが漂うものばかりでしたね。
「Take Cover」は大好きでしたよ。
あのドラム・リフはポールのアイディアなんですよね
この頃になるとビリーとエリックの仲が悪化します。
ビリー抜きでレコーディングを進めるという事件も起きます・・・。
「Goin' Where The Wind Blows (風にまかせて)」という楽曲にはビリーは参加していません。
それなのにこの曲がシングルカットに・・・。
PVではビリーが12弦のアコースティック・ギターを弾いている姿が映っていますが・・・。
これは酷い仕打ちのような・・・。
ツアーバスの中では、いつも二人が喧嘩をします・・・。
喧嘩を売るのは毎回エリックです。
バンド内にはいつも不穏な空気が漂っています・・・。
同年にベスト・アルバム「BIG, BIGGER, BIGGEST!」を発表
新曲も数曲収録、その中でエリックが変拍子の楽曲(「Unnatural」です)を嫌いポールが歌を初披露しています。
「stay together」はイイ曲でしたね・・・。
しかしタイトルとは裏腹にバンド仲は最悪の方向へ・・・。
こんな状況では、バンド活動はできないということで、バンド活動は休止してメンバーそれぞれソロ活動に専念します。
ビリーがなんとかファンのためにバンドを復活させようと動きだしますが、なんとポールが脱退を表明!
エリックとビリーの不仲が原因です。
「こんな状態のバンドにいるのは辛い・・・2度とミスター・ビッグへ戻ることはありえない」という真面目なポールらしいコメントを残してポールはソロの道へ躍進しましたね。
ポールの代わりに白羽の矢が当たったのが・・・なんと
私の大好きなギタリストの「リッチー・コッツェン」です。
リッチーはヴォーカルとしても有名なので、エリックとのツイン・ボーカルになります。
1999年5枚目のアルバム「Get Over It」を発表
1枚目の「MR.BIG」で目指したブルース・ロックをここで表現しています。
リッチーの貢献度が、ぱないです
カッコよかったですね、しかしビリーとエリックの仲は相変わらずです・・・。
この後、最悪の状況に・・・。
2000年新生メンバーでのバラード集「Deep Cuts」を発表
ここであの曰くつきの楽曲「Goin' Where The Wind Blows (風にまかせて)」を収録したことに再びビリーが激怒、さらに他の楽曲で無断でビリーのべース・パートを削除したことからバンド内の亀裂は決定的なものに発展します。
2001年6枚目のアルバム「Actual Size」を発表
・・・ところが新作発売前にバンド側がビリーを解雇したことを発表するのです
これは酷い・・・、バンド設立者のビリーが解雇に!
ビリーが新作に対してかなり不満があるに対してバンド側がビリー意見を聞き入れずに勝手に作業を進めてしまい、ビリーを疎外したことによりビリーがレコーディングに参加しない日が続いたための結果のようですが、真相は未だにメンバー同士で食い違っているような・・・。
(この時は、パットがバンドのフロントマンとしてビリーの解雇を各雑誌に語っていましたね・・・)
メンバーの意見を平等に聞き入れるために、ビートルズのようにリーダーを設けなかったのに・・・。
この作品は楽曲も散漫としていて、ミスター・ビッグらしさは皆無でしたね・・・。
唯一の救いはリッチーの作る楽曲が素晴らしかったことですね。
こんなボロボロの状態での活動は限界ということでメンバーは話し合います・・・。
そして下した決断は解散です。
「今まで支えてくれた日本のファンのためにも解散ツアーを決行して幕を閉じよう」ということに・・・。
2002年2月5日の千秋楽の東京国際フォーラムでのライブは観に行きましたよ
最後に不仲だったエリックとビリーが抱き合っていました
パフォーマンスも素晴らしく、この回のライブはレコーディングされ、『MR.BIG IN JAPAN』というタイトルで発表されました。
それから数年後・・・、嬉しい事件が起きます!
2008年5月7日、ロサンゼルスのハウス・オブ・ブルースでのポールのライブにリッチーが参加予定でしたが、そこにサプライズゲストとしてビリーとパットが参加します。
リッチーのソロツアーでもパットがドラマーとして起用されて、そこにサプライズゲストでビリーが参加するということもありましたね。
どちらもエリックがいませんが・・・
エリックもメンバーのライブに飛び入り参加していますよ~。
時間が解決に結びつけたようです。
不仲は解消されました。
2009年話はとんとん拍子で進んだようで、再結成ツアー「Next Time Around 2009 Tour」を決行します。
海外でも大反響で、全世界でミスタービッグの帰還を待っていたようです。
そのツアーで武道館公演の模様を完全収録した『BACK TO BUDOKAN』を発表
ちなみにこの「Next Time Around」は3枚目のアルバム「Bump Ahead」で削られた3曲のうちの1曲ですよ。
このコンサートは本当に素晴らしいですよね~
楽しさが200%伝わってきますよ
このツアーには当初リッチーも参加してもらう予定だったようです。
リッチーのおかげで復活できたようなものですからね。
2010年7枚目のアルバム「What If...」を発表
再結成ツアーの際に新曲も演奏したいという思いから作成することになりました。
再結成前のメンバーそれぞれの活動によるスキル向上からか素晴らしい作品になりましたね。
2011年同作品のツアーの前にプロモーション・ライブを行う予定でしたがアコースティック編成による「LIVE FROM THE LIVING ROOM」というショウに変更しました。
同タイトルの作品も発表されています。
これはイイ意味でミスター・ビッグらしさを満喫できますよ。
ここで、今回の本題になります。
当初予定していたプロモーションをアコースティック編成にした理由が、今回のパットのパーキンソン病だったそうです。
この前からベース・ドラムのキックの不調をスタッフに訴えていたとビリーが語っていました。
この時期のパットはドラムを叩くとすぐに疲れてしまっていたそうです。
しかし復調したようで同年4月の「MR.BIG What If... Tour」に参加しています。
この後、メンバーは個々の活動に入ります。
そして2014年7月24日に覚悟を決めたパットがこのプレスリリースを発表します。
WIKIの記事です「MR.BIGよりパット・トーピーに関する重要なプレス・リリース」
2014年10月発表予定の8枚目の作品「...The Stories We Could Tell」ではプログラミングによるドラムを使用しているそうです。
パットが考えたドラミングをプラグラマーと共同作業で作ったそうです。
頭脳とグルーヴはまさにパットそのものとのことです。
とても楽しみです
ツアーにもできる限り参加するそうです
ビリーはパットへ「お前がバンドを辞める選択肢はないからな!」と言ったそうです。
ビリーは「バンドは家族だ!家族が病気になったから家族でなくなるなんてありえないだろう!いつか医学の進歩でパットが再びドラムを叩ける日がきたら最高に嬉しいじゃないか!だから今はこんな状態でも、パットができる限りのことをしてくればいいんだよ!」と言っていました
パーキンソン病については、このブログでもカキコしています。
「マイケル元気かな?」
同じミュージシャンのジェイソン・ベッカーはパーキンソン病ではなく「筋萎縮性側索硬化症」という病名ですが、彼はパソコンを駆使して音楽に関わっていますね。
現在は会話ができなくなってしまっているようです・・・。
東北震災の際には、すぐに日本に来て私たちを励ましてくれたミスター・ビッグのメンバーへ、今度は私たちがお礼をしなくては・・・。
パットの症状が改善されることを願っています。
また元気な姿でドラムを叩いてほしいです。
最後に再結成ライブから・・・。
ミスター・ビッグと言えば・・・やはりこれでしょう
Mr. Big - Addicted To That Rush (HD Live Budokan)
もう1曲!私もコピーしましたよ!
ミスター・ビッグ・ファンには欠かせない曲ですよね!
Mr. Big - Green Tinted Sixties Mind (Back To Budokan 2009 HD)
想いが強すぎてかなりの長文になってしまいました