日本あちこち、ぼっち旅

指定難病患者です。
行動できる範囲で日本各地への旅を試みています。
謎解きにハマり中。

コスモプラネタリウム渋谷

2024-09-02 09:18:46 | ぼっち旅徒然
前身の五島プラネタリウムからちょくちょく通っています。
大好きなプラネタリウム。
心が疲れた時、満天の星空を見上げたくても都心では叶いません。
それを叶えてくれるのがプラネタリウム。

様々なプラネタリウムがあるけれど、私にとっては不動のトップです。

※行ったのは昨年8月なので
 掲載情報はちょっと古いです。


毎月テーマに沿った展示があって開場前の待ち時間も楽しいです。






ここのプラネタリウムの醍醐味は生解説。
専門知識を持つ個性豊かな解説員さんの語りがとっても楽しい。
星解説員紹介
解説員の穏やかな口調、宇宙の不思議やロマンチックに包まれたり、宇宙への旅に誘われたりと様々な工夫が凝らされています。
解説員さんの優劣はつけがたく、私の中ではオンリーワンでナンバーワンなので
どなたが解説担当の投影になっても嬉しいです。

大人から子供まで楽しめるしお値段もリーズナブル。
大都会の渋谷の中で大自然(宇宙)での安らぎを感じられる素敵な空間です。


コスモプラネタリウム渋谷
東京都渋谷区桜丘町23-21
文化総合センター大和田12階

最寄り駅:渋谷駅
・JR新南改札
・東京メトロ半蔵門線、東急田園都市線(ハチ公改札/A5出口)
・東京メトロ副都心線・東急東横線(渋谷ヒカリエ改札/※B6出口)
 ※エスカレーターを上り、JR渋谷駅南改札を通ってJR西口に出てください。
・東京メトロ銀座線(スクランブルスクエア方面改札)
・京王井の頭線(西口改札)

●座席 120席(全席自由)
大人 600 円
子ども(小・中学生) 300 円
小学生未満 無料



東京オペラシティ(コンサートホール)

2024-08-18 10:35:39 | ぼっち旅徒然
東京オペラシティ全体の散策はまだです。
機会を作って再訪したいと考えております。

今回はコンサートホールです。

FILM SCORE PHILHARMONIC ORCHESTRA
(​フィルム・スコア・フィルハーモニック・オーケストラ)
のコンサートに行って参りました。

今回で4回目。
映画好きにはたまらないコンサートです。

舞台には今回演奏した曲目に関連した作品のオブジェ。

各作品への愛とリスペクトを感じます。
全て素敵な演奏でしたが
個人的には壮大な宇宙を感じるスタートレックがとても良かったです。


充実した楽しい時間を過ごせました♪
団員の皆様、ありがとうございました。


●東京オペラシティ
東京都新宿区西新宿3丁目20番2号

京王新線(都営新宿線直通)
京王新線「初台駅」東口
徒歩2分(京王線相互乗り入れ都営新宿線にて新宿から2分)







報徳二宮神社(小田原)

2016-09-25 21:27:28 | ぼっち旅徒然
先日出かけた小田原城のすぐ近くに、報徳二宮神社がありました。


せっかくなので足を運んでみたところ、いくつかの発見がありました


私はこの神社について全く予備知識がないまま訪れましたが…
中に入って見覚えのある、懐かしい像と遭遇

ここは、二宮金次郎(尊徳)を奉った神社なのでした

神社の鳥居は赤いのに、ここは緑。

どういう意味があるんでしょうか?
ググってみても明確な理由の記述を見つけることができませんでした。
その場で聞いてこなかったことが悔やまれます…

この色の鳥居がある神社に行くことがあれば、由来をきいてきますね。
神道的に緑色は聖なる領域を表しているようです。

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道の緑性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/12/09 15:42 UTC 版)
神道の緑性(しんとうのりょくせい)は、樹木を神格化し、森林を聖域とすることに象徴される
社会における神道の緑化の機能を表現する言葉である。
それは近代以降、新たに神道の聖地となった皇居の杜や、明治神宮の鎮守の杜が
都内に残された最大の緑地であるということに典型的に見ることができる。
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社務所の雰囲気がちょっと幻想的な感じで素敵ですね。




こちらは御朱印です。


天保の大飢饉(1833年に始まり、1835年から1837年にかけて最大規模化した飢饉)の際
当時の小田原城の藩主、大久保氏の命により二宮尊徳が城内の米蔵を開き
米が人々の手に渡ったことにより、小田原11万石の領内から一人の餓死者も出さずにすんだそうです。

素晴らしい危機管理能力!
私はあの像のイメージしか知らず、「仕事をしながらしっかり勉強に励んだ偉い人」程度の認識でした。
他にも多くの功績をあげ、小田原の地を支えてきた素晴らしい人でした。



「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」
という言葉が掲げられていました。
そうですよね‥経済は大事。
お金がないと人を救うことすらできない。
その通りですよね。
お金を稼いで、正しく使う。
とっても大事なことです。
勉強になりました。

そして境内には絵馬がいっぱい。

「嵐のコンサートチケットが手に入りますように」
「嵐の5人に会えますように」
というようなことが書かれた複数の絵馬があり、最初はなんのことやら…
でしたが少しして
「二宮繋がりの願掛けか!!」ということに気が付きました。

な~る~ほ~ど~
嵐ファンの願いがここに集まっているわけですね。
さしずめ隠れスポットなのかな?(私が知らないだけ?)
尊徳さんの後利益…あるといいですね

散策していたらおしゃれなカフェを発見!
そこで二宮尊徳さんが召し上がっていた食事を現代版にアレンジしました。
というメニュー 呉汁(ごじる)があったのでオーダーしてみました。
ついでにご飯とセットにしてみました。

一見ご飯とみそ汁というシンプルなメニューですが…

魚の炊き込みご飯は薄味で美味しかったです。
味噌汁は鰹節たっぷり。
煮豆と納豆、たっぷりのネギや三つ葉や生姜で風味がたっぷり。
芋や大根、油揚げも入ってとっても健康に良い内容。
私にとってはかなり贅沢なメニューでした。
お茶もとっても美味しかったです
 

小田原城

2016-09-21 20:06:08 | ぼっち旅徒然
「日本100名城に行こう」を購入したことをキッカケにお城めぐりをしてみようと思い
私のスタート地点として小田原城に行くことにしました (=^・・^=)

台風が過ぎた翌日であまり天気も良くない日でしたが
雨は降らないであろうという予想の元、小田原へ出発!
JR小田原駅構内では風魔小太郎をイメージした忍者たちがいました。


そして、いざ小田原城へ!


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<小田原城のざっくりとした歴史>
1501(文亀元)年 北条早雲が小田原城に進出。
 ~中略~
小田原城は江戸時代より地震で何度か被害を受けています。
1633(寛永10)年 寛永小田原地震
   マグニチュード 7.1(7.0とも)。
   小田原で最も強く揺れ、小田原城矢倉、門塀などに被害が出た。

1703(元禄16)年 元禄地震 
   マグニチュード(M)は7.9-8.5と推定されている。
   相模湾沿岸で家屋の倒壊が著しく、震度7と推定される地域も相模湾岸および房総半島南部に集中した。

1853(喜永6)年 相州小田原大地震
   マグニチュード 6.5。推定されている各地の震度は、6から7が小田原(特に東南部)
   最も強く揺れた小田原では、天守の瓦や壁が落ち、小田原城三の丸の藩校集成館が倒壊した。

1870(明治3)年に廃城。御用邸が建てられましたが…

1923(大正12)年の関東大地震で石垣などが倒壊。
   害状況から、小田原など相模湾岸および房総半島南部で震度7に達したと推定されている。

1927(昭和2)年に御用邸跡が払い下げ。

1927(昭和13)年に国指定史跡となり、復興・復元をしていきました。

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小田原駅から近い場所に位置しているのは
ボッチの上、運転免許なしの私にはとっても嬉しいロケーション。

駅近い北入口からではなく、ほぼ反対側に位置する「正面入り口」馬出門土橋へ向かいました。
途中、学橋を通りました。


お堀の感じがいいなぁ、と水面を見ると…鯉がすごく沢山いました…


そしていよいよ天守閣へと向かいます!


ヒガンバナが綺麗に咲いていました。
いよいよ秋だなぁ…と感じます。


天守閣への道
●馬出門(うまだしもん)平成21(2009)年復元



門をくぐると広いスペースが広がっています。
馬の待機場所なのかな?


次なる門は
●銅門(あかがねもん)平成9(1997)年復元


厚みがあって頑丈そうな門だったので、ふと上を見たら…
「石落とし」という張り紙が。
城を攻めてくる敵がいた際の攻撃(防御?)場所だったんだなと思いました。


門をくぐってその先へ…。


本丸直前の門
●常盤木門(ときわぎもん)昭和46(1971)年復興



広い場所に出て、天守閣が見えます。ここが本丸。


この広場にはお土産屋さんがあって
休憩ができるスペースがありました。



この途中にあるのが…
小田原城歴史見聞館


ここで記念すべき初スタンプをゲット!


ついでに来館記念スタンプも


そして
いよいよ天守閣へ!

内部の詳細は →こちら← でご確認下さい。

最上階から見た眺めは素晴らしかったです。
相模湾が一望できます。天気が良い日に来たら最高ですね!



こちらは発掘調査中のエリア。



♪おまけ♪
とっても人懐こい猫ちゃんに出会いましたよ~
なでなでさせてくれました。
ありがとう(#^.^#)



長崎原爆資料館、そして原爆落下中心地公園

2013-10-03 23:48:37 | ぼっち旅徒然
長崎に訪れた目的はもうひとつあります。
原爆資料館に行くことでした。
(広島は4月に訪れました。その話は後日まとめます)

8月27日(火)の早朝
張り切って原爆記念館に足を運びましたが
早すぎてまだ開いていませんでした~

資料館前あたりから、平和公園あたりをぼんやり眺めて過ごしました。

昨日まで大雨洪水警報が発令されていたとは思えない爽やかな青空♪

待つこと30分
ようやく開館時間を迎えて、無事入館することができました。




私の個人的感想ですが
長崎の資料館は、原爆のむごさやその被害を感情に訴えるのではなく
淡々と、冷静に、後世に残す「資料」として展示しようとしている姿勢が強いという印象を受けました。
(広島の資料館がそうではないといいたいわけではありません。
 広島は広島として、長崎は長崎として
 起こった出来事に対する表現の違いを感じたのです)
何よりも印象的だったのは
被爆者の内臓標本が展示されていたことです。
私はその展示に圧倒されてしまいました。
広島の資料館とは異なる種類の迫力を感じたのです。
これは一体なんなんだろう?
と、いう私の疑問は
永井博士のコーナーに入って解決することができました。

永井隆博士 1908年~1951年


お恥ずかしい話ですが
私はこの時まで永井博士の存在を知りませんでした。
広島のことは幼いころからよく話を聞いていましたし、はだしのゲンも知っていましたが
被爆者であるのに医師として、被爆者の治療にあたったこの方の事を
今まで知る機会がなかったのです。

早速この方の著書を購入。

休憩スペースで読んだのですが
その内容に驚きました。
素晴らしい著書ですが
私が一番「すごいな」と感じたのは
この方が原子力エネルギーに未来の希望を見出していたことです。

P222より引用~
「人間が本能しか持たぬ動物と同じく、天然の資源を使い荒らしていた怠惰時代は過ぎたよ。
あのピカドン一発で人類は居眠りを覚まされた。
これから人類がその考えられた知恵と自由意志を正しく用いて、隠された資源を次々と探し出す時代になったのだ。
知恵が勝ち、腕力が正当な地位まで後退する時がきている。
人間が人間らしい生活のできるいい時代だ。
誠一たちはその時代に生きてる。うらやましいね」
「すると、原子爆弾は人類の居眠りをさます大気合いだったんですねえ」
~引用終わり。

ご自身も被ばくし、ご家族も亡くしたというのに
このような考え方をしていた、という事実に私は驚きました。
同時に永井博士という方に強い興味を抱きました。
今回は残念ながら時間がなかったので
近いうちに博士の足跡を訪ねる旅をしようと決めて、資料館を後にしました。

そして、原爆落下中心地公園に到着。


グラウンド・ゼロにある、中心地標柱が静かに佇んでいました。

空は、とても青くてきれいでした。

その後は記念公園へ


教科書で見た、平和祈念像を見ることができました。

私が想像していたよりずっと大きくて存在感がありました。


広島と長崎に足を運んだことで
私が今まで知っていると思っていること
理解していると思っていたことは
全然わかっていないし
知らないことが沢山ありすぎるんだ、ことを思い知らされました。

とても貴重な時間を過ごすことができた長崎の旅でした。

近いうちにまた、訪れたいと思っています。

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