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130805九州旅行 【第二部:軍艦島編】

2013-08-14 | その他
今回の旅の中で一番のメインとなったのは夢にまで見た「軍艦島」への上陸です。
文吉は長崎に18年住んでいたわけですが、この軍艦島へは一度も行ったことが無かったのです。


2013年08月05日(月)晴れ

一夜明けると、いつもとは勝手の違う朝になりました。
昨夜は妹の家にお世話になって、ぐっすりと眠ることができました。

05:40
天気は上々で、暑くなりそうです。
少し散歩をしてみました。
長崎でも高台のほうにある妹の家ですが、さらに少し登ってみると小さな公園がありました。
ここからは長崎の町が一望できました。

家に戻ると、子供たち以外はみんな起きており、そろって朝食をいただきました。
OZさんと妹の旦那は仕事があるので、今日は文吉一人で行動しようと思っています。
すでにOZさんがネットで予約をしてくれているので、別紙の誓約書にサインをするだけです。

8:45
妹に大波止(長崎一の港)まで送ってもらいました。
すでに予約はしてあるので、受付で簡単な乗船手続きをして、持参した誓約書をわたすと乗船券を受け取ります。
ちなみにネット予約者は3500円(軍艦島上陸代も含みます)

手続きが終わると、すぐに乗船します。船はすでに港に停泊しています。







09:05
船が出港しました。200人以上乗れるクルーザーは平日と言うのにほぼ満員状態です。
ほとんどの人が文吉と同世代かもしくは少し年配のひとたちですが、中には若いカップルもいました。

長崎の港を離れると、右手に三菱の造船所がみえます。
MOL(商船三井)のコンテナ船や自衛官が修理か点検のために順番待ちしています。

さらにすすんで女神大橋の真下を通過します。



ここから先は外洋にでるため、波が少し荒くなります。
伊王島や高島を通り過ぎると、いよいよ軍艦島が見えてきました。



高島は日本で最古の石炭発掘の場所で、300年も前から掘られていました。
昭和35年ころにエネルギー革命というか、石炭から石油にシフトされ、昭和61年に閉山しました。
今ではリゾートの島として約400名の人たちが暮らしています。

文吉の高校時代(昭和49年~51年)には、まだ人がたくさんいて、船で長崎の高校へ通う人もいました。
ちょっと波が時化ると欠航になって、休んでいた記憶があります。

09:40
いよいよ軍艦島上陸です。
船の中で軍艦島見学者証をもらって、首にぶら下げます。



上陸したら、いきなり廃墟の街が目の中にドーンと飛び込んできました。





















わずか数百メートルの観光コースを往復するだけの上陸ですが、衝撃的な現実がここにありました。

3名のボランティアの語り部が往時の話をしてくれました。
地下600Mにある坑道は湿度90%、温度30度でそれは過酷な労働が強いられていたそうです。
上にあがると服の上から真っ黒になっており、お風呂は三段階になって入ります。
まず、服を着たままシャワー室をとおります。
ついで、裸になってお湯をかぶる部屋に行きます。
最後に湯船のある洗い場で体を洗ってからお風呂に入ったそうです。

周囲1200Mしかないこの小さな島に最盛期には2万人の人たちが住んでいたそうで、学校、病院、映画館、神社までありました。
大正5年には鉄筋コンクリート作りの7階建ての高層ビルがたてられ、今でも研究対象として学者が訪れるそうです。

”軍艦島”というのは呼称で、正式名称は”端島(ハシマ)”といいます。
大正時代の軍艦「土佐丸」にシルエットが似ていることからそう呼ばれるようになったそうです。
実際に太平洋戦争のときはアメリカの潜水艦に軍艦と間違えられて魚雷攻撃を受けたこともあるそうです。

10:30
乗船して、約30分くらいは軍艦島をグルーッと一周してくれました。



やがて、神の島教会とマリア像を左手にみて、船は長崎港に到着しました。



11:45
下船するときに「軍艦島上陸証明書」をいただきました。



つづく


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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
賑やかな時代の映像を見ました (slowlife)
2013-08-15 21:06:58
軍艦島の良き時代、映画館も市場も、人も学校もある映像を見てこれを見ると、何か寂しい気持ちになりますね。いずれ賑わいのある東京も1万年後はこのようになっているのでしょうか。先の見えぬ時代、これからの地球の運命、生きている今を大事にしたいものです。
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諸行無常 (文吉)
2013-08-16 05:56:59
Slowlifeさん
コメントありがとうございます。
まさしく、諸行無常のせかいでした。
この世のすべての物はかならず滅してしまうのです。
これは形あるものの運命なのですね。
せめて、現存している姿を後世の人たちにも伝えられるよう温存しておくべきものだと思いました。
ここは世界遺産になってもおかしくない場所でしたね。

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すごい!! (りー)
2013-08-18 05:56:08
「軍艦島」という名前は聞いたことがありました。
でも、知識はまったくなくて「戦争のときの遺跡か何かあるのかな」というくらいでした。まったく無知と言うのは怖いものですね。(笑)

それにしても文吉さんの写真はすごいですね。本当に訴えてくるものを感じました。
今は廃墟と化した街でも全盛期にはたくさんの人で賑わい、生命の息吹があったんですね。本当に諸行無常です。

世界遺産への登録は私も当然だと思いました。このままの形で後世の人たちに語り続けてほしいものです。

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新しいのは灯台だけ (文吉)
2013-08-20 06:03:14
りーさん
コメントありがとうございます。
本当にここは廃墟の街と化していました。
賑わっていたころは一日中電気がついていて、島そのものが灯台の代りになっていたそうです。

でも、廃墟となってからは新しく灯台が建てられ(写真にも一部写っています)、海の安全を守っているそうです。

返信する
”時の流れを感じます” (もっちゃん)
2013-08-26 22:24:18
文吉、お疲れさん。
軍艦島の存在を初めて知りました。
華やかりし頃は遠い昔ですが、この場所にあったから、偶然遺産として残ったのでしょうか。
嫌々そうではないですよね。大勢の方々がこれだけ大切に保存に尽力されているのですからその意味も勉強しなくてはなりませんね。
ここもいつか訪れたいですね。
返信する
ぜひ、行ってみてください。 (文吉)
2013-08-27 03:34:36
ポン吉
コメントありがとうございます。

軍艦島はぜひ一度は押さえておきたい遺跡です。
長崎港からわずか30分ほどで行けるところです。
あまりに近いのでビックリしました。

考えてみたら、アメリカ軍はこんなに近くまで潜水艦で来ていたということなんですね。
こんな相手に勝てるはずないですね。

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