今回のツーリングは二つの目的地を設定していました。
一つは昨日行った、古関裕而館でした。
さて、では、もう一つはと言いますとそれは「鶴ヶ城」です。
2020年06月23日(火)曇り
04:20
昨日、あんなに走り回ったのに一晩眠ったら元気溌剌です。
いつものように目覚めた文吉は、軽くお風呂に入ってから昨日のおさらいをします。
ここできっちり日記をつけておかないと、あとで家に帰ってからブログを書くときに苦労しますからね。
とは言っても、行動の合間合間に簡単にメモを取っていますから、ものの10分程で終了しますけどね。
06:05
お腹がペコペコなので、朝食の用意ができたのを見計らって、すぐに食堂に向かいます。
このホテルは1階に食事のできるお店があって、割と本格的な料理が食べられます。
でも、宿泊客用の朝食はバイキング型式で、いがいと品数も味も良いものが揃っていました。
とりあえず、通常の文吉の朝はパン食なのですが、今回は和食のコースを選んでみました。
というのは、最近、納豆が大好きになったからです。
二十代のころには食べられなかった納豆が、今は大好物になるんですから、人間の味覚って変わるものなんですね。
【01】
これだけ食べたら、お腹もいっぱいになったのですが、〆はコーヒーですね。
それから、ここのヨーグルトが美味しそうだったので、ちょっといただきました。
【02】
朝食の後は少し部屋でくつろいでから出発します。
08:04(10627)
雨の中で健気に留守番していた流星号に乗って出発します。
さいわい、この時は曇り空でまだ雨は降っていませんでした。
でも、少し寒いので防寒具の上だけを着ての出発です。
これからの予定は会津若松の鶴ヶ城を見物することです。
国道115号をどこまでも西へ進んで山越えをしようと思います。
山の上は天気が不順ですね。
出発して10分も立たないうちに霧雨からわりとしっかりした雨粒に変わっていきました。
このままだとジーンズの裾が濡れてきます。
08:42(10649)
道の駅「つちゆ」到着。
【03】
【04】
ここで、防寒具のズボンをはいて、だれもが認めるカッパ姿になりました。
この道の駅は展望台みたいになっていて、晴れていたらさぞや景色が良いだろうとおもいますが、今日は何も見えません。
着替えとトイレがすんだらすぐに出発します。
こんなに降っているんだか、いないんだか分からないような中途半端な天気の中をひたすら走ります。
そして、いつか土湯峠をこえたあたりから、まわりの状況が一変しました。
なんと、ここから先は雨が降っていないんです。というより晴れているんです。
前方に青空を見つけたときは、おもわずガッツポーズがでましたね。
115号が猪苗代湖の北端をかすめるように走るころには、カッパが暑く感じました。
10:15(10707)
鶴ヶ城到着。
バイクは無料の駐輪場があったので、さっそく流星号には休んでもらいます。
【05】
背後に「司馬遼太郎」の石碑があるので、今度来た時の目印に覚えておきます。
石碑の横には「新島八重」の銅像もありました。
【06】
2013年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公ですね。
知らない人は自分で調べてください。女だてらに鉄砲を撃ちまくった人ですよ。
何気にここは鶴ヶ城の入り口でもありまして、アニメ時代の現代はこんな看板もありました。
【07】
ちなみに文吉は鶴ヶ城のお堀が大好きです。
滔々と水をたたえてこれだけでも一見の価値があると思います。
【08】
さて、朱塗りの欄干のある橋を渡ると、いよいよお城にご対面です。
【09】
【10】
どうですか、リニューアルされた鶴ヶ城の雄姿。
ほれぼれしますね。
それでは中に入ってみますね。
【11】
入場料520円を払って中に入ると、お侍さんが提灯もって順路を教えてくれました。
【12】
でも、写真を撮れるのはここまで。
文吉は順路にしたがって天守閣まで登ってみました。
その間にも槍や刀や鉄砲などの貴重な品々がありましたが、割愛します。
やがて天守閣から見下ろすと城下町が一望できます。
【13】
では、降りるとしますか。
地上に降り立ったら、やはり見事なお城がデーンと目に飛び込んできます。
それでは、みなさんお待ちかねの文吉画伯の絵画の登場です。
【14】
どうですか? 前回よりは少しは良くなったと思いませんか?
思わないって? 眼科にいったほうが良いですね。
ちなみにこの絵は【11】の写真とほぼ同じ構図です。
12:15
約二時間ほどお城を堪能できたので出発します。
ちょっぴり残念だったのは、前回ここを訪れたときには「お侍さん」が鎧を着て刀を振り回していました。
文吉のリクエストに応じてビシッとポーズをとってくれましたが、今はいませんでした。
確か、その時のブログを見てリーさんが熱烈な読者になってくれたんだと記憶しております。
ここから先は帰路になるのですが、まだ文吉はツーリングを終わりたくないと思います。
どこかでもう一泊したくなりました。
どうせなら、温泉のあるところがいいなと思って、安い宿を検索してみました。
本当は那須塩原の温泉に行こうと思ったのですが、残念ながら文吉の懐に見合った宿は見つかりませんでした。
それなら、少々辺鄙なところでも良いよということで、大田原市に安いのを見つけました。
国道121号をひたすら南下します。
やがて芦ノ牧温泉を通過しました。
ここでお風呂に入ってみようかなとも思いましたが、目をつぶって通過しました。
嘘です。目は開けたまま通過しました。
13:10(10735)
下郷町物産館到着。
【15】
とにかく、お腹がすいたのでお昼にしたいと思います。
どうせなら、地元の美味しいものと思って「地鶏蕎麦」にしました。1000円
【16】
サービスで地元のお菓子もひとついただきました。
なかなか腰のあるお蕎麦で、地鶏も歯ごたえと甘みがあって美味しかったです。
やがて上三依という三差路を左に入って国道400号を南東に進みます。
西那須野を通って、行き着いたのが大田原市。
本当にひなびた何もないところです。
本当にこんなところに目指すホテルがあるんだろうか?
15:10(10812)
ホテル那須大田原ヒルズ到着。
やっとこさ見つけることができました。
【17】
中に入ると、いがいとおしゃれなロビーです。
【18】
【19】
囲炉裏があって、漫画本があって、セルフの飲み物が充実しています。
フロントで受け付けて5200円払います。
今回はこの中に、駐車代も朝食も含まれています。
シングルの部屋に入ると、やっぱりベッドは二つありました。
【20】
でも、造りは純和風っぽくてなんだか和めます。
落ち着いたら、買い出しに行きます。
と思って外に出てみましたが、まわりにはコンビニが一つもありません。
あてずっぽうで大きな通りに出ましたが、はるかかなたまでコンビニらしきものが見えません。
約10分ほどさまよっていたら、女子高生が自転車で信号待ちしていたので、聞いてみました。
「この先にありますよ」と言われて安堵したら、さらに10分ほど歩いたところだそうです。
文吉あきらめました。さらに10分も歩いたら帰りは2kmほど戻らなくてはなりません。
ホテルに帰って温泉にでも入ることにしました。
【21】
大浴場の入り口はなかなか雰囲気のある暖簾がかかっています。
中に入ると、立派なお風呂が沸いていました。
【22】
でも、お風呂の効能書きがありません。
普通の温泉には必ずありますよね。
あるのは「高級備長炭使用」という張り紙だけでした。
ここは温泉じゃなかったんですね。
ちょっとがっかりでしたが、広々としたお風呂はやっぱり気持ちがいいですね。
備長炭のおかげでお湯も軟らかくて湯上りの保温効果もありました。
あとで宿の人にきいたら、10分程いったところに「太陽の湯」という温泉施設があるということでした。
お風呂でさっぱりしたのは良いけど、お腹が減りました。
昨日買っていたカップ麺と煎餅類でお腹をまぎらわして、明日の朝食に期待するしかないですね。
気晴らしにテレビをつけてみました。
ここのテレビは無料です。
24:05
気が付いたら、いつのまにか真夜中になっていました。
テレビ番組もバラエティを見ていたはずなのに、ニュースになっていました。
どうやら文吉はいつのまにか眠っていたようです。
はて、どのくらい? わかりません。
たぶん、1時間以上でしょう。
そんなわけで、おやすみなさい。
飯盛山へは行かなかったんですね
うちの豆腐屋は飯盛山の近くなんです
事前に言ってくれたらサービスしたのに
でも豆腐なんて荷物になるだけですよね
でも文吉さんがこんなに鶴ヶ城のことを誉めてくれてうれしいです
豆腐屋さんは飯盛山の近くなんですね。
今回は急に休みが取れて、ぶっつけ本番で旅立ったもので、りーともさんとコンタクトをとることができませんでした。
もしかして、旦那さんと並んで走るのもありかなとも思ったんですが・・・
福島は遠いようで近い存在です。
まあ、そのうちにまた機会があるかとも思いますので、その時はよろしくお願いします。
豆腐もぜひ食べたいです。
今回の予定の中に白虎隊も見に行こうかなと思ったり、野口英雄をどうしようかと迷ったりしたのですが、結局両方ともパスしました。
やっぱり会津若松へ行ったんですね。
私の故郷をこんなに素敵な写真と洗練された文章、それに個性の強い絵画で紹介されるとうれしいです。
ちなみにリーともの嫁ぎ先は飯盛山の近く(と言っても5Kmくらいあります)ですが、私の実家とリーともの実家は東山温泉の近くです。
それから、昔の侍姿のおじさんは私の近所の人でしたが、今は現役をしりぞいて孫と仲良くくらしているそうです。
私の絵を「個性の強い絵画」と評価していただきまして恐縮です。
「へたくそ」と直接言われたらショックで寝込んでしまうところでした。
そしたら、コロナと間違われて隔離されるところでしたね。
さて、本文にもありました昔のブログを見直してみました。
その時のコメントを読んで大きな勘違いをしておりました。
りーさんも自動二輪の免許を持っていたんですね。
ペーパードライバーとはいえ、実際にはバイクに関してもまったくの素人ではなかったんですね。
しかも、文吉のブログをその2年も前から読んでいてくださったとは。
ただ、ただ、感謝、感謝でございます。
福島はあらためて行ってもやっぱり良いところですね。
そぼくな中にも歴史を感じられるところがいっぱいありました。
偉大な人もたくさん輩出しておりますしね。
これからは、ちょいちょい足を運びたくなる場所になりました。
私も2012年9月の文吉さんのブログを見直してみました。
コメント欄に普通二輪の免許をもっていることを書いていましたね。
あの頃はまだ私も三十代でした。
独身の頃に会社のお友達と二人で、面白半分に免許を取りました。
バイクはむき出しのエンジンがかっこいい乗り物だと思っていましたから。
でも、実際には自分でバイクを所有したことはありません。
結婚して主人が原付スクーターのTodayを買ったので、月に2,3回くらい買い物するときに乗ったりしていた程度です。
その後は、子供に手がかかることもあって、車中心の生活になりました。
文吉は高校二年のときに原付免許を取ってから約45年ほどの免許持ちです。
でも、文吉も娘が生まれてから17年くらいバイクに乗れない時代がありました。
子育ての期間はどうしても車中心の生活になりますよね。
でも、その後バイクにまたがったら体は覚えているもので、はまり込みました。
それからの19年間はバイクなしの生活は考えられないくらいになりました。
でも、年にはかてませんね。
最近はつくづく自分の老化を感じるになりました。
あと2年くらいは頑張るつもりですけどね。