(1)前編はこちら
(2)アンコールトムはこちら
(3)トンレサップ湖はこちら
(4)アンコールワット
(5)タ・ブローム バンテアイ・スレイはこちら
(6)ニャックポアン タ・ケウ バンテアイ・クデイはこちら
(7)ベン・メリアはこちら
2014年1月9日(木)
午前 アンコールトム
昼休み トンレサップ湖
午後 アンコールワット
(カンボジアでは12時~午後3時は昼休みですが 貧乏性の旅には休む暇なんてありえません♪)
カンボジアで 世界で最大級の寺院アンコールワット 西参道
さすがに国際色豊かです
皮を剥いたパイナップルと竹筒に入っているのはジュースらしい・・・
象の門から中に入ると アンコールワット本殿のお出ましです
寺院内では結婚式をしていました
カンボジアでの結婚について聞いてみました
適齢期 男性30~40歳 女性23~25歳
結婚相手は親が決めることが多く 何人かのお坊さんに相性をみてもらい 相性が悪ければ結婚しません
相性が良ければ、彼女の家に行き結納金の交渉に入り お金払ってから婚約成立 女性側は何もいりません
結納金はだいたい日本円で50万円くらい(大卒初任給は4万円程度・・大卒はかなりのエリートクラス)
だから お金のない人は結婚できないそうです
結婚式の日はお坊さんが決め 2日間かけて朝から晩まで続きます
披露宴は500人くらいのお客さんは当たり前
多い人になると800人~1000人にも
招待された人は4000円の祝金を払い 食べ放題 飲み放題
新婚旅行は5日間くらい 海外に行く人はほぼいない
結婚したら 嫁さんの家で3年暮らし お金を貯めたら土地を買って独立する
若い人はプノンペンに多い
妻の姓は変わらず 子供の姓は父親姓となる
子ども3人は多い方だって
それぞれの回廊にはレリーフがあります
女神デヴァター 壁画は接触禁止ですが・・・艶のいい部分がありますねぇ
ヴィシュヌ神
アンコールワットに行った江戸時代の武士が
アンコールワットの回廊に落書きを残していた…という話題がありました
名前は「森本 右近太夫」
寛永9年(1632年)にカンボジアに渡ってアンコールワットを訪れました
当時の日本人の間ではアンコールワットが祇園精舎であると伝えられており
森本右近太夫は祇園精舎を参詣する目的でアンコールワットを訪れました
当時はまだ鎖国が始まっていない時期で 海外との貿易も盛んで
アンコールワットへ参詣しに行くのはそこまで難しいことではなかったようです
森本右近太夫の落書きは かなり読みずらくなってます
全部で3カ所に落書きをしたそうですが
カンボジア内戦時代に兵士がペンキで塗りつぶしてしまったそうなのですが
最近ペンキが剥がれてきて見れるようになったそうです
中央祠堂
アンコールワットの第三回廊は カンボジアの暦で定められた仏教の日(1ヶ月に4~5日)は
登ることができません
それにしても急階段 登れずに断念する人も・・・
十字回廊
寝釈迦?
夕日に染まり 黄金色の輝き
急階段の下では 何やらコスプレ集団
夕暮れが近づいてきました
アンコール遺跡の多くは東が正面ですが
アンコールワットは西が正面です
そのためアンコールワットは夕暮れが順光になり イチオシの見学タイムです
逆さアンコールワット
サンセット
さて 今日の夕食は・・・クメール料理と伝統舞踊アプサラ・ダンス
豚肉の串焼き
生春巻
クイティウ(ライスヌードル)
さつま揚げ(魚肉のすり身) ナンプラーを付けていただきます
タコ焼き風なもの
カンボジアの伝統舞踊アプサラ・ダンス
特徴的なポーズ
アプサラとは『天女』を意味し アンコール遺跡のレリーフにも数多く登場します
踊りは神への祈りとして捧げるものでした
王室古典舞踏学院で継承されていましたが
ポル・ポト政権のクメールルージュによって 宮廷古典舞踊は王政を祭わるものとして
300人を超す先生や踊り子のうち9割が処刑されるという悲しい過去があります
おいしい夕食のあとは チャイ式全身マッサージでリラックスタイム
六本木にも同じ店があるそうですが こちらのほうがかなりお得!
そして 次の朝がきました
アンコールワットの朝
昼と夜の長さが同じ日(日本でいう春分の日・秋分の日)には
中央祠堂の真上から日が昇るそうです
大勢の人たちと夜明けを迎えました~
ハスの花 午後には萎んでしまいます
・・・ つづく ・・・
(2)アンコールトムはこちら
(3)トンレサップ湖はこちら
(4)アンコールワット
(5)タ・ブローム バンテアイ・スレイはこちら
(6)ニャックポアン タ・ケウ バンテアイ・クデイはこちら
(7)ベン・メリアはこちら
2014年1月9日(木)
午前 アンコールトム
昼休み トンレサップ湖
午後 アンコールワット
(カンボジアでは12時~午後3時は昼休みですが 貧乏性の旅には休む暇なんてありえません♪)
カンボジアで 世界で最大級の寺院アンコールワット 西参道
さすがに国際色豊かです
皮を剥いたパイナップルと竹筒に入っているのはジュースらしい・・・
象の門から中に入ると アンコールワット本殿のお出ましです
寺院内では結婚式をしていました
カンボジアでの結婚について聞いてみました
適齢期 男性30~40歳 女性23~25歳
結婚相手は親が決めることが多く 何人かのお坊さんに相性をみてもらい 相性が悪ければ結婚しません
相性が良ければ、彼女の家に行き結納金の交渉に入り お金払ってから婚約成立 女性側は何もいりません
結納金はだいたい日本円で50万円くらい(大卒初任給は4万円程度・・大卒はかなりのエリートクラス)
だから お金のない人は結婚できないそうです
結婚式の日はお坊さんが決め 2日間かけて朝から晩まで続きます
披露宴は500人くらいのお客さんは当たり前
多い人になると800人~1000人にも
招待された人は4000円の祝金を払い 食べ放題 飲み放題
新婚旅行は5日間くらい 海外に行く人はほぼいない
結婚したら 嫁さんの家で3年暮らし お金を貯めたら土地を買って独立する
若い人はプノンペンに多い
妻の姓は変わらず 子供の姓は父親姓となる
子ども3人は多い方だって
それぞれの回廊にはレリーフがあります
女神デヴァター 壁画は接触禁止ですが・・・艶のいい部分がありますねぇ
ヴィシュヌ神
アンコールワットに行った江戸時代の武士が
アンコールワットの回廊に落書きを残していた…という話題がありました
名前は「森本 右近太夫」
寛永9年(1632年)にカンボジアに渡ってアンコールワットを訪れました
当時の日本人の間ではアンコールワットが祇園精舎であると伝えられており
森本右近太夫は祇園精舎を参詣する目的でアンコールワットを訪れました
当時はまだ鎖国が始まっていない時期で 海外との貿易も盛んで
アンコールワットへ参詣しに行くのはそこまで難しいことではなかったようです
森本右近太夫の落書きは かなり読みずらくなってます
全部で3カ所に落書きをしたそうですが
カンボジア内戦時代に兵士がペンキで塗りつぶしてしまったそうなのですが
最近ペンキが剥がれてきて見れるようになったそうです
中央祠堂
アンコールワットの第三回廊は カンボジアの暦で定められた仏教の日(1ヶ月に4~5日)は
登ることができません
それにしても急階段 登れずに断念する人も・・・
十字回廊
寝釈迦?
夕日に染まり 黄金色の輝き
急階段の下では 何やらコスプレ集団
夕暮れが近づいてきました
アンコール遺跡の多くは東が正面ですが
アンコールワットは西が正面です
そのためアンコールワットは夕暮れが順光になり イチオシの見学タイムです
逆さアンコールワット
サンセット
さて 今日の夕食は・・・クメール料理と伝統舞踊アプサラ・ダンス
豚肉の串焼き
生春巻
クイティウ(ライスヌードル)
さつま揚げ(魚肉のすり身) ナンプラーを付けていただきます
タコ焼き風なもの
カンボジアの伝統舞踊アプサラ・ダンス
特徴的なポーズ
アプサラとは『天女』を意味し アンコール遺跡のレリーフにも数多く登場します
踊りは神への祈りとして捧げるものでした
王室古典舞踏学院で継承されていましたが
ポル・ポト政権のクメールルージュによって 宮廷古典舞踊は王政を祭わるものとして
300人を超す先生や踊り子のうち9割が処刑されるという悲しい過去があります
おいしい夕食のあとは チャイ式全身マッサージでリラックスタイム
六本木にも同じ店があるそうですが こちらのほうがかなりお得!
そして 次の朝がきました
アンコールワットの朝
昼と夜の長さが同じ日(日本でいう春分の日・秋分の日)には
中央祠堂の真上から日が昇るそうです
大勢の人たちと夜明けを迎えました~
ハスの花 午後には萎んでしまいます
・・・ つづく ・・・
日本に居ながら「アルコールモット」を満喫していますね♪
アンコールワットの池のほとりにテントを張り
アプサラ・ダンスを見ながら飲んでみたいものです
もちろん私は見ているだけです
今夜もアルコールが浸透してきました。
「アルコールモット頂戴 !」 状態です。
壁面レリーフの彫像の艶のある部分はシィーモさんの仕業ですね!