近頃では三密などと言って、人との距離を適度に保って行動しましょうということになっていますが、人との間をとると書いて人間、かな?
こんな登り坂を上がって行きます。道の途中が黒っぽいのは、昨年の台風19号で崩落した箇所の修理跡です。
途中の電柱ですが、昭和2年6月10日と表示されています。
電柱の向かいには埋もれた石碑がありますが、判読不明です。ちょっと近寄れません。
岩尾城跡🏯に到着しました。城跡には神社⛩が建立されています。
城主の大井氏は信州上田の真田氏との関係があったようです。
さて、前回「伊豆、箱根、三島」があるといいましたが、城跡に建立された神社⛩の名前が伊豆箱根三島神社ということでした。
中に入って行くと城跡と神社の境内が混在する不思議な空間が広がっています。訪れる人が殆ど地元のひとであり、観光地化されていないことから、一層信仰心と在りし日を偲ぶ空間になっています。
苔むした石段を登ると郷社昇格記念碑(神社としての格が上がったこと)と立派な社(やしろ)が見えてきました。
来た道とは反対の道を行きます。ここから県道に出られる筈です。
出ました。が、こちらが正規の入口だったようです。
道端の道祖神に挨拶をしてから進みます。
堀田稲荷大明神というお稲荷さんがありました。
敷地面積が1〜2坪くらいのなんとも可愛らしいお稲荷さんです。
いきなり吊り橋みたいな変テコな形の橋が見えてきました。
コンパクトでしかも古めかしい橋です。ここも台風で通行禁止🚷になっていました。
夕立が来そうなので、県道に出て大急ぎで帰宅することにしました。
この佐久散歩ですが、散歩の途中でひとと遭遇することは稀です。田畑で農作業中のひとはいます。散歩の途中で、たまに出会えば挨拶を交わします。
ということで、今回の散歩も桃源院境内でチャリンコで遊ぶ数人の小学生を見かけたくらいでした。
さて、続きです。
こんな登り坂を上がって行きます。道の途中が黒っぽいのは、昨年の台風19号で崩落した箇所の修理跡です。
途中の電柱ですが、昭和2年6月10日と表示されています。
電柱の向かいには埋もれた石碑がありますが、判読不明です。ちょっと近寄れません。
岩尾城跡🏯に到着しました。城跡には神社⛩が建立されています。
城主の大井氏は信州上田の真田氏との関係があったようです。
当地の各集落ごとにひとつの名字の方が多くいらっしゃいます。各集落ごとに大井、土屋、花里、浅沼そして依田などです。
歴史を感じますね。
さて、前回「伊豆、箱根、三島」があるといいましたが、城跡に建立された神社⛩の名前が伊豆箱根三島神社ということでした。
中に入って行くと城跡と神社の境内が混在する不思議な空間が広がっています。訪れる人が殆ど地元のひとであり、観光地化されていないことから、一層信仰心と在りし日を偲ぶ空間になっています。
苔むした石段を登ると郷社昇格記念碑(神社としての格が上がったこと)と立派な社(やしろ)が見えてきました。
来た道とは反対の道を行きます。ここから県道に出られる筈です。
出ました。が、こちらが正規の入口だったようです。
道端の道祖神に挨拶をしてから進みます。
堀田稲荷大明神というお稲荷さんがありました。
敷地面積が1〜2坪くらいのなんとも可愛らしいお稲荷さんです。
雲行きが怪しくなってきました。さきを急ぎます。
いきなり吊り橋みたいな変テコな形の橋が見えてきました。
コンパクトでしかも古めかしい橋です。ここも台風で通行禁止🚷になっていました。
吊り橋みたいに揺れるようですが、良い子のみんなは遊ばないでね(笑
夕立が来そうなので、県道に出て大急ぎで帰宅することにしました。
途中道祖神に挨拶して、駆け足で帰ります。
道祖神の両脇にある穴の開いた石柱が気になりましたが、今回はパスして、宿題とします。
以上で記念すべき「サクッと佐久散歩」の第一回はおしまいです。
またお会いしましょう🤗