深夜の看板
逢魔時
猛暑もだいぶ和らぎ、久々に散歩と洒落込みました ただの道路ですが、土の道です
保存が決まった陸軍被服支厰です
原爆の熱線を黄金山に遮られて、今も古い家が残っている日宇那町界隈の小道です
以前、取り壊しされるのかと思っていた古民家ですが、煉瓦の塀は
すっかり無くなりましたが、土蔵と母屋はリフォームされて、オシャレに改装されつつあります
拘りの工務店に依頼されたようで、良い仕事されてますね!
明日から10月ですが、まだまだ夏の雲ですね
本川町の公衆便所。なんと被曝建物だったそうです
平和公園の風景です
祖父が被爆して助かった爆心地の建物が右手に見えます
合唱の練習?
今年も暑い式典になりそうですが、太陽と同じ温度で焼かれた被爆者の熱さとは比べ物になりません
戦争は多分に人間の心の問題です
武器が強力になって、例えば地球や宇宙が一瞬で消えるような事になれば皆さんで仲良く心中する結果になり、勝ちも負けも
無くなるんですが、そこまでに至るまでの駆け引きを世界中でやってるのが現状です
全面核戦争に踏み込むイカれた指導者が現れないことを祈るばかりです
おまけ
春突入の午後です
神社も春祭りです
久々に本浦町や日宇那町に行きました
ここは仁保町です 向こうにあるのは黄金山です
数年前に素敵なお庭とレンガの塀が印象的な民家はどうも建て替え中のようです
蔵も残して活用されるのかも知れませんね
こちらは比治山橋の桜です
こちらは陸軍被覆支廠です
コロナ禍、長かったです 実に4年ぶりの稲荷(とうか)さん祭りです
歩行者を写せないので屋台を中心に
ここがとうかさんのお寺です
屋台も久々にみます
新しい商品の屋台もあったり
こちらは昔からお馴染みの屋台ですね
冷めても硬くならないそうです
まだ夕方5時頃なので、本調子が出てないですね
道頓堀のたこ焼きだそうです
昭和7年にわずか15歳で腸チフスにより、病死した叔母宛に来た絵葉書です。
古い写真や手紙をデジタル化してます。
右上にセーラー万年筆阪田製作所とありますね。
ちょうど昭和7年にセーラー万年筆阪田製作所と社名変更したと、セーラー万年筆のサイトに出てました。
祖母が明治時代に広島市の東白島町(当時は箱島と言ってたそうです)から
呉市の下本家に嫁いで叔母を産んだそうです。
叔母は東広島市の県立賀茂高等女学校(今の賀茂高校)の寄宿舎で学ぶ女学生(今でいう女子高生)でした。
呉商工会議所の絵葉書ですね。
加奈緒先生と母が言ってたような気がするので、叔母の先生だったのかも知れません。
文面もそんな感じがします。
丹那へ行く前の一コマ 移動販売車です
瓦を埋め込んだ塀も健在でした!
前に発見していた元郵便局、壁の色が白くなったような気がします
塗装されたのかも
この家の煉瓦塀のファンです(笑)
だいぶ解体されてきましたね 母家はシートがかけられてます
この家が観れるのも、今のうちでしょうね
輸入ものの給油機も健在でした
広島の黄金山という山の影に隠れて原爆の被害を逃れた
丹那町界隈ですが、少しずつ古い家が無くなって行くようで
ささやかな記録を残せるのも
今のうちかも知れませんね