最近、そのうち死ぬんじゃないかと思うくらい急激に断捨離をすすめている。
部屋からダンボール何箱分減った、あのギター、あのCD、DVDがいくらになったと考えてはニヤニヤ。これは、お部屋ダイエットでもあるのだ。
本人の決断次第で、10キロ、20キロ減なんて、あっというま!
それまでは、なんとも思ってなかったのに、途端に「いやもっとここは減らせるかも?」などと、どんどんエスカレートしていくのもダイエットと同じ?
でも、なにごとも無理は禁物だよな・・・。
途中からみていた「澪つくし」も佳境に(というか、もう最終回)。
話題の韓流ドラマに、はまろうにも見る機会(機械?)もなく、強いてはまっているとすれば、このドラマかな。
みたこともないにもかかわらず、どうせ沢口靖子と川野太郎の単純な純愛物語だろうなと勝手に思い込んでいたら、さにあらず。(ちなみに、特にファンというわけでもないのだが、なぜか沢口靖子の写真集を持っている)
戦争と共にどんどん悲惨な話になっていく。最後の最後に希望はみえるのだろうか?(最終回を見る前に書いています)
最後の週になって、1日2話ずつの放送になったのだが、その辺から異変が起こりはじめた・・・。
録画してみてみると、かならず1話目の最後の14、5秒が録画されていない。
たった数秒かと思うかもしれないが、朝ドラの密度の濃い15分のうちの、それも最後の15秒である。
もしかしたら、見逃せない迫真のセリフ、演技が、そこにあったのでは?とモヤモヤ・・・。
お~い!誰だか知らないが、この貴重な15秒を返せ~っ!
このご時世だから、あまり大きな声では言えないが、お花見がてら某K神宮へ。
実のところ、家族が離れたところに入院しており、その物品受け渡しが本来の用なのだが、とはいえ、こういった用事にお出かけの要素をからませる感覚は、子供の頃からあったように思う。
そういえば、最近になって、また新たな呼び名で自身が呼ばれていることに気づいた。あまり大きな声では言えないが、吾輩は「きょうだい児」だったのである。
昔は名無しだったが、今では、こんな名前で呼ばれるようになってるらしい(そう呼ばれるのが、いいかどうかはわからんが)。
思えば、幼心に無意識のうちにも隠しながら、はたまた巧妙に言い訳にしながら生きてきたよな・・・。
父が、表は混んでいるから裏の駐車場があると言うので(ここから花見の話です)、行ってみると、確かに空いてはいるが、
「で、ここから歩けるの?」「いや・・・」
どうやら昔の若い頃の感覚でいたらしい。年をとるということは、こういった気持ちと体のギャップの問題でもあるのだろうか。
やはり混んでいた表の駐車場に、なんとかとめて、歩き出してはみたものの、参道の店やの半ばで疲れてしまい、喫煙中の紳士にベンチをゆずってもらって、座り込んじゃったよ。
ああ、これだから年はとりたくない・・・。
いや、これだから一日一生の密度で、身を尽くして生きたいよね!
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