坊主屋敷・古屋曲輪(越前屋敷)予測図
発掘調査報告【坊主屋敷・越前曲輪】
Ⅲ曲輪南側中腹の標高16.5m前後に,杉林となっている坊主屋敷と呼ばれる平場がある。空堀〈5〉は、この曲輪の東側を掘り進んで(ちょうど今の道路敷),堀<7>と接続していた。
坊主屋敷は、この失われた堀を物見台と共に左右から監視する機能がめぐ,地名の表門から越前曲輪を経て,Ⅲ曲輪へ経由する中継平場であった。
坊主屋敷と地名の表門の中間,谷間麓の段上に土子越前屋敷と伝える土子邸がある。この土子邸は前面が堀<7>,西側にも濠がめぐり,独立状の曲輪である。表門に接することからも、大手口を押えるための重臣屋敷地であったことが想定できる。
広さ50m×35mほどの屋敷地で、 西北に濠を隔てて「隼人屋敷」と呼ぶ麓微高テラスがつづく。なお,西側の濠は,昭和30年代まで,古屋曲輪の西に達していた。
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