Shinichiro Matsuda

海外旅行の写真や音楽ビデオ、イラスト、思い出の日記などです

思い出 第2期青春時代 北米とヨーロッパ旅行 アイルランド編

2021-10-13 16:47:50 | 日記

映画 追憶 の中でベストイヤーは? と聞くシーンがありましたが、自分にとって Best Year は今の所2011年かなと思います。初めてニューヨークを見て、初めてロンドンで路上ライブを行い、ダブリンで作曲、路上ライブ音楽漬けの日々、ユースホステルで色んな国の人と話して世界が広がりました。

ここではダブリンでの日々を書きたいのですが、この街は今は忘れ難い場所となったのですが2011年春、旅行計画を練っていたときはそんなに行きたい所ではありませんでした。ニューヨークやパリ等の方が興味深く思えていたのですが、いざ6月23日ニューヨークに行ってみると、プランは激変。楽しいことも一杯あったのですが、それより夏の旅行シーズンでユースホステルが満杯で2日ほど外で寝なければならず、1日はセントラルパークの南西59th Street の噴水のある所のベンチで地元の hobo の人の横で仮眠、もう1日は34th Street のペンシルベニア station の早朝発の高速バス待ちの乗客に紛れて仮眠、一日ごとに違うホステルに移動しなくてはならず、また一泊5000円ぐらいする所が多かったので、面倒くさくなって3ヶ月の予定を5日に短縮し、グレイハウンドなるバスでカナダのトロントに向かいました。

ここなら weekly rate があって安いし長居できるだろうと思ったのですが、今度は街自体がニューヨークの後だけあってチョットしょぼく見え、6ヶ月滞在のビザ取ったのですが、9日ぐらいでチケット買ってヨーロッパ、オランダ、アムステルダムに飛びました。

ベルギーのブリュッセルで euroline なるバスの周遊券を買い、時計回りにコペンハーゲン、ベルリン、プラハ、ウイーン、ローマと廻って行ったのですが、この頃は旅よりも音楽志向の方が強くラジオもイギリスBBC等に比べるとイマイチで言葉も分からず急に英語を使う生活が懐かしくなり、そうだダブリンに行こうと予定外だった街へ行くことにし、とりあえずマルセイユ、パリと歩を進め、飛行機でダブリンに飛びました。

8月初旬でした。まさかひと月ちょっと前の6月下旬、成田にいた時には秋までの予定のニューヨーク滞在をさっさと切り上げ真夏の8月アイルランドにいようとは思いもよらなかったので、やけに低い高さで拡がっていた真っ白な雲と眩しい青い空を見ながら、俺の人生は予測不能の不規則バウンドするラグビーボールみたいだなと、ふと思ったりしました。

ここは路上ライブが盛んで、またロンドンや東京みたいに警察が来てのかされることもない、演奏好きにはとってもナイスな街でした。私もテンプルバーという繁華街やグラモフォンストリートというショッピング通りでこんな感じで何度か歌いました。

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ダブリンはユースホステルが多く何処に長居しようか色々当たって、いいのが見つかりました。Four Courts Hostel というリーフ川沿いのもので週払いにすれば一泊1600円位で泊まれました。

ここで色々な人と出合い、色んな話をして、多様な世界観を知り、楽しいステイになりました。トータル5ヶ月以上ここに泊まらせてもらいました。

一番思い出深い人は Paddy Kerry という方でノンフィクションライターでした。ダブリンは家賃高いのでユースにいた方が安上がりということで長期滞在しながら執筆活動をされていました。当時はWikipedia でも紹介されていて、なかなかの有名人。第一次世界大戦時の秘話のノンフィクションを私の滞在中に発売されました。

ベトナム戦争にも参加されたということなので、リアルな映画として評判の"プラトーン"で描かれている事は本当か尋ねたら、" 本当の兵隊はあんな喋り方はしない、あれは商業用に馴らしてある。スタンリーキューブリックのフルメタルジャケットが近い。" との答。 善人が沢山出てくるプラトーンと違い、フルメタルの方は殆どの人が利己主義的で言葉遣いも shit , fuck の連発でなんか自分的にはあまり良い感じの映画ではなかったのですが、実際に現地に行った方の声ですから、やはり現実を知って興味深かったです。

アフガニスタンへの外国からの介入は人道的支援ではなく経済的な利益の為ではないのかと聞くと " Yes, war is big business " と、私はその時まで戦争というものは金がかかるものだという認識だったのですが、その時初めて、彼の口ぶりから " えっ、そんなに儲かるの ? " と驚いた記憶があります。その後ネットで色々調べて戦争経済というものを把握したのですが、世界中の人が平和への運動を行っていても、一方で数千億の利益を戦争を通して得る企業が存在するので、なるほど何処かで必ず戦争が起こされるようになっているのだなと、2011年の旅は世界への認識を新たにするものとなりました。

ギターをヘビィメタルが好きな人と一緒に弾いたり、スペインの人と彼の国の名曲 " エレス、トゥー" を歌ったり楽しい思い出もあるのですが、大学時代にそこそこ楽しいことはやっているので、自分にとって新しい知識、体験がどうしても印象深くなります。そういう意味で外国の人達との会話は新鮮なものがありました。

アメリカ、テキサスから来た経済を学んでる学生の人は、もし宇宙人がこの地球を見たらなんでこんなに小さな国に世界が分けられてて、しかも争っているのか奇妙に思うだろうと、いいことを言っていたのですが、米国の拳銃所持の合法制度について問うと、" 確かに拳銃は良くない、しかし自衛の観点からいうと相手が武器を持っていたらこちらも持たなければいけないし、う~~ん... "  と本気で悩み始めました。しまいには頭が痛くなったのか額に手をやり、顔をテーブルに近づけうなだれてしまいました。これを見て、日本はじめ多くの国では銃を持つなどとんでもないというのが常識なのに、アメリカはやはりちょっと感覚が違うなと思いました。

ちなみに後の2014年アメリカ、シカゴに行った時、コンビニの入口にこのようなステッカーが貼ってあり

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" イリノイ州では拳銃の所持が禁じられています " との説明が ... つまりOK な地域がある故のサインなのですが、こういうステッカーがコンビニに貼ってあるのは世界広しといえどアメリカだけのような気がします。

ダブリンで良かったのはトリニティカレッジという大学がグラウンドをオープンにしていて芝生の上で思い切り走り込みやダンスなどが出来たことです。都合6ヶ月の生活中、体力維持にすごく役立ちました。

パート2に続きます。

 


青春の光と影 この国では幸せは嫉まれる パート1

2021-09-13 12:30:37 | 日記

” 好きな事やったもんの勝ちだよ ” あるバイト先で進路に悩む生徒にある人が言った言葉。自分には真実に思えます。

2019年新宿南口で路上ライブをした時、ある人から 実際の歳より 若いねー やっぱ好きな事やってると歳取らないのかなー と言われ、多分そうなんだと思いました。色んな所で 10−20歳ぐらい若く見られます。ただ体内は結構バテてるのですが ... とにかく見かけは確かに実年齢より同世代の人と比べると若く見られます。

 

中学の時、洋楽に取り憑かれ自分もこんなことやってみたいと恐る恐る思い、作曲の無限の楽しさに気づいてからは永遠の命が欲しいと思うようになりました。

蘇る青春 未知の世界にワクワクしながら進む時期を青春と呼ぶなら私には何度も青春が訪れています。

いわゆる普通の20代前半までの第一期 バンド、ナンパ、女遊び

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第1.5期 あなたの英語分かるよ と、バイト先のイギリス人に言われ、じゃーいっちょイギリス行ってみるか 自分がやりたいのは日本語じゃなく、英語の音楽なんだから と、金貯めて語学学校の学生ビザを取り、イギリスに1年3ヶ月滞在、最初は学校ちゃんと行って色んな国の人とも話して世界が広がりました。

第2期 偶然またも1年3ヶ月間の長期ニューヨーク、カナダ、ヨーロッパ旅行が実現、ロンドンの真ん中で路上ライブをしたり、戦争経済を各国の人と話して知り、また世界が広がりました。

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第3期 アメリカの西海岸はどんな所? 戦争経済、武器輸出に対するアメリカ人の考えは?  こういった事を知りたくて、行ったアメリカ横断旅行。宿がなくて不本意に始めたロスアンゼルスでの野宿生活が習慣化し、ニューヨークでも野宿放浪、宿に泊まっていては見れないアメリカ深夜の一部を見てまた世界が広がりました。

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第4期 イギリスの人の戦争経済に対する考えは? ロンドン、ハイドパークのスピーカーズコーナーと云う演説集会の場に行って政治談義をしてみよう。そんな思いで行ったヨーロッパ旅行。意見の一致があったものの対策はグラスルーツ運動という消極的なもので意気消沈。しかもウインブルドンテニスのため、また宿が取れず再び野宿旅行、ミラノでパスポート等盗まれ、一時難民扱いを受け、チャリティセンターで配給の食事を取りながら9日間ミラノに缶詰め。ステージのビデオやロンドン、アメリカの写真もネットにアップしていたもの以外はなくなり散々な目に。一番痛い経験でした。まさにニガーーい性春の1ページ。 救いは演説場や旅先で、行ったことのない中東やアジアの人、パレスチナ、レバノン、パキスタンの方と話してまた世界が広がったことです。またチャリティセンターで出会った人たちも、失業中か難民状態の方たちが殆どだと思うのですが、苦しい中にも明るく親切な人がいて、日本のなんとも貧相で魅力のない、なんか他人の不幸が唯一の楽しみのような顔立ちの人に囲まれている自分にとっては、世界にはこういう明るく素直な人たちもまだまだ一杯いそうだなと現実的に思わせてくれる体験でした。ネットで世界中の人とイラストや写真を通じコメントのやり取りをしても、いい人達とコミュニケートできてありがたいな、楽しいなと思うのですが、やはり目の前で実際あった出来事は強く心に残っています。酷い旅でしたが一条の光もありました。

第5期青春 人間の心、少なくとも自分の心って不思議なもので写真盗まれたことにより反骨心のようなものが心中湧き上がり 、バカ野郎こうなったら写真を新たに撮れるだけ撮ってやる 、との思いで40日でヨーロッパとエジプト20都市を周る弾丸旅行を行いました。今まで会話がメインの旅で写真はオマケだったのですがこの時は完全写真撮影優先でまだ見ぬ景色、まだ見ぬ景色を求め歩き回りました。しかし過ぎたるは及ばざるが如しとやらで、2017年9月14日スタートの旅だったのですが、ほぼ丸4年たった今となっても撮ったもの全部見ていません。自分の場合、自作の音楽ヴィデオに使おうとエッフェル塔やローマコロシアム、ギリシャ遺跡の前などで踊りまくって動画に収めておくのですが、チェックに時間がかかる故6割ぐらいしか見れてません。

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一番やりたいのは曲作りで次がイラストなので写真整理はおろそかになるのですが、それにしても4年経ってもまだ終わらないとは....

しかし、初めて行ったギリシャのアテネ、エジプトのカイロ、ポルトガルのリスボン、スゥエーデンのストックホルム、トルコのイスタンブール、ハンガリーのブダペスト、イタリアのベニス、スイスの氷河急行の各地などは大当たりで、本当に行って良かったとしみじみ思います。

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逆にもしこれらの街を見ずにくたばっていたらと思うとゾッとしたりします。

新たな色々な景色と出合いまた世界が広がりました。

第6期 青春時代

もしコロナが無かったら昨年アフリカかアメリカに行っていたのですが今の所日本に缶詰めです ....

ただ曲作りは一向に飽きないし、頭の中には100曲以上のアイデアがあって、早く実際に音にしたくて、嬉しさと美味しいものを食べすぎてゲップがでるような感覚がミックスされた日々を今過ごしています。

変拍子、転調、ポリリズム、複雑なテンションコードを使えばいくらでも新しく面白いものが作れそうな気がします。

そして、絵画の世界 !!! これは自分にとっては新たに発見された宝島で、音楽の方はもうあらかた名盤と呼ばれるものは聞いていて、1990年代半ば頃から新譜は何を聞いてもどこかで聞いたものの焼き直しに思え他人様の曲は何を聞いても全く感動しなくなってしまいました。

しかし絵の方は今まで門外漢だった分まだまだ新鮮な驚きがあったりします。今年もイタリアの Futurism と云うものを初めて知り、おおおおー こんな描き方があったのかと感動し、夢中になってネットで絵を漁り見て自分でもパロって一枚描いてしまいました。

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世界35都市を周ったおかげで描きたい風景は山のようにあり

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それを離れてもいろんなアイデアが浮かんで来て、

月と太陽 困難を越えて

また自分は酒、タバコ、女は全部卒業して3つとも今は大嫌いなのですが、しかし犬役人さんは酒とタバコと一緒で女はもういらない、女に貴重な金と時間を使いたくないと、いくら言っても彼らの人生は狭いので、押し付けてきたりします...

ただ女遊びの思い出だけは絵の題材に使えるので4人の彼女達との思い出や他にも色々ナンパしていた時のエピソードを何か新しいアレンジをして絵に変えるのは楽しかったりします。

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影が主役の "燃え上がる影"

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花びらが主役の ” 桜の舞い ”

さらに青春1.5期から4期の会話中心の海外旅行もたくさんエピソードがあるので、こちらも曲作りのように全く飽きる気配がありません。

やりたい事が星の数ほどあって嬉しい悲鳴を心中上げ、昔大学の研究室に居た頃、卒業論文や実験の息抜きとは言え、わざわざ金払って雀荘に行ってマージャンで時間をドブに捨てていたのとは雲泥の差で、恵まれてるなー、幸せだなーと思うのですが、

しかし、しかし、しかし、

青春の光と影と云う言葉があるようにこの青春の日々にも影があり、自分には人の幸せを妬む、容姿を全く気に懸けない見るのがおぞましい醜悪な役人さんがまとわりついていたりします。自分にはもう上がり目がないから他人の足を引っ張ってやれ、それが唯一の楽しみみたいな、なんとも貧相で不細工な化け物のような方達です。

この方達は私の自由な鳥のような生き方が余程気に入らないらしく、ミラノでパスポートと財布等盗られ、領事館に行った時にも、こちらはパスポートのコピーを提出しただけでそれ以外は何も自分のことについては言っていないのに "あなたは今まで自由気儘に生きてきました。自由には責任が伴います。固定資産税も払ってないし ....  あなたの不手際でパスポート等盗られたのだから宿泊費は貸せません。野宿してください。" と言われ 、なんでそんな事をこの人は知っているのだろうと腑に落ちないものがありました。

これはある人が本当にそんなこと言われたんですか?と信じられないみたいな感じで驚いてましたが...

なんでパスポート取られました、番号はこれですと知らせただけで 自由気儘なる言葉が出て来るのか? 

2017年にヨーロッパに行った時も不自然極まりない事がありました。 パート2に続きます。

 


デンマークでのトラウマ

2021-09-09 12:13:08 | 日記

自分は以前からどちらかというと子供嫌いだったのですが決定的に嫌いになる事件がデンマークで起こりました。2011年にヨーロッパをバスの周遊パスで駆け足で周った時、コペンハーゲンの駅で足止めをくらい、6時間位椅子に座ってました。午前中街を軽く周りその前に行ったニューヨークやトロント、アムステルダムと比べあまり自分的に目を引くものを発見できず、雨も降ってきたので夕方ベルリン行が出るまで駅にいるかと旅疲れを取るため半分寝ながら夕刻を待ってました。ふと気付くと30メートル向こうで子供二人がドッジボール投げを始めました。駅は結構広くスペースはありました。しかし、何故かじわじわじわとこちらに近づいて来るではありませんか。なんかヤナ予感がしました。案の定ボールがこっちに転がって来ました。自分はその時街が予想よりちゃちかった事と雨とずーっとの椅子座りで気が立ってたので、思わず "近寄って来るな !"と威嚇の空蹴りを繰り出してしまいました。子供は渋い顔をして立ち去り、その時は何も無かったのですがしばらくして警察が来て取調室に連れて行かれました。 " It's very unnatural . If things had gone normally , nothing would have happened ! " と奴らが変な事するからだと釈明したのですが聞いてくれません。 部屋に入って開口一番  " What are you doing here ? " ( お前 ここで一体何やってやがる ? ) と言われ、このセリフは映画  Bourne Ultimatum でジェイソン・ボーンが予想外の所でニッキー·パーソンズと出会った時に口走ったものと一緒で、雰囲気的には、" デンマークにどんな悪いことしにきたんだ ? " といった口ぶりでした。" いや、俺はただの旅行者だ。近づいて来たんで払いのけようとしただけだ。" と言ったら、他の警官が猛烈に怒り始めました。" お前蹴ろうとしたじゃないか、ビデオに映ってる。" そして大声で " Don't tell me a lie ! I'm not stupid !! " ( 嘘つくな、俺は間抜けじゃないぞ!) と叫び直立不動で腰のホルスターに手をやり拳銃撃ち用意の体勢を取りました。まー威嚇なのでしょうが、ちょっとギョッとしました。

ボールが転がって来た時子供好きなら拾ってニコニコしながら投げ返すのでしょうが、あいにく自分は正反対の部類の人間で、でも絵的に空蹴りはやっぱまずかったかなと思い、その後もちょっと言い返したのですが、結局押し切られる形で取り調べが進み罰金を払うことになりました。

なんと、350ユーロ、4万円強です。痛いです。4万あったらゴッホやモネの画集が10冊以上買えちゃいます。しかしゴネて拘留が長引くと ベルリン行きのバスに乗れず、次の予約がいつ取れるかも分からず、第一この縁起でも無いコペンハーゲンに長居したくなくサッサとずらかりたかったので泣く泣く納めて自由の身に ....

自分は以前、バイト先の先輩に子供がいていいですねと心にもない事を口走ってしまい、(昔ナンパ青年だった時の癖でやたらと人を褒める傾向があるのです) 一部の人間に子供好きと勘違いされているのですが、真逆で子供の夢など一回も見たことがありません。女好きでもないのですが (ナンパは男友達の付き添いでした) それでも2 , 3 回は見たことがあります。が、子供はゼロです。ほとんど音楽の夢です。

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子供がいると曲作りのネタが増えていいですねと自分的に瞬時に思ったのですが、勿論それは自分の都合なので口にせず、ただ先輩の機嫌が良くなればいいなと思ったのですが、ミステイクでした ....

自分は幼い顔立ちのせいか、

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    ( 2017年 プラハで ) 

塾講師のバイト先でも " この塾では松田先生がカワイイ " とか " 先生可愛い " と生徒が抱きついて来たり、なんか子供がにじり寄って来る傾向があるような気がします。塾のバイトは時給が肉体労働に比べ1.5倍から2.5倍位あるのでロックンローラー的に喉に悪いと思いつつ、ちょくちょくやっていたのですが、まー他の人も言っていたのですが自分には生徒はお客さんです。ある塾などは広告費を使って獲得した商品だと言ってました。

今もたまに歌詞やイラスト等を書いていると子供がにじり寄って来る事があるのですが、この、この、この、デンマークの1件以来、それは恐怖に満ちたものになってしまいました。また350ユーロ取られるのではないかと、ユーロ紙幣の札束の絵が瞬時に頭をよぎり、取り調べ室、雨の中不機嫌だった feeling 等蘇り、疲れちゃいます。

2017年にヨーロッパ廻った時、どうしてもコペンハーゲンに立ち寄らなくてはいけなくなり、

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まさか、またあの警察の人達出て来ないだろうなと思いまして、駅の中はグラサンして歩き、何とかノルウェー方面行きの電車に乗り換えました。ヨーロッパの街はどこも好きなのですが、デンマーク、コペンハーゲンと聞くとどうも複雑な気持ちになってしまいます。親切な方とも会ったのですが .....

基本自分は、好きな音楽、イラストができ、幸せだな、海外もアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、ギリシャ、エジプト、チェコ共和国、トルコ、ハンガリー、カナダ、スイス、スペイン、ポルトガル等21カ国目ぼしい所はほとんど行けてて、ついてたなと思っているのですが、こういう悪夢のようなトラウマもあります。誰もが嫌いなものがあるのでしょうが、自分にとってはそれは子供 (最近は話の中身が無く、意味無くうるさい日本の女性も) です。                         嗚呼、350ユーローーーーーーー

 


彼女とのトラウマ 4番目 パート1

2021-09-01 16:59:53 | 日記

彼女の誕生日が近づいて来ました。何をプレゼント? 当時作曲を始めて面白さに取り憑かれていたので、これはいい機会だと5曲作ってテープに吹き込んで渡しました。喜んでくれたみたいで手紙が来ました。この娘はやたらハガキ等を出すのが好きで、週に1回は電話しててその時話せばいいのに、やれこういう事が仕事中にあったなどと 、自分の最新ニュースを一刻も早く聞かせたいみたいな感じでイラストを添えた葉書を送ってくるユニークな癖を持ってました。 

この時はスペシャルだったのか、封筒入りの手紙でした。 ” 大きなプレゼントありがとう、今改めて心が一杯です 、今日は私の記念日です ” 云々の他に一言 " 今の私のたった一つの悩みは 24になったことみたいです。 " 

これが何か気になりました。曲の歌詞は喜んでもらおうと " カワイイ " 、" 好きだ " 等の言葉をぶちかまし、散りばめたもので、だからこそ嬉しさの上いつものようなむき出しのはがきでは無く封書だったのでしょうが、このネガティヴなラインは ???

3番目の彼女のセリフがうっすら蘇って来ました。"' このままズルズル行ったら責任取ってくれるの ? "  

この手紙にどう答えれば良いのか、見えて来ました。

" もし24でまだ身が固まってないのが悩みなら、俺がいるじゃん ! " 

こう言わせたいんだろうなという気がしてなりませんでした。 

というのは彼女は以前から、” 私は絶対幸せになるぞ ” 、 ” もし私が男だったら一生懸命勉強していい会社に入って、女の子を幸せにする。” などと言っており、 ” 卒業したらどうするの ? ” と聞かれ ” サラリーマンか残業の少なそうな公務員も考えてる ” と答えたら ” やったー 頼りがいがあるぞ ! ” と叫び、 自分は彼女と会うのは色んな所に遊びに行くためで将来の事など話し始めたことなどないのに、彼女の方はやたら未来の事を話題にして、その度自分は話をそらしていた経緯があるからです。

当時の自分は今から大学新卒として就職、ずーっとサラリーマンをするのか、んなものロックンローラー体質の自分に合うわけがない。このままバイトで生活しながら気の済むまでバンド活動、音楽活動を続けようかどっちにするか決めかねていて結婚して身を固めるなど論外の話しで、こう言えば喜ぶだろうなと思っても現実に愛してたのはロックで、歌うことが何より楽しくてしょうがなかったので、冗談でもそんなことは言えませんでした。

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3番目の彼女の時もそうだったのですが、いざ結婚のイメージが現実化するとエスケイプしたくなるのは相変わらずで、彼女の事は好きだったのですが、結婚する程好きではない、それより自分がやりたかったのは曲を作って人に渡すってことだったんだなと、しばらくして気付きました。彼女が考えているのは現実的な安定した暮らしで、自分のイメージする音楽制作の果てしなき世界、自由に空を飛ぶように生きていくアイデンティティを共有できる訳などありません。

手紙を読んだ後、何とも気だるい複雑な気持ちになりました。曲の中で好きだ、可愛いと言っておきながら、将来の事は無視する勝手な振る舞いは3番目の彼女の時と同じで、前ほど強くはないにせよまたしても自己嫌悪に陥りました。その印象のイラストです

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ただ自分は欲張りで、別れるにしても曲のネタが欲しい、とっても哀しい別れ方をしてそれで曲を作ろうと浅ましい事を考えてて後で手痛いしっぺ返しをくうことになります。

パート2に続きます

 


3番目の彼女とのトラウマ

2021-08-30 11:44:55 | 日記

” 松田君って あんまり自分のこと喋らないね、 もっと日頃何やってるのか話して欲しい ”

当時大学院理学研究科に属し、でも頭の中はロック音楽が鳴り響いてて、物理は面白いけど音楽の方が楽しくてしょうがなく、でも実験はマスター過程にいる以上やらなきゃいけない。

Doors のジムモリソンがかつて ”俺の人生は引き裂かれたカーテンだ ” と愚痴ったように 、 一日中音楽したいのにそれができないもどかしい日々を送ってた自分に3番目の彼女からそう尋ねられた時には

” いや 、 嫌々物理の実験をやってる毎日なんて喋りたくもないぜ ” と心の中呟いたものでした。

物理って政治、経済に比べたらメッチャ面白いのですが、音楽に比べたらメッチャつまんないんで、心の中はいつも不満原子が蜂の大群のように唸りを上げてました。

歌ってる時は幸せだったのですが

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それで喋りたくもない実験室に閉じ込められている毎日の事を聞かれたので、ふと ” なんでそんなこと聞くの ? ” と逆に尋ねたら ” 好きな人が何考えて、何やってるのかいつだって知っておきたいの ” との答。

ガクーーンと衝撃受けました。管理教育のママみたいではないか!

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ママには見えない娘だったのですが

なんか甘すぎるお菓子を無理やり食わされたようなキモさを感じ絶句してしまいました。

1番目の彼女が ”私は一人の人に絞って一直線 ! ” と真剣な目つきで宣言した時もちょっと引いてしまったように、自分はあまりベタベタしいのは苦手で、 後にある男の人に ” 教育ママみたいな事言われて参っちまいましたよ ” と言ったら ” イヤー 俺だったらそう言われたら嬉しいけどな ... ” と言っていたので自分が少数派なのかも知れません。

後に別れ話の際、” このままズルズル行ったら責任取ってくれるの !?” と 言われた時には沈黙せざるを得ず、好きなんだけど結婚して金と時間を費やす程好きじゃ無い、とにかく音楽と一緒に自由に果てしなく飛んで行きたいというのが自分のスタンスで勿論それ言うわけにはいかず、何とも後味悪い最後になってしまいました。電話切った後、” 俺は一体何をやってるんだ。抱いてる時には好きだ好きだと囁いておきながら、いざ将来をせがまれたら逃げるとは... ” 自己矛盾と自己嫌悪がミックスアイスクリームのようにうねりながらその夜はいつまでもぐるぐると体と心の中廻り続けてました。

しかし懲りずに4番目の彼女の時もまたトラウマが襲い掛かることに

第一期青春時代の苦い一ページです。