見出し画像

誰も知らない、ものがたり。

巡りの星 20



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 眠りがやってきたと同時に途切れた私の意識は、それまでとは脈絡の無い、忽然と現れたシーンの中に居た。

 私は、かつて自分が通っていた地元の大学の構内にある食堂にいる。
 まだ昼前だったが、その時間に履修している講義も無く、同じように講義がない(あるいは、意図的にサボり)時間を持て余した軽音サークルの仲間と他愛もないおしゃべりをしている。
 そんな、10年前の日常の光景が、いま目の前にあった。そして、私と向かい合っているのは友人の高橋智也。サークルで同じバンドを組んでいる高橋と私は、いつもここで好きな音楽やサッカー、あるいは、身のまわりの色恋の話などを気ままに話しては、大学生という、青春と社会の狭間の人生のニュートラルポイントとも言うべき、仮初めの自由時間を楽しんでいた。
 私は、この時、未だ自分が大学生であることに、不思議と疑問を抱くことは無かった。

 「そう言えばイナダ、その後バイトはどう?」

 高橋のその一言で、半分懐かしみながら、新鮮な学生気分を味わい楽しんでいた私の気持ちは、瞬間的にどん底にたたき落とされた。
 「・・・はあ〜」と私は深いため息をつく。そして、次々と脳裏に、バイト先の居酒屋の店長の怒鳴り声と、厳しくて怖くて、眉間に深くしわを寄せた鬼のような形相が浮かび上がり、胸の真ん中が締め付けられるように息苦しくなり、胃腸がぞわぞわとする感覚が蘇っていた。

 この時代、量子コンピューターが人間の脳を超えたと言われたての頃で、どこもかしこも企業ではアルバイトの教育にAIトレーナーを採用し、人工知能がその業種ごとの最適なトレーニングプロセスを構築することで、現場に合わせたアルバイトへのトレーニングを効率化することが、あたり前のようになっていた。
 最初はAIが人に仕事を教えるということに抵抗を感じていた世の中も、それぞれの人の性格や特性にあわせてAIがきめ細やかな指導をしてくれるし、何より、パワハラだのセクハラだの前時代的な職場の問題は起きないという事で、徐々に歓迎されはじめ、企業も喜んで採用しはじめていた。

 私が働いている居酒屋も大手のチェーン店なのでAIトレーナーによるトレーニングを経て、店のホールや調理場で働き出したのだけれど、いくらAIトレーナーの言うとおりに自分ではちゃんと接客が出来たと思っていたことも、後になって店長に呼び止められ、裏で説教を受けるという責め苦にあっていた。

 そんな店長の口ぐせは「空気を察しろ」。

 お客さまの気持ちに真剣に意識を向ければ、それが空気を伝わって自分の心で感じ取れる、と言うのだから、AIトレーナーがその方法を教えてくれる筈も無く、それどころか、AIトレーナーが最適な答えとして導き出した指導プロセスに対して、店長が本気で意義を唱えている所を、バイトの皆は何度も目撃している。
 “今日も、午後の講義が終わったら、バイトにいかなければならなかった。”その思いが去来して、瞬間的に心が重たく凍り付いてしまったのだった。

 前からそんないきさつを高橋には話していたので、私の様子を察し、高橋は顔は笑いながらも少し申し訳なさそうに言う。
 「あ、わりいわりい、思い出させちゃった?例の怖ーい店長のこと」
 「・・・そね。」
 私のノドから、低く小さい声が出た。
 「まあ、その店長もイナダが社会に出た時の事を思って、厳しくしてくれてるんじゃないの?」
 私の様子が気の毒に映ったのか、情けない奴と見えたのか、判らなかったが、高橋はもっともらしい慰めの言葉を掛けてれた。
 確かにそうかもしれない。しかし、若い今の自分の心には、まだそのように柔軟に誠実に受け止め飲み込む度量も、仕事に対する自身も無かった。
 すごく心許ない、19歳の若者の自分の心象が、今の自分を構成する全てだった。




・・・つづく
  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ものがたり」カテゴリーもっと見る