呆然とする私に、ヒカルは言った。
「巡りの穴よ・・・」
「めぐりの・・・穴!?」
「ついにこの意識の世界にまで顕在化してしまった・・・。このままでは、遅かれ早かれ現実世界へとこの様相が転写して、本当に宇宙を呑み込んでしまう」
「そ、そんな・・・!」そんな事が現実におこっているという。ヒカルと出会ってから聞いてきた、嘘のような話が、今この意識の世界の中でとはいえ、実際に自分の目の前にリアルな光景として現れている。本当に、本当にこのままでは宇宙が消滅してしまうのか。
「ど、どうしたらいいんだ!?」取り乱して漠然とした私は、ヒカルに向かってこう聞くしか出来なかった。
ヒカルの目が揺れている。いつも努めるように冷静沈着なヒカル。結局、その正体も未だ私にはわからないまま、どこか超然とした存在として感じられたヒカルの瞳に、色濃い恐れの影が映って見えた。
「あの中に・・・アサダさんがいる」ヒカルが口にしたその声は、弱く、そして少し掠れていた。
その言葉を聞いて、戸惑いに縛られた私の身体が、反射的に動き出した。
再びヒカルの腕をとり、私は駆け出す。
「あ!」というヒカルの声が聞こえたと同時に、私たしは公園からすでに空中へと飛び立っていた。
暗闇の渦の中にアサダさんがいる。現実世界のアサダさんを、永遠に眠りつづける状態に囚える暗闇のような巡りの穴。
今の自分の目に映る、あまりに巨大な暗闇の渦と、アサダさんが時折見せるか細い背中姿が重なり、いたたまれない思いが爆発するかのように逸る気持ちとなって、私の心を加速した。
巨大な巡りの穴が迫っているのに、それに全く気がつく様子もなく不思議なほど静かに見える街並みを眼下に、ゆらゆらとうごめく巡りの穴の暗がりが、どんどん近づいて迫ってくる。まるで音速の飛行機のようなスピード感で移りゆく周りの景色。不思議と身体に受ける風の抵抗をまるで感じない。
「イナダくん!気をつけて、巡りの穴の中は、私にもどうなっているか判らないの!」私の腕にしがみつくようにしているヒカルの手に、力が入っているのがわかる。
そう。この先に何があるかなんで、誰にもわからない。それでも、行かなければならない。無思考の自分がとる行動が、私の中の唯一の答えだった。私はヒカルの腕をしっかりと抱えながら「うん!」と大きな声を出した。
暗闇の渦が、目の前に迫っていた。風船のように弾力があるのか?それとも、雲のような気体なのか?それさえもわからない漆黒の塊に向かって、私は速度を緩めずに突っ込む。
「いくぞ!」私はヒカルを頭から抱え込むように身体を丸め、目をつぶって巡りの穴の中に飛び込んだ。
飛び込んだ瞬間、ズボっといった音も、ブワッとした風圧も何もなく、ただ突然の静寂に包まれた。まさに、無重力な空間に身が投じられたような感覚がした。
恐る恐る目を開けると、目の前に、暗黒の空中を浮かぶ自分とヒカルの姿があった。いや、正しくは、何重も無限につづく合わせ鏡のように連なって浮かぶ自分たちの姿だ。前にも、そして、後ろにも。
しかし、それは合わせ鏡の中とも少しだけ異なっていた。私が首をキョロキョロとさせようとする時、前後に見える自分たちの姿の連なりの光景に、少しずつ時間時ズレをともなって現れているようだ。
そして、もう一つは、前に見える自分達の姿は、常に薄く2重にブレて見えている。後ろの自分たちははっきりとしたひとつの姿。
まるで、ジッパーのように私たちが進む先は2つに別れていて、「今」を進む自分たちの後ろは1つに束ねられていっているような感じだ。
「これは、一体!?」思わず出した私の声が無限に反射するようにリフレインした。
「・・・これは、時間の正体」ヒカルが応えるようにつぶやく声も、こだまする。
ヒカルは続けた。
「先に二重にブレて見えているのが、不確定な未来。そして、後ろに見えるのが、定まった過去・・・」
私は再び前と後ろを見比べた。
「”今”の私たちが起点となって、未来と過去が、この世には同時に存在しているの」
「同時に?」私が出そうとする声の、ほんの少し前から私の声が聞こえてくる。
ヒカルは頷く様子が、前の未来の様子からも伝わってくる。
「”今”の私達の選択と行動によって決まる未来は、こうやって、ブレて見えているように、いくつかの可能性として同時に存在している」
私はその言葉の意味が、頭では理解できなくても、なんとなく判るような気がしたその時、言葉を発していたヒカルの身体の”重さ”が随分と軽くなっていることに気が付き、慌ててヒカルを見た。
私の腕を掴む手が、いや、それだけでなく、ヒカルの全身が薄くなり、半分透けていた。
「・・・ここでは、ごまかせないようね」ヒカルも自分の半分透けた手を見ながら言った。
「わたしは、未来の存在だから・・・」
・・・つづく
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