1月25日
■先日買った松本清張DVDBOXの中から「影の車」を観ました。これまで観た同映画シリーズの中でもっともよかった。
■浜島という旅行会社の男が、岩下志麻演じる未亡人の家に不倫で通うようになるのだが、そこにいた6歳の一人息子が一風変わったこどもで浜島に懐こうとしない。
■懐こうとしないどころか、敵意を抱いてさえいる感じで、これがやがて顕在化してくるのだが、論点は一連の事件がこどもが実際に意図してやったことなのか、それとも浜島の罪の意識からくる思い込みによる錯覚なのかということである。
■最初に起きたのは、出されたまんじゅうの皿の中にネズミ退治用にこしらえた毒まんじゅうが一つ混ざっていて、これを浜島がうっかり食べてしまう事件である。
■次に起きたのは浜島が昼寝をしている間に部屋中にガスが充満していて、慌てて窓を開けようとするもうまくかいない。あやうく死ぬところだった。
■最後は浜島が朝起きてトイレに行ったとき、そこにこどもが斧を持って立っていて、殺されると思った浜島は、斧を奪おうとするなかでこどものクビを絞めた。結果、浜島は殺人未遂容疑で逮捕されることになる。
■まんじゅうの事件は意図的に毒まんじゅうを混ぜたとは言い切れないし、またあきらかに形状が他と異なる毒まんじゅうをうっかり食べてしまう浜島もどうかといった感じだ。
■ガスの事件も、火を消し忘れただけだと言えるし、また窓が開かなかったのも、古いアパートの窓であることや、浜島が慌てていたということもあっただろう。窓はただ閉められいたにすぎず、開かないように特別な加工が施されていたわけではない。
■最後の事件ではこどもはたしかに斧を振り上げたが、しかしカメラに映る映像は浜島の主観であるかもしれず、浜島にはそのように見えただけの光景だったとも言える。※斧は薪を割るためにこどもがいつも使っていたもので、斧を持っていたこと自体は不自然ではない。
■取り調べ室では、すべては浜島の主観によるものだと見なされてしまう。小さなこどもに殺意があるなんて、そんな馬鹿なことがあるものかと警察は言うのだ。
■しかし、浜島は知っていた。というのは、彼もまた6歳頃のときに、男が自分の母親に会いにしょっちゅう家に来ていたことを快く思っていなかった。そして彼はその男を死に追いやったのだった。
■このような経験から浜島は小さなこどもにも殺意があると断言するのだが、映画を観る私たちは、そこから未亡人のこどもに殺意があったと考えていいものだろうか。浜島は自分の異常な経験をこども一般のそれに帰納しただけではないのか。要するに、そのような過去も含めて、すべてが浜島の主観だというふうにしか私には思われないのである。
■この映画はこどもにも殺意がありうるかというような、よくある主題の映画ではない。人間の主観性を問う映画として観なければ、よくある映画の一つでしかないだろう。