8月3日
■父の遺骨を納骨しに行きました。
■お経を読み終わると、住職が話をしてくれた。人が死ぬとあの世に旅立つのにおよそ50日の準備期間が必要なのだという。で、50日目の今日、父はこの世を旅立って、三途の川とかを渡っていくらしいのだ。私はさすがに信じなかった。
■坊さんですら、亡くなった方をどうすることもできないし、天国に行けたのか地獄に墜ちたのか、最終的にどうなったすらわからないのだ。ならば、三途の川があるとか、そんな具体的な風景などどうして描くことができるだろうか。パトモスのヨハネの黙示録と同様、歴史的に後付けされたものなのだと思います。
■とはいえ、住職の方でも、そんなあの世の話を信じてもらおうという考えはないらしい。「今日はやさしい気持ちになれたはずだから、みなさまにはその気持ちを忘れないでいただくことを、最後に私からお願い申し上げます・・・」
■お墓の前で、別の坊さんの話。インドでは、亡くなった方になにをしてやれるわけでもないからと、法事をやらないという。中国では、そんなインドの考えはあんまりだと、三回忌までやるという。そして日本では、もっとやった方がいいと考えられている。こちらの坊さんも、そういう話をしつつも、話をまとめたり、どれがベターであるとかいう話をしたりせず、ただ法事というものについて考えるきっかけを与えてくれたのだった。
■葬儀のときにお車代として3万円も持っていったので、今日まで不信感しかなかったが、愛と立派な思想を持ったお寺だった。