去年今頃は、母親は救急車に運ばれたくらいだったと思う。
一年とは早いようで何だかんだ、長く感じる。特に今年はそのように思った。
母親の異変に気が付いたのは、去年の3月頃だった。
母親の顔色がおかしかったのだ。色白の母親だが、突然黄色っぽい肌になっていた。
最初の5日くらいは、あれ、と。何か黄色っぽくなってない?と、言われ、
確かに、なー。
と、思っていた。
若干黄色かかったような色だった。
人間というのは、不思議なもので、これヤバいかもと本能的に感じとることができたのだ。
案の定だ。次第に肌は黄色となっていた。
掛かり付けの近所の医者に行き、精密検査をしてもらうことになった。
医者の見解は、直ぐに癌センターに行け、ということだった。
みぞおち奥に黒い影がある。
家族全員危ない、と直ぐに理解したのだ。
そこに輪をかけるようにコロナだ。ダブルパンチだった!
だが、今ほどコロナを気にしてはなかった。世間はコロナを気にしていたが、僕はほとんどコロナを気にするのことはなかった。
母さん、、、何かヤバいような気がしてならない。
そんな思いの中仕事をしていた。
お客さんの前で仕事する分には笑顔を振る舞いていたのだが、実際は上の空だった。
パニックになっていたのだ。
一週間後、僕らは家族は神奈川の癌センターに行った。
また書きますー。