どんな声をかければいいのか、わからない。
自宅に帰ると、居ても立ってもいられず外に出た。
無心にただただ歩いてた。目的もなく歩いて自分の心の整理をすることに努めていたのだ。
これからどのようになっていくのか、どのうようにすればいいのか、ひたすら考えていた。
少し精神的に落ち着いたところで自宅に帰ったのだ。
家に帰ると、ドヨーンとした空気だった。膵癌を携帯で調べれば調べるほど、いい表現が書かれていない。
人は、自らが病人だと分かると病人のような振る舞いをしてしまう。
母親もまたそうだった。鬱病のようになってしまったのだ。
あんなにいつもしゃべる人が、無口になると、いたたまれない。
癌センターで、二回目の検査をおこなった。
少し余談だか、癌センターは常に混んでいる。これに関しては驚いたことは覚えている。
一日に千人以上の規模だ。
凄く人数である。あの病院の中で傷ついてる人もいれば、会報、完治をして喜んでいるものもいる。
癌は二人に一人なると言われ、ビジネス的に考えるビックビジネスだな、と感じたのを覚えている。
母親は検査入院することなった。
2泊3日だったと思う。これで母親の病気がハッキリと分かる。
ふと、思い出すと3日間母親が居なかったことはこれまでなかった。
きっと、家族一同初めての経験だった。
弟の問題が一番にあった。
役割分担は直ぐに決まった。
弟は朝僕が送り、父親がお迎え。
いつもよりも父親が早く帰ることになる。
僕は朝一の仕事を変更させた。
この辺りからだったと思うが、大吉が僕の膝で寝るようになったのだ。
大吉がこれまで、そのようなリアクションをしたことがなかった。
母親に対して何かを感じ取ったのか、そこからというものいつも僕の膝の上でゴロゴロしていた。
あっという間に3日がたった。
父親とともに、朝母親の元にむかった。
また書きますーー
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