正親町天皇が長命だったために、皇位を継ぐ予定の誠仁親王が先に亡くなります
誠仁の子の和仁親王が祖父から譲位されて即位し、後陽成天皇となられます
豊臣秀吉は正親町天皇に対してと同様に、寄進を惜しみませんでした
ただしその見返りとして「太政大臣」さらには【太閤】の位を得るのです
人民では最高の地位に就いた秀吉は、別荘の〖聚楽第〗に天皇の行幸を仰ぎます
秀吉自ら内裏へ赴き、聚楽第への来駕を迎え、この時の【宴】は五日間に及んだ
その上・秀吉の野望は天井知らずで、「明」を征服して天皇を皇帝にとまで・・
しかしこの無謀な夢は秀吉の死によって終わりを告げるのです
【深草北陵】に葬られた12名の天皇〈2名は北朝〉の 最後が後陽成天皇です
さて次回からは御陵が【月輪陵】に移ります、第121代【孝明天皇】まで続きます
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