嘉永6年〈1853〉6月3日、浦賀沖に黒船4隻が来航、アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・ペリー率いる4隻の黒船
下の作品2枚は、ペリーに随行した画家ヴィルヘルム・ハイネのリトグラフです
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下の絵はぺりーとのオランダ語を介しての交渉の場で・・・場所は定かでない
この黒船の大きさと云えば・・・その当時、日本で造っていた船のナ・ナント25倍もあったというのですから
その上、船から空砲ではあったけれど、大砲をドカン・ドカンと打つのですからさぞかし、びっくりポンだったでしょう
ビビりに、ビビった当時の日本中のうろたえぶりを詠った有名な歌があります
『太平の眠りを覚ます上喜撰〈蒸気船〉たった四杯〈4隻〉で夜も眠れず』と云う歌ですが
上喜撰と云うのが、当時のお茶の品種名の事で、黒船の蒸気船との語呂合わせで
浦賀にやって来た蒸気船たった4隻で夜も眠れない、をお茶の上喜撰4杯で、目が冴えて夜も眠れない、と
さてその4隻の黒船の名前を・・
蒸気外輪フリゲート・・【サスケハナ】 2450トン 乗組員300人
蒸気外輪フリゲード・・【ミシシッピ】 1692トン 乗組員260人
帆走スル―プ・・・・・【サラトガ】 882トン 乗組員260人
帆走スル―プ・・・・・【プリマス】 989トン 乗組員260人
蒸気外輪フリゲード【サスケハナ】・・です 同じく蒸気外輪フリゲード【ミシシッピー】・・です
帆走スル―プ【サラトガ】・・です 誰でもご存知の顔・・ペリー提督です
164年前の今日、黒船4隻を見た人の中に・・・坂本龍馬も居たのです
歴史ってワクワクするほど、楽しいですね
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