松凬からくり帖

松凬さんが73年の人生と吟道50年からの体験や、これから起こるであろう!未体験談を写真と共にお届け!

清和天皇【水尾山陵】へ行ってきました・・あと淳和天皇陵だけ

2016-09-25 17:43:47 | 日記

嫁さんに嵯峨嵐山駅まで愛車タントで送ってもらい、水尾へ行ってきました流石に大勢の観光客が降りて行きました

    

嵯峨嵐山駅からひと駅なんです保津峡駅は・・・

    

着きましたよ・電車はトンネルを出て、またトンネルに入って行きました、駅は保津峡の上にあるんですよ

    

水尾行のバスは一日に五回だけなんです、朝の9時過ぎから2時過ぎまで無いんです・・・約一時間歩きましたよ水尾まで

    

水尾まで3・5キロです、最初は颯爽と大股で歩いていましたが・・・ハイキングコースの地図を見たら・・・

    

一歩、一歩と坂道を・・・私一人だけですよ、見事に人と逢いませんでした、日曜日と云うのに

    

歩く事、40分と少々・・・ゆずの木が突然現れました・・・水尾に着いたんですね濃い緑色のゆずがお出迎えです

    

あれから5分で・・・すずの里に到着です・・・ナント ゆずの里の入り口に水尾自治会の送迎バスが止まっていました

帰りはこのバスで帰りましょう・・と 時間を確認しておかないと、14時25分で帰りましょう、約二時間しかありません

    

まず目に入ったのが、清和天皇社でした、ここまで歩いて来て想像以上に疲れていて、迷いましたが、尋ねました・・

清和天皇はわずか九歳で即位している、二十七歳で退位して3年後に出家、畿内を巡幸して

自らの信仰の適地を探し、水尾に辿り着きました。

この地を隠棲の地と定めて、新たに寺を建立しようとしました。

しかし、病に倒れて、京に戻り、粟田山荘にあった、円覚寺にて崩御されました

遺骨は天皇の遺言で水尾山上に埋葬されて、現在の【清和天皇水尾山陵】となっています・・では

    

ここから左に、山道を下って行きます、最初だけでして・・・すぐに上り坂になっていくんですよ~

    

この辺までですよ、下りは・・・水尾へ来るまでの山道とは、月とスッポンかばんを置いて少し一服です・これが何度も

    

石畳やら・・・普通の土の道やら・・・そしてヘヤーピンカーブが10回ほどありました

    

今回、初めてです・・・途中で引き返そうかな・・・と思った事、・・・でも、前方を見て、この坂が最後の坂とわかり

    

やっと登って来ました、本当に疲れてしまいました・・・

    

でも辛ければ辛いほど御陵に詣でたときの感激は一入です、今までで一番高い処にある天皇陵でしょう

心から・・・深々と頭を垂れて参拝致しました

帰りの下り坂の軽かったこと・・・ルンルンで駆ける様にとは行きませんが 〈砂利で滑りそう

そして帰りには、サプライズが待っていました・・・藤袴の群集が

     

ナント おばさまハイカーが千客万来でした・・・でもこの人達のお陰で・・・フジバカマ畠を知ったんですから・・・感謝

      

アサギマダラが飛んでいるかな?・・・と目を細めて探しましたが、見つかりませんでした・その代わりに黄マダラ?嘘です  

   

     

帰りは・・・水尾自治会の送迎バスで・・・JR保津峡駅に送って頂きました、行の歩きと違い・・・

     

僅か!10分で保津峡駅に到着です           行の歩きは私一人でしたが・・・ホームは流石に日曜日

電車が、到着しました・・・本当に・・お・つ・か・れ・さ・ま・でした

ひと駅で嵯峨嵐山駅に着きまして・・・日本一のジオラマを見学して帰途に就きました

この模様は・・・次回に・・・・

 

 

    

  



最新の画像もっと見る

コメントを投稿