初代神武天皇の次の綏靖天皇〈すいぜいてんのう〉から第九代開化天皇までを欠史八代と言ってます
第二代 綏靖天皇〈すいぜいてんのう〉
第三代 安寧天皇〈あんねいてんのう〉
第四代 懿徳天皇〈いとくてんのう〉
第五代 孝昭天皇〈こうしょうてんのう〉
第六代 弘安天皇〈こうあんてんのう〉
第七代 孝霊天皇〈こうれいてんのう〉
第八代 孝元天皇〈こうげんてんのう〉
第九代 開化天皇〈かいかてんのう〉
なぜ欠史八代と言うのか・・・日本書紀や古事記に名前は記されているが、
その政治的な業績やエピソードが殆んど残されていないので
実在しなかったであろうという見方が一般的になっているのです
因みに第十代崇神天皇になると、戸籍調査を行ったことや民衆に税を課したなど
急に具体的な具体的な内容が示され始める・・・しかし記録が残っていないだけで
欠史八代が実在しなかったと云うのは、あまりにも乱暴ではないか?と思われるが
欠史八代が実在しなかったといわれる根拠は他にもあるんだそうです
それが、今・話題になっている皇位継承なんですって、どういうことか??
この皇位継承が欠史八代の期間中は、すべて父から子への相続なのです
後の皇位継承では兄弟による相続が多く行われるのに対し、
親から子への相続が続くというのは、ちょっと不自然と云うわけなんです
と云うわけで今回天皇陵を巡った中から欠史八代の最後の第九代開化天皇陵を紹介します
近鉄の奈良駅の近くなんですが、車が離合できないぐらいの細い道路を入っていくとありました
私だけ車から降りて御陵へ入っていきますと突き当りに金網が・・・そこに地図で表示が
向こう側から入るのでした、車に戻って商店街に入りホテルの手前で私だけ降りて開化天皇陵へホテルです
桃?が開花していました・・さすが開化〈開花〉天皇陵 あれ正面が板の扉になんでやね
ところが真ん中が木の扉になっているんです正面から写せないのですよ~仕方なく横の柵からカメラを入れてパチリ
ちょっと、歪んでしまいました・・・斜めの御陵もまたおつなもの・・なんでやね~
開化天皇・春日率川坂上陵〈かすがのいざかわのさかのうえのみささぎ〉です
前方後円墳としては、開化天皇の古墳が我が国最初とか
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