森林整備の現場調査のため赤城神社の近くへ行ったので仕事帰りにお参りしてきました。
参拝者の数が以前より多い気がしました。
前回、手水舎の奥に池があると記載しましたが正確には、池の中に手水舎があります。
大きな鯉が悠々と泳いでいます。
参道を進み
拝殿です。
神楽殿
お参りを済ませ
神楽殿と拝殿のしたから水が湧いて多くの人がくみに来ていました。
ここから水をくんでいます。写真を撮っている間に後ろに並ばれてしまいました。
今日は社務所が開いていて宮司さんがいらっしゃいました。
前回は書き置きだったのですが、今回御朱印帳にいただくことができました。
鳥居の脇に木の板に墨で書かれた赤城神社由緒略記がありました。
一部読めない字もありましたが、以下のとおり記載してあります。
赤城神社由緒略記
勢多郡宮城村大字三夜澤鎮座
一 祭神 赤城神 大己貴命
豊城入彦命
一 由緒 赤城神社は東国開拓の神々が祀られている古来の名社である
東国経営にあたった上毛野君の創祀以来 国司 武将が篤く崇敬し朝廷からも承和六年(西暦八三九年)に従五位を送られ 元慶四年(西暦八八〇年)に従四位上にあげられ 延喜式は名神大社に列せられた 長元九年(西暦一〇二八年)頃には正一位に叙せられ 次いで 上野国の二宮とうやまわれていた
赤城山は高く 美しく うしろに山々をひかえて悠然と聳えている
山頂の小沼から出る粕川を始め各河川は麓の村々をひろくうるほしている その尊厳と恩恵とはみ山とよはれ親しまれ 尊はれ上毛野君の昔から祀りつかれてきた。
分社は群馬県下のみで七十八社その他を併せると三百余社に及ぶ 昭和十九年(西暦一九四四年)には国幣中社に昇格の内定があったが 終戦後は国土建設 開拓精神発揚のため神威益々顕著である
一 例祭 五月五日
一 特殊神事 四方拝(元旦) 修請会(一月五日)
御鎮祭(三月 下十日)御神幸(四月 初辰日)
(十一月 (十二月
一 文化財 大勾玉
文部省指定重要美術品
本殿内宮殿 由良成繁奉納
櫃石 社背山上
同 史跡
一 社寶 伝嵯峨天皇勅額
神位記並関係品一式
戦国武将古文書等
昭和三十八年十一月生日足日
群馬大学教授文学博士尾崎喜左雄撰文
金子潤象謹書
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