人生訓読 ブログ(日本語)

神様と真の御父母様を中心に全世界で御旨を歩む兄弟姉妹達と全ての人々の幸福の為にこのブログを捧げます。

父の祈り(希望の祈り)1-2

2022年12月29日 15時06分49秒 | 学習

21


私達の人となりが、果たしてお父様のみ前に捧げられるようなものであるかを案じざるを得ませんし、許諾してくださったお父様の恩賜を受け取ることのできる心と体になっているか、私達自らを反省してみるとき、申し訳ない気持ちで頭を下げずにはおられませんので、哀れにお思いください。


お父様のみ前におそれ多くも誰が立つことができ、お父様のみ前に誰が自信満々に立てると言うことができるでしょうか。
行けば行くほど、知れば知るほど肉をえぐるような天の悲しみを感じない者はいないことを知っています。
おそれ多くて顔を上げられず、おそれ多くて身の置き所を知らなくさせるおそれ多いお父様の性相があり、お父様の心情があり、お父様のご苦労の痕跡があるということを知る者がおりませんでしたが、
そのような事実を知ることができるように私達を育ててくださいましたことに感謝申し上げます。


これは誰のためにそうなったのでしょうか。
私達が優れていてそうなったのではなく、私達が備えるものを備えてそうなったのでもありませんでした。
歴史的に善を欽慕してきた数多くの先祖達の天と結んだ因縁が、私達の知らない間に私達に及んでそうなったということが分かるようお許しください。


今日の私達は今日の私達だけではないことを知るよう許してくださいまして、その因縁を尊重することができ、その因縁とともに喜ぶことのできる人となり、その因縁を裏切る者とならないように
主管してください。
お父様!
私達の心はどのような位置にあるでしょうか。
私達の体は何を待っており、何によって動いており、どこに置かれることを望んでいるのかを自ら考えるようにしてください。
静寂の中からお父様は、この時間にも生命の価値を感じるようにせき立てていらっしゃるということを、私達が心で感じるようにしてくださり、人類が自分の生命だけにつかまり、あえいでいる悲惨な事情のゆえに、それを眺めながら悲しまれるしかないお父様であられることが分かるようにしてください。


私達の心情や心の世界を支配されるお父様、親しく臨まれ、この時間、私達全体を本性的に支配してくださり本質的に主管してください。
本性の人、本質の人、善に対して楽しみながら善のみ言に和する人となり、心と体でお父様と和することのできる立場に立つようにしてくださり、私達に新しいみ言を許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


優れた人がどこにおり、劣った人がどこにいるでしょうか。
心情を通しては一つであることを知っていますので、天の心情に動じ静ずることができ、和し応ずることができるようにしてください。
そうして、お父様の栄光だけが私達全体の生命の前に現れまして、お父様の生命の恩賜が私達の心中奥深くに染み入るよう導いてください。


私達の心と心情を動かしてくださり、永遠なる生涯路程を開拓し、復帰の恨みを晴らそうという新しい覚悟と決心が、私達の心中から爆発するこの時間となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
この時間、頭を下げた億兆蒼生(=数多き民)の上にも生命の権限を許諾してくださり、天上にいる数多くのご自身の息子・娘達にも、私達と和合し、勝利的な栄光の一土台を建てるために助けるようにさせてくださいますことを、心からお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.25)


22


お父様!
お父様を欽慕する私達がお父様にお会いして、お父様に侍り、お父様と共に議論できることを待ち焦がれ、足らないのを押し切って集まりましたので、捨てておかないでください。


お父様!
私達の心と共に和してくださり、私達の体と共に因縁を結んでください。
お父様の切実な心情の流れが、お父様のものとしてのみとどまらないようにしてくださり、実存なさるそれ自体の生命の流れが私達の心中深くに染み入ることができるこの時間となるようにしてください。


幾千万の聖徒を指揮なさるお父様の性相を見つめながら、無限なるお父様の愛の懐に抱かれることができ、慕わしさに浸ることのできる私達となるよう許諾してください。
自然のふくよかな住まいにいることに対し、天のみ前に感謝を捧げることができ、自ら頭を下げるその心と体でお父様を呼ぶことのできるこのひと時となるようにしてください。


お父様!
私達は、闘いの路程で私達を呼んでくださり、案じ、尋ねてくださるお父様であられる前に、静けさの中、心中の深いところから、感じまいとしても感じざるを得ない、考えまいとしても考えざるを得ないお父様であられることを知っていますし、お父様が私達を息子と呼ぶことができ、私達もまた、お父様を私のお父様と呼ぶことのできる因縁が、私達の生涯において必ず結ばれなければならないことを知っています。


私達がいつ内密にお父様と議論をしてみたことがあったでしょうか。
いつお父様のそこはかとなく聞こえる声とお父様の栄光に酔い、私達自身が体の内にいるのか体の外にいるのか分からず頭を下げ、お父様のみ前に敬拝を捧げた時があったでしょうか。


信仰路程にはこのような時間が必ず必要であることを、私達は知りました。
またそのような時間を私達に与えるためにお父様が今日までご苦労されたことも知りましたので、今この体と心が本然のお父様に親しみ侍ることができ、本性のお父様に親しみ侍ることができ、本質のお父様に親しみ侍ることのできるこの時間となるようお許しください。


ある条件をかけておいて対されるお父様ではなく、心の流れに従って共に流れ、心の動きに従って共に動くお父様であられるので、本然の思い、本然の感情に和し、動ずることだけが、私達が生命をもってこの地で生きる間もつべき望みであり、理念であるということを知っています。


見えないところですべてのことを営まれ、実績を表されるためにご心労されるお父様であられ、いないようでも実在されるお父様であられ、私達と関係がないようでも心を主管しておられるお父様であられ、無限の世界を管轄しておられるお父様であられることを私達は知りました。


その管轄圏内、その主管圏内の動きに和し、静じ、動ずることのできる本然の姿を慕っていますので、お父様、私達を捨てておかないでください。


心の門が閉じた者がいますならばその門を開いてくださり、死の陰に捕らわれて心的に、肉身的に苦痛を受けている人がいますならば彼らをもまた哀れにお思いください。


お父様、
捨てておかず、実存されるお父様を慕う真なる心がないとするならば、天上のお父様であられ、実存のお父様であられるあなたのみ前に恥ずかしい者となることを自ら悟るようにしてください。


今日、私達の心がそれぞれ違うとしても、事情事情がそれぞれ違うとしても、置かれている環境と内的な慣習、心中にもっている主観と主義、観念がそれぞれ違うとしても、本然の心情世界に和そうとする心だけは同じであり、悪なる人でも善なる人でもそこに和することができるということを知っていますので、この時間そうできるように私達をお導きくださいますことを、切にお願い申し上げます。


すべてのものをお父様のみ前に打ち明け、無我の心情で本然の心情を尋ねて、お父様に侍ることができ、み言を通して自分を再び新しく造ることのできる恩賜の時間となりますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.11.1)


23


お父様!
この心が自分のとどまることのできる位置を失ってしまったことが嘆かわしく、自分の価値を全世界と全天宙とともに論議することのできる資格を喪失したことが嘆息であることを知っています。


本来の人間は、自分の行く方向を整え、天上の大主宰であられるお父様と関係を結んだ自由の環境で、お父様の価値と、高く善なることを歌わなければならず、お父様の心情を通してお父様と共に和し、楽しまなければならないことを、
私達は知っています。


失ってしまった本然の位置を再び探し出すためにさまよう人類、失ってしまった本然の価値を再び探し出すために、今日も苦しんでいる人類です。


心情を中心として、心と体が和し喜ぶことのできる目的の園で、主人と共に永遠に歌うことが私達の望みです。その園に向かって歩みを変えるその日から、どのような困難と悲しみが迫るとしても、そのすべてのものを獲得するその日まで、躊躇することを知らないあなたの息子・娘となるよう許してくださいますことを、切にお願い申し上げます。
それと同時にお父様に対する一片丹心の心情だけは、松と竹のようにいつも変わりなくわき立ち、天上、あるいは地上の全存在世界を変えてしまっても余りある、不変の価値で装わせてくださいますことを心からお願い申し上げます。
創造主がいるとするなら、そのような姿をお慕いになるであろうことを私達の推測ででも知ることができますし、あなたもやはりそれが望みであられることを知っています。
そのような基準からお父様と因縁を結び、堕落した世の中、凶悪な罪悪の世に勝ち抜くに不足のないあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.4.10)


24


お父様が願いに願われた望みのひと時が近いことを私達は知っています。


お父様!
ここに集まったあなたの息子・娘達が、幼子の心情に帰るようにしてください。
人間がその何を知っているとしても、それが天上のものとは比較にならないということを知りました。


あなたの懐に抱かれるその瞬間の満足があってこそ、時間の観念を超越して永遠に喜ぶことができ、時間の観念を超越して永遠に感謝することができ、永遠に幸福を歌うことができるということを知っています。
そのような世界、お父様の願われた創造理想世界がこの地の上に立てられなければならないこともまた知っています。


今日、私達は社会でつくられる曲折によって傷つけられていますが、これをふさぎ、時間を超越できる永遠の自由と幸福と平和の世界を待ち望んでいますので、そのような世界と因縁づけられるようにしてください。


そのような世界に導いてくださるお父様であられることを知っていますし、そのような世界を造るためにすべての犠牲を覚悟して行くべき私達であることを知っています。
ですから、このために行く歩みとなるようにしてください。
お父様の祝福を受けるに不足のないよう導いてくださり、お父様の子女たる名分を立てるに不足のない姿となるようお許しください。
お父様、心からお願い申し上げます。


今、私達には死が波打つ環境をかき分けていくことのできる生命の船が必要です。
その生命の船に乗り、救いを受ける恩賜を歌うことができるようにしてくださり、勝利の凱歌がこの天地に響きわたり得る日が早く早く臨むようにしてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.6.19)



25


死亡の痕跡を逃れられない罪悪の後孫であるために、これほどまでも多くの曲折を天に残すようになったことを考えるとき、今また新年を迎え、お父様に壮語し建議と誓いをする資格もありません。


しかし誓って行き、また誓って行くべき復帰の恨みの山々が残っているために、この日再び、新しい光明の朝日を見る前に、明け方から、私達は新しい誓いをしなければならないことを感じるものです。


新しい年に新しい心、新しい心情でこの民族と人類に代わる先鋒者の責任と先覚者の責任と開拓者の使命を果たすという誓いを捧げますので、私達がしたこの誓いが天を動かすようにしてください。


私達が暗闇の勢力に対する時ごとに、天の権威をもち、愛の権限をもつことのできる新しい自我となるようにしてくださり、きょう誓いの一つの光を立ててくださって、一年三百六十五日のすべてがこのような日になるようにしてください。


この一年の新しい決心と新しい覚悟がお父様の栄光の基盤となるようにしてくださり、私達をして死亡の世界から苦難の川を渡る帆船のかじとなるようにしてください。
そうして、お父様が望まれる願いの園、その福地まで到達するにおいて障害を感じず、被害を被らないよう切にお願い申し上げます。


この明け方にもここに向かい、み旨を抱き、お父様のみ名を呼ぶ兄弟姉妹達がいますので抱いてください。
涙ぐむような心情で新年を迎える彼らに、新しい光明の光が宿るようにしてくださり、お父様の栄光の基盤を高め、輝かすことのできるお父様の日を許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


統一の群れをしてこの民族の過去の罪を受け入れてくださり、この民族をして世界人類の罪をお許しくださり、世界人類をして天上天下のすべての哀魂達の罪を受け入れてくださり、過去から現在まで行き来した先祖達の罪をお許しください。


お父様の喜びのひと日を、私達とこの民族が世界万邦に生命の光として表す時まで、守り保護してください。
残された勝利の日々が早く早く私達に訪れ、残った戦場の凶悪な条件が、生命の光と共に消えるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様の栄光が全天宙にみなぎり、祝福された家庭と共にこの民族と数多くの人類の上に共にあることを願いながら、聖なる真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げます。


アーメン。
(1964.1.1)


26


あなたの栄光のために天地万物を造られたお父様!
あなたの望みと喜びと愛の心が、全被造万物の中にこもっていることを、私達がもう一度感じるよう許諾してください。
高く貴いその望みのために、どの一存在でもお父様のみ手を経ない存在はないということを悟ることのできる息子・娘となるようにしてください。
あなたの永遠なる貴さと栄光のために、全被造万物をお造りになり、被造万物は恩賜の懐に抱かれるために現れたということを、そのような喜びのひと日があったことを、私達が忘れないようにしてください。


無限なる生命の源泉と永遠なる生命の権限を立てられ、あなたと造られたすべての被造物が離れようとしても離れられず、一つに集い生きることのできる永遠なる幸福の土台、無限なる愛の土台があったことを忘れないようにしてください。
あなたが願われたその望み、あなたが望まれたその栄光、あなたが切に待ち望まれたその愛が、万物の中にこもることがあなたの望みであり、創造の目的でありましたが、その望みが悲しみと落胆で結ばれるようになると、誰が考えてもみたでしょうか。
栄光をお受けになるべきあなたが、怨讐達の前で嘲弄され憤懣やるかたない身の上になると、誰が思っていたでしょうか。


あなたの無限なる愛の前に、天の栄光をほめたたえ、地の栄光をほめたたえて勝利の栄光を表さなければならないにもかかわらず、悲しみの涙とともに恨みの復帰歴史路程の上に、血と肉を注ぐようになると、誰が思っていたでしょうか。
このように、望みの世界は今日この地上に行くところがなくなり、この天地にこのような土台は余すところなく消え去り、悲しみで満ちるようになったということを私達が知るとき、今日あなたの心を慕い、あなたの心情を手探りする私達は、過ぎし日の過去を恨まざるを得ず、人類の悲惨なる歴史を嘲笑せざるを得ません。
このような立場に立ったこと自体が、どれほど無念なる事実であるかということを私達が悟るようにしてください。


あなたが抱きたかった万宇宙であり、あなたが愛したかった子女であったにもかかわらず、今日この地上に散らばっている被造万物は悲しみの象徴体となり、万民はお父様の愛に背いた後孫であり、お父様の心情の土台を蹂躙した後孫となりました。
このような事実を知るとき、お父様の悲しみを慰労してさしあげるべき各自の責任がどれほど貴重であるかということを、この時間ここに集った幼い者達が心の中で感じてひざまずき、過去のすべての罪悪を悔い改め、お父様の悲しみを慰労してさしあげることのできる自分達になろうと、誓うことができるようにしてください。


本然のお父様に侍り生きることのできる幸福なこの天地となるよう許してくださいますことを心からお願い申し上げ、このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1964.3.15)


27


お父様!
長い歴史路程を経てくるときに、偽りの真理の路程に逆らいくるために、今までお父様とわが先祖達が苦労してきたことを知っています。


偽りの人格基準を取り壊し、真の人格基準を立てるためのわが先祖達の苦労が、長い歴史に宿っていることを知るものです。
そうしながら、真の真理へと、真の人格へと、真の心情の世界へと、お父様が今まで数多くのわが先祖達を指導してくださったことに感謝を捧げないわけにはいきません。


お父様!
私達は真理が枯渇しているこの地上に天の真理のみ言を広めなければならず、天の真なる子女達をこの地上でたくさん因縁づけなければなりません。


あなたの愛を受ける子女達をして、新しい家庭を成し、新しい氏族と新しい民族と新しい国家を編成する過程にありますので、お父様、あなたの心情を通して因縁づけられる真なる血族を中心として、新しい世界史的な民族的出発、あるいは民族的大移動が起こらなければならないことを知っていますので、共にいてください。


今、この終わりの日にあって、私達が真の真理のみ言と真の人格と真の心情を通して、歴史的な怨讐サタンをこの地球上で屈服させ、この基準を通して社会悪を浄化させることができるようにしてくださり、天の全体的な権限を代わって担うことのできる恩賜を許諾してくださいまして、勝利的な主管者の権限を立てることができるように、力と能力を加えてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様が必ず万宇宙全体を、愛する子女達の前に譲り渡し相続させてくださることを私達ははっきり知っていますので、その過程で疲れきることなく、お父様の栄光の前に勝利の凱歌を歌い奉る時まで、耐えて残る者達となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


今からこの一年を私達が出発しますので、福を祈ってください。
悲しいことも多いのを知っていますし、孤独な立場、あるいは困難にぶつかることもあると思っております。


この一年にあなたが勝利の栄光で私達を抱いてくださり、あなたの願うその園に私達を導いてくださいますことを、切にお願い申し上げます。


万々代に栄光が共にあり、あなたの願われる勝利の歓喜が共にあるようにしてくださいますことをお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.1.1)


28




お父様が願われる勝利、お父様が願われる喜びをお探しするために私達が存在するということを新しく認識し、自らを尊重しなければなりません。
また、すべての存在の様相を通して、お父様を称賛することのできる環境を築かなければなりません。
そのためには、私達が主体的なその何かをもたなければなりませんので、お父様、お父様の愛を感じる心を保護してください。


残された復帰の路程を見つめるときに、この路程に誰が責任をもつのかと、お父様はこの時間も気が気でなく訴えておられるということを私達が感じるようにしてください。
そうして戦場で、どのような犠牲が伴おうとも、この責任だけは最後まで負い、お父様のみ前に勝利の凱歌を歌い奉ることのできるあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


私達が復帰の戦場で勝利の栄光を備えて、お父様が万有の前に、万民の前に立てて誇ることができ、お父様から称賛を受けることのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


そのためには、私達がこのように座ってだけいてはなりませんので、天を動員させ、地を動員させることのできる悲壮なる覚悟と決意のもとで、闘いの行路に向けて前進しなければならないということを私達各自が感じるよう許諾してくださいますことを、お父様、心からお願い申し上げます。


本郷の地を探していくことができるようにしてくださり、本然の兄弟を捜すことができるようにしてください。


そして本然の父母と本然の子女達をもつことのできるあなたの息子・娘となるようにしてくださり、お父様が愛で経綸なさろうとされた喜びの目的を成してさしあげられるあなたの息子・娘となるようにしてください。
このすべてを真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1967.5.28)




29


お父様!
私達は空手で出発しましたが、今は何もうらやましいもののない立場に立っています。


私達はお金が必要なのでもなく、権力が必要なのでもなく、世の中のある文化が必要なのでもありません。


それよりももっと必要とし、渇望しているものは神様の愛であり、父母の愛であり、夫婦の愛であり、子女の愛であります。


慕わしい天と地が喜ぶことのできる本郷の地で、天のお父様を中心とした家庭を私達は追求しています。


お父様、そのような家庭以上に価値あるものがこの世にまたとあるでしょうか。
金銀宝物が泰山のように多いとしても、父母の愛を中心としたその家庭の因縁、父母を中心とした兄弟の因縁、それ以上価値のあるものがどこにあるでしょうか。


これをお父様が探してこられたことを知りましたので、私達がここで無限の価値を残すために、ここで楽しみ、ここで誓い、歴史を創建することのできる動機を連結させる一つの張本人となるために、統一の働き手となったことがはっきり分かるようにしてくださいますことを、切にお願い申し上げます。


お父様!
長い歴史過程において悲しみの涙を流してまいりました。
男女が出会う環境ごとに悲しい事情が触れ合い、歴史の峠道では天の嘆息を呼び起こしたことを知っていますので、今日私達は男女が真の夫婦となり、家庭を成してお父様の恨みを解き、怨讐を防衛することのできる鉄石のように固い橋頭堡となるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げます。


そのような立場で私達自身を尋ね、家庭を尋ね、氏族を尋ね、民族を尋ね、国家を尋ねて、新しく自覚された世界に私達は駆けていかなければなりませんので、不足することがないようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.12.8)




30




お父様!
きょうこの時間、あなたはどこに臨在なさいますか。
あの高い空間にある、ある王座でもなく、ある燦爛たる文化の歴史をもった伝統の座でもないということを知りました。


創造の当時にあなたが願われたのは、真に神様を愛し神様を思慕する一人の男性の心に臨在されることでしたし、そのような一人の女性の心に臨在なさりたかったお父様であったことを知りました。


そのような男性と女性の心に臨在なさり「あなたはわたしのすべてだ!」とおっしゃりたかったお父様であられ、新しい因縁で出会いたかったお父様であったことを知るものです。


その男性と女性が真の父母の因縁を中心として、歴史的な先祖の心情的な土台を備えた立場に立つようになれば、その上に直接臨在なさりたかったお父様であることを知りました。
そうして、その家庭の中心にあなたが臨在しようとなさったことを知りました。


そのような父母の血統的因縁を経た子供を愛したかったお父様であられ、広く高く深い愛のみ手でその息子・娘を抱きたかったお父様であられ、涙のにじんだ愛と、涙のにじんだ心情で愛することのできる立場を備えようとされたお父様であったということを知りました。


そのような平和の家庭の上に、その子女達の上に、愛を根深く植えて、その家庭を中心として四位基台を築き、福地の土台をこの地の上に築こうとされたことが、千代万代の恨みとして残されているということを、統一信徒達はよく知るものです。


このような福地の土台を築くことのできるひと日を迎えるために、六千年の間、つらい死の道が続いてきたという事実を知りました。
数多くの人々が、嘆きとやるかたない悔しさと悲惨なる立場で犠牲となったことを知っています。


「私」自体を呼んでこのすべての代価を支払うようにするのは、模範的な一人の男性と一人の女性と一つの家庭を成させるためのお父様の愛であることを知るものです。


そして、お父様がその家庭の上に主体的な中心として臨在なさり、万代万民の家庭の上に宿ろうとなさったのが、あなたの願いであることをはっきりと知りました。


ですから、私達は一万回死の道を行こうとも、お父様の慈悲を慕い、お父様の同情のみ手を渇望することのできる姿とならなければならず、天に向かって手を伸ばし、のどが張り裂けるほど、細胞が麻痺するほどに狂ったように「お父様」と叫ぶことのできる子女とならなければなりません。


あなたが願われた愛を、自ら備えた男性と女性になることができない堕落の血族であることを嘆きながら、来られるメシヤを愛し、そのメシヤを迎えるために準備することのできるあなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.1.26)




31


お父様!
あなたは聖なるお方です。
かわいそうであってはならないお方です。
あなたは創造主として、権威と永遠なる栄光の象徴であられるのに、どうしてこのようにかわいそうなお方となられたのでしょうか。
あなたにどうして敗者の苦い杯を一人飲むべき、悔しい事情が残されたのでしょうか。


人類始祖の軽挙妄動な行動が、このように億千万代の歴史を誤らせ、恨みの根源をつくったという事実を私達は知るものです。


これは、ただアダムとエバにだけ限られたことではなく、彼らの後孫である私達も代々、先祖の血を受け継いできた堕落の後裔として、同じ堕落した後継者の体をもっておりますので、それを思うとき、歯がみするほどの憤りを感じられない者は、天に帰ることができないという事実を分かるようにしてください。


朝の日の光、その燦爛たる光明の光を眺めるときには、お父様のみ前に歓喜の光となり得るあなたの息子・娘となりたく思います。
お許しください。お父様の愛の世界には、強い心情なしには入ることができないということを悟り、親不孝極まりなかった先祖達が誤ったすべての罪をぬぐうことができるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


この地上に人類がどんなに多いといっても、お父様の傷ついた胸を抱き締めて慰労してさしあげることのできる一人の息子がどこにい一人の娘がどこにいるでしょうか。


あなたに侍り、千年史の解怨成就のために精誠を尽くす人がいませんでした。
「数千万代の後孫が偉くなれ」という遺言をした人はいても、天のみ旨がこうであるから、このように生きなければならないと勧告した人は一人もいませんでした。
数多くの先祖達が、死の道でその民族を祝福する遺言をたくさん残しましたが、そのすべてが消えていくしかない遺言であったことを私達は知っています。


今日、統一の群れは、そのような群れになってはなりません。
人類が消えていっても、その遺言だけは残されてこそ、威信が立てられることを知っています。
このような道が、人類が経るべき道でありますので、今まで私達にそのような道を行くべき心を植えてくださったことを知っています。


私達は、お父様のみ旨の前において祭物となります。
目的に向かうお父様の事情の前に、最後の勝利を覚悟し、その誰よりも肯定的にその道を通過することのできる群れとならなければなりません。


そうして、天の光明たる太陽の光に代わることのできる基盤となり、千年史の恨みを抱き、その光を探し求めるにおいて一つの橋を架ける礎石になるとしても、それを幸福として受け止めていく統一の群れとなさしめてくださいますことを、心からお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.10.12)


32




私達が父母を見るとき、父母は全体の願いであり、慕わしさの表象であり、幸福の起源でありました。
動機にもなり、過程にもなり、結果にもなるのが父母でありました。


父母と子供の因縁を考えてみるとき動機もお父様であり、過程もお父様であり、結果もお父様であります。
お父様に会いたく思い、お父様を求め、お父様のみ旨を慕い、お父様を愛の起源とし、お父様と共に和動の因縁を結ぶ、その聖なる座に私達を抱くことのできるお父様の心情があるということを、私達は知らなければなりません。


そうして、お父様に対して言うに言えないほど喜ぶその姿、お父様の懐が恋しくてお父様の心情に深く入っていく息子・娘を、どれほど願われたかを私達は知らなければなりません。


父の懐に抱かれ、母の懐に抱かれ、父と母の生命の糧を子供が余すところなく受け、その父と母の心の座と望みの座を相続し、子供を通して未来を望むことのできる位置が、お父様が探して来られた父子の因縁が結ばれる位置だということを知らなければなりませんし、その聖なる位置を私達は追求しなければなりません。


私達は心からお父様を呼びながら、慕わしいお父様を放さず、お父様のほおに私のほおをつけ、お父様の涙と息子の涙が一つになる中で悔い改め一つの世界を探し求めるために訴えながら行く犠牲の歩みをその誰が阻むことができましょうか。
サタンもここには屈服せざるを得ず、サタンもこの場に参加しなければならないのが、本来の創造の原則であることを知っていますので、そのような息子とそのような娘になるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.11.23)


33




お父様!
あなたの聖なる生命力が私達自体に連結されるようにしてくださり、あなたの権威ある姿が私達自身と一体になるようにしてくださり、怨讐に対し耐えてこられたお父様の悔しい心を私達の心に受け継がせてください。


堕落の因縁によって失った子女を捜してこられながら、最後の勝利を望み、あえぎこられたお父様の歩みとその心情が私達の心に体得されるよう許諾してください。


お父様が私達を息子であり娘であると呼ぶことのできる親と子としての因縁を越えて、本当にお父様とーつとなり、私達がお父様の表象として現れることのできる、その位置を慕うようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


父と子は一体であると言われ、あなたは心であるがゆえに私達は体となって、私達の行いがあなたの喜びに連結されるべきことを知っていますので、この位置がそのようにできる位置となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


暗黒のようなこの地でありますけれど、私達があなたに向かって「お父様」と呼ぶことのできる新しい姿となるとき、初めてこの地がお父様の望まれた願いの地であり、願いの園となるのではないでしょうか。


そのような息子・娘の姿を見ることがお父様の願いではないでしょうか。
そのような願いの地で、全身全霊を込めて息子・娘を抱き、愛し、また、世界をそのように愛したかったのではないでしょうか。
そのようなお父様の愛の心が、私達の願いの園に込められていることを知るものです。


その中であなたに敬拝を捧げ、あなたの恩恵を叫び、あなたの勝利を欽慕できる姿が現れることをどれほどに待ちわびてこられたでしょうか。
また、あなたか無限に無限にほめたたえたく、無限に無限に称賛したく、全世界のすべてを相続させてあげたい愛の息子・娘が現れることをどれほど待ちわびてこられたでしょうか。
そのような姿となるには、あまりにも不足であるということを、この時に感じるものです。


ですからお父様、あなたの広いご心情と哀れみの慈悲のみ手で私達を抱いてくださり、あなたの高く深いその玄妙な道理を感じさせてください。
また、その何をもっても屈服させることのできない強い力によって、私達を縛ってください。
切にお願い申し上げます。


お父様!
この時間、私達一人ひとりを抱いてください。
困難の中に身を置くとき、あなたの能力で私達を自覚させてください。
そうして、明日の希望の世界の前に恥ずかしくない息子・娘となるようにしてください。


怨讐の前に強く雄々しい勇者の姿を備えるために、この地上に天国の理念を立てるためにこの道を踏み出した私達と、お父様、共にいてください。


開拓者としての使命とお父様の息子・娘としての使命を果たすために、備えるべきすべてのものを私達が備えることができるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.7)


34


お父様!
私達をお父様の絶対的な内容を分け与えることのできる一つの対象となるようにしてください。
そのような人になろうと身もだえするあなたの息子達となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


明日の希望の世界が、私達の前に近づいています。
明日のこの国は、どのような先進国家もできないことをする国であり、歴史を通じて誇ることのできる国として私達の前に訪れることを知らなければなりません。
また、この国の国民は、世界的な解放の旗じるしを揚げ、万国、万民の前に勝利を誓う国民になるという事実を知らなければなりません。


解放のその日を欽慕しつつ、その日を追求し提示しようとする群れがまさに統一教会員であることを悟るよう許諾してください。


私達はその中でも責任者であることを感じますときに、全人類歴史に一度しかないそのような責任をもって生まれたことを万宇宙の前に感謝しなければなりません。
また、父母の因縁をもったことを感謝しなければなりません。


私達は、行くべき道を知らない群れでしたが、新しい価値の基準を残すことのできる時代に生まれたことを感謝しなければなりません。


お父様の人格体となり、和動の中心体となるべき、このとてつもない使命を私達は知らなければなりません。


そうすることができる人格者となり、そうすることができる愛の実体となる立場に立つようになれば、お父様のみ旨が「私」のみ旨であり、「私」のみ旨がお父様のみ旨になるという事実を知らなければなりません。


このようにお父様と私達が一致し、内外に因縁を備える日には、全宇宙を解放することのできる権限が成り立つという、このとてつもない事実を知らなければなりません。
そうして、歴史的であり、宇宙史的な使命が私達の肩に負わされているということを知り、力強く行軍することのできる自らの姿を備えるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


この道を行くにおいて、私達が和動の中心体となり、あなたのみ前に孝の道理を尽くし、忠の道理を尽くすことができるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.2.26)


35




愛するお父様!
あなたがとどまることのできる国がこの地のどこにあり、あなたが率いることのできる民族がこの人類の中でどこにいるかと尋ねるとき、あなたがいまだにそのような国と、そのような民族に出会うことができないでいることを私達は知るものです。
国がある前にまず民族がなければならず、民族がある前に氏族がなければならないということを、氏族を編成するためには家庭が、家庭があるためには「私」個人が完成基準に達していなければならないということを原理を通して知っています。


国のないあなたの子女達がこの地上にどれだけいるかを考えますとき、お父様に対して「お父様」と呼んでいる人は地上に多くとも、あなたが慕い願われるその国と民を探し求めるために自覚し、心を砕く人は多くないことを知っています。


この地上にお父様の国がなく、民族がなく、氏族がなく、家庭がないとしましても、その国を代表し、民族を代表し、氏族を代表し、家庭を代表することができ、あなたの心の中にあるすべてのものを代表して受け継ぐことができる愛する息子・娘がいると言うときには、そのような息子・娘によって、そのような個人が連結されることをもって、あなたの心の前には希望の国が始まり、希望の民族と希望の生活的な土台が展開されるということを知っています。
そのような栄光の立場に立つことができる息子となり娘になろうと、この時間もう一度誓うことができますよう許諾してください。


お父様は数千年の歴史過程を経てこられながら、ただの一日も愛する子女を慕わない日はなかったということを私達が知り、その子女達を永遠無窮にあなたの栄光の国の民として存続させたい心が、愛したい心と共にあったということを私達が知りますとき、今日、何の値打ちもない私達自身に対するお父様の愛の心が限りないということを感じるようになりました。


そのようなことを感じれば感じるほど、お父様は体と心を通して、その国とその民を探しておられるということを知らなければなりません。


お父様のみ前に生命を捧げるのは、その国に対する忠臣の道理を果たすためであり、望みの民を編成し怨讐に籠絡される悲しみの環境を清算してしまい、あなたが栄光の父としてこの地に顕現なさることのできるその日のために探し求めてこられたのですから、今これを実際として感じることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


そうですから、お父様、あなたの子女達を心にかけてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.3.21)


36




私達の目が、お父様を見ることのできなかったことが口惜しい事実であり、私達の耳が、お父様の聖なる愛の声を聞くことのできなかったことが口惜しい事実であり、私達の鼻が、罪のないエデンでのお父様の愛の香りと花の園に漂うすべての香りをかぐことのできなかったことが恨みであります。


罪悪圏内にある万物ではなく、善であり聖なるあなたの解放の園にある万物を食べることのできなかったこの口が恨みを抱いています。


この感情として感じた一切、この触感に感じられた一切が、あなたと反対の立場で感じ接触したという事実を思いますとき、私達は汚れ汚れた堕落人間の後孫であることを自覚し、聖なる解放された善の姿を切に仰ぐ心でそこに到達し、そこに立って天を仰ぎ見てほめたたえ、あなたの勧告を聞き、あなたの命令を受けることのできる日を慕わなければなりません。


自然を、あなたが許諾なさった香気がかおる祝福の園で眺めながら、自らが感じる一切の感情があなたのみ前に帰化することのできる立場に立てなかったことを自嘆しなければなりません。


今まで愛好した退廃的なものを捨て、自ら天が守護したかった本然の自分を慕いつつ行くことができなければなりません。


私達の一切の感情が汚れていることを知っていますので、今、私達の心と感情全体がお父様を動機とし、お父様と因縁を結び、お父様による結果を結ぶことができるようにしてください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.10.3)


37




お父様!
この世でも自分を中心として愛そうとすれば、孤独な身として残されてしまうことを、私達の日常生活の環境を通して感じ、知っています。
しかし、人のために無限に世界的な価値の内容を提示し、人を愛そうとする人は、一人寂しい立場に立とうとしても、環境がその人を寂しい立場に立つことができないようにすることを私達は知っています。


お父様!
私達はあなたが探してこられた真の男性とならなければならず、真の女性とならなければならないということを知りました。
また、そのような男性と女性が一体化することのできる、愛の起源を成立させることのできる所が家庭であるという事実も知りました。


その家庭において上は父母に侍り、下には子女を率いる本来の四位基台圈を追求することが、原理が尋ねていく道であるということを思いますときに、この時間私達がその立場とどれほど遠い立場にいるかを知って、自らを批判しなければなりません。


神様と共に一体化できる相対的な絶対圏、その立場を通して世界的な横的国家観と世界観が形成されるということを、すなわち、天国は男性と女性が天を中心として一つとなる家庭から始められるということを知りました。


人格の価値もその立場で決定されるということを思いますときに、私達はその立場を中心として考えなければなりません。


そのような立場にいるようになるときは、「私」自体の心の中に天国があるようになるということを、「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ*」と( *ルカ一七・二一)言われたイエス様のみ言が証しているということを知りました。


きょうこの場に来た子女達が、子女の名前を備え、天を父と呼び、地を貴い母として仕える心をもちましたなら、お父様、これからはこれらの者達が子女として行くべき道理をはっきりと悟るようにしてください。


天の父母を慕い、天の夫婦と天の子女の価値を慕わなければならないということを悟るようにしてくださり、今日、堕落した人間の後孫達にそのような価値ある立場を受け継ぐことができるようにしてくださいました恩賜は、その何をもっても返すことのできない感謝の因縁であるということを、私達が切々と感じなければなりません。


お父様!
今後の動き一切をあなたのみ前にお任せいたします。
きょうこの時間、天国の起源と私達の価値基準が一致すべきだということを改めて感じるものです。


今から家庭を中心として新しい三大愛の因縁を立てなければならず、それを全体の生活的動機として活用できる立場で、一つの世界を追求していく群れになるべきことをこの者達が既に悟ったということを知っていますので、そのような決意の上にあなたの無限なる愛と恩賜でもって共にいてくださいますことを再三お願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.11.21)


38




お父様!
主人のいないこの天地で、お父様が主人にならなければなりません。今後行くべきこの国の運命に責任をもち、指導することのできる中心にもあなたがなられなければなりません。


私達の家庭や個々人が望む願いの中心にもお父様がなられなければなりません。


世界でも必要とし、国でも必要とし、家庭でも必要とし、個人も必要とするのが、全天地をお造りになった主人であられるあなたであり、お父様であられることを私達ははっきりと知らなければなりません。


あなたは無限なる能力をもたれたお方であり、時間と空間世界のどのような制裁もお受けにならない全能なるお方であることを私達は知っています。
あなたによって造られなかったものはなく、あなたがすべてのものの原因となる内容をお備えになった主体であられることを知っています。


存在するものすべてがあなたとの因縁によって存在するということを私達は知り、存在するものは、主体であられるあなたのみ前に相対的目的をもっていないものがないということを知っています。
そのような立場に立った個人であり、家庭であり、国家であり、世界とならなければならないことも知っています。


日の光が差せば、すべての存在がその日の光を通じて生命を開かせ、それと一致しようとするのを見ますときに、微物も一つの中心に向かってそのように動くその現象を見るとき、私達もそのような立場で、あなたを私達の生命の主体として、私達の行く道と方向を照らしてくださるお父様として侍り、あなたと一体となり、あなたとーつとならなければなりません。


まず、あなたを主体とし、私達自身を永遠なる対象の実体として立て、主体と対象が分立できない一つの統一された姿を備えなければならないのが、私達個人の人生の願いであり、行くべき道の終着点であることを知っています。
そのような日を模索するために歴史が動員されてきたのであり、そのような自らを形成するために個々人の生活と生涯路程が設定されていることを私達は知っています。


お父様!
私達少数の群れがあなたのみ前に出てきました。
あなたが主体であられますので、私達は対象とならなければなりません。
あなたが主人であられますので、私達は主人の指示を受ける追従者とならなければなりません。
あなたが父母であられますので、私達は子女とならなければなりません。


あなたが主導的な能力とすべての生命の源泉であられるので、あなたを通す道だけが、私達においてはかいある生涯の行路であることを知り、そのように行くことができますよう許諾してください。
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1972.7.9)




39




愛するお父様!
恨みの多いあなたの心情に分け入ってみるとき、その心には誰も知ることのできない隠れた理想的愛がわき立っていることを、私達は知らなければなりません。


人をどうしてお造りになったのかと尋ねてみるとき、神様が愛したくて造られたということを、今まで考えることができませんでした。
今日まで、人間存在の本然の価値を知りませんでした。男性として生まれたなら、真の対象である女性を永遠の女性として愛すべきであり、家庭を立てたなら、家庭を永遠なる家庭として、神様の代わりに愛すべきなのです。


愛するその基準は、氏族と民族の土台となり、その民族の土台は、自然に国家の土台となるのであり、国家の土台は、自然に世界の土台になるだけでなく、天宙的土台になり得るのです。
そのような一つの方向に一致した不変の世界があってこそ、ひとえにお父様の本然の愛を中心とした新世界が成されるはずですので、今日、堕落によって痛手を受け、堕落によって恨みの圏内であえいでいる全人類を、お父様、哀れにお思いください。


時代時代の個人を調停し、家庭を調停し、民族を調停し、国家を調停して東西四方、この世界という舞台を中心として、背景の異なる各文化圏を収拾し、統一的な一つの宗教形態を、統一的な一つの新しい愛の体系を、お父様の愛を中心として成就させようとするお父様のみ旨があるがゆえに、それに従い、それを望んでいくのが宗教の目的であることを、今私達は知りました。


お父様!
このような観点において、新しい時代の宗教、お父様の愛の深い骨髄を切り開き、万民の心情心情、事情事情に、あるいは希望の中に移してあげることのできる、その道を立てるために現れたのが統一教会であることを知っています。


ここに立っている子供が、どのように迫害が加重されるとしても、その迫害を乗り越えることができるのは、深いあなたの愛を知ったからであり、今日、疲れもせず中断しないまま、明日の希望に満ちた歩みをしているのも、あなたの新しい愛を知ったからです。
死の道を逃避せず、それを直視しながら、直行することのできるこのような権威と、そのような自らの自信を備えたのも、あなたの愛の驚きを知ったからであることを、悟るようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


統一教会を信じて、過去の自分と違うことを発見できないというのは間違いです。
そうでない統一教会員は、この統一という名詞に対して罪を犯しているという事実を、私達が悟らなければなりません。
統一の信者というのであれば、どんな所にとどまっても、その環境において愛の主体性をもって現れなければなりません。


文なにがしが本物か偽物かということをどこで見いだせるかといえば、その結果を見て分かるといいましたので、統一教会員達が天の真の新しいまた一つの愛の主体として、とどまる環境環境を輝かすことができるようにしてくださり、われ知らずほのかに、標準的な対象として、あるいは主体として現れることができる価値的な内容をもってこそ、統一教会の信者らしい権威を備えた自らであることを悟るようにしてください。


天が今までこの教会を立てて働かれたのは、このような基盤を横的に世界化するためだということを私達は知っています。


民族を超越し、国家と国境を超越して、一つの心情圏を成し、一つの新しい血族と新しい文化世界の創造を目指して前進する隊列に立ったことを私達は知っていますので、どうぞ西欧に散らばっているすべての統一教会の群れ、アジアあるいは五大州に散らばっているすべての群れが、あなたの心情に従い、このようなろうそくの光にならなければならないのと同時に、大海に対しては灯台の使命を果たすべきなのです。


そのような使命がこの者達の上に負わされていることを知り、きょう、明日、未来に向かって進む愛の化身として、あなたの深い心情を証すことのできる証し人となるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを
真のご父母様のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1976.3.7)


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父の祈り(希望の祈り)1-1

2022年12月25日 17時25分00秒 | 学習
1

創造主なるお父様!
あなたの美しさがすべての万物万象に現れ、あなたのみ手が伸べられた形状の上には、玄妙なる顕現の美が満ち満ちています。


人間に対する創造目的である美を、きょうも休まず探し求められるお父様の切ない心を、私達が体と心で体得でき、あなたの愛のみ前に美しさをもって対することができますようお許しください。
私達の心が、お父様がお造りになった時の本然の心でもって現れるよう許してくださり、私達の体が罪に染まらない創造直後の体として、その美を表せるようお許しください。


私達の心と体が神様の愛と心情に代わり、神様が動ずれば私達も動じ、神様が静ずれば私達も静ずることのできる、完全無欠な本然の姿として立つことができますようお許しください。
これが、お父様が今まで復帰摂理歴史を経ながらご苦労された、一つの目標であったことを知るものでございます。


今、私達が探すべきものは自らの心であり、成すべきものは体でありますので、それを探し立てることができるようにしてください。
そうして、お父様の本性の美を代表し、敬拝を捧げることのできる一個体として立ててください。


お父様のみ前に感謝と栄光の歌を捧げることができますよう許してくださり、これがご苦労されるお父様の目的であったことを、私達が骨身にしみて感じることができるよう許してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


私達は堕落の血統を受け継いだがゆえに、自分でも分からない間に天を離れ、自分を重視する生活をするようになり、天倫を離れ、自分を中心として動く者となりましたので、これを回復して天倫に対することのできる本然の心の叫びに導かれるよう許してくださり、本心の動きが私の体を刺激し、天が取ることのできる本熱の自我を探し出せるようお許しください。


そうして、億兆蒼生(=数多き未完成の霊人達)に対する嘆息を私達が解怨し、天地のすべての嘆息を解怨して、お父様のみ前に謙遜にひれ伏して敬拝を捧げることができ、お父様の愛を受けることのできる子女として立ててくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.6.10)


2

愛するお父様!
私達に残された運命の道が、幾重にも重なった険しい道であることを知りますとき、今日私達が信じている範囲はあまりにも狭いのです。
あまりにも狭く、あまりにも消極的に、あまりにも不備のままにみ旨の道をついてきた私達であったことを、お父様のみ前にありのままに告げざるを得ません。


お父様!
天資の摂理の全体を導いていかれるお父様のみ前に、主管を受けることができますよう許してください。
お父様の形状を望むことができるように、お父様、哀れみを許してくださり、助けてくださり、立ててください。
地の上にある万物を代表するにおいて不足のない姿として、自然に善悪を分別することのできる本然の実体として整えてくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
今、「自分」という観念を忘れることができるようにしてくださり、私達の体からサタンの所有権を取り除いてください。


私達の心が神様だけを所有することができ、神様だけを呼び求めることができ、神様だけを誇ることのできる、万物に対する不変の個性体として復帰されるようにしてください。


そうして、私達がお父様に栄光を帰し奉るようになるとき、万物も和勤し、天にいる数千万の聖徒も和動して、一つの叫びが、感謝、感謝、ハレルヤが天地の上に一律に起こるようになるとき、サタンが自然屈服するということを知っていますので、そうできますよう、お父様が導いてください。


お父様のすべての主管性を、私達の体で終結できるよう許してくださり、勝利のホザナと凱歌を、お父様のみ前に歌ってさしあげられるようお許しください。
万物万象が和動する中で天を代表した勝利の子女、証の主人公達となれるよう許してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.6.27)


3

お許しくださったこの日、お父様のみ前に敬拝を捧げるためにひれ伏しましたので、私達の心霊を洞察してくださり、非のない心を奮い起こしてください。


この時間に捧げる敬拝が、お父様の切ない心情を慰労してさしあげ得る敬拝となることができますよう許してくださり、あなたが経綸なさるみ旨を私達に命じ、任せることのできる時間となるよう許してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達を呼び集めてくださったのもあなたでしたし、私達に勧告し、生命圏の中で動くようになさったのもあなたのみ業であることを知っていますので、あなたが約束なさった聖霊の炎を許してくださって、各自の体と心が和動し、全体の喜びとして現れるのに不足のないよう助けてくださり、お父様が要求なさった神性の全体が、この時間に現れることができるよう許してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達に哀れみの愛を注いでくださり、天の栄光に向かって全体の心が傾き得るよう、聖霊の働きによって導いてください。
そうして、私達すべてが民族を代表し、人類を代表し、天上天下の全被造万物を代表して至聖所の門を開き、お父様のみ前近くに行き、勝利の生きた祭物を捧げることのできる敬拝の時間としてお受けくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達の敬拝によって、この民族がお父様のみ前近くに立てられるよう許諾してくださり、ひいては全人類が罪悪圏から逃れ、お父様が主管なさる、善主権の世界に越えていける機会をもてるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


今この時間、すべての体と心が、お父様に向かって敬拝し得る心と、伏して従う心を、お父様のみ前に表しましたので、約束なさった成すべきすべてのみ旨を、余すところなく命じてくださいますよう
心からお願い申し上げます。


聖なる三位神の働きがすべての人の上に満ちるようにしてくださいますように願いながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.7.1)


4

愛するお父様!
涙と涙が交流するそのひとところに、切っても切れない天倫の情理が通ずるようにしてください。


天倫の情が通ずるところには、生命の因縁が連結され、天上に秘められていた愛の因縁が現れるようになることを知っていますし、また、それが地を通じてつながらなければならないのが天倫の法度であることも知っています。


お父様!
天が願われる復帰された園は、全体が愛の園であり、勝利の園であり、栄光の園であることも知っていますし、そのような園を築くために、今日、私達が一身で奉仕する生活を通じて、神が喜ぶことのできる生命と愛と栄光を再び探し出すと同時に、自分自身を整えなければならないということも知っています。


ですのでお父様、創造以来抱いてこられた理想の基準を、私達を通じて立ててください。
そうして、その基準を土台として千年王国を建設し、お父様の理想圏まで進むことによって、億兆万年、永遠無窮に与えてくださるお父様の内的心情を、この地上にいる人間達が完全に受け継ぐことができますよう許諾してください。


私達が天と地を代表した存在として、サタンの前に讒訴され得る一つの条件も残さず、完全復帰をなして完結してさしあげられるように導いてください。
お父様の全体価値に対する栄光をすべて探してお捧げできる子女達となるようお許しください。
愛するお父様、心からお願い申し上げます。


人間が知らない生活において、心において、生命力において、愛の路程において勝利の主人公になることができなければ、そのようなことが完結されないということが分かるようにしてくださり、サタンとの闘いにおいて最後まで勝利しない限り、そのことが完結されないということが分かるようにしてください。
今、私達が最初から最後まで、すべての闘いの過程を経て、お父様のみ前に立ってお父様の心を私達の心として受け継ぐために、祝福のみ言を奏上することができるように導いてくださり、勝利の因縁を造成してお父様のみ旨を代わって担えるよう許諾してください。


私達のすべてのものをお父様のものとして帰し奉り、サタンに対して闘い勝利することによってお父様の栄光の遺業を継承できる者、万物を完全に復帰して勝利的な主人公の資格を備えた者となる時まで、お父様、保護してくださり、聖なる三位神が助けてくださいますことを切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.7.3)


5

お父様!
きょうここに集まったあなたの息子・娘達すべてを主管してください。
私達の心と体に、お父様の喜びのみ旨が現れるようお許しください。
お父様の顕現とお父様の働きによって、私達の誤った考えと誤った主義と誤った観念を除いてください。
そうして、私達によって、天性にしみた恨みがこの時間にすべて清算され得る感動の働きが、全体の上に起こるよう、お父様、お許しください。


悔い改めの働きが私達の心に起こるようお許しください。
能力のみ業でもって私達の体を打ってくださり、悪の要素が除かれ、善の要素だけが、永遠に実存なさるお父様のみ前に堂々と現れるよう許諾してください。
そうして、私達が本質、本性によって、お父様の善に応答でき、お父様の愛のみ前に和動できるようになることによって、このような美自体をご覧になり、お父様が楽しまれると同時に、天上にいる聖徒達まで、この時間、私達によって和動し、栄光の歌をお父様のみ前に帰し奉れるよう祝福してください。
お父様、
心からお願い申し上げます。お父様!きょうこの時間、私達に任せてくださった使命が、私達自体の救援と、私達自体の解放のために任せてくださったのではないことを、銘記するようお許しください。


今日の私達に、この民族の運命がかかっていることが分かるようにしてください。
今日の私達によって、全世界人類が天と地に哀訴の条件を立てられるようお許しください。


お父様!
荘厳で深刻な生死の道に立っている私達が、右手では天をつかみ、左手ではサタンを打って勝利を収め、両手を挙げてホザナの栄光をお父様のみ前に帰することができる時まで、お父様、捕まえていてください。


時でない時に、時のみ旨に対するあなたの孤独な息子・娘達が、サタンとの闘いで疲れないよう許諾してください。
今まで保護してくださったお父様、この時間以後にも保護してくださる恩賜を、子女達がお願いすると思いますので、どこにいてもあなたのみ旨を代わって担い、あなたの深い恨みを晴らしても余りあるよう許諾してください。


私達すべてが、私達の生命を祭物としてお捧げしたとしても、お父様の恨みの心情を晴らし、天のみ前に感謝の敬拝を捧げることができるよう許諾してくださり、私達を、お父様がお喜びになり得る、ホザナの栄光を帰し奉る美自体としてお立てになり、早く早く、天のみ旨を余すところなく成してさしあげることのできる姿となるようお許しくださいますことを、愛のお父様、心からお願い申し上げます。


この時間、喜びのみ旨だけが働いてくださることを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.12.2)



6

愛のお父様!
私達の心の園の上にあなたの幸福が植えられるよう許諾してください!
あなたの生命が植えられるよう許諾してくださり、あなたの愛が植えられるよう許諾してくださり、あなたの栄光が植えられるよう許諾してください!


お父様の幸福と生命と愛と栄光が、私達の永遠の心の基礎となり、地の上の不幸なすべてのことを踏み越えることができるよう許諾してくださり、暗闇の世を踏み越えることができるよう許諾してくださり、分裂と闘争がはなはだしいこの世を踏み越えることができるよう許諾してください。


嘆息とそしりと涙を踏み越えることのできる息子・娘となり、幸福を多くの人々に分け与えてあげられる人にならなければならないので、不足な私達を導いてください。


お父様!
きょう私達自身が、
お父様のみ前に真の子女として立たなければならず、悪の立場で幸福を享受したり自分を中心として幸福を享受してはならないことを知っています。
また、キリストがこの地に来られて生活されたのも、自分を中心とした生活ではなかったことを知っています。


そうですから、お父様!


自分が幸福である前に兄弟達が幸福であるようにしてくださり、自分か楽しい前に兄弟達が先に楽しむことができるようにしてください。


自分を越えて天宙的な生涯路程を歩むことのできる心をもたせてくださり、キリストの生涯路程を模範とし、真の兄弟同士善でのみ対し、互いに愛し合うことができるよう許諾してくださり、神様の幸福と生命と愛と栄光を占有することができるよう許諾してくださり、真の兄弟達の因縁を中心として切っても切れない一つの中心として立ててくださいますことを、愛するお父様、心からお願い申し上げます。


真実に他人を愛する人がいるならば、本然の園はその人を通じて永遠の価値を表すことを知っていますので、どうぞ、どうぞ、お父様の愛の圏内で、お父様の願われた天の息子・娘となって、恥じらいなくお父様の栄光を歌うことができるように導いてください。


お父様のみ前に美の対象として個体的な価値を表し、お父様に感謝と栄光をもって敬拝できるよう許諾してくださり、どうか永遠の勝利の子女達となるようお許しくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げます。


アーメン。
(1957.6.9)


7

愛のお父様!
私達は今まで前だけあると思っていましたが、後ろがあり、きょうだけだと思っていましたら、あしたもあり、上だけあると思っていましたが、下もあるということを、この時間、知るようになりました。


また、それが
永遠のみ旨を中心として関係を結んだならば、右側が左側になり、左側が右側になる、すなわち前後左右がそれぞれその位置を変えても、お父様のみ前に立つことができることを知るようになりました。


ところが、いまだに人間自体にある根本罪悪の根を抜き取ることができずにいるので、今日この時代は前後、左右、上下がそれぞれ混沌となり、正しく授け受けできないでいることを、また感じるようになりました。


愛のお父様!
今こそお父様の永遠の理念を中心として前後、左右、上下が完全に一つになる喜びのひと日が、早く早く臨むよう許諾してください。
今、私達が、今まで自分を捨てようという心がなく、自分を立てようという心だけがあった私達自身であるならば、あるひと日には、お父様の審判を逃れられないことを悟るようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


そうして私達が、上が下の身代わりとなり、下が上の、右が左の、左が右の身代わりとなる、このような一体不可分の関係を築き、お父様のみ前に誇ることのできる者として、お父様の栄光を歌うことのできる真なるお父様の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
今日、この時代は、見えない脇道が私達の前に横たわっていることを知っていますので、今、私達が、その道を分別し、天に向かって黙々と前進しながら、
勝利的なひと日のみ旨を成し、お父様を慰労することのできるお父様の息子・娘となれるよう許諾してください。


今まで一つの目標として願ってきたすべてのことが成され、一つの目標が成され、一つの目標で実が結ばれるそのひと日のお父様の喜びが早く早くこの地上に現れるようお許しくださり、お父様が喜ぶその心に動じ、私達も喜ぶことができるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1957.11.1)


8

お父様!
真を求めさまよっている人類の前に、私一個体は神様の代表であり、夫婦の代表であり、父母の代表であり、子女の代表であり、兄弟の代表であることを知っています。
また、このような偉大な根本的な存在の位置を決定できる心の安息所を、私の一個体を通じて、宇宙に成しておかなければならない必然的な歴史路程があるということを、私達は知っています。


今、私達一個体において、男性は真の姉を、真の妹を求めており、真の母を求めており、真の相対を求めており、また、女性も真の相対を求めているということを知っています。


このように同じ理念を求めさまよっている人類であり、同じ立場に置かれている人類であり、怨讐にしようとしても怨讐にできない人類であり、創造理念によって結ばれるべき人類であることを知っています。
ところが、人類の堕落によって父母の愛が壊れ、夫婦の愛が壊れ、兄弟の愛が壊れました。
したがって、今日私達がこれを探していくためには、先に兄弟と兄弟同士が、愛の感情を感じなければなりません。
ひいては神様の六千年の悲しみを代わりに担って愛することのできる相対を探し出してこそ、天と地を代表できる原則的な基準が復帰されるという事実を今、知りました。


今日、私達一人の姿は単純な存在ではなく、四方性を備えた、どの一面も欠乏してはならない存在であるがゆえに、私達に兄弟がなければ悲しいものであり、友達がなければ悲しいものであり、父母がなければ悲しいものであり、子女がなければ悲しいものであることを知るものでございます。
それは人間が四方性を備えて、互いに愛し合うのが天理原則であり、それが永遠の本心として神様が許諾してくださった生の第一基準になるので、現生活でそのような原則を忘れてしまえば悲しむようになるということを、ここに集まったあなたの息子・娘達が分かるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げます。


今、人類を神様の身代わりに抱くことのできる心、御子の身代わりに抱くことのできる心、聖霊の身代わりに抱くことのできる心情を備えるようにしてくださり、私達が天の子女として、人類を抱けるよう許諾してくださり、そのような心を備え、天を思い地を思うことのできる私達となるよう許諾してください。
悲しみ、苦痛に当面しながらも、喜ぶことのできるひと日を迎え、永遠の万物世界の前に一つの中心として復帰され得る喜びの日が、早く臨むよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げます。


このような絶対的な鉄則によって、私達の体から肉の父母、肉の兄弟、肉の夫婦、私達の心から心の父母、心の兄弟、心の夫婦、永遠の理念世界から霊を中心として、霊の父母、霊の兄弟、霊の夫婦として備えられた、すなわち三大父母、三大兄弟、三大夫婦の三位型を平面的な私達の個体で築くことができるよう許諾してください。
このような実体的な結実体として証となり、神様の認定を受け祝福を受けることのできるひと日を迎えなければなりません。


今、私達の肉身の真の父母を、心の真の父母を、霊の真の父母を探し求めてさまよわなければなりませんが、霊の父母はお父様であり、心の父母は再び来られる主であり、肉の父母は私達を産んだ父母ですので、これに相対となる私達の子女、兄弟、相対を探し出せるよう許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げます。


アーメン。
(1958.12.21)


9

お父様!
地上に生きている万民を哀れにお思いください。
み旨を完結すべき日が近づいてきているということを、私達は知っています。
その日はお父様の解怨の日であり、イエス・キリストの願いの日であり、人類が懇切に待ち焦がれた日であることを、私達は知っています。


その栄光の日を迎えて、私達がお父様に心から侍らなければならない時になったのであり、その恐ろしい審判の日を迎える前に私達が罪悪歴史を逃れなければならない時が来たということを知っていますので、今、お父様、私達の心を再びお造りになって、あなたがお喜びになることのできる心性を備えられるようにしてください。
私達の体を再びお造りになって、あなたがお働きになり得る形状体となるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げます。


そうして、お父様がお造りになった心で、体で、本然の願いを歌うことのできる、あなたのものとして所有され得る真の息子・娘となるようお許しください。


そうして、その栄光の中で一つになり、お父様の楽しみが私達の楽しみであり、私達の楽しみがお父様の楽しみであると同時に、天上にいる数千万の聖徒達の楽しみであり、被造万象の楽しみとして現れることのできる日が、お父様の願いの日と、お父様の栄光の日と、お父様の喜びの日が、早く早くこの地上に現れることを私達は切に願っています。


今、心が未熟な者がいるならば、お父様の本然の心に従って走ることができるよう許諾してくださり、お父様の性相を代表してお造りになった人間本然の形状をもつことのできない者がいるならば、体を屈服させ、すべての悪の要素を除去することができるようお許しください。


お父様が動ずるときに、心で、体でお父様の心情に和して動ずることのできる天の息子・娘達がとても慕わしいので、お父様、私達の心があなたの本然の心に動ずることができないとするならば、その心を除去させてくださり、本然の形状に似ることができずお父様の心情に動ずることのできる形状体となることのできない体があるならば、その体を屈服させてくださり、本然の形状を備えることのできる一つの美自体として現れるのに不足のない体となれるよう許諾してくださいますことを、切にお願い申し上げます。


今、私達の体と心をすべてお捧げしますので、お父様、受け止めて主管してくださり、サタンが付け込むことのできる一切の要素を除去させてください。
お父様が親しく命令なさり、和することができ、善の栄光を表すことができるよう許諾してください。
このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.11)


10

お父様!
暗闇の権勢と闇と深い眠りから目覚めるべき人類ですが、目覚めようとしないでいます。
どのような障壁が私達の前途に立ちはだかるとしても、新しい光明の旗に向かって走ることができるように、お父様の哀れみのみ手を私達に表してください。


お父様!
幼い私達のためにご苦労された、お父様の歴史的な苦労を私達は知っていますし、闇の根性が潜在している自分達を見るとき、悲しまなければならない私達であるということも知っています。
お父様が地を眺めて悲しまれたように、きょう私達も自分を眺めて悲しまなければならないのでございます。
ひいては私達自身を越えて、悲しんでいる万物に対する負債を清算し、悲しまれるお父様の心を慰労してさしあげるべき責任が、私達に残されているということを心では知っていますが、この責任を成し遂げられないまま、きょうこの場まで出てきたことを受け入れてください。


お父様は喜びの歴史と喜びの実体を立てようとなさいましたが、悲しみの歴史を悲しみでもって継承し、悲しみの実体をつくってしまいました。
恨みと嘆息の結実体となったので、これがどうしてお父様の悲しみにならず、これがどうしてお父様の心情の曲析にならないでしょうか。
きょう、このような悲惨な姿、再分析され再創造のみ業でもって再び造られることを願わなければならないかわいそうな立場にいる私達を、お父様、一層哀れにお思いになり、お父様のものとしてお取りくださり、お父様の理念でもって再び造られ得る実体としてお取りください。
願われるみ意のままに私達が天の本性の美を備えることができるように、本然の創造の法度によって私達の心と体を再びお造りください。
わがお父様、切にお願い申し上げます。


悲しみの障壁を切り開いて新しい朝の光明を望み、ハレルヤの凱歌を歌い、万宇宙の主人を探し出した喜びを歌うことができ、万宇宙を創造されたお父様に侍ったことを喜ぶことができるようお許しください。
そうして、お造りになった万象に対して本然の慕わしさを感じることができ、本然の誇りをもつことができるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


人間の堕落以後、万物まで悲しみ嘆息してきたということを知っていますし、真の息子・娘の手によって本然の被造物の立場に近づくことを願っているということを、私達は知っています。
お父様を慰労してさしあげ、万物を本然の立場に復帰させてあげるべき使命が私達にあることを考えるとき、きょう不足な私達であることをお父様のみ前に申し上げ、再びお父様の苦労を待ち焦がれなければならない事情に置かれていることを受け入れてください。


このようにしてでも、お父様の願いとお造りになった万物の願いを成就して、誤った六千年の嘆息を終結し、恨みを晴らさなければならない責任が私達各自にあるということを知っていますので、哀れみ深いお父様、愛のお父様、私達の心がお父様と遠い距離で動かないようお許しください。
お父様の性相、形状と遠い距離で動く私達とならないようお許しください。
お父様がお遣りになったがゆえにお父様と心も通じ、体も通ずることのできる創造の因縁があることを知っていますので、ちりにも劣り微物にも劣る私達をお父様、本然の能力の権限圏内に導いてくださり、本性の姿として再び立ててくださいますことを切にお願い申し上げます。


そうして、お父様のみ前に誇ることができ、天的な威信を立てられる一人の息子として、一人の娘として、暗い世の中に光明の光となるようお許しください。
また、暗いこの地の上に新しい天の喜びを伝えることのできる、東方の光の身代わりとして現れることのできる小羊の群れとなるようお許しください。


このすべての使命と責任を私達が引き受けられるよう、力を許諾してください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.2.15)



11

私達の生死を主管されるお父様のみ前に、不肖な者達が訪ねてきましたので、お父様、受け入れてください。
あなたのみ意のままに取ってください。


生命圏に属し、お父様のみ前に賛美をお捧げすることを願っておりますが、死亡圏に属した罪悪の根性が、今日まで私達をとりこにしていますので、新しい圏内にお導きになるために救援摂理をしてこられたお父様が、顕現して死亡の権限を除去させてくださり、生命と復活の恩賜を許諾してください。
永遠であられるお父様!
創造の価値を備えた一つの生命体として動ずることができるようお許しくださり、ひれ伏した者達が、お父様の至極善であられることを歌うことができ、至極美しいことを称賛することのできる賛美の姿となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


人間始祖の堕落により、天と地の生命の因縁が断ち切れるようになり、天使世界を代表して頌栄を捧げなければならなかった天使長が、天を裏切ることによって、頌栄の責任を果たせなくなった事実を知っています。


きょう私達をお呼びになりましたので、頌栄をお受けになれないことによって積もったお父様の恨みを、私達を通してお晴らしください。
話し合うことのできなかった内的事情を私達と話し合ってくださり、万民と天を連結させることのできる因縁の存在として、私達を立ててください。
お父様、切にお願い申し上げます。


創造の楽しみを私達と共に分かち合おうと侍ち焦がれてこられたお父様のみ前に、すべての忠節を捧げ、お父様を助ける生命の実体として、お父様と因縁を結べる私達となるよう導いてくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


天は、この上ない心で賛美を捧げようとする者を求めておられるという事実、きょう私達がこの上ない手助けの対象としてお父様のみ前に立つことを待ち焦がれておられるという事実を、私達が悟るようにしてください。


私達をして、すべてのものを主管させるために創造理念を立てられ、今までご苦労されたお父様の心情をたどってみて、お父様のみ前に無限なる手助けの存在として、無限なる賛美の存在として、無限なる恩恵の存在として立つことのできる私達となるよう許諾してください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.8)

12


お父様!
イエス様がこの地に来られて、真理をお知りになったその日からもたれた彼の願いは、日がたてばたつほど、家庭を越え、民族を越え、国家を越え、世界を越え、無限なる霊界まで越えてお父様とー体とならなければならないということであり、またすべての初めも終わりも、お父様と共に動じなければならないということをお知りになり、難しい道、悲しい道、十字架の道を意に介さず行かれたということを私達はよく知っています。


お父様!
私達の目の前に見えるすべてのものは美しいようですがそれらはただ単に私達と共に過ぎていく現象にすぎないということを、私達が悟るようお許しください。


私達がよいと思い、私達が信じ、私達がよりどころにした世の中の一切は、私達の心の世界と永遠の望みの世界には助けにならないということを知っていますので、お父様、このすべてのものを捨て、ただお父様を中心とした望みが私達の生命全体となるよう許諾してくださり、生涯のすべてとなるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様のために生き、お父様に向かう望みが、私達のどのようなものよりも一層貴重であり、私達の生命よりも一層貴重でありますので、それを捕まえ、闘っていく者にならなければお父様の息子・娘になれないという事実を私達は知っています。


死の峠までもあざ笑い、越えて立つことのできる強い望みを私達に許諾してください。
それが望みとしてだけ終わるのではなく、この望みに燃える衝撃の心が一層強くなるよう許諾してください。
そうして、その心と体がこの道に向かって走り得る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様のために生きようとする望みの一念が強い者でなくては、死の道まで越えることのできる望みをもった者でなくては、あなたが信じることができないという事実を、私達が悟るようにしてください。
今日私達の望みは、数年間もっていて途中でやめる望みではなく、永遠に捕まえていくべき望みであることを知り、ひいてはその望みがなければ生きがいがないということを悟る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。


お父様!
私達がお父様を思えば思うほど、お父様が慕わしくなる望みの心情、お父様の生命を慕う望みの心情、お父様の愛を慕う望みの心情をもつよう許諾してくださいますことを切にお願い申し上げます。
そうして、お父様の約束とともに祝福を受けることのできる息子・娘として立てられる時まで、切実なる望みの心を私達の生涯路程から、生活から奪われないようお許しください。


数多くのサタン達がこれを奪うために、私達を侵犯していることを知っていますので、あなたが許諾なさった望みの心を終わりまで捕まえ闘って、お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・娘となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。
最後に残された戦場でお父様の望みを捕まえ、サタンと闘って勝利し、お父様のみ前に栄光を帰し奉ることのできる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.22)


13

私達の心と体がお父様の肢体として認定され得る立場まで、私達を導いてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


多くの人々が天性に向かって出発をしておりますがお父様の心中を望んで行く真の息子・娘達がどれほどいるかを考えるとき、案じる心をもってお父様のみ前に立たざるを得ません。
お父様が私達をお呼びになりお捜しになられてから六千年になりました。万物の主人として、親しく私達をお呼びになりお捜しになられましたが、私達がしかるべき喜びの実としてお父様のみ前に出てきているのかを自ら考えるときに、私達自身が生きてきた過去のすべてのことを、お父様のみ前に再び悔いなければなりません。
平素に私達が行動することのすべても反省しなければなりませんし、きょうを契機としてあすまた行動するすべての姿を、物悲しく眺めながら悔いなければならない立場に立っていることを受け入れてください。


天が待ち焦がれられる本来の姿は栄光の姿であり、捜し立てようとされる姿は誇らしい姿でありましたが、今日、私達はそのような姿となることができず、お呼びになる真なる本然の姿を備えることができませんでした。
このように自嘆するしかない自我を発見するとき、お父様のみ前に面目のない自分を悔いる切実なる心なりとももつことができるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、私達は、お父様が共に手を捕まえ、地を望み、涙することのできる真の息子を恋しがられることを知っていますし、娘を恋しがられることを知っています。
多くの人々がお父様の手をつかんでから背く立場に立つことによって、お父様から忘れられるようになったことを知っています。
しかし、今日私達は、天に向かう一片丹心でもって私達の体を従わせ、私達の生命を捧げてお父様の手を捕まえ、事情を申し述べることができ、残され得る息子・娘となることができるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


多くの人が天を恨み、天を排斥し、天に背反する立場に立つとしても、私達だけは不変の心情を抱き、お父様がお喜びになることのできる歓喜のひと日を探していく息子・娘達となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


心でだけ動ずる私達とならないよう許諾してください。私達の体を、聖なる生きた祭物としてお父様のみ前に捧げ奉ることによって、お父様の栄光を表せる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


残された本郷が理想としてだけ残っていることを知った私達が、今お父様の心情を一身に備え、その理想を地上に実際に果たすべき責任と使命も残っているということを悟るようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様は不足な私達人間を救うために摂理してこられました。
今、最後の勝利のひと日に向かっていく私達、祈祷する心が変わらないよう許諾してくださり、親不孝な立場に立たないよう許諾してくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)



14


私達をお捨てにならず、新しい愛でもってお導きになることを休まれないお父様!
私達の姿がみ旨の前にふさわしくなく、お父様の心にかなわないとしても、哀れみの心をもって対してください。
それでも険悪な世の中を逃れ、お父様の心情の世界に尋ね入ろうという切実な心がありますので、この心をご覧になり、お父様の哀れみの愛をお加えになって受け入れてくださり、尋ねてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


切実な心情でお父様を捜し出し、お父様の事情を心配しながら現れた者は、お父様がお捨てにならないということを知っていますので、私達の心がお父様の心に向かって走るよう許諾してくださり、私達の体がお父様の懐に抱かれるために走るよう許諾してください。


悔しく悲しく無念なる罪悪史を退け立つことのできる動きが、私達の体と心に満ち満ちるようにしてくださり、私達の体と心に衝動を与えてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


今、私達の心はお父様の性相が慕わしく、私達の体はお父様の形状を見つめたく、私達の手はお父様の手をつかみたく、お父様の体を捕まえたいのです。


そのような真の息子・娘、あなたの愛を歌うことのできる息子達を迎えようとなさることは、人間に対するお父様の中心的な願いであることを知っていますので、私達の心だけでもそのような心情に徹することのできるこの時間となるようにしてください。
お父様、切にお願い申し上げます。


過去の誤った自分を譴責し、今日の不備な自分を恨む物悲しい心情が私達の心中から爆発し、お父様を呼ぶことができてこそ、お父様が私達を捕まえるのであり、お父様が私達を見つめるのであり、お父様が私達を抱いてくださるのを知っていますので、お父様、そのような心情を備えるよう許諾してください。
そのような心情に徹し、不足な自我を認識して、お父様のみ前に一切を捧げることのできる切実な心が、私達に現れるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


天に向かうべき心が混乱の中で彷徨して、体がとどまる場所を見いだせない環境に置かれているとしても、お父様は私達をお捨てにならず、恩賜の手でお父様の懐にお導きになることを知っていますので、私達を哀れにお思いになり、お父様のみ前にひれ伏し訴えることのできる心を生じさせてくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.4.12)



15


天の栄光をお探しになるために、長い歴史過程を耐えて闘ってこられたお父様!
その摂理の栄光をお父様お一人で享受することのできる日が、早く早くこの天地間に現れるようお許しください。
お父様が立てられた本然のみ旨は、人間が失敗したその日から無数のサタン達の前にすっかり蹂躙されてきたという事実を、私達はよく知っています。


この地上の人間を中心として成すべきみ旨が蹂躙されることによって、そのみ旨に対し得る人を見いださなければならない立場に置かれた、天の事情を私達は知りませんでした。
み旨に対し得る人がいないので、お父様お一人で数多いご苦労の路程を経てこられながら、心を砕かれ、お父様の心中にしみわたったみ旨を人間の前に伝えてくださるために無数にご苦労された歴史が今日までの救援摂理歴史であることを私達は知っています。


お父様!
今私達が、現れた救援摂理のみ旨を通じ、歴史路程を通じて、お父様がお喜びになることのできるそのみ旨を心に所有し、お父様の栄光の道を尋ねていくために、すべての精誠を棒げることのできる天の息子・娘となるようお許しください。


お父様のみ旨は真の息子・娘を捜すことであるのを知っていますので、今私達が、お父様のお喜びになる真の息子・娘として、お父様に侍り得るその国、その世界、その天地を成せるよう共にいてくださり、またこれがお父様の願いの国であり、願いのみ旨であることを悟るようにしてください。
真の息子・娘達が万物全体を和動させ、賛美を捧げることが、六千年を闘ってこられたお父様の最大の喜びであり、願いであることを私達が知り、その国を建設するためにすべてのものを捧げて立つことのできる天の息子・娘達とならなければなりません。


お父様!
きょう私達がお父様のみ旨を知り、お父様のみ旨の中で選び立てられた息子・娘であることを知り、今、お父様の栄光のひと日のために、きょうも、あしたも闘いの道、重苦しい道、死の道を物ともせず、生命を捧げ立つことのできる天の息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


真のみ旨を抱いた真の息子の姿としてお父様に侍り、お父様に敬拝を捧げることのできるこの時間となるようお許しください。
このみ旨を成就するために集まる所々ごとに、無数のサタンの勢力が侵犯しているということを知っていますので、私達各自の心と体に侵犯してくる闇の勢力を除去してくださり、私達をお父様の寛大な懐にお抱きになって、生きた姿でもってお父様の栄光の時代を築いてくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1976.4.26)


16


本然の園を造っておき、本然の真の子供達を抱き、本然の心情を通して楽しむべきお父様の理念が、まだこの地の上に現れていないという事実を私達は知っています。


私達人間が、死亡に捕らわれたその日から今日まで、本然の心情で天を歌う時がなかったことを受け入れてください。


本然の一個体として、お父様を呼ぶことのできる栄光の位置に立てなかった哀れな私達を受け入れてくださり、本然の心情を備えて、切実な心情を込めて「わがお父様」と呼ぶことができなかったことを、お父様、哀れに思ってくださいますよう切にお願い申し上げます。


本然の園を失ってしまった人類は、死亡の世界に落ちて暗闇と闘い、怨讐達の掌中に捕らえられ嘆息と絶望の中におりましたが、本然の心の痕跡が残っている良心を通しては、本然の故郷を懐かしがっています。


歴史的な闘いを経てきながらも、時間ごとに感じられる天の感触を通して、天の生命の一つの流れを探してきた私達を助けてくださったお父様に、感謝いたします。
この上なく幼く不足な私達が、この一路程に悩まされ疲れていることをお父様がご存じなので、再び哀れみの手を広げてください。


再創造の能力を許諾なさり、本然の心情を回復させてください。
本然の姿としてお父様に近づくことができるよう捕まえてくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


私達はこの地上のすべてのものを切ったとしても、天が願われる本然の世界に向かっていかなければなりませんので、今私達が、本郷を慕う切実な心に徹するよう許諾してくださり、私達の体が、私達の足が疲れるとしても本郷に向かって走ることのできる立場に、お父様、押し出してくださいますことを切にお願い申し上げます。


私達の体と心が一つになって天の心情を思慕するよう許諾してくださり、お父様が最後に私達人類と共に楽しむことのできる幸福の園を私達をして建設させてください。
この時代の億千万人が妨げることがあるとしても、愛の心をもってそれを信じていくことのできる私達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
堕落した群れ達ですので、どうせ復帰路程を経て本然の自分を見いださなければならないのであり、本然の故郷を求め、本然のお父様に侍り、本然の世界を建設しなければならないことを知っています。


今日、堕落した私達は、お父様の愛の心情を知らず、本然の故郷を知らず、本然の人格と本然の姿を知りませんでしたので、お父様、再びみ言を通し、人格を通し、愛の心情を通して本然のその姿となることのできる全体要素を具備して、お父様に侍り、生きるにおいて不足のないよう、私達自身を栄光の姿として立ててくださいますことを切にお願い申し上げます。


このようなことを阻むため、数多くの怨讐サタン達は、歴史的な路程で先祖から今日の私達自体に至るまで、時と時期にかかわらず侵犯してきたということを知っています。


今、これを拒否しこれを制裁すべき責任が私達にあるということを知って立った私達が、お父様の心情で武装し、お父様のみ言で武装して、怨讐達の前に堂々と立つことのできる天の真の息子・娘となれるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。


今、私達自身が、本郷を探していかなければなりません。
私達の家庭と私達の社会とこの領土の上に生きている三千万民衆、地球上に散らばっている数多くの人類、霊界に行っている数多くの霊人達まで、失ってしまった本郷を探してさまよっていることを知っていますので、お父様、私達をお父様の心情と通ずる本郷を建設することのできる責任者達となるようにしてください。


私達が怨讐の世界で真の息子・娘達を探し、彼らを糾合させ、本然の園を建設することのできる天の働き手、天の精兵達となるようにしてください。
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.14)



17


お父様!
真の心をもった人がいるなら、本然のその世界が慕わしくない人はおらず、真の体をもって生きる人がいるなら、本然のその世界の生活を慕わない人がいないことを私達は知っています。


堕落前、お父様に直接対することのできた本然のアダムとエバの姿、天が生じ、地が生じ、万物が生じたのち、初めて人間として造られたアダムとエバの姿、その姿はどれほどお父様がお喜びになる姿であったでしょうか。
お父様に対することのできる栄光の立場に置かれていた私達の先祖のその姿はどれほど貴い姿であったでしょうか。


今、私達が心で本然の世界を欽慕することのできるこのひと時となるようお許しください。
お父様の心情を直接反応させることのできる善の心情がとても慕わしくなり、お父様の手を捕まえることのできる本郷の善の姿がとても慕わしくなりますので、本然のその先祖を慕うことのできる私達となるようお許しくださいますことを切にお願い申し上げます。


心情の世界は、歴史的な距誰もなく、時間と空間の限界もないということを、私達が地上に暮らしながら知っていますから、無限の愛の心情によって生まれた本然の先祖のその姿、本然の「私」の姿を、今、死亡圏内で眠り方向を失いあえぐ私達でありますが、慕うことができるようお許しください。
そのような「私」の姿が慕わしく、とめどなく涙し、そのような「私」をお造りになったお父様を探すためあえぐ姿となるよう許諾してくださり、みすぼらしい姿になるとしても、その世界の雰囲気、その世界の環境、その世界の万物、その世界の万象と和動できる美自体が、この時間私達の体と心に体得されるよう許諾してくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。


お父様!
私達はお父様を呼びますが、堕落の歴史路程で苦労されたお父様を呼ぶことには慣れ親しみましたが、堕落の悲しみなく善の園で楽しむことのできる、本然のお父様を描いてみることはできず、そのお父様を捜しさまよった時もありませんでした。
真の救い主を信ずるにおいても、私達人間は、十字架におかかりになったイエス様だけを知っており、十字架の苦難に当面せず、苦痛と迫害を受けず栄光の主として顕現できるイエス様としては、信じることができなかったことを受け入れてください。


お父様!
きょう私達に本然のそれ自体と共に、本然のその理念と本然のその善を中心として生きることのできる和動の世界を慕う心があふれ流れるようお許しください。
本然の心情でお父様を呼ぶことのできる喜びの立場をお許しくださいますことを、わがお父様、切にお願い申し上げます。
エジプトでさまよっていた六十万イスラエル大衆を導きたかったモーセの心中を私達が悟るようにしてくださり、モーセが悲痛なる心情で民族に対したという事実を私達が悟るよう許諾してください。


今日、世界に散らばっている第二イスラエルの祝福を引き継ぐべき、世界のキリスト教徒達が望んでいるカナン福地が残っていることを知らせるべき責任が私達にあり、この使命を成就すべき責任が今日、私達にあるということを知っていますので、お父様、残された恨み、残された悔しさ、残された痛憤が私達一身の骨肉に染み通るよう許諾してください。
この体と心が百回死んで倒れることがあるとしても、お父様のあだを必ず討つという天の節義と気概を備えたあなたの息子・娘達となるようお許しくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お召しになる命令を奉じてきてみると、十字架の路程が残っていることを知りました。
困難な道を自ら進みいで立っている孤独なあなたの息子・娘達ですので、彼らの心の友となってください。


お父様が永遠に永遠に私達の中心となるとき、私達の体と心もお父様を模範として、不変の中心存在としてお父様の身代わりとなれるという事実を知っていますので、今、私達の体と心を、親しくお父様のものとして再びお取りください。


すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.28)


18


私達がみ言を受け天を知る者達となるのでなく、心情を通して天を知る者達となるようにしてくださいますことを切にお願い申し上げます。
み言によって救いを受けようとする私達ではなく、心情を通してお父様のみ前に救いを受け、生命の歌を歌うことのできる私達となるようにお導きください。
そうして、まずお父様がどれほどご苦労され、苦痛に遭われたかをお父様の姿を眺めながら知る私達となって、頭を下げ、お父様を慰労してさしあげられるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


生涯の目標があるとするなら、心情で生涯の目標を追求するようにしてくださり、生活の内容を備えなければならないとするなら、神様の心情だけが私達の生活の内容となるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。
多くの人々がお父様のみ前に出てきましたので、この者達が誰のためにとどまり、何のために動いて、どこに向かって進んでいるかを、自ら探し出すようにしてください。
あなたから「お前は永遠に私の心情と共にある者だ」と認められる者がいるとするなら、それ以上幸福な人はいないということを知っています。


お父様!
永遠の生命と永遠の理念と永遠の愛の心情をもって尋ねてくださるお父様は、私達の心の中に共におられ、お父様のものは私のものであり、私のものはお父様のものとして、二つではなく一つの理念を中心として、歌い喜ぶことのできる息子・娘の姿を慕われることを知りました。


私達も、お父様に侍り、お父様のみ前にすべての栄光の要素を探してさしあげたのち、歓喜しながら全天下に誇ることのできる時が到来するのを待ち焦がれております。


お父様はこのようなすべてのことをご存じですので、心と心を連結させて、過去の天上のすべてのものと地上のすべてのものを動かし、心情世界ですべてが和するようにしてください。
そうして栄光の刺激を起こすことのできる衝撃と喜びの境地で、私達が覚悟し決心できるようにしてくださいますことを心からお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.7.26)


19


お父様!
私達に、「私」を中心としたある主義主張や自分が感じている意識的な観念があるとするなら、このすべてを除去させてください。


再び創造されなければならない運命に置かれている私達であり、復帰の恨みを晴らすことができない私達でありますので、堂々と天のみ前に主張できる何かをもったと言おうとも、それがお父様のみ前には何の条件にも対象にもならないということを知りました。
私達がいくら天のみ前に自分を弁明し、自分の困難を申し立てるとしても、お父様の無限のご苦労の前には比較できない、物悲しく哀れな私達の姿であることを知っています。


今、「私」は自ら「私」になったのではなく、「私」が「私」でないことを知ったとするなら、「私」が「私」となれるようにした本然のそれ自体を慕いながら、本然の心の中に「私」が染み込み、本然の主人公のみ前に頭を下げることができるようお許しください。


万宇宙の絶対的な主人公がいるということを心は知っています。
またそれが私達の行動一切を制御していることを知るとき、これは無目的的な因縁の中でそうなっているのではなく、絶対的な目的によって制限された環境の路程を経ていくべき運命に置かれた自分達であることを、心で感じることのできる息子・娘になるようお許しください。


今、お父様の栄光の宝座を心で慕いながら、お父様のみ前に集まりましたが、この者達の心がどこに流れていき、この者達の心がどこに向かって動いているのか分からずにいますので、お父様、願わくは、本然の私達自身が天と共に喜ぶことのできる方向に導いてください。


私達の面目ない顔と面目ない視線であるとしても、お父様の心情が慕わしくてお父様を見つめることができ、お父様のみ前に頭を下げることのできるこの時間となるよう許諾してくださいまして、不足なる手であっても差し出すならば、その手をお父様がつかんでくださるという、約束のこのひと時になりますよう切にお願い申し上げます。


ひとえにお父様の心情をつかみ、お父様と同居することのできるその一つの約束、その一つの生活的な事実だけを願うものです。
そのようなことが、永遠に永遠に誇ることのできる栄光の標的になることを願いながら、私達がお父様のみ前にひれ伏しましたので、この日私達に足らない何かがあるとしても、お父様、受け入れてください。


立てようとなさる心情をお立てになり、お父様と私達に切ることのできない父子の因縁を結んでくださいますことを心からお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.8.9)



20


お父様!
捜し出したかった息子・娘達をこの地上に見いだせなかったお父様の悲しみを悟り、泣くことのできる私達とならなければなりませんのに、自分の満足を求めてさまよう哀れな立場に処していた私達を受け入れてください。


イエス様も
このような境地にいる自分の母親と弟妹を見つめ「天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである*」とおっしゃいました。( *マタイ一二・五〇)


本然の父母をもてなかった私達、本然の兄弟をもてなかった私達、本然の子女をもてなかった私達、本然の夫婦になれなかった私達です。


今、望み侍ち焦がれるべきものは、本然の父母、本然の兄弟、本然の子女、本然の夫婦ですので、本然の父母が慕わしく、本然の兄弟が慕わしく、本然の子女が慕わしく、本然の夫婦が慕わしく、自分の威信を忘れてそれらを求めさまよう息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


お父様に侍って、親しく天国家庭の生活を楽しむことのできる動きが、天地に起こるようにしてください。
その理念に和して楽しみながら、行くまいとしても行かざるを得ず、応じまいとしても応じざるを得ない心的な革命、情的な革命が、天地の間に起こるようにしてくださいますことを、お父様、切にお願い申し上げます。


それらを生の指針として、一生の転換点となるよう許諾してくださいますことを心からお願いしながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.9.27)



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父の祈り(孝心の祈り)6-2

2022年12月25日 16時34分40秒 | 学習


21


お父様!
あなたが、永遠に離れようとしても離れることのできない私達のお父様であることを知りませんでした。


あなたの悲しみは何でしょうか?
子供を失い、歴史を失ったことがあなたの悲しみであったことを、私達は知りませんでした。


しかし、今あなたの哀切に命じられる理念に従い、この場にひれ伏しましたので、心から感謝をお捧げ申し上げます。


歴史的な恨みが残っている限り、あなたの恨みも残っており、歴史的な悲しみが残っている限り、あなたの悲しみが残っているということを知る、真の孝子孝女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このような歴史の流れを遮り、あなたの前に祭壇を積むことを、民族と世界に連結しなければならない、世界的なゴルゴタの道が残っているということを痛感する、あなたの子女達が現れるべき時が参りました。


ここに集まったあなたの子女達は、きょうまで誰のために生きてきたでしょうか?
また、何を眺めて進んでいるでしょうか?


天がお残しになった歴史の全体的な運命に、責任を負うべき使命が私達にあり、その使命を果たそうと、覚悟し誓い立った私達の歩みですので、躊躇したり、途中で放棄しないようにしてください。


怨讐である悪と対決して、決して敗れてひざまずく群れとならないようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


きょうも数多くの民族を代表して、お父様の祭壇にひれ伏した寂しい群れを覚えてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


その上、三千里(=韓国)津々浦々の寂しい追われた道でも、かえって天と人類を案じ、民族の嘆息を身代わりしようと身もだえするあなたの子女達が、きょうもここを仰ぎながら涙ぐんでおりますので、彼らを覚えてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


このすべてのものが、お父様の悲しい歴史の因縁であったことを知りました。
私達の前に残された悲しい因縁と悲しい歴史が清算されない限り、この道から逃避したり、この道を避けていく恩知らずな子女達とならないようにしてください。


孝子の道理を学び、忠臣の節義と気概を学ぼうとする真のあなたの息子・娘となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(196603.13)


22


お父様の前に父母への誠心を誓うことができ、あなたの心の中にとどまることのできる息子・娘の姿となるようにしてください。


お父様!
お父様を愛さずにはいられない恋しい心と欽慕の心がつのり、自分の意識を失い、倒れて死んでいくとしても、お父様を慕う息子・娘となるよう許諾してください。


お父様のみ旨を成就すべき目的を持ち、ありとあらゆる忠誠と犠牲を捧げても足らない自らであることを、恥じようとする多くの子女達となるよう、お父様が待ち望んでおられるということを、私達は知りませんでした。


統一の子女達が、自分自らの喜びをお父様の前に見せそうなので、その顔を覆い、自分の喜びを押さえつけながら、天のお父様の喜ばしい姿を見るために努力しようとする、あなたの子女達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
み旨の前に立った先鋒の勇士として、現実的関係で引っかかる内容が何もないようにしてください。


完全なお父様の愛を中心としては、個体も一つの血統を受けた貴い兄弟であることをよく知っておりますので、お父様の悲しみに共に動じ静じようとする子女達となるようにしてください。


お父様のくびきを身代わりして背負い、そのくびきを解いてさしあげることのできる真の孝子孝女達となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
ここに集まったあなたの子女達は、既にお父様の前に誓った子女達でございます。
その体と心をあなたの前に捧げると千万遍誓いましたので、その体をお父様の前にきれいに捧げるよう許諾してください。


体を聖別して、お父様の前に永遠に捧げ奉り、お父様の愛を身代わりして表す息子・娘になろうと努力する、あなたの子女達となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1967.5.14)


23


お父様!
春はやはり解放を象徴するがゆえに、私達がお父様の愛の懐に抱かれる喜びをもう一度慕わなければなりません。


春は出発を約束しておりますがゆえに、私達はお父様の愛の懐に抱かれ、新しい出発をしなければなりません。


春には森羅万象が和動するように、私達がお父様の愛の懐に抱かれて、万宇宙と和動することのできる主体性を復帰できるよう許諾してください。


春は歌と踊りの因縁を醸し出すように、私達もお父様の愛の懐中で、お父様の愛を中心としてそうできる時を慕わなければなりません。


お父様のみ旨を中心として、この春は一つの安息の土台となるように、私達もお父様の愛の懐に抱かれて安息する者となることを、慕うことができるよう許諾してください。


お父様!
そうして、お父様の内的な事由をすべて相続することによって、エデンの園において望みの中に新しい出発をすることができ、望みの中でお父様の愛に浸ることができた、その本然の人間を、もう一度
内的に慕うようにしてください。


この春を迎え、そのような因縁を感じ、お父様の前に無限に感謝を捧げることができるようにしてくださり、そのような心の園となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
春が持っているすべての要件を、各自の心の園にもう一度再現させてくださり、お父様が自らそこにとどまられるよう許諾してください。


人間だけの解放ではなく、人間だけの出発ではなく、人間だけの和動ではなく、お父様が解放されなければならず、お父様が出発なさらなければならず、お父様が和動の中心体とならなければなりません。


それこそ、お父様が腕を広げて踊りを踊られ、歌をお歌いになることのできるお父様として、私達が敬ってさしあげなければなりません。


お父様が安息なさる永遠の土台を築いてさしあげることのできる私達とならなければなりませんので、この春を通して、そのような知恵を学ぶことのできるこの時間となるよう許諾してください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.4.21)


24


お父様が天地創造の理想を中心として、果たそうとなさった願いのひと時が、いまだにこの地上に現れ得ないことを知っております。


万物をお造りになり、人間をお造りになるときのお父様の喜びは大きいものでございましたが、人間を中心として永遠の生命と永遠の愛をもって築かれた、善の家庭を慕われるお父様のその心情を、いまだに酌み取った者もなく、体恤した者もこの地上にはいないということを、私達は知るものでございます。


人間の始祖がお父様に仕えることができず、お父様のみ意の中で抱かれ得ないことが恨めしく、悔しく無念なことであることを、私達が心から悟らなければなりません。


お父様が私達と出会って事由を分かちたい所は、私達が今まで生きてきた現実の環境ではなく、次元が高いお父様の心情の世界だということを、私達は悟らなければなりません。


その世界は、堕落によってからみ合った事由を中心としてなるものではなく、すべての事由を越えに越えて、真情なる本然の因縁を中心として感じ、挙動することのできるそのひと時をお慕いになっておられる、お父様の心情を中心としてなされることを、私達が心から理解できるよう許諾してください。


私達が言葉でだけ感じるというのでなく、心情をもって体得できる場に立てるよう、許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の動脈に血が流れることをもって、お父様が生きておられることを感じようとし、呼吸の音からもお父様の息遣いを感じようとし、皮膚の感触からも無限なるお父様の慈悲のみ手を感じようとする、あなたの子女達となりますよう懇切にお願い申し上げます。


お父様!
深く気高いお父様の慈悲深い心情の中にたっぷり浸り、あなたの慰労を受けることができ、天真な幼子のような心情を備えることのできるひと時を持てなかった私達が、どれほど悲しい者達であるかということを分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.11.17)


25


お父様!
この世界には数多くの集まりがありますが、その中で取るに足らない環境の中にある不足なる子女達が集いました。


私達はお父様が求められる基準を備えたものでもなく、お父様を所有するために集ったのでもございません。
足らない自分を抱き締め、真に深い心の流れを通して、お父様の前に悔い改めようとしますので、私達の心を動かし、お父様の事情の因縁を渇望することのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様は無限なる権威と能力をもって、この地と数多くの人々を支配してこられましたが、私達はお父様の能力よりも、お父様の慈悲の恩賜を待ち望んでおりますので、お父様のみ言を回顧しながら「お父様」と呼びますとき、お父様の心情の懐に抱かれたい懇切な心が爆発し得るよう、私達の心に革命を呼び起こしてくださり、心情の変化を呼び起こしてくださいまして、私達が神様のものとして取られ得るようにしてください。
その姿を心から願っておりますので、お父様、ここに訪ねてきてください。


あなたの事情が私達の事情となり、あなたの願いが私達の願いとなって、あなたの心情と私達の心情が一致しなければなりません。


そうして、お父様が悲しみに処されれば私達も悲しみ、お父様が喜ばれれば私達も喜ばなければなりません。


私達はあなたを主として、あなたの相対たる実体として、あなたと共に一致化できる姿を渇望しながらこの場に集いましたので、そこに該当しない一切のものを除去させてくださり、そこに完全に符合することができ、吸収され得る本性の心を呼び起こしてくださいまして、お父様の息子たる自覚と娘たる自覚を持つことができるよう、この時間役事してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、お父様のみ旨の前に立てられたあなたの子女達として恥ずかしくない、天の権威を持って現れることができるよう懇切にお願い申し上げながら、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1968.11.17)


26


お父様!
きょうは安息日でございます。
子女達と共にお父様の栄光に接することができるようにしてくださり、高く貴いあなたの人格に接することができるようにしてくださり、あなたの所願成就の勝利的一念を、私達が体恤できる今朝となるよう許諾してください。


お父様!
この全宇宙を創造なさったあなたの聖業が、私達人類の始祖によって、このように蹂躙されたという事実を考えますときに悲しいことが重なれば重なるほど私達はあなたの前に面目ない者達となるということを、はっきり感じなければなりません。


私達の責任をお父様が独りで負い、歴史路程をこの上なく悲惨に、この上なく凄涼に、この上なく寂しく歩んでこられたということを、私達は知るようになりました。


今、これを知った私達は、力を尽くしてお父様のみ名を高く賛揚しなければならず、精誠を尽くしてお父様の貴い心情に倣い、私達のすべてのものを犠牲にしなければならず、あなたが今まで開拓してこられた開拓者の犠牲の道を、私達が余すところなく相続しなければなりません。


お父様!
ここに集ったあなたの子女達をご照覧ください。私達は幼い者達でございます。
私達は足らない者達でございます。
私達はこの地上に何の望みもなく生きた群れでございました。


それにもかかわらず、お父様の名を呼ぶことのできる聖なる場に同席させてくださったお父様の前に、本当に感謝をお捧げ申し上げます。


私達が襟を正し、お父様の名を呼ぶごとに、あなたのすべての苦労を相続することができ、深い心情の流れを通してお父様を呼ぶことのできる真の孝子孝女となるよう許諾してください。


数千万代悲しかったお父様の恨みの積もった心を押し開き、私達がすべての事由を打ち明け、お父様の悲しかった恨みを相続し、数千万代もつれていた怨讐に対するすべての恨みを、完全に解怨成就してさしあげる、あなたの子女達となるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によって懇切にお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.12.8)


27


残された復帰の道の前に、私達は忠誠を尽くすことを誓いました。
その誰も知らない善の結果を捜してこられたお父様の行路が、それほどまでに悲惨であり悲しかったという事実を、私達は知りました。


私達がお父様に対するとき、「お父様」と呼ぶことができ、堂々と息子の姿を備え、娘の姿を備えたと、自信を持って言うことのできる息子となり娘となって、お父様の名を呼ぶことのできる子女達となるよう許諾してください。


今まで、歴史過程におきまして、数多くの人々がお父様の名を呼びました。
けれども、継子にさえなれない立場でお父様を呼んだ人が多いのでございます。


私達だけは、骨髄に通じる心情の因縁を持って、お父様を呼ぶことができるようにしてください。
お父様が私達に対して「うん、わが息子よ、娘よ」と言われながら、直接応対することのできる立場に、私達が立つようにしてください。


今、父母の因縁と子女の因縁を持ち、一つの家庭を中心とした中で、お父様を思慕できる聖なる統一教会の食口となったことを、はっきり分かるよう許諾してください。


その誰も知らない心情を深く掘り下げて入り、お父様のために存在しており、お父様のために生まれた体であるので、お父様の目的のために消え去るべき自分であることを自認しながら、お父様だけのために行くといって、努力しようとするあなたの子女達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


統一の子女達がこの場に集っておりますが絶対に私達自身を誇るために集った場ではありません。
自分の何かを誇るために集った者達では決してありません。


裸の体であっても、いくらむさくるしく、みすぼらしい服を着たとしましても、お父様をより高く愛し、お父様が求める民族と国と世界と一つになろうという心で、その誰よりも先に決意できるようにしてください。


そのような心を持ち、お父様の前にひれ伏す息子・娘になったとするなら、この中にお父様の心情が連結され、この中にお父様の愛が芽生えることを、私達がはっきり分かるよう、許諾してくださることを懇切にお願い申し上げます。


そうできる場、その誰も知らない場で「お父様、私は行きます。
私は行かなければなりません。
私はお父様のために闘います」と決意できるあなたの息子・娘とならなければなりません。


そうしなければ怨讐の障壁を突破していくことができないということを、自認できるよう許諾してください。
ひいては私達が怨讐の障壁を突破して、勝利の旗をお父様の名とともに間違いなく立てるという、天の勇士達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


私達は誰のために生まれたのでもありません。
ただあなたのために生まれ、あなたのために生まれたがゆえに、あなたのために生きるのであり、あなたのために生きるがゆえに、あなたのために死ぬことができるので、世界的な勝利を成すと、はっきりした信念を持ったあなたの息子・娘となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.6.29)


28


お父様!
流れ行く歴史とともにあなたが残された必勝の使命をやり遂げなければならないのが、この地上に生きている本然の人間達の生活であり、生涯でありますのに、天の前に残すことのできる実績を持てず、歴史的な恨みを残したということを知るものでございます。


今日、この時代に生きている私達自身も、恨みになり得る立場にありますがゆえに、お父様が案じているということを、私達がもう一度悟るようにしてください。


お父様!
ここに集ったあなたの子女達を記憶してください。
お父様だけに頼り、お父様が残された使命を果たしていくべき、重大なる使命を背負った群れでございます。


取るに足らない姿であり、自分自身を批判し分析してみますとき、お父様に何かを帰し奉り得る存在となれなかったことを、私達はよく知っております。


しかし、お父様とはもう離れようとしても離れることのできない子女の因縁を結んでいることにより、お父様は私達自体をご覧になり、悲しみと喜びの分岐点で私達に対しておられるという事実を忘れてはなりません。


父母が子供を愛するように、子供が父母を愛さなければならないのが天倫の道理であり、すべての人類の原則でございました。


そのような愛を授け受けできる一つの起点を、生涯を通して残していくべき人間でしたが、人間自身がそうすることのできる生活の土台を備えることができず、そうすることのできる環境を備えることができなかったがゆえに、そのような伝統を立てられなかったという事実を、私達はよく知っております。


このように流れいく悲しみの歴史路程を私達が反省し、きょう私達に残された使命を果たすことを追求する、この時間とこの場となるようにしてください。


自分自身を聖なるお父様のみ前に出して、新しい使命を命じられ、新しい命令を受けることのできるこの時間となるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達は裸同然の姿でございます。
いつでもサタンの侵犯を受け得る限界圏内に置かれているという事実を、はっきり悟らせてください。


今、私達がお父様を知り、死ななければなりません。
また、お父様を知った後には、お父様に侍り、生きて、逝かなければならないこの天的な使命が、私達に残っているという事実を感じなければなりません。


私達自体を備えてお父様の厳粛なるみ前に立つとき、私達が果たしてお父様を正しく見ることのできる目を備え、お父様に対することのできる恥ずかしくない顔を備え、またお父様の前で行動するに恥ずかしくない自らを備えたでしょうか?


このようなことを考えますとき、お父様の前に恥ずかしくて、面目のないことを感じるものでございます。


こう感じれば感じるほど、このように哀れで、ろくに立つことのできない足らない者達に対されるお父様の立場が、悲しみを避けることのできない立場であることを、私達は本当に知るものでございます。


本当に私達の心の中からお父様を呼びたい気持ちがほとばしり、時を越え歳月を越えて、お父様の前に駆けつけようという気持ちが懇切でなければなりません。
そのようなものがなくては、お父様と息子・娘の因縁を維持し得ないという事実を、悟らせてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1969.8.24)


29


お父様!
あなたは今まで動いてきました。
地も今まで動いてきました。


しかし、あなたの動く方向と地の動く方向が、互いに一致できなかったことが悲しみとなりましたがゆえに、これを一致させなければなりません。
これを一致させるべき存在は、天でもなく地でもない、この中間にある人間であることを知っております。
人々が自分を中心として神様に背反し、歴史的な進路の土台を越えられないことによって、この悲惨な闘いが今日、自分自身を中心として連結されているという事実を、私達ははっきり知らなければなりません。


ここから私達は、天の怨讐よりも地の怨讐よりも、一層恐ろしい怨讐が人であることを知らなければなりません。
人によってお父様は悲しみと恨みを積んでこられ、人によってこの地には今まで悲惨な血の歴史が編まれて参りました。


このすべてが、真なる一人の人を立てられなかったがゆえであることを知りますとき、私達は真の基準を立て、真の人を探さなければなりません。
探して、彼と完全に一体とならなければなりません。


そのためには、私達がお父様の前に絶対従順をもって行かなければならないのが、復帰の路程であることを知りました。


体と心をすべて捧げ、あらゆる精誠を尽くすことによって、天がここに頭を下げることができ、地がここに頭を下げることができなければなりません。


お父様と一体となり、お父様に侍ることができ、お父様を身代わりできる息子と娘の姿を備えて、怨讐であるサタンに嘲弄されない姿とならなければなりません。
そのような姿をお父様がどれほどお慕いになったかという事実を、私達が忘れないようにしてください。


私達の心の中に血わく情熱があるとするなら、この情熱がある個人のための情熱として終わらないようにしてくださり、この情熱があなたの情熱として連結されなければならないことを、私達が分かるようにしてください。


青年達にもそのようなものがありますなら、彼もまた同様であり、壮年、老年にもその情熱の心情がありますなら、それがあなたと共に一体化できるようにしてください。


尋ねるべきその場を、きょうもあすも慕いながら行かなければならない、運命の道に処しているのが堕落人間の後孫であることを、私達がはっきり知らなければなりません。


お父様!
今、私達が心の門をすっかり開き、お父様に謹んで侍り奉らなければなりません。
お父様のみ前に体を低くして、過去の歴史的な罪を悔い改めなければならず、許しを切に求めなければなりません。


お父様、
お訪ねください。
私達に哀れみの心をお広げになって、私達を忘れないでください。


私達はあなたの願いと一致し得る、真の対象とならなければなりません。
そうして、あなたを欽慕の対象とし、あなたを慕う私達とならなければなりません。


お父様!
天が認定することのできる情熱の心と、地が認定することのできる情熱の心を合わせ、あなたを「お父様」と呼ぶことのできる一つの完全なる基準を、私達が立てなければならないことを知っております。


ですので、
私達がそうすることのできる自らとして、お父様の前に謙遜な群れとなるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを真の父母のみ名によってお祈りし、お捧げ申し上げました。


アーメン。
(1969.8.31)


30


お父様!
私達が対象を狂ったように愛してもまた愛したい気持ちに何度でも狂うことのできる愛の動機を持てなかったがゆえに、決定的な愛の権限を持つことのできない自らだということを、自嘆するようにしてください。


夜を明かし日を続けながら、天を欽慕したひと日を持つことができなかった自らを慨嘆しそのような動機を持つことができるよう、「私」をつかんでくれと訴えながら駆けつける息子となり、娘となり、家庭となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達が
この世の家庭とこの世の国とこの世にいる人々の前で、その理想の価値を持ち、彼らを喜びで祝福してあげる子女達とならなければなりません。


そうして、より高いものを新しく創造する子女達となるとき、万事が意のままになるという事実を分かるよう許諾してください。


神様を身代わりした父母の立場で現れる場には、霊界が動員されるということをはっきり分かるよう許諾してください。


また、私達が世界の中心となって、主体的権限を持ち、相対的な環境を動かし尽くす使命を果たすよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


「お父様」と呼ぶときも、今日この世の人々が懇切な心で「お父様」と呼ぶのよりも、何十倍ももっと懇切な心で、千万遍でもお父様を呼びたい思いですので、前よりも今が一層懇切で、今よりも以後が一層懇切であるようにしてくださり、お父様の内情を体恤できるよう許諾してください。


あなたの息子であるという立場に立つことができるようにしてください。
放蕩息子も息子であり、忠臣も息子でございますが私達はお父様の偉業を継承することのできる息子となるよう許諾してください。


あなたからすべての偉業を余すところなく相続できる孝行な子だと、皆が公認する息子となるため、身もだえする姿となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、あなたから「お前が私の愛する息子だ」という認定を受けることができるよう許諾してください。このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.2.26)


31


お父様!
私達がいくらお父様を呼ぶとしても、お父様が私達をお呼びにならなければ、私達はお父様と因縁を結べないという事実を知っております。


長い長い歴史過程を通して懇切な心を持ち、凄惨な場で、あるいは苦労の場で、私達を何遍も何遍もお呼びになったお父様であることを、私達はもう一度心中から感じなければなりません。


そのお父様の前にふさわしい息子の姿勢を備えなくては、「お父様」と呼ぶことができないということを考えますとき、そのような息子の姿を、あなたはどれほど慕われたでしょうか?


慕わしさに徹した息子に出会い、あなたの路程の中にあった事由を分かち合う場を、あなたはどれほど待ち望まれたでしょうか?


あなたのすべての使命を命じることのできる、最後通牒を下し得る場を、あなたはどれほど望んでこられたでしょうか?
私達がそうすることのできる一つの場を準備しなければなりません。


そうして、あなたのそのすべての命令すべてに順応することのできる自らとなって、「お父様! み意のままにしてください」と言うことのできる息子・娘となり、歴史時代において蕩減の使命を背負った先祖達の気迫を相続するに不足のない息子・娘とならなければなりません。


この時代にあなたは称賛し誇ることのできる息子の姿、娘の姿をどれほどお慕いになられたでしょうか?


お父様、
あなたは内的に約束なさり、祝福して命令なさいましたが、歴史過程に来ては逝った私達の先祖達は、いつもあなたの心にくぎを打ち、お父様を孤独の場に追放したのが一度二度ではないことを、私達は知りますときに、私達がお父様の息子となることのできる因縁は喜ばしいことですが使命的な面においては、悲しい内容が宿っているということを、私達は、先祖達が歩んだ復帰の恨み多い道をたどってみる時ごとに、考えないわけには参りません。


私達は内的には「お父様」と呼ぶことができますが、同時に、外的にはお父様から責任を命じられなければならないということを知っております。


そして、あなたは喜ばしい場で、私達にその責任と使命を命令されお達しになるのではなく、悲しく寂しい死の交差路で命令なさりお達しにならなければならない悲惨な立場におられるということを、私達は考えるものでございます。


そのお父様と出会うためには、そのお父様のその悲惨さを治癒してさしあげなくては出会えないのであり、お父様と相対するためには、この世のすべての因縁を越えて立たなくては、相対することができないことを分かるようにしてください。


このような因縁が誰によってなされたのかを考えますとき、お父様によってなされたのではなく、私達人類の先祖、人間によってなされたという事実を悟りますとき、恥ずかしさを感じることのできるあなたの息子・娘とならなければなりません。


そうして、千遍万遍死んで当然の私達自身を、お父様の前に通告しますとき、今までかわいそうであったお父様の事情と通ずることができ、その事情が同じであり得る立場に立つか、それよりも一層悲惨な立場に立つとき、悲しかったお父様が、私達を慰労してくださり得るのであり、そのようなひと時がありますなら、ここからお父様と因縁が結ばれ得ることを知るものでございます。


私達がお父様を呼び、お父様に要求する立場で因縁が結ばれるのではなく、あなたが私達をつかみ、事由を分かつことのできる立場で因縁が結ばれるということが分かるようにしてください。
真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1970.3.15)


32


愛するお父様!
私達が尋ね、上りに上り、また上るとき、その帰着点はただお父様と私達が対面する場となることを知るものです。


お父様が語ることのでき、私達が語ることのできる最後の決定的な言葉が何かと言うとき、それは「お前は私の息子だ」「私はあなたの息子です」という言葉でございましょう。


それだけが、人類が望み願う言葉であり、あなたが捜しこられた人類に出会うための決定的な言葉であることを知っております。


息子と娘として互いに会うだけで終わるのではなく、その息子と娘はあなたの骨の中の骨であり、肉の中の肉として入れ替えることができ、その内縁的な願いが私達に現れ、私達に現れた一個人の欲求が一家庭に現れ、家庭の欲求が社会と国家を越え世界万民を越えて、それがお父様の本当の内情的な体恤の感情となって、普遍妥当な世界的基準まで、みなぎり流れることができなければなりません。


その世界があなたの探しこられる望みの世界であり、人間達が探し行くたった一つの世界であることを知っております。


このような立場から見ますとき、今日この歴史時代におきまして、果たしてこのような道を探す群れがいるのか、私達は探してみなければなりません。
調べてみなければなりません。


イエス様とすべての聖人達がお教えになったその道理の起源を暴き、私達自体においてはどのくらいの価値をもって天の価値を探さなければならず、天と私達がどのような対等な位置に立たなければならないのかということを、分析し批判してみなければなりません。


そうして、これでなければならないという決定的な立場に立ち、万民と全世界と新しい思潮の前に現れて、これらを収拾できる一つの真の基準を立てなければならないことを、この時間私達は知らなければなりません。


お父様は私達自身を立証することができ、私達自身は、お父様の息子であり、娘であるということを、如実に証すことのできる信念を持たなければなりません。


信念だけでなく、体恤的な立場でお父様と「私」は前後関係、左右関係にあることを立証し、そのような立場で永遠に共にあり、永遠に共に生きており、永遠に共に生きるだろうという、変わりなくそうだと言うことのできる論証の起源を、自ら立て得る自分を発見できるよう許諾してください。
すべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.2.11)


33


真の父母という名が、どれほど貴いものであるかを知らなければなりません。


お父様の恨みを解くことのできる母体であり、人類において所願成就の中心であり、理想世界の出現の起源となるこの真の父母こそ、歴史を与えても取り換えられないものであり、時代を与えても取り換えられないものであり、私達が家庭を与えても取り換えられないものであり、私達が子供を与えても取り換えられないものであるということを、私達はいつも肝に銘じなければなりません。


その真の父母の思想を身につけなければなりません。
真の父母のみ旨は、世界を救うことでございます。
真の父母の思想は、未来の創建と歴史的伝統を残すための思想であるのを知るものでございます。


私達は過去の結実を結ぶために現在にいるのであり、現在の目的の中心となるために現在にいるのであり、未来の目的の中心となるために現在にいるのでございます。


このように三時代の決定的な運命を左右し得る聖なる立場に立ったことを考えますとき、そのような人間であることを、私達は全く知りませんでした。
ですがお父様、もう分かりました。


今、私達は精誠を尽くし、千秋万代に善なる先祖としての名分を立て、とこしえに尊称されるに不足のない伝統を立てなければなりません。


私達がいつご父母様の前に孝行し、いつ花咲く春にお父様に侍り、あるいは夏、秋、冬に、いつ共に闘い、いつ共に死ぬことを覚悟したでしょうか?


三年間ご父母様に侍らなければならないにもかかわらず、侍ることのできない私達に、ご父母様と三年間運命を共にすることのできるこの期間を付与してくださいましたことに、本当に感謝を捧げなければなりません。


昼にもお父様であり、夜にもお父様であり、寂しくてもお父様であり、うれしくてもお父様であり、天と地を眺める時も父母様であり、「私達はご父母様に侍り、千年万年生きよう」という懇切な涙がにじみ得る生活路程が生活環境にこもるときには、数多くの民族がここに感動を受けることができ、数多くの民族だけではなく、数多くの世界人類が感動を受けるという、神聖でとてつもない事由がここに宿っているという事実をはっきり悟り、力強く力強く、もっと力強く前進するあなたの娘達となるようにしてくださることを、懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.4.29)


34


哀れみ多いお父様!
慈悲と同情の因縁を持ち、今まで損害を受けてこられた天よ、足らない私達をご照覧ください。


お父様の本然の権威とその位置をみますとき、あなたは、堕落した人間としてはおそれ多く、対することのできない聖なる方であることを思うものです。


そのようなお父様が、受難の道において独り責任を持ってこられた憤懣やるかたない事実を、私達は非常に悲しく思わなければなりません。


ですので、私達が天と地の前に通告できる機会があるなら、かわいそうな人間を通告する前に、かわいそうな天の父母を通告しなければならない私達であることを、知らなければなりません。


たとえ天国に到達できる場に臨んだとしても、私達は天の権威を望むことよりは、天を慰労し、耐えて越えていかなければならず、そのような行路が私達の人生路程にさらに残っているということを、痛感しなければなりません。


その闘いの行路を自ら守りながら、あすの開拓者として勝利の姿を慕い、克服することを誓う、悪条件の生活環境でも疲れることを知らない、お父様が誇ることのできる凛々しい息子・娘とならなければならないということを、もう一度自覚するようにしてください。


お父様の内縁に従って動き、お父様の事情に連結された実体となり、善の結実体としてこの地上の足場とならなくては、お父様が歩行できないという事実を私達は感じますので、私達をして一日でも早く、寂しい道を行かれるお父様を慰労し侍って生きる息子・娘となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.8.29)


35


いつも、取るに足らないか弱いこの群れと共に苦労なさるお父様、寂しい立場でもいつも耐えられながら、私達を勧告なさるお父様、悲しみの環境に独り責任を負われ、私達の慰安のひと日を開拓するために先頭に立ってこられたお父様、そのようなお父様であられることを思いますとき、お父様を心情の主人として侍ることのできない、不孝極まりない私達を受け入れてください。


無限に無限に永遠なる生命をもって、私達自体を復活させ、きょうも創造歴史を継続なさるお父様であられることを、全く知らなかった足らない私達を、お父様、受け入れてください。


今、襟を正し、あなたの聖なる性相を見つめながら、欽慕と思慕の心情に徹することのできるひと時を待ち望んでおりますので、お命じになりたいことがあるなら、お尋ねになって、私達の体と心に染み渡るようお命じくださり、新しい命令の因縁を通じて、あなたが願われる所に向かって行くことができなければ、そこに向かって、お父様、むちを取り上げ打ったとしましても、その場に行けるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様の前に祭物として捧げられるべき私達自身であるにもかかわらず、そうできませんので、お父様が追いやってでも、引っ張ってでも、あなたの祭壇まで私達を導いてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


分別のつかないイサクを連れ、モリヤ山に向かっていくアブラハムに、その子供のイサクが、祭物として使う羊はどこにありますかと聞いたときに、「それはお前が心配することではない」と言ったアブラハムの心を察する時ごとに、その父母の心を察する時ごとに、私達を導いてくださるお父様の心に、そのどれほど悲しみが前に立っているかを感じるものでございます。


私達はお父様の心を案じる前に、自分自身と自分の周辺の事実を案じる時が多かったということを考えますとき、今、私達は自分を越えて、まずお父様の心を案じ、お父様の主流を守ることができる、真情なる孝の中の孝を尽くし、忠に忠を尽くす、お父様の前になくてはならない息子・娘となり、その国の民とならなければならないということを自覚する、この時間とならなければなりません。


自覚だけではなく、信念とともに誓うこの時間となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを真の父母のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1971.9.5)

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父の祈り(孝心の祈り)6-1

2022年12月18日 16時31分29秒 | 学習

1

今日、私たちは悪なるものを見ても感覚がなく、不義で未熟であり、天倫のみ旨に対する苦痛に満ちた心情を抱いて責任を感じることができないでおります。


怨讐を殲滅しようとする心と、恨みに徹する哀切さがなかった私たち、また闘いの実績を持てなかった私たち、全能の神様を信じることができなかった私たちでした。


天に対するイエス・キリストの忠誠を知りませんでした。


イエス・キリストを立てて誇ろうとなさったあなたのみ旨が使徒たちを通して、歴史を経て、今日の私たちに連結され、そのみ旨が私たちで結実されることを望んでいるということを知らせてくださり、生命をもらったという歓喜に加えて、数千万の聖徒たちが歓迎することのできる中心的な責任が、今日、私たちに任されているということを、知るよう許諾してください。


今、私たちが天と地と万物、そしてイエス・キリストの恨みを解くための祭物となるよう許諾してくださり、誠心誠意を込める、孝心ある子女たちとなるよう許諾してくださいますことを、お父様!、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
きょう私たちの一個体と、私たちに天の解怨のための責任が任されており、天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、私たちによって終結されるべき事情があるということを分かるよう許諾してくださいませ。


このようなことを知りましたので、だれよりも実践しようという心、お父様に感謝することのできる心だけ持つよう許諾してくださいませ。


十字架を担っても感謝であり、億千万のサタンたちと闘うとしても、お父様の前に卑屈な者たちとならないよう許諾してくださいませ。


十字架を負い、困難な立場に立つとしても、「お父様! 私がおりますので心配しないでください」と言える子女たちとなるようお導きくださいませ。


困難な立場に置かれている子女たちを見て悲しまれるお父様を、慰労してさしあげられる子女たちとなれるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主の御名によってお祈り申し上げました。
アーメン。

(1956.5.16)


2

お父様!
私たちの前にはいまだに険峻な道が残っていますので、お父様が自ら捕まえてくださって、あらゆる死の道を歩んでも残ることができる力を得ることができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、眺めているだけの愚かな子女たちを抱いてくださって、ただ天のみ旨を成すために一路邁進することのできる勇猛さを許諾してくださり、召された天の子女として、天の勇士として進むことができるよう、お助けくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


眠っているすべての子女たちを起こして、お父様の前に導くべき責任を負った聖徒として、担った使命を果たすために不足がないようお助けくださり、過去のどのような聖徒たちよりも、なお一層卓越することのできる子女たちとなるようお助けくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様の召しに応じて、ふさわしい歩みをする子女たちとなるようお助けくださり、サタンの嘲弄の種になる子女たちとならないよう、お助けくださいますことをお願い申し上げます。


自分を中心として天倫を酌み取るような愚かな者たちとならないようお助けくださり、ただお父様の栄光だけを表して、この地上にお父様の恩賜を高めることのできる子女たちとなるよう、お助けくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今もお父様を呼び、隠れた祭壇を積みながら、み旨の道を尋ねて渇望する子女たちがどれほどいるでしょうか?


彼らを捜すべき使命も私たちが担っておりますので、お父様、そのような使命を果たすために不足のないようにしてくださり、すべての子女たちをお父様が呼び集めてくださり、私たちがお父様の大きな栄光のみ旨を高めてさしあげることのできる日が、早く早く来るようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


眠っている四十億人類を、お父様の前に探し立てるべき使命が私たちにありますので、お父様、私たちに下さったみ言をもち、自信を持って進むときに、場所ごとに生命の炎を呼び起こしてくださり、復活の役事を呼び起こしてくださって、お父様の喜びと栄光をこの地上に高めることのできる子女たちとなるようお助けくださいます事を、懇切にお願い申し上げます。


今日まで数千年の間、この地の人類のために苦労してこられたキリストの懇切なる心情と、私たちのためにお父様の前に訴えられるキリストの嘆息を、解怨すべき責任が私たちにあることを、はっきり信じるようにしてください。


人間がなすべき責任を果たす前に、天の基準を捨てることのないようにしてくださり、ただ天だけが対してくださり得る子女たちとなるよう許諾してください。
既に負わされた使命を、再び地に捨てる子女たちとならないようお助けくださり、お父様の栄光を最後まで表すことのできるお父様の愛する子女、能力のある子女として立ててくださって、遺恨のないようお助けくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


困難な環境の中で寂しい祭壇を積み、お父様の前に叫びながら訴える子女たちを、お父様、自ら抱いてくださり、役事してください。
そうして、立派にみ旨を奉じていくことのできる天の子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、このすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。

アーメン。
(1956.5.23)


3

愛のお父様!
天上の恨みとして残されている闘いの歴史を、終結させる人のいないことが、あなたの嘆息であることを知りました。


人間たちによって植えられた堕落の根本の根を、人間たちが引き抜いてしまうべきでございましたが、長い歴史が経過したにもかかわらず、いまだに人間たちはその罪の根本の根を引き抜けずにおりますので、お父様、それを引き抜くことができるよう許諾してください。


私たちすべてが、お父様の心情に徹して一体となるよう許諾してくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様の切ない心に似るよう許諾してくださり、お父様が望まれるその望みを、私たちが新しくもつよう許諾してください。


残された恨みの歴史に責任を負い、億万の怨讐サタンと闘うことができ、天を代表して現れる勇者たちとなるよう許諾してくださり、地を代表して立つことのできる勇者たちとなるよう許諾してくださいませ。


残された戦場で、永遠なるお父様の愛の心情を互いに施し合うことのできる喜びの園が築かれるときまで、各自お父様のみ旨に責任を負い、立つことができるよう許諾してください。


各自がお父様の全体的なみ旨を身代わりして、サタンと闘うことのできるお父様の勇猛なる息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様の喜びの恩寵を、私たちの体と心が体恤するよう許諾してくださり、私たちを中心として再創造の役事を巻き起こしてください。


そうして、罪悪の根を抱き、闘って勝つことによって、お父様の愛を体恤し、お父様の前に栄光を帰し奉り得る子女たちとなるよう、許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今、聖霊の炎を、水を注ぐように注いでくださり、あなたが選んだ子女たちが一つに団結し、この暗い世の中と対決して闘うことができるよう役事してくださり、六千年の恨みの心情を身代わりして、すべての悪を殲滅して立つあなたの息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、残された戦場で、お父様に負債を負う者たちとならないよう許諾してくださり、永遠なる勝利の恩賜を消化できるよう許諾してください。


お父様の祝福のその心情を地上に表すことのできる、理想の園を建設する時まで、百折不撓の勇士の心情をもち、お父様のみ旨を立てていくことができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、全てを主の御名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1956.10.7)


4

愛のお父様!
この者達が、アベルが叫んだ哀願の訴えを聞くことのできる、心情的な息子・娘となるよう許諾してください。


また、アベルの血を身代わりして、キリストがゴルゴタ山上で血の祭物として捧げられるとき、万民に語りたいみ言を語り尽くせず恨みに徹したその心情を、私達の血を通して、私達の心を通して、私達の知覚を通して解くよう許諾してください。


歴史過程に来ては逝った数多くの先知先烈達の歩みが、彼らだけの歩みであると思っておりましたのに、今になってその歩みは、今日私達も歩むべき歩みであることを悟りました。
地上には多くの人がおりますのに、取るに足らない私達をお訪ねになり、六千年の恨みを解いてくれることを望まれる、あなたの事情を知る息子・娘となるようお導きください。


この地上には優れた人も多く、立派な人も多く、能力のある人も多くおりますのに、足らない私達をお訪ねになり、「天の事情を知ってくれ」と語られる、お父様の物悲しい事情を体恤することのできる息子・娘となるようお導きくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今日私達は、昔ヨシュアが強く雄々しかったのと同様に、民族を身代わりして強く雄々しくなければならず、世界を身代わりして強く雄々しくなければならず、地を身代わりして強く雄々しくなければなりませんので、お父様、足らない私達と共にいてください。
歴史的なすべての苦難を、私達の一身で蕩減し、越えていくことができるよう導いてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


死んでまた死んだとしても、カナン福地を捜して入ってみせると言った、ヨシュアとカレブのような強く雄々しい群れが、世界のキリスト教徒の中から早く早くたくさん現れるよう許諾してくださり、天倫に基づく心情をもって復活の生命の躍動感、神様の生命の躍動感を感じ、お父様と共に和動することのできる栄光のひと日を、早く早く迎えられるよう導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。

アーメン。
(1957.6.23)


5

お父様!
寂しい者達をご案じになられるお父様の心情が分からず、かえって今まで、私達のもどかしさをお父様の前に解いてくれと訴える、不忠不孝な立場にあった私達を受け入れてください。


天の心情がこのように悲痛であり、このようにもどかしいということを悟り、おそれ多くも、お父様に私達の事情を申し上げることができないということを、分かるようにしてください。


お父様!
それだけでも足りませんので、お父様の心配、お父様の気掛かりを、今日の私達の一身を通して解いてさしあげられるよう許諾してくださり、お父様の前に、私達のすべてのものを捧げられる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今日私達が、天に対する価値的な条件を、私達の実際の生活圏内で立てるために努力しておりますので、お父様、共にいてください。


私達は天の全体的な価値の条件を立てるにおいて、私達の犠牲を喜ぶことのできない足らない者達でございましたが、これからはお父様の前に無限に利用されながらも、楽しむことのできる心を持った息子・娘となりますので、お父様、許諾してください。


そのような私達の歩みを、サタンも遮ることができないということを知っておりますので、きょうもあすも、私達の心が変わらないようお助けくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達が新郎であられるイエス様の新婦になろうとするからには、新郎が心配すれば私達も心配し、新郎が闘えば私達も共に闘い、死のうと生きようと、新郎と共に動じるべき立場に処している私達であることが分かるよう許諾してくださり、闘いの過程を経て、解放の恩賜の中でお父様の栄光を歌う、新郎の楽しみを体恤する新婦の立場に立ててください。


そうして、失ったすべてのものを捜し、お父様の栄光を喜びをもって誦詠してさしあげられるひと日が、早く早く私達の生涯路程に、私達の生活に、私達の心の上に現れるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(1957.10.4)


6


愛のお父様!
イエス様が地上に来られたのは「私」一人を捜すために来られたのだと思いましたが、それがすべてではなく、「私」の家庭のために来られたのだと思いましたが、それがすべてではなく、選民イスラエルだけのために来られたのだと思いましたが、そうではありませんでした。
ある教派のために来られた方でもございませんでした。
イエス様は全被造世界の望みであったと同時に、そのすべての価値を身代わりして来られたということを私達が知りましたので、お父様、そのように全体を復帰すべき使命を持ったイエス様の前に、今日私達はどのような心を持っているでしょうか?


「私」の家庭をつかんで死のうという人々とならないよう許諾してください。
「私」の民族、「私」の国、「私」の世界をつかんで死のうという人とならないよう許諾してください。


「私」が生きても天地を代表し、「私」が死んでも天地を代表して死ぬ、すなわち天宙の生死の問題をかけて、生きることのできる人となるよう許諾してくださいますことを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


今日この被造万物の中に、イエス様が復帰すべきみ旨が成されず、嘆息のわめき声が残っているとするなら、私達によってそれを除去させてくださり、イエス様とお父様まで安心させてさしあげ、その心情まで通過して、お父様と永遠なる因縁を結ぶことのできる真の息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


そうして歴史的なすべての恨みを解怨し、解怨の慰労を受けることができるよう、お父様、許諾してくださり、共に進むことができるよう許諾してください。


私達が万事を忘れ、天を賛美してさしあげられる真の孝子孝女達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.3.23)


7


お父様!
私達が生命を持ったとするなら、その生命の原動力が「私」一人で制限されないよう許諾してくださり、み言の能力を持ったとするなら、そのみ言が私達一個人にとどまらないよう許諾してください。


ひいては、そのみ言と生命の力が民族を越え、世界を巻き込んで、天と地を動かす力となることのできる私達となるよう許諾してくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、お父様を捜して立った私達、お父様はただ私達が考えるように栄光のお父様としてだけおられるのではなく、十字架の峠をも越えておられるお父様であることを、私達は知りませんでした。


今日、栄光の主を待ち望む人はたくさんいますが、苦難の主に従っていこうという、真の志を持った人がいませんので、お父様、かわいそうな人間達を受け入れてください。


お父様!
今、祭物の峠を越えるべき私達でございますが、お父様が私達を取り戻すために、到底口では語ることのできない苦労をしてこられたことを知るときに、私達はこの道を行くまいとしても行かざるを得ないことを感じるものでございます。


残された歴史的なすべての負債を蕩減すべき、全体的な使命が、今日、私達にあることを知っていますので、私達に足りなさがあるとするなら、それを除去し、負わされた使命を成就できるよう許諾してください。


この民族のために、あるいは世界のために、あるいは天と地のために、先にこの民族をお父様の前に立てることができるよう許諾してくださり、また、そのようにしても残り得る息子・娘となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


六千年の歴史過程で残された、罪悪のわめき声を聞いている私達、これからはアダムとエバの立場を経て、新しい善の先祖達として越えていくべき立場に立っているということを知っていますので、現実のすべてのものを踏み越えて、新しい世界を創建する天の役軍として立ててくださいますことを、愛のお父様、懇切にお願い申し上げます。


今まで私達を慰労なさったお父様を捜しました。
慰労を受けるために捜しましたが、今からは慰労してくださるそのお父様の身代わりとして、主にかえって侍ることのできる私達となるよう許諾してください。


また、この使命を成就するために心を砕いた私達のすべての能力が、私達の心にその望みが果たされるときまで、残っていることができるよう、お導きくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、愛する主のみ名によってお祈り申し上げました。アーメン。

(1958.5.4)


8


お父様!
歴史の流れを多くの人間達は知りませんが、お父様が自ら摂理のみ旨を営んでこられたことを私達は知っております。


きょうこの場のあなたの息子・娘達、今自分がどのような環境に処しているかを、自ら批判するよう許諾してください。


体を捜すために、体の安息を捜すために生きている者がいるでしょうか?
心の安息だけのために生きている者がいるでしょうか?


今から、お父様の愛によって安息を捜すことのできる息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


これが、人間が行くべき必然的な復帰の路程であることを知りました。
堕落によってこれを失ってしまったがゆえに、信仰と実体とみ言と愛を捜してさまよってきた人類歴史の前に、凛々しく立ち上がることができるよう許諾してくださり、天的な心情と天的な愛と天的な願いを持ち、この地のすべての万物の前に堂々と立つことのできる息子・娘となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
永遠なる生命をもって、私達の体と心を永遠に抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げ、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1958.12.14)


9

選んだ群れを祝福なさった方もあなたでしたから、これを成就させる方もあなたであることを知っています。


私達の心の根本は善であり、また善を通して動じることを知っていますし、善の目的も、歴史的な目的も、摂理的な目的も、お父様を中心として一つになるものであることを知っています。


それゆえ、善の心霊を通して、欽慕する理念的な頂点が結実されるよう許諾してくださり、その理念どおりになるために、うまずたゆまず進むことのできる自分を立てるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、私達の心がどの方向を向いており、私達の体がどこに向いて動いているのかを察するよう許諾してください。


今、私達の心が、お父様を慕い、善を欽慕することに、すべての精力を傾けられるよう許諾してくださり、私達の体が善をつかむためにあえぎ、焦るみ手を感じ、お父様を呼ぶことができるよう許諾してください。


お父様をつかんで切に求めてきたのが、六千年の歴史だということを知っていますので、お父様の前に率直な自らを立てて敬拝し、自分のすべての事情をありのままに告げ、命じられる勧告を受けることのできるこの時間となるよう、許諾してくださることを、愛するお父様、懇切にお願い申し上げます。


人が「違う」と言う道に追い出される方もお父様でしたし、行くことの困難な道にお導きになられる方もお父様でしたので、お父様がこの道に責任を負ってください。


私達は、ある人間の心によって動いたのでもありませんし、ある人間の事情に引っ張られてきたのでもありません。
行くまいとしても行かざるを得ない心の力に引かれて、この場まで来ましたので、怠けないようにお導きください。


あなたがせき立てられる勧告のみ言に気づかない私達ですので、み言を悟って、そのみ言の方向に向かって進むよう、時間ごとに力の衝撃を加えてください。


そうして、あなたに向かって進む過程で、落後する人がないようにしてくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、自分のすべてのものをお父様の前に差し出せるように許諾してくださり、私達によってお父様の祭壇を汚すことがないよう許諾してくださり、誠心を尽くしてお父様の前に祭物をお捧げしようと、ひれ伏すこの時間となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.1.18)


10


私達自身を、自分のものだと考える者とならないようにしてください。


私達の心は私達のものではなく、動いている私達の生命も私達のものではなく、望んでいる欲望も私達のものではありませんので、私達自身を中心として推し量る心を持って、天に対さないよう許諾してください。


お父様のものとして始まった私達ですので、お父様のものとしてだけ動くことのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達の心がお父様のものとならなければならず、私達の体もお父様のものとならなければならず、私達の主義主張もお父様のものとなるべきことを知っておりますので、お父様のものでないすべてのものは、受け入れないでください。


私達の心と体に、お父様が願わない悪の要素があるならば、除去してくださり、お父様のものではないすべての主義主張を除去してくださって、ただお父様のものとしてだけ動じることのできるこの時間となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


無数なるサタンが、私達の心と体を狙っていることを知っております。
お父様が受け入れることのできない罪の苦い根が残っているなら、お父様!顕現なさり、能力の権限をもって再創造の役事を巻き起こしてくださり、私達の心がお父様の前に屈伏できるよう天の役事を巻き起こしてくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


天が動かれるとき地が動かざるを得ず、地が天に対して要求するとき天が成してあげざるを得ないという事実を知っております。


今日、真情なる心を持ち、真の心情で天を自分のものとしてつかむために闘う、天の息子・娘がいるでしょうか?


天のすべての事情を自分の事情として知り、天の事柄を自分の事柄として知り、天の理念を自分の理念として知り、これをつかむために闘い、これをつかむために辱められ、これをつかむために追われながら、一生涯を生きた者がいるでしょうか?


私達がそのような立場にいないとするなら、私達は天の前に受け入れられない犯罪者であることを、あからさまに告げることができますよう許諾してください。


今、天がおられることを知り、天のお父様がどなたであられるかを知りました。
お父様と私達はある因縁を結ぶべき必然的な条件が残っているということを知っていますので、お父様、きょうこのような心情を通して天のお父様と因縁を結び、お父様の悲しみを「私」の悲しみとして、お父様の痛嘆と悲嘆を「私」の痛嘆と悲嘆として感じられるよう許諾してください。


サタンと激戦を交えるために立った天的な行軍が、この民族の前に現れるよう許諾してくださり、この地上に現れるよう許諾してください。


六千年間天に対して讒訴した怨讐サタン達を、この地球上から追い出し、お父様の恨みを解いてさしあげ、お探しになった理想の園を早く早く建設できるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.15)


11


お父様は万軍のお父様であられ、万宇宙の主人であられ、全天下の権限を持たれた主人公であられましたが、息子・娘達が誤ったことによって、このようにかわいそうな事情に処しておられますので、そのお父様の心情を、この時間私達が分かるよう許諾してください。


私達をして、残された摂理の恨みの峠を眺め、敗者のように弱い者達とならないようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


哀れみのお父様!
愛のお父様!
きょう私達の心情に、お父様の約束のみ旨が生きているなら保護してください。


お父様の前にひざまずき、大声で泣きながら心情の祭壇を積む、愛する息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


私達がお父様の前に現れるとき、すべての困難を意に介さずに行くことを覚悟なさった、イエス様のその寂しい心情を体恤することができました。


今、覚悟して立った私達が抱いている望みを、誇るべき時が来ましたので、天の側に立って先駆けていくようにしてくださり、天が残したかったものを残せるようにしてください。


今、心情に心情を加えて、お父様を慰労し、お父様のために闘うことのできる真の群れをつかんでくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


歴史的な転換の気運が、今日私達に現れていますので、私達をして、歴史的な解怨をする群れとならせてください。


お父様の立てたみ旨の前において、自分が足りなさを感じなければならず、逆境の中でもお父様を信じてお父様の祭壇を建設しようとした、モーセの心情を身代わりできる息子・娘となるよう許諾してくださることを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


お父様の心配と、お父様の苦痛と、お父様の苦労は、今日私達がぶつかるものとは比較になりません。


無限の苦労の路程を歩みゆき歩みこられたお父様の、その実情を知ろうとする者達となるよう許諾してくださり、無限の苦痛の道を歩まれるお父様の性相を知ろうとする者達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今日私達がぶつかっている憤懣やるかたなさ、私達が受けている非難、私達が受けている迫害、このすべてのものを越えて立つことができるようにしてくださり、私達がどのような立場にあるとしても躊躇せず、お父様のために進むことができるようお導きください。


このすべての事実を、私達に深く分かるよう諭してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、最後の勝利の土台の上に立つ時まで、お父様が案じる心情をもって勧告してくださり、そのすべてのものを意に介さない息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げ、主のみ名によってお捧げ申し上げました。
アーメン。
(1959.3.29)


12


お父様!
お父様の心情に徹する私達の心と体となるよう許諾してください。


本然のその心に徹する、お父様の心情に引かれていくのを感じることのできる私達となるようにしてください。


お父様の喜ばれる姿に対して、お父様のもとに走っていき、お父様の首を抱くことのできる徹した心情が、私達の体と心に芽生えるよう許諾してください。


隠々たる中、そこはかとなく顕現なさり、私達の心を打ち明ける前には、動かれないお父様であられることを知りました。


今、私達の心が汚されたとはいえ、お父様に向かう忠心だけは持っておりますので、お父様、この心情を通して私達を尋ねてくださり、この心情を通して命令してください。


体の足りなさを悔い、過去の生活が不忠であったことを悟り、自分も知らない間に涙を流しながら、お父様を「わがお父様」と呼ぶことのできる懇切な心情がにじみ出るよう許諾してください。


天は誰を保護することをも躊躇なさらないことを知りました。
天を求めてくる者の友となることを躊躇しないということも知りました。
天は天に向かって泣き叫び、涙を注ぐ者達の友であり、永遠に共に生きる父として現れることを好まれるということを知りました。
お父様! 隠々たる中で勧告なさったお父様の声が慕わしく、隠々たる中で抱いてくださった、その驚くべき愛の感触が慕わしく思われます。


そのような私達の心を通して「お父様」と呼ぶことのできる一瞬が慕わしく、手を挙げて「わがお父様」と誇りたいし、叫びたいのでございます。


はるか遠くにおられるお父様であると思いましたが、私達の心の中におられるお父様に出会ったその瞬間がうれしかったのでございます。


遠いというとき近い心中におられ、心中におられると安心しているとき、遠くで叫ばれていたお父様であられましたが、今日人間達は、ここに拍子を合わせようとせずにいるものでございます。


私達をお捨てになったと思ったその場が、お父様と近い場であり、私達と共におられないと思ったその場が、お父様が私達と共におられた場だということが分からなかった過去の私達自身を、この時間悔いるようにしてください。


「愛する息子」と命名なさり、「愛する娘」と命名なさるからには、その息子・娘達を苦労の立場に置きたくない、お父様の心を知りませんでした。


お父様の曲折の心情を知らない私達は、苦労の道にほうり出したお父様を薄情で無情なお父様であると思い、その間お父様に対して自嘆したときも多くあり、恨むときも多くありました。


お父様と私達の間に立ちはだかった曲折の壁を知らずに恨みもし、排斥もし、無情な態度で対し、不信する立場に立つこともあったことを、お父様、お許しください。


これは、私達の先祖が堕落することによって、台なしにした罪状ゆえであり、人類歴史上に恨みの血痕を残し、先知先烈達が死んだがゆえであることを知りました。


きょう、私達の心の基準は高い位置にあるでしょうか?
その心を燃やして取り除いてください。
「私」の体と「私」の威信を掲げて、神様を身代わりして現れることを待ち望んでいるでしょうか?


お父様の性相の前に面目のないこの体を打ち、悲惨な立場におられたお父様であることを悟り、お父様を呼ばうとする息子・娘達となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
今残った道にも、数限りなく続く苦難の歴史が残っていることを知りますときに、今日の不忠を、お父様の前に頭を下げて申し上げざるを得ないものでございます。


願わくは、歴史の悲しみをこの一つの体に備えるよう許諾してくださり、残された苦難のすべても、この一つの体を祭物として踏み越えるよう許諾してください。


お父様が安息することができ、すべての嘆息を忘れて喜びの一瞬を迎え、互いに抱き合い、「わがお父様、わが息子」と呼ぶことのできるその瞬間が慕わしいものでございます。


私達がどのような犠牲とどのような覚悟とどのような悲惨な姿をもって地上で生きるとしましても、その忠節の一片丹心はこの地上に立てて消えることのできる息子・娘となるよう許諾してください。


そのような道を行くことを覚悟している私達ですので、お父様、意に介さないよう追いやってくださり、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


新しい心と体をもって覚悟し誓うことのできるこの時間となりますことを、お父様、懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.3.29)

13


お父様は静かな中で顕現なさることを好まれ、困難な中に現れることを意に介されませんでした。


戦場でも自ら私達と共に闘ってくださり、落胆の場でも私達と共にいてくださった、歴史性を帯びたお父様であられたことを、私達が再び悟りますときに、いつも私達と共におられ、いつも私達と共に闘ってくださり、いつも私達と共に生きることを待ち望まれたお父様であられることを考えますときに、地で生きながらも地を排斥し、拒否することを好んだ、過ぎし日の信仰路程を悔いるようにしてください。


超然とした立場で好んで侍ったお父様は、栄光のお父様でございましたが、地上に顕現なさったお父様はかわいそうであり、やつれ、物悲しいお父様であられたことを知りました。
また、そのような姿で私達に対してこられたことを、歴史過程を通して学び知りました。


今私達、栄光の中で顕現なさったお父様に侍り楽しむのではなく、地上で痛手を負い、困難に悩まされながら真の息子を捜すために苦労された、そのお父様に侍ることのできる、栄光の立場に立つようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そのような立場でお父様に侍ろうとするからには、まず涙の道を行くべきであり、いばらの道を行くべきであり、十字架の苦難の道を越えなければならないということを知るものでございます。
そうしてこそ、お父様がおられるという事実が分かることを知るものでございます。
私達にこのような物悲しい信仰路程が残っていることを、考えないわけには参りません。


天が、今は眠りから目覚める時だと予告なさいました。
暗い夜に光明なる明かりをともすべき時であると予告なさいましたのに、私達の心がやみに閉ざされているのではないでしょうか?
私達の体が死亡の絶望に縛られているのではないでしょうか?


これを切り開いて、天に向かって走ることができ、天を身代わりして闘うことができ、天を身代わりして責任を負うことができるようお導きください。


そうして、「お父様」と呼ぶことができ、お父様が来られるのを待ち望む息子・娘とならなければならないことを知っておりますので、お父様、み旨の前に立つに不足なる者がおりますなら、この時間激励してください。


時と時機が切迫したことを分からせてくださり、死の陰に巻き込まれて審判される者とならず、生命の召しに引かれてお父様の懐を求め、その体が裂かれて死ぬとしても、自由の園に向かって走って行くことのできる息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながらすべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。

アーメン。
(1959.4.19)


14


お父様がおられる所は無限なる忍耐の世界であり、無限に苦労する場だということを、私達は知っております。


先祖以来今まで、台なしにされたすべての罪状に対されるお父様の心情とみ旨を知る私達は、創造本然の存在を捜すために、この上ない苦労の道と忍耐の道を歩んでこられたお父様の前に、心苦しい心情をもって頭を下げざるを得ません。


長い長い歳月を、一日のように私達の先祖と共に忍耐され、先祖と共に闘ってこられながら、人間達をつかむためにあえいでこられたお父様を、私達がこの時間心を広げ、体を低くして心の中に侍り奉り、体でつかむことができるようにしてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


地上に生きている数多くの人々の中で、苦労の道を避けていく人はたくさんおりますが、あなたの事情を知り、あなたの心情を心と体に備えるために、苦労の道を求めていく人は、とても少ないということを知るものでございます。


お父様のために忠誠を尽くし、お父様のために祭物となってお父様の祭壇をつくり、お父様の忍耐なさる心情を地上に表す人間達がとても少ないということを知りますときに、お父様はこの上なくかわいそうな方であられることを知るものでございます。


人間を愛しながらも嘆息なさるお父様であられ、人間に対してご案じになり、苦労なさるお父様であられることを、私達は感じないわけには参りません。


わがお父様!
今、そのようなお父様の事情が、地上に生きている人類の前に移される日が、早く早く臨むようにしてください。
全人類の心ごとに、そのようなお父様の事情が染み渡るようになることを、懇切に待ち望んでおります。


お父様!
このひと日、この聖なる日に、あなたに向かってひざまずき、頭を下げて福を受けることを待ち望む群れがたくさんおりますが、福は天のものであり、苦労と苦難と忍耐の路程は、人間が担当すべきものであることを知る群れとなるようにしてください。


私達に喜びがあるとするなら、それをお父様のものとして帰し、幸福と感謝する心情があるとするなら、それもお父様のものとして帰すよう許諾してくださり、悲嘆と恨みに徹したお父様の悲しみの路程を、私達のものとして引き受ける、お父様の息子・娘達となるよう許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1*959.5.24)


15


お父様!
私達はお父様の悲しい歴史路程を回想するなら、おそれ入る心を禁ずることができず、苦労なさるお父様の性相に対する時ごとに、おそれ多い心を禁ずることができません。


今、この者達が自分の体と心を祭物として捧げお父様の苦労を減らしてさしあげられ、止めてさしあげられる息子・娘達となるようお立てください。


あなたは楽しむことができ、喜びの場で解放を歌うことのできる勝利のひと日が早く来ることを待ち望まれましたが、その解放のみ旨を成すのはあなたではなく、死亡圏であえぐ不肖なる私達人間でなければならないという事実を、私達は知っております。


このように重要な立場に処している人間自身の価値を知らないまま、死亡の路程であえいでいる人類を受け入れてくださり、今私達に、本然の心情を回復するための新しい価値を掲げお父様の栄光の心情を歌うことのできる懇切な心を呼び起こしてください。


本然の性相と本然の形状を備え、真なる息子・娘の姿を備えて、お父様の解放を歌うことができるようにしてください。
これが私達の千秋の願いであるのを、お父様がご存じであることを知っております。


お父様、勝利のひと日が来ることを知る私達、勝利の一基準の立場に私達を導いてくださり、任せようとなさる大きなみ旨の前に、祭物となることのできる私達となるよう、導いてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


お父様!
私達が足らない精誠を束ね、生きた祭壇を備えるよう許諾してください。


私達の一人ひとりが勝利の祭物とならなければならないことを予告しているという事実を知っておりますので、お父様の前に正しくないもの一切を除去させてくださり、お父様、権能のみ手を広げ、新しい再創造の権限を呼び起こしてください。


お父様のもの以外の一切を除去させることのできる、本然の再創造の性相を備えさせてくださり、形状を備えさせてくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今、お父様!
眠っているこの民族を覚ましてくださり、塗炭の苦しみの中でさまよっている人類を、お父様の掌中に置いてくださり、この者達をひと所に集め、お父様の本郷の園、お父様が理想となさる善の園に導いてください。


どのような迫害とどのような患難を経たとしても、この人類を早くお父様の願われる園の中に導いてくださることを、懇切にお願い申し上げます。


そのためにはお父様!
人間が実践しなければならない責任があるということを知っておりますので、お父様、愛する息子・娘達に命令してください。


残された罪悪の地と残された民を捜すべき責任があるとするなら、この者達を起こして命令してくださり、勝利の園を建設することのできる天の精兵として、役軍として、お父様が願われる所に命令して送ることができるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.6.28)


16

お父様!
おそれ多く恵み深こうございます!
知ってみると、この道は歩むにはとてつもない道であり、思えば思うほど、胸をかきむしってもやめることのできない悲しい道であることを知りました。


一日でもなく何年でもない、六千年という長い長い歳月、私達を捜してこられたお父様!


私達はお父様をどれほど狂うような立場に置いておき、お父様をどれほど悔しい立場にとどめさせ、また私達がどれほど不孝の立場にとどまっていたかを悟るこの時間となるよう許諾してください。


この因縁を結ぶ前には、この世のものを持って泣きわめいた私達、罪人中の罪人であることを悟らせてください。
ここに訪ねてきた私達の望みは何でございましょうか?
きれいな服を着た者を訪ねてきたのでもなく、権勢のある者を訪ねてきたのでもなく、欲望のために来たのでもありません。


ただお父様の愛が慕わしく、お父様の情が慕わしく、お父様の因縁が慕わしくて参りましたので、お父様、お父様の涙があるとするなら、私達もその涙を持つよう許諾してくださり、お父様の苦痛があるとするなら、私達もその苦痛を持つよう許諾してください。


喜ばしい歴史を尋ねてさまよう王子とならず、悲しみと苦痛の歴史に身代わりして責任を負い、蕩減する王子とならなければならないことを、私達が分かるようにしてください。


このような立場で勝利した息子・娘、天と地の前に誇ることのできる息子・娘を待ち望んでいるということを、私達は知りました。
また、神様が六千年の間苦労されたのは、愛する息子・娘達を立てるためであったことを知りました。


今日、私達の前に任せられた責任を果たし、任せられた義務を果たす私達となるようにしてくださることを、懇切にお願い申し上げます。
孝子の中の孝子、孝女の中の孝女、忠臣の中の忠臣となることのできる息子・娘達となるよう、許諾してくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


そうして、歴史的なお父様が「私」のお父様となり、時代的なお父様が「私」のお父様となり、未来的なお父様が「私」のお父様となられ、宇宙全体を動員して楽しみの歌を歌う喜びのひと日が来る時まで、お父様、この者達を抱いてくださり、保護してくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1959.10.11)


17

お父様!
私達は行きます。
私達は誇ります。
私達は越えます。
私達はこのみ旨を抱いて倒れます。


反対者がいくら多くとも、「私達はお父様の息子・娘であり、お父様は私達の父であることを、心情的に結束した私達とお父様の関係を、どこの誰が蹂躙できるでしょうか?
この節義と気概だけを自負したいです。
この節義と気概だけを千秋に残したいです」と言い得る息子・娘達となるよう許諾してください。


お父様!
知らせてくださった恩賜、おそれ多く思います。
無知でしたが従順であった先祖達の前に面目がなく、殉教者達の前におそれ多く思います。
また、お亡くなりになったひとり子イエスの前におそれ多く思います。
取るに足らず資格のない私達に、消化することの難しい恩賜をお与えくださいましたのに、感謝の涙を流せなかったことを受け入れてください。


生きてお父様の息子となるべきことを知り、死ぬ前にお父様の愛を高く賛揚すべきことを知りました。
ですので、恨みを残さず、一度でもそのような息子・娘となって、お父様に侍って死ぬことのできる私達となるよう許諾してください。
これが私達の願いであり、お父様の願いであることが分かるようにしてくださり、(これが)お父様のあだを討つことであり、サタンを撲滅することだということが分かるようにしてくださることを、
懇切にお願い申し上げます。


天の主権を立てる時まで、耐え、犠牲になり、譲歩し、倒れながらもこのみ旨が成就されるひと日のために、息が詰まったとしましても、祈祷しながら闘っていく息子・娘達となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


世界の前に任せられた責任を、私達が団結して成就しても余りあるよう、自ら共にいてください。
主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960・1・17)


18

お父様!
私達の困難ゆえに、無限に涙を流したことを受け入れてください。


私達が困難なときは、歯がみをし、胸をかきむしったりしました。
これがお父様の前にどれほど受け入れ難い姿であったかを分かるようにしてください。


お父様、このようなことは、天の悲しみを忘れた背反者にありそうなこととして、天の悲しみを知る群れには夢にも、もってのほかであることを分かるようにしてください。


悲しくても喜び、困難でも喜び、死んでも感謝することだけが、お父様の前に少しでも自分の責任を果たすことであり、お尋ねになるお父様の形状の前に恥ずかしさを避け得ることであるのを知りました。


今、私達がどのような立場にいるかということが問題でございます。
私達は、いつ、尋ねてこられたお父様を迎え、飢えたお父様に召し上がってもらうようにし、のどが渇いたお父様に飲ませ、ぼろをまとったお父様に着せ、貧しいお父様を尋ね、病にかかったお父様を訪問したでしょうか?


そのような場が、いつもお父様に侍ることのできる場だとおっしゃいました。
私達は全体の祭物にならなければならないということを知りましたし、大のために小を犠牲にすることが、歴史的な鉄則であることを知りました。


その上に天的な摂理のみ旨を立てるためには、大きな犠牲を払わなければならないことを知りましたので、自分の悲しみを押さえ、お父様の悲しみをより心配し、自分の気掛かりを押さえ、お父様の気掛かりをより心配し、自分の憤懣やるかたなさを押さえ、お父様の憤懣やるかたなさをより心配するようにしてください。
そのような息子・娘となるとするなら、天の心情が共にあるということを分かるようにしてください。


自分の苦痛があるときあなたを見捨てた私達であり、自分の悲しみがあるときあなたの前に(それを)申し上げた私達であり、自分の憤懣があるときこの憤懣を引き受けてくれと、あなたの前に訴えた私達でございました。
これは孝子の道理ではなく、忠臣、烈女の道理でないことを知りました。


私達が悲しい場、死の場に置かれることがあったとしても、あなたが憤懣やるかたないことにぶつかっておられるなら、その憤懣を背負おうとする者となるべき私達であることを知りましたし、私達が地上で立つのに骨の折れる困難な場に立っているとしても、あなたがそのような場におられるなら、その場から出してさしあげるべき私達であることを知りました。


お父様!
私達の心の門を開いてくださって、あなたが臨んでくださり、復帰路程で積もったあなたの恨みをお解きになり、私達が心でお父様に侍る喜びと栄光が、この世界全天地の万物にまで及び得るようにしてください。


その日をお父様が無限に待ち望んでおられるということを知ったので、私達もその日のために闘いに闘い、泣きに泣きながら進む私達となるようにしてください。


お父様に侍る栄光の祭壇まで「私はこのようにお父様の前に忠誠を尽くします」という心の基準を立て、飛び出そうとする私達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1960.5.22)


19

お父様!
私達は心からあなたの望みを、あなたの事情を、あなたの心情を知りたく思うものでございます。


そのような立場で、あなたを「わがお父様」と呼ぶことのでき、「永遠に侍ることのできる国を捜し立てる」と誓う息子・娘を、お父様はどれほど慕い、捜してこられたか、私達はよく知っております。


そのような希望の場でお父様を呼んでさしあげた方は、この地上に来ては逝ったイエス・キリストしかいなかったということを、また知っております。
彼はあなたの望みを知りましたし、あなたの事情を知りましたし、あなたの心情を知りました。


あなたの望みは、歴史路程で蹂躙され、時代的環境から排斥されましたし、未来の環境を開拓するにおいて、困難な望みとして残されているということを知りました。


あなたのその事情は哀切な涙の事情であり、どこの誰も同情しようとしても同情できない環境に置かれた事情であり、人類と共に死の道を行きながら身もだえすべき事情だということを、またあなたの心情、すなわちアダムを失うときの無念で悔しい心情と、メシヤをお送りになり、もどかしがられる心情を、彼はお父様の立場で感じたのでございます。


そして、あなたの望みとあなたの事情とあなたの心情を失わず、あなたの極めて大きいみ旨と理念を望みながら、黙々と準備期間を経つつ、死ぬことを覚悟し、お父様の前に誓いをし、開拓の道に立ったことを知るものでございます。


十字架を前に置き、成されずに残された望みを心に抱いたまま、お父様の前に立ち返らなければならない自分の事情を物悲しく感じながらも、不孝という名詞を除去するために、忠誠の道理を立てて父母に仕える誠心の道理を尽くそうとした、イエス様の心情を私達は知りました。


そのような立場でお父様を呼ぶことのできる真の息子と真の娘を、あなたはどれほどお慕いになられたでしょうか?


その息子の手で怨讐を屈伏させ、その娘の手で怨讐を滅亡させ、子女が一つになって「恨み多いこの地に対するあなたの願いとあなたの解怨を成してください!そして、栄光をお受けください!」と言って、勝利の凱歌を歌い、あなたを思慕する真の息子・娘をどれほど待ち望まれたでしょうか?


あなたは、そのような息子・娘達が、そのような立場であなたの名前をもって呼んでくれることを侍ち望まれるということを知るものでございます。


私達すべては、お父様だけをつかみ、お父様の前に父母への誠心を尽くし、忠誠を尽くし、お父様の威信を立ててさしあげる忠臣、烈女達となることを望んでおります。


そのような立場で「わがお父様」と呼ぶことができ、また「わがお父様」として侍ることができますことを、懇切に望んでおります。


私達は真情でお父様を呼ぶことのできる真の息子・娘、お父様を心から愛することのできる真の忠臣、烈女となることを願うだけでございます。
これだけが私達の財産であり、これだけが私達の生涯の目的でございます。


今までこの道のために、ありとあらゆる試練を消化しながら生きてきて、きょうもこの道を歩んでおります。
これから、また行かなければならないので、死が立ちはだかろうとも、お父様に悲しみを帰すことのない私達となるようにしてください。


私達が悲しい立場にあるとき、それをお父様の悲しみとして考えながら、互いに抱き合い、慰労することができなければならず、そのお父様とその息子を慕い、尋ねようとする私達とならなければなりません。


そのような者は、ぼろをまとおうともあなたの息子とならざるを得ず、排斥される立場で最後の運命を迎えて消えたとしても、あなたの息子とならざるを得ず、その息子とその息子が呼ぶお父様が、この天地間に現れるのが堕落歴史の終末であり、復帰路程の願いであることを、私達は知っております。


世界的な息子として立てることができ、天と地の全体を、彼の前に遺業として任せることのできる一人息子がこの地に来るのが、再臨理想であることを私達は知りました。


ですので、私達がそのような立場でお父様の内情的な心情を相続し、お父様の外的なすべての事情を相続し、お父様の全体的な遺業を相続することのできる真の息子・娘として、この地上の世界を支配し、残された群れを統率して、お父様の前に導いていくことができるよう許諾してくださり、残された怨讐を掃討して再審判できるようにしてください。
懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1965.1.3)


20

お父様!
私達はついて行く群れとなってはなりません。
お父様の前に、民族の前に、人類の前に、先発隊として現れ得る者となるようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


お父様!
あなたは、多くの日々を悲しみの中で心を砕かれたことが恨みであり、多くの人々が天に背反した逆賊の群れとなったことが恨みでありましたので、この恨み多い日と恨み多い事由を背負うべき私達であることをよく知っております。


今、私達がその荷に責任を負い、引き受けて、全宇宙万物のために、天の祭物として捧げられることをうれしく思う、あなたの息子・娘達となるようにしてくださいますことを懇切にお願い申し上げます。


今、この時間、私達は過ぎし日のすべてのことをあからさまに告げてしまい、純粋できれいな心にお父様を慕う心と欽慕の情だけが、私達の心に満たされるよう望んでおります。


そうして、あなたがどのような事情を持っておられようと、あなたがどのような姿をしておられようと、それを意に介さず、あなたに精誠を尽くし、侍り奉ることのできる真の孝子孝女の姿を備えることができるよう許諾してくださいますことを、お父様、懇切にお願い申し上げます。


今私達は、お父様の前にありとあらゆる精誠を束ねて捧げ、謙遜にひれ伏してお父様を呼ぶことができ、お父様の懐に抱かれ、限りなくむせび泣くことのできる懇切なる心を、この時間各自が持つようにしてくださいますことを、懇切にお願い申し上げます。


今まで尋ねこられたお父様は、ほかの人のお父様ではありませんでした。
「私」のお父様であり、私達のお父様であることを知りましたので、そのお父様と因縁を結ぶべき復帰の運命の途上に立っているこの悲しい子供達を、再びあなたの懐に抱いてくださいますことを懇切にお願い申し上げながら、すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。


アーメン。
(1966.1.2)


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コメント

私記

2022年12月08日 19時33分48秒 | 日記

この「私記」は見て来た通りの印象、事象を自らの言葉で率直な言葉で記載したものです。


「文鮮明師が何故再臨の救世主であるのか?」



 少し前までは、色々と師のビデオを見る機会が有りましたが、最近はその姿を見る機会が減った事は残念に思います。


「文鮮明師が何故再臨の救世主であるのか?」はやがて誰か責任者が認めると言う様なものではありませんから、イエス様がそうであった様にやがて歴史の中で人類の後孫が証明するものと考えます。


かつて文鮮明師はソビエト連邦の崩壊を預言し広く伝えられました。
その理由も「共産主義の終焉」と言う明確なものでありました。


そしてその話から間もなくの1989年11月にソビエト連邦としては完全な崩壊をする事となりました。


また師が聖和される前には、2011年の東日本大震災も預言されましたし、日本に対し支援も行われました。
震災直前に「日本が危ない」と叫ばれたと言われます。

そしてその後にはM9の大震災が宮城、岩手、福島、茨木方面を遅いました。

2万数千人の被災者をだしたこの震災は千年に一度の規模と言われる人類が未だかつて出会った事の無い程の震災でありました。
その時の日本の首相は天を否定しこの日本をも嫌う「あの人」でした。
但し阪神・淡路大震災の時も同様であったか否かは分かりません。

文鮮明師のその様な証となる事は勿論それだけではありません。

人類歴史上、最も重要な事である「罪の赦し」が神様と悪魔とメシアの基に行われた事であります。
これは人類有史上誰も成し得なかった赦罪であり、人類史の封印がメシアである文鮮明師の手によって1960.4.1に初めて解かれ、人類史に神とメシアによる「祝福」が成されたのです。

人類歴史上、後にも先にもこの日が神様も人類にメシアを送る摂理をされ、それが実現した日となった日であり人類が永遠に記憶すべき日となりました。

悪魔との戦いに勝利されたメシアは文鮮明師しか地上に存在しません。

今後「文鮮明」と言うこの方の名前は人類の歴史上に永遠に記憶され残される事でしょう。
そして「人類の統一」が始まっている訳です。

かつてのイエス様の誕生から数えて、イエス様を迫害した一国の宗教にキリスト教が定められるまで凡そ400年が掛かりました。
しかし一個人にはそんなに時間は無いものと考えます。
お互いが憎しみ合い殺害しあって来た歴史は神様と祝福によって、愛し合い赦し合う建設の為の行動に変わる事でしょう。

それまでにも、お弟子様方にはその類の細かな情報を種々伝えられておられた事実もありますが、それが故に文鮮明師が凄い訳では無く、預言者だと言う訳ではありません。

そう言う外的な結果的な事だけでは無く、それらの事にはその遠因、近因が有る事を歴史的に「統一原理」として一連性を持って証しされた事にこの「メシア」の凄さが有ります。


何よりも人類歴史上に登場した世界のどの人物よりも「神様との因縁」を深めた事や、人類にかつては適う事の無かった「罪の赦し」を成し得たこの「統一原理」の解明を行った事であり、その中に、かつての二度に渡る大戦の遠因、近因を解き明かされた事を初めとして、歴史が何故繰り返されるのか等を、その理由を明示している事や、第三次世界大戦についてを初め、今後の人類の未来にも言及理解されて当に救い主と預言者として自らの使命を果たされた事は人類歴史上の最も偉大な奇跡であると考えます。

第三次世界大戦は今当に現代で起こっている事態であり、師はその原因についても「原理講論」の中で明示しております。

そして、その統一原理による「人類の神様への回帰」の提唱がなされ、現在は賛同者により全世界で今も行われているその活動の結果による平和の創造は統一原理の真理性を証ししたものに相違ありません。


人は一人で生きるものでは無いと言う事実的関係上、多くの方による評価もあり、片や共産主義思想者による一部の悪意を持った中傷が有るとしてもその実績は変わる物ではありませんし、今も世界中で人類の平和の創造を目指して活動が成されています。


文鮮明師の教えの通りに生きた人々の中で、正当防衛以外に人に危害を加える目的をもって行動して危害を加えたと言う話は殆ど聞きません。一部の経済的支援の為の活動を霊感商法と名付けら、その間違った経済活動による被害者を出したと言う事事実はあります。


それどころか、毟ろその信仰故に誤解されて殺害されたと言う事件は何件か確認されていますし、更にはその信仰の為に日本では4,300名以上と言う方々が本人が意図しない「騙されての暴力的な拉致監禁」と言う凄惨な事件に嵌められ、信仰を捨てさせられ、中には亡くなっている方もおります。
これが問題にならない方がおかしい訳です。

これが現実なら信仰の自由が日本には無いのでしょうか?

家族が絡めば「暴力的な拉致監禁」が行われても取り締まりもしないで良いのでしょうか?
その「暴力的な拉致監禁」を行った人々が大手を振ってまかり通る世の中で良いのでしょうか?

そうかと思えば、世に言う「子供の権利」と言う、親子の間に割って入り権利を異常に主張し、親子の間を疎外するおかしな法律も偏った思想の人々により作られており、異常な親子間を造成し、助長する仕組みもある程に偏った思想に振り回されてる政治の実態があります。

これは、親と子の愛情を正しく知らない人物により、親しい筈の親と子と言う人と人の間の離反を起こす事が目的であり、人と愛を遠ざける仕組みを作ろうとしていると言うのが実態です。

それらの目的は「人間の愛の大いなる欠乏であり、究極的には人類の滅亡」以外の何物でもありません。

他の事も含め、多くの納得が行かない多くの方々がいます。
しかし、それらの事件はマスコミには殆どが報道されずにいると言う事も現実として事実です。

訂正 '23.03.05

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安倍元首相殺害事件

 2022年7月8日には安倍元首相を殺害しようとした山上氏が教団の幹部の誰を狙ったのか解らない所もあるが、仮に田中会長の命を狙うなら、安倍元首相よりもいとも簡単に狙えた筈である。

しかし彼は田中会長を狙う事は無かった。
会長は常にオープンで有りそれを「狙い難い」等とと考える人がいるであろうか?


状況を考えても素人なら最も狙いやすい筈であるのに、それをスルーしている。
当人の思いがどの様な所から田中会長が視野から外れたのだろうかが、大きな疑問でもある。


それを考えるなら、十分過ぎるほどに用意周到、極めて計画的であり、「責任能力が無い」等とは全く考えられない事である。


しかし彼の供述は信じ難い部分が多い事も事実である事を鑑み、十分な裏付けを取って欲しいものだ。


彼を支持するのは間違いなく教団に反対する輩達であろうが、思想的な面からの恨みがあっての事であろうから、公平な判断がなされるべきであろうと考える。
そうこうしている内に最近は「責任能力有り」と言う判断が出た様ですが問題の本質はこれからである。


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家庭連合

家庭連合に対しては以下の様に考える事も出来るのも事実だ。


朝鮮民族は日本の支援無くして個々では何も出来ない民族であって、「はったり」でも生きる事が出来る日本での資源が必要だと考えたのであろう。その結果として宗教を使うのが一番はったりと脅しが効く。ましてや世界的な使命度の高いキリスト教なら世界を席巻できると考える事もできるあろうと言う事です。


各書籍の表現には「世界を征服する」と言う表現は彼処に見られる。


ましてや国を転覆させる事を意図した表現すら散見できる事でもあるし、2000年前のイエス・キリストの話した内容も同じような表現もある訳で流れは今にある。


当時の政権者ピラトはこれを見逃さなかったと言う事だろうが、今の日本の政権者は何も知る由が無い様だ。また役人達は何も学習していない様子であり、役人らしいわけだ。
(日本人の脆さが此処にある事を忘れてはならない。)

そこに朝鮮人の「パリパリ」で煽れば内容は見なくとも思った様に動いてくれるのが、日本人の特性がある。
更にはその宗教の教えを背景にして、「逆らえば日本が滅びる」と言えば日本人は相当に慌てるだろう。真面目だが警戒心の無い日本人が最初に餌食になった。ましてや用心の無いぽっと出の若者ならネズミ講方式であれば尚更だ。

しかし良く考えて見るが良い。
第一に日本が滅びる程の事があればその前にこの隣国自身が先に滅びる要件の方が圧倒的に多いし、可能性も遥かに強いだろうし、隣の赤国家の属国に戻る事が容易いだろう。
良く考えてみて欲しい。

信仰とは恐ろしいものだ。

しかし、それはマインドコントロール等とは大きくかけ離れていて、人間の本心の発露から沸き起こってくるものだと言う事です。
マインドコントロールと言われる後付けのどの様にも評価される適当な心情の状態と信仰の発露は次元が全く異なる心情であり、神様と本心からの発想である心情であり比較にならないものです。
神と信仰を否定する方には理解できない領域でしょう。

誰かに操られて行動するようなまやかし染みた薄い内容ではありません。

その背後には神様がいるし、結果的には人の不幸を排除する事が目的であるし、幸福を作る目的がある事が必ず解って来るものと思います。

それは神の愛、親の愛、隣人の愛によるものであるからです。

この教理の内容で言えば神様は一人のメシアとなれる人を探していた事は間違いないかも知れないが、誰でもなれる可能性はあるのだが、その背景には必ず必要だとされる考えがあり、かなり細かく指定されている(御言葉参照)。それらは極端なので直ぐに消され、排除される可能性がある民族の中にはメシアとして登場させる事は出来なかったと考えられている。

だから当時の全体主義の日本では無理だと言う事で、文明が進んでいる居ないの差では無く、神の御意に適う必要があると言う事だ。


しかし今は多少なりとも事情が異なっている。誰しも人権があり、自由があり、世界中で布教も出来る時代となっているから、解放は進んで来たと言う事であろう。


また、この運動を止める方法はこの「知恵」を利用できない様にする以外に方法が無いと思うが、それが出来るのは隣の赤い国位のものかもしれないが、共産主義同様に多分誰にも出来ないでしょう。


さらにはこの文鮮明師を支持する朝鮮人達にはこの内容を利用して日本から金を巻き上げれるだけ巻き上げようと考えている輩もいる事も事実である。


良し悪しは兎も角も、直にそう言う輩から「金を巻き上げてやるんだ」と言う言葉を聞いているので、それを否定する人の話はちょっと受け入れる事は出来ない。


彼らの中には北朝鮮や中共に対しても直接に支援をしている日本人もいて、それが違反行為とされて国から懲罰を受けた者もいる。今でも支援は続けられているのでは無いかと思われる。


朝鮮人のなかでも文鮮明師の話は聞きながらも従わない輩もいる訳で、玉石混交である。いや玉石とまでは言えないかも知れないが、大石小石程度かもだ。


また、彼ら朝鮮民族は文鮮明師の語られた御言葉のあちこちを朝鮮民族に都合の良い様に改竄してきた経緯もあり、日本に対し非常に上から目線の憎しみの姿勢を取っている事も事実で有る。


しかし、金が入らない事は困る訳であるが、日本で活動している朝鮮人はそんな事を億尾にも出さない図々しさがあり、それに対してこう言った金集めに反発する信仰者もかなり居る事は間違いない。しかし給与生活が牛耳られてる事や、辞めたら生活する術が無い等の関係上反発が出来ない者も多いのだ。

相当に昔には月の小遣いが12,000円等とほば強制的にその様にさせられて来ているので本人は抵抗が少ないかも知れないが、今は多少は変わって来ているだろうがその流れが二世に来ていて現実離れした事態に反発を生んでいる事もあり、今回の安倍元首相殺害事件後に起こった家庭連合叩きに乗じた自称元二世と言われる方々の告発は無理からぬ事だとも思っている。

かつては日本にて会長になった朝鮮人で一億円の家を用意させたバカチョンもいる。これらは完全な宗教を利用した窃盗であり、人格も何も無い輩が日本人に対する個人の憎しみを全面に出した恨みばらしの行為である。
それ故に、何の懲罰も受けていない。

ただ会長職は解かれたのかもしれないが、因果は解らない。現場の日本人などにはなにも知らなくても良いと言う事か。(これもこの団体の人種差別)

この金何某と言う男は文鮮明師の指示で師の話した内容を書籍化して残す事に目的があった。言葉は隣国語から日本語にする事が必要だった当の本人は翻訳などは何もやらずに、話の内容を整理しただけである。

翻訳は別のスタッフが行ったが、本人は多寡がこの程度の作業によって何億円かの報酬を受けている。

日本語も理解しない輩であるのにと思うと、ここに文鮮明師が命じざるを得なかった理由があると考える。
だが弟子ならば本来は言われずともやって置くべき事であり、ましてや破格の報酬を受けるなどとんでもない話である。
背景には、今もそうかも知れないがそれだけ日本人に対する憎しみが有るからであろう。文鮮明師はそれを考えられ解怨の一環だったのであろう。

しかし、この辺りからこの様な文鮮明師の配慮を感じた隣国人達は「日本人は金になる」と考え始めた様である。

この様な事を踏まえると、今もそうであるがもはや「宗教と言うビジネス」とでも言う体質になっている事を感じるが、金でしか動かないこの民族の姿に文鮮明師と神様の心は如何許りの怒りと悲しみ、失念があったであろう事を感じざるを得ないのである。


しかし、逆に日本人は隣国で部長以上の待遇を受けている者は一人もいない。不満止めの名目的にXX長と言うポジションは有る。
なのに日本人は不服を言えるものがいないのだが、原因は記載したように、不服を言えば直ぐに首を切られるからなのだ。
年4回ものボーナスもある様だ。

他に朝鮮人優遇の組織と言える内容は幾らでもある。

朝鮮人は信仰が無くても祝福を受ける事が出来、日本人は何年か信仰が無いと祝福は受けられない。
祝福の献金も朝鮮人は日本人の10分の1。
信仰の全てにおいて朝鮮人優先の組織であると強く感じる。
ここにも信仰故の人種差別と人権侵害が厳然として有る事は間違いない事だろう。

しかしそれでも隣国には3万人程度の人数しかいないのは何故か?
信仰のルールが厳しいから進んで信仰する人がいない事が主だった原因である事だ。嫌な日本人を相手にする機会が多い事も理由としてはしては有るのだろう。要は怠慢なのだと思う。

朝鮮人は日本人に対する恨みの教育を小学生から受けている事は知っている人が多いだろうが、その様な日本人に対して憎しみを持った朝鮮人が信仰迄も色々指示している訳である。
そう言う輩が憎しみを隠しながら文鮮明師のこの御言葉を語っている指示している姿が詐欺めいてチャンチャラおかしくてしょうがない。

指示事項の多くは本来は文鮮明師の指示では無い事が多い。(多かったと言うべきかも)
祝福のカップリングは文鮮明師の元で行われてい無いカップルもいる。
尤も既婚者達は文鮮明師の許可を受けていないのでルール的にはそれなりの精誠やルールに従う事が必要であろうが、その様なルールも無視の中国や、朝鮮人のカップルもいるのである。

まあ朝鮮人には文鮮明師の理想とは相当にかけ離れ、人を騙す事ばかりに長けた「金に執着した脳無しの狐」と言える程度の人間しかいない事が解った訳だ。


隣国に嫁いで行った女性達には申し訳無いが、彼の民族が能力があるなら今頃は立派な国家を作っていたに相違ないと考えるのが普通である。
そうでなければ態々貧困を苦に自分の病気の夫を殺害するなどの事件が起こる訳が無い。

ならば神は何故にこの国を選ばれたかは、より神の目に適う人物がいたからであろう。そこに関しては玉石混交と言えるかもしれない。

まあ全ては彼らと実際に触れあってみれば解る事だ。

そんなこと故に個人的には「隣国の彼らは相当に人格者が揃っているのだろう」とばかり思っていたというか、思わされていたと言うのが実の所だが、かの民族の素の姿はそんな立派な素性の欠けらも全く無い事にショックを受けた事は一度や二度では無い。

何と言っても牧師の資格も無い輩が牧師として日本に来る訳だから、まともな説教が出来る訳もない。
小学生でも相手にするレベルで来ているのか。
金目当ての来日以外の何者でも無い。最近は変わって来ている感もあるが、牧師等とは程遠い。彼らには苦労感が全く無く、後付けの理論と口先の騙しの感しか感じ無い。

文鮮明師の教えを滅茶苦茶にしてきたのは「朝鮮人」である事だ。


それと、この組織が成すべき重要な事がまだ幾つかある。

それは、文鮮明師が語られた内容を客観的によく確認すべき事である。
会員がやっても良い事であろうが、責任者は組織に有利な事は取り上げ、不利な事は捨てる事を行うだろう。特に隣国人はこう言った傾向がかなり強いのである。

また歴史の検証となるとかなり時間がかかる訳だが、日本人の行って来たこの朝鮮民族への虐殺の事実の検証、そしてこの朝鮮半島へのインフラ整備の事実の確認と認識は極めて重要であると考える。

それらの委細はこの組織の成り立ちの根幹に関わって来る事であるからであるが、今はそれは何も行っていない様に思われる。


この組織も教えの根幹に有るのに検証もしないでいる事自体がおかしい訳で、一事が万事こう言う組織であり、未だに金集めに意識を集めていて、それでも良いと思っている組織であるならば、極めて好い加減な組織でしかないと考える訳であり、信頼するに足りないパフォーマンスだけの組織なのかと思わせるが、これらは知恵の不足から来る文鮮明師の教えの理解不足であり、今後のより良い結果を生み出す為の正しい理解と活動が待たれる。

  訂正加筆 '23.03.05
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組織

この組織を知った時、彼らは如何やって生活しているのかが非常に疑問だったが、「花売り」などの物売りから、「カンパ」など何でもやっている事で分かった。自分達の日銭を稼いできたわけである。
だが、この「物売り」では国会で騒動になった事もあったが、時を重ねて大阪の銀行で銃を持った男の立てこもり事件が報道として優先され、久保木会長が国会へ証人喚問される事は無くなった。事件はそれ切りそれらの事は何処へ消えたのだろうか、不思議だ。
「恵まれない子供達の為に」とかの売り文句を教わって物売りをしている様だが、売上は一切自分の収入にもならずに、全額吸い上げられる。
ましてや恵まれない子供達への分等ある訳が無い。


そう言う悲喜交々の活動の中で、久保木会長が国会への証人喚問される一歩手前?迄いった事もあった。


大阪で銀行に人質を取って立て籠った事件が起こって、喚問は流れた様だ。
だからその延長でビジネスを行なっても正当な報酬も貰えずに「青春を返せ」裁判にもなった訳である。
会員同士ですら、金の貸し借りで裁判になる組織だ。
借りた金は返さないらしいからそうなる。
信用など欠片も無い人間が多い組織だと感じた故だ。
これは変えなければ信仰以前の問題であり、人間として文化的な生活など出来る訳が無い。
そう言う非常に馬鹿げた訴訟だと思ったが、当人にしてみればそんな裁判になるとは思わなかったのであろう。

また「B」と言われる裏金操作の組織も有った。隣国への献金を作り出す為に帳簿合わせの為に作られた裏組織だったようだ。

それと不思議なのはその販売するモノは、誰が何処から如何やって仕入れて来たのかも大きな疑問だ。
お茶、バンドエイド、ハンカチ、キーホルダー、生花、造花、コーヒー、他色々あるのだろう。

お金が無いとしながら、その仕入れの原資は何処から得ているのか?

そのうちに「大理石の壺」等を始めとした品物が出て来た様だ。

それらに疑問を持っていた知人達は色んな機会を機にいつの間にか姿を見せなくなっていた。
そう言う事に疑問を持っても深く追及をしなかった輩が残った輩の様だ。
要は大した人物は残っていないのであり、文鮮明師に弁チャラを使っている様子も何度も見て来た。


聖書にもある様に、道端を素通りしている何の関わりも無い人物を婚宴の席に呼んだ様な有様その物だ。

この辺りの事は組織の運営者の全体の運営の問題もあるかも知れない。

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疥癬(指定伝染病)

そう言う中で、「疥癬」と言うダニを媒介とする伝染病にかかった事が有ったが、病院に行けば伝染病として即時に隔離されるので行かなかった。
腕や足や体中の柔らかい場所がダニに刺されて赤くなって眠れないほどに痒い、全く酷い状況になった。

原因は中共から輸入した造花に疥癬のダニが付いていた事らしい。
六一〇ハップと言う硫黄を成分とする薬で風呂に入り、何年かで治ったと思う。

そう言う輩が相当にいたと思われる。
何せ全国をキャラバンをして回っていた訳だから。
しかし周囲には相当に迷惑をかけたと思う。


 日本人は借金をしたり、財産を売り払ったりして自己破産迄してまで信じた神とメシアの為に活動して来た訳であるが、朝鮮人の中にはその金をくすねる事をやり始めた輩がいる。

隣国では、かつては一族で30億円近くの金を奪って行った輩がいた。
金額は兎も角も今もそう言う輩は存在し続けている。

その様な隙を作る事が問題な訳だが隣国には当人の独裁状態だったが故に取り締まれなかったのだ。

まあ何処にもいる窃盗の輩であるが、さぞかし盗み放題だったのだろう。

国際間で朝鮮人を相手にするならまず朝鮮人の窃盗は防ぎきれないだろう。

彼らにはそう言うモラルもTPOも無いし、無論感謝も無い。取って当たり前と思っている民族だからで有る。

文鮮明師はそう言う事実知ってか知らずか全く定かでは無い。弟子達からの報告が一切無かったと考えられるので有る。

朝鮮人優遇の組織である事に変わりが無く、組織の目的が達成したらもしかしたら共産主義も真っ青な世界が出来上がるかも知れない。

しかし神様と御旨はまだ終わった訳では無い。

文鮮明師がその天命を全うされて聖和されるに近くなると三男の顕進が勝手な行動を取り始める様になり、組織の管理的立場の郭氏と共に組織の資産を私物化し始めた。

此処にも金と権力に目を眩ませたバカチョンがいた。
組織において自分の地位と権力と金が欲しかったと言われているが、天に唾をする行為の典型である。しかも親はメシアと言う人類の救いを説いている人間であるのに、どんな教育をうけたらその様になれるのか。

彼らこそ「かつてのユダ同様であり、天国では最も小さいと言われた洗礼ヨハネと言う存在以下の存在では無いのか」と言う事にもなるのである。

この一連の行為に対し文鮮明師は「責任は私が取るから誰も手を出さない様に」との指示があった。その責任とは今だに明確に誰も知らないでいる様だが、それで良いのかと思いながら時間が過ぎるばかりだ。

やがて組織の資産が裁判を通しても奪われていく様になって行くのに有効な手段が打てて居ない報告しか無くなり、今では何も無い状態だ。

師はメシアの使命を担われて人生のほぼ全てを神様と人類の救いの為に投入されてこられた方であり、その様な自分の肉親である人物に対する敬意も恩情も何も無い状態を作り出せる人間の心情に加えて、更に敵意を持てる状態で人間として生活できるのであろうか?

更にそれに加えて、組織の人間には師の写真への踏み絵迄させて師と訣別するか、自分に忠誠を決めさせるかを迫っている。
そこまでして強引に組織を私物化して権力を持ちたかったのかを思えば悪魔自身とでもなったかと思わせるものがある。

人はそこまで変われるものか、驚いてしまう。
此の人物に朝鮮民族の悪たる素性の全てが象徴されていると感じている。

実際問題としてこの蕩減を誰が負うのであろうか?
朝鮮民族が負うのか、第三イスラエルが負うのか、さもなければメシア家庭が負っていくのであろうか?

言える事は、やがて必ず誰かがこの蕩減を負う時期が来る事であろうと言う事だ。

それにしてもメシアが責任を取ると言うことはどの様な事態を引き起こす事なので有ろうか?

更に4男と7男についてもその責任には大きな疑問が残るが、それも明らかになっていく事であろう。

思うに、メシアの息子達がアベルとカインの息子として別れた事は厳然とした事実で有る。


アブラハムから始まり現代まで、兄弟の争いを止めさせて一体化を促す為に神様がどれだけの時間と心情とを投入されて人類を導いてこられたかは原理講論に記されたいるし、聖書にも記されているが、それを思えば、どれほどの罪となるのであろうかは中々想像すらし難い。
しかし彼らはこの罪を追わなければならない事を文鮮明師は理解しておられたに相違ないのだろう。

彼の隣国はいま経済の危機が有り、共産化の危機にある。

しかし隣国の共産化や台湾の共産化は日本の共産化へと繋がっている事もまた間違いの無い事である。

現在、その象徴的な戦いとしてロシアによるウクライナ侵攻が成されている。
これが原理講論に記載されている、民主主義と共産主義の戦いとして第三次世界大戦の象徴的な戦いであると考えられるのである。

この戦いには世界中の国が何らかの関係で参加し、巻き込まれている訳で既に世界大戦可している状態であるからだ。

幸いにも核戦争にまでは至っていないが、サタンは自分が亡ぶ事を良く知っている事が記載されている事を踏まえれば、核兵器を使うか否かでは大きな差が有る事は皆が知る所である。

民主主義陣営は核兵器を使わせずにロシアを屈伏させなければならない。
台湾を武力統一しようとしている中共も同様である。

彼らは核兵器を使えば人類が滅びる事を知っている訳で、今そのギリギリの所で理念の戦いが行われている状態である。


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国家転覆

キリスト教では国家転覆の表現を天国を作る等の別の表現に変えて表現しているが、全世界の国の責任者達はこれを如何捉えているのだろう。

言わんとする所はわかっているだろうが、直接的な行動は見受けられないという事で「何も問題は無い」と言う事であろうか。

かつてのオウム真理教は直接行動に出てしまったが故にとんでもない悲劇が展開されて来たし、ソ連の傀儡とも取られかねない日本共産党は1950年前後の破壊活動を凄まじいばかりに日本全国に過激に展開して破壊活動を行って来た実績を持ってその過激な思想故に「破防法」の警戒組織の対象になっている。

かの思想は、その後も革命思想の中心思想として利用されて来た経緯がある。今もその警戒は解かれていない。それらの過激派を擁護し弁護して来たのが、立民の前党首、枝野幸男氏で有る。

彼ら共産主義者は色々な組織が有ったが、共に戦うと言う姿勢は全く無いに等しい状態だった。それは思想からそうなっていた訳であることを後で知ったし、1972年の浅間山荘事件は悲惨さを地で行っていた。

しかし同じ事が言えるのでは無いかと思われるキリスト教はその手法が違う故に警戒されている訳では無い様だ。
国家転覆とかで無いと言う事らしい。究極的にもそう言うわけでは無いと考えられているのであろうが、文鮮明師の語られた中には「地上天上天国創建」は明示されている。また「日本は国が無くなっても支援しなければならない」とも言われた程である。
いずれにしても「国」が必要であると言っている訳で、どこかで変革が行われる事に成る事は間違いの無い事であると言い切っている。

しかしこの辺りのことが問題になるなら他の宗教も全てに言える事だろう。

全ての人々の平和と安全を実現する為には、「人の心の矛盾性を解決しなければ実現はしない」事は間違いない事である。

このままでは変革に変革を、殺戮に殺戮を重ねてきた人類歴史を繰り返すだけである事を人類は気付かなければならない。

いや心では気付いて居ると思うが、どうすれば良いのか分からないと言うのが現実かと思う。
だが、統一原理はその究極を解決できる内容を持っていると考えている。

共産主義は破壊で世の中の構造や人の心を壊して不幸を作り出しているが、統一原理は一体化で一つになって創造して行く事をなす力を持っているし、その根拠も確りと提示している。

その差はどれ程に大きい事か、そしてその価値を全ての人類は知るべきである。

これぞ神とメシアの力であり、人類創造の力だと考えている。



続く

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