移転のご案内
このブログは2013年末にて更新を終了し、現在は新ブログで更新しています
移転先:Para Bellum(パラべラム)
また下記サイトも運営しておりますのでぜひ遊びに来て下さい。
サイト:月に叢雲花に風
これからも【Forth!】改め【Para Bellum】を宜しくお願い致します。
2013/12/31 ヒジハラ
■サイト更新:近代 【紐解『財部彪日記』(2)】
前回の続きです。
全5話中、後半の5話目は財部彪の話を書き始めた時のもので、4話は初出。
ブログで「続くよ!」という感じで打ち留めて早半年^^;
お待ち頂いた方(いるのか)、すいませんでした。
ブログに出すには長めの話になったので、サイトに移行して良かったかなー。
しかしながら自分としてはちょっと消化不良というか、少し書き足りないというか…
う~ん…という所が若干あるのだけれど、これ以上考えて更新を延ばしても今の所はあれ以上しようがない気がするので、もういいかと。
気が向いたり資料を見て何か得るものがあったら書き加えるか改訂するかしたいと思います。
まあ、取りあえず今回はこれで。
#4でも少し書きましたが、財部は本当に損しているような気がしてなりませんわー。
好きだからそう思うというのも、あるのだけろうけど。
山本権兵衛の娘婿というのと、ロンドン海軍軍縮会議の辺りの財部の印象で全てが語られている気がしてなりません。
軍縮会議はだったら財部じゃなかったらもっと上手くいったって言いたいの?とも聞きたいよ私。
条約を何としてでも纏めたい政府と不満たらたらの海軍(特に軍令部あたり)と、誰が海軍代表で出席してても結果としては同じだったんじゃないかなあ…
確かに財部がもう少し海軍部内や東郷平八郎やらに根回ししとけばもうちょっとマシだったんじゃないかとか、そういう事はもの凄く思うんだけど。
ちょっと正攻法過ぎたんじゃないか。
ワシントン海軍軍縮会議に臨んだ加藤友三郎と比べられることも多いけど、そりゃ酷だと思うのは私だけ?^^;
社会の状況も海軍の人的状況も随分違うし、周囲を説得して抑えつける力が段違いに違いますわ…
加藤が卓越しすぎてた。
財部達の世代では神様扱いになっていた東郷元帥や伏見宮博恭王(軍令部長)を抑えるのが、年齢的にも経歴的にも難しい所があったと思う。
誰がこの人達抑えつけられる…(ここでいつも山本権兵衛がシーメンス事件で予備役になってなかったらと思う)
しかもこの人達焚き付けてるのが、加藤寛治とか小笠原長生といった同世代の人間たちだし。
力量的にも苦しい所だ…
またワシントンの時と比べるとロンドンの時は海軍部内だけでなくて、関わった政治家たちとの間でも上手く連携が出来ていない印象を受けます。
彼らと海軍の状況認識がうまく共有できていないというか…
だから余計にややこしくなったんじゃないかなあ。
まあ、統帥権干犯という大事になったのは、政友会の犬養毅と鳩山一郎が党利党略のために政治利用したせいだけどね。
ほんとなんで犬養毅が「憲政の神様」なんだよ。
それはとにかく、どちらかというと残念なイメージで語られる事の多い財部彪。
もう少し良いイメージを持つ事が出来たらいいと思います…
山梨勝之進のような人に大丈夫かなと思われる様なことを書かれてしまうと(ロ海軍軍縮会議時。当時山梨は次官で国内で相当苦労していた)、中々イメージを覆しにくいというのはあるんだけど。
お読み頂ければ嬉しいです!
ショッピングモールのクリスマスツリー。明日から12月だねー。
そして年末年始に230何時間かぶっ続けでNCISを放送する寝かさない気満々のFOX。ワロタ。ワロタ…orz
■サイト更新:近代 【紐解『財部彪日記』(1)】
題が すんげー 大袈裟
いい感じの題が思い浮かばなくて、正に名前負け。
このブログで連載していた文章です。
途中で止まってたアレで、全部完成してからサイトにアップしようと思っていたんですが、1ページに収めるには思いの外長かったのでふたつに分けました。
今回はその前半部という事で。
ぶっちゃけると今回の更新分はここでストップしてた所までという、おいおい何なんだそれはというような感じに^^;
ご、ゴメンネ!(笑)
ひとつに纏めた方が読みやすいよな!と思って頂けたら嬉しいです。
続きはほぼ出来上がっているのでそんなに間を開けずに更新したい(※思うだけならタダ)。
御覧頂けたら嬉しいです。
今回の更新分はどの時代に入れるか迷いました。
私のサイトでは近代コーナーは「全体(明治~昭和にまたがる)」、「明治」、「大正・昭和」の3つに分けていますが、今回のように時代が入り混じっている話が一番困ります。
更新時にどこの時代に入れたらいいのか、困るというか迷うというか。うん。迷う^^;
いや、「全体」に入れたらそれで済む話だけど、どこに加えたら一番読んで貰えるんだろうなーと思うと…
軍艦の話とか制度の話なら特に迷いもしないのだけれど、原敬とか鈴木貫太郎とか人に関する話が一番困る。
活躍した時代がこの辺りっていうイメージがあるからだろうなあ。
自分が書いているのだから何とかしろよとも思うけど、そんなこと考えながら書ける程器用じゃないのよ…
とりあえず今回も迷った挙句「全体」に入れました。
毎度毎度悩ましいわー
**
それでもう1件お知らせですが、ブログ移転します。
すごく今更だなーとね、自分でも思うんですが。
ツイッターとかフェイスブックとか大体が数多ある中、お前はまだブログを使うのかという感が無きにしも非ず^^;
私にはブログが合ってるっていうのが一番。PCでしか更新しないしねー
ツイッターは文字数少な過ぎだし(アカウントあるけど、使う気が殆どないので見方も使い方も未だによく分からない)、SNSに個人情報売り渡す気には到底慣れない。
何でまた今このタイミングって感じですが、引っ越そうと思い立ったというそれだけ。
gooブログ、いいブログなんですよ。NTTなので安定してるし不具合とか殆どないし。
でもその代りに遊びがないんだよ…HTMLとCSSもいじれないし。
有料の方に申し込めばいい話だけど、お金払う程のメリットがあるとは思えないので。
今まで何度かこのブログの愚痴は書いてきましたがそれでも引っ越さなかったのは、ひとえにこちらの記事の膨大さによります。
ブログを始めて10年、こちらに移行してからは9年ですが、流石にね…
今数えてもトータルで2257件、ブログの核である歴史系のエントリが3.4割、767件ほど。
これどうするよ…^^;
蓄積あってこそという感じが強いのだけれど、gooブログはこれ以上使い勝手良くならなさそうだし、それならいっそ新天地に行ってみてもいいかなと思いまして。
エントリを置いて行くかどうかはまだ決めてない。
こちらが(旧ブログ)となるだけで閉鎖する訳ではないので、置いて行っても別に支障はないですが。
サイトでもブログにリンク繋いでいるページがあるしね。
そんな感じでgooブログとは今年いっぱいでおさらばです。アデュー。
URLはサイトと似た感じになりますがブログ名は変わるよ!
Forth! も長い事使ってたなー^^
大好きな『ロード・オブ・ザ・リング』のセオデン王の台詞 Forth Eorlingas! からでした。
あの辺りが私は心が震えるほど好きだ……!
知っている人は最早友人位しかいないだろう初代ブログはそこから取って Go Forth 、こちらに移転して来た時に Go を落として Forth! にしたんだよねえ。
「前に進む」という意味で、自分では気に入ってました。
ブログの説明欄が Walk don't run だったり、”もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋” だったりで、要するに「急がば回れ」だった訳ですが、歴史だったり好きな人物を理解したりするのに近道や早道、楽ちんな道はないなーと。
地道にゆっくり前に進んでいけたらいいかなと、まあそんな気持ちで書いていた。
引っ越し先はその内こちらでご案内します。
こちらでの更新はあと1ヶ月程ですが、引き続き宜しくお願いします^^
サイト更新
■サイト更新:近代 【明治30年代の物価を考察する】
先日予告していたもので、星新一『夜明けあと』に引っかけて書いた文章をひとつに纏めました。
け、結構な長さになったよ…!
延々と文字と数字というのも読み辛いので、表を挿入してみました。これで随分見やすくなったはず。多分。
ただこのページに出している数字は絶対じゃないし、正しい訳でもないという事で注意書きを入れています。
私の試算的なものですので、大体この位だろうという目安程度でお願いしますね~^^
そういう事もありますので前回のエントリで書いた通り、こちらのブログに上げていた文章は完全移行という事で消去しました。
で、さっき気が付いたんだけれど「数珠を繋ぐ」更新してないわー…
ごめん、忘れてた!(笑)(おい)
この話、自分でも結構気に入ってるんだ。ブログで連載していた時も読んで頂いている方が結構いらっしゃったようで、割と拍手を頂いていました。
そ、その割には掲載止まってるんだけどね!
頼んでいた資料が届くのに2週間位間が開いてしまって、手が止まってしまった^^;
すいません。言い訳です。ぼちぼち時間を見つけて書いてくつもり。
先々週かにヒストリーチャンネルで「伝説の企業家~アメリカをつくった男たち~」という番組を見ました。
ご飯食べてる時にたまたまやってて1時間位しか見てないけど、これ、面白かった…
カーネギー、ロックフェラー、フォード、JPモルガンの話。
この人達、みんな同時代だったんだね。
日本で言えば明治から大正辺りの話なのだけど、もう経済の規模が違い過ぎる。
「明治30年代の物価を考察する」の冒頭で、明治42年、東京だけで自動車38台もある!という話を書いています。
しかし当時フォードは車の製造をベルトコンベア化して(量産できる)、車を庶民の手にも届くような値段にまで落とすような事をやっている。
車、当時の日本で買ったら7500万円位(現在の価値で)するんだよ。
車ひとつだけを比較しても大正でさえこれだけの差があるのに、よくこんな国と戦争しようと思ったな。
大海知らずにも程があるわー井の中の蛙過ぎ…
■サイト更新 問わず語り 3ページ(9件)
1:君の、海軍のもうひとつの2・26、桜咲く桜散る
2:堀悌吉の話、陸奥と原、家族のおはなし
3:明治のお菓子徒然、明治のオーブン、星新一『夜明けあと』より
不問語の更新し忘れというか、更新したかどうかわからん分(…)って多分これで全部の筈。
「君の」、「海軍のもうひとつの2・26」、「堀悌吉の話」、「家族のおはなし」は海軍が引っ掛る話になります。
名前が出てくるのは江頭安太郎、広瀬武夫、山口鋭、堀悌吉、山本五十六。
山口鋭は何度か名前を出してきましたが、殆どの方が「?」だと思います(笑) 秋山真之の同期ね。
「桜咲く桜散る」は佐賀の人々の話(上原勇作、江藤新平、江頭安太郎)、
「陸奥と原」は題そのまま陸奥宗光と原敬の話。原は「家族のおはなし」の方でも名前が出てきます。
「明治のお菓子徒然」は、これはブログに書きっ放しにしたまま本当に忘れてた。サイトに移すためにコピペもした覚えがない。書いたの3年以上前だよ。笑。
「明治のオーブン」、「星新一『夜明けあと』より」は今年に入ってからの文章ですのでご記憶の方も多いと思います。
「星新一『夜明けあと』より」は、そのまま当時の物価の話になだれ込んでいますので一端切りました。
両者一緒くたにするには内容に隔たりがあるし、何より長すぎる。
そしてあの内容を不問語として扱うのはもったいなさ過ぎる^^; (計画性のなさがつらい)
という訳で、その後の続きは「明治30年代の物価を考察する」という(妙に真面目くさった)タイトルで、近々に別途アップします。
「星新一『夜明けあと』より」の方に続きはこちらというリンクを張ってありますが、まだ繋がっていませんのであしからず。
そして「-考察する」をアップした後はブログの文章は完全移行という事で削除します。
いつもはほったらかしですけど、まあ、幾らか注意書きが必要な文章かと思いますので。
お時間のあります方、お付き合い頂ければ幸いです^^
10月10日って何かあったなと今月に入った辺りから考えてました。
友達の誕生日でもなし、知ってる偉人の誕生日でもなし。
そしてふと気付く。今日はサイトの誕生日だった…
はい、今日がサイト開設9周年でした。
何せ気付いたのがさっきだったので何の準備もしてないんよー (;′Д`)ノ
幾らかストックあるけど余裕もって見直さないと絶対変な所でミスするので。
週末位に何か更新しようかな(言うだけならタダ)
毎年この日が来る度に来年までサイトはあるのかしらーと思い続けてはや9年。
私としては結構長く続いてるなというのが正直な所です。
ホントにね…始めた頃は1年もつかなって思ってたし。笑
そして星の数ほどあるウェブサイトの中から弊サイトに遊びに来て下さる皆様、ありがとうございます。
自分が調べた事を纏めるという側面が大きい(というかそれしかない)サイトですが、読んで下さる方がいるのでここまで続けて来られたと思っています。
これからもぼちぼちマイペースで続けていきたいと思っていますので、宜しくお付き合い頂ければ幸いです。
***
先日新聞にジョージ・アキタの朝鮮統治に関する研究書の書評が載ってました。
うわあ懐かしい名前を聞いた…!
というか、1・2ヶ月ほど前にこの方の山縣有朋研究の本が新しく出るって聞いて、実はワクワクしながら待ってるんだけど、あれどうなったんだろう。
もしかしてこの本だったんだろうか^▽^; (書評読む前に新聞出された…)
10月に入って尚寝汗かく夜があるってどうなのかしら…
日中は30℃超えてるわ朝晩寒いわで本当に体が付いて行かんorz
皆さんも体調崩されないようお気を付け下さい。