滂沱の涙・・・涙を流して少しでも楽になりましょう!

基本的には思いを吐き出し滂沱の涙を流すブログ。暗く、悲しく、惨めな思いを歳も体裁も場所も構わず訴える。

つまらぬ喧嘩のその後〓

2013-06-30 22:43:59 | 私小説
昨日のつまらぬ喧嘩だが、一応経過を聞いて頂きたい。

部屋にこもってどのぐらいの時間がたっただろうか。感覚的には15分ぐらいだが、実際はもう少し短い時間だったかもしれない。

主人が上がってくる気配がし、ほどなくノックの音がした。

私が無言を決め込むと、主人はドアを開けようとするも鍵がかかっていることに気づくと、私の名前を呼びながら、あくまでも冷静に上品に再度ノックをしてきた。

私は冷静さを失い涙でぐしゃぐしゃになった恐ろしく醜い顔をのぞかせ「私はもう会わないから」と酷くしゃくりあげながら、その言葉を何度も繰り返した。

主人はまるで事態を把握できぬかのような困惑顔をし、これはどうにも手がつけられぬと思ったのだろう「はいじゃあわかりました」とやけくそ半分で下へおりて行った。

主人は最後に私が顔を見せないことを、あの感情の酷く乏しい保険会社の女になんと言ったのであろうか。

主人の性格からするとありのままを伝えているような気もするが、今更私はどう思われようが怖いものなどない。
こんな事態になることなど先刻承知の上でしたことだ。

だいたいあの女も商売する気はあるのか。もっと愛想よくできないのかと八つ当たりもしたくなる。


それでその日は終わりである。


私が夫婦喧嘩ではじめて夕飯作りを放棄した記念すべき日でもあった。

今日という日だけは、もう一切何もするものかと私は心に決めたのだ。

私のかつてない怒りを家事を放棄することでせめて表現したかった。

しかしキッチンには汚れた食器、溢れる生ゴミ、洗ってザル上げしていた葱までそのまま置いてあった。

悲しい主婦の性というのであろうか、とてもそんな状態を放置して眠る気にはなれなかった。

仕方なく食器を洗い、生ゴミを生ゴミ乾燥機に突っ込み、葱をいつになく薄くきれいに切ってタッパーに入れた。

きれいに片付いたキッチンはやはり気分が良い。誰の為でもない。これは、自分にとって必要不可欠な仕事であった。

ついでにダイニングテーブルを丹念に吹き上げ、散らかったリビングのゴミも捨て、トイレ掃除までして仕事を終えた。

あ…私は何をしているのだとハタと思ったがいやいや気分は爽快であった。

つまらぬ喧嘩

2013-06-30 01:40:46 | 私小説
今日は客観的に見れば、つまらぬ事で主人と喧嘩をした。人に話しても同様にうん、つまらぬことだと百人いれば百人に近い人間に言われる自信のあるつまらぬ喧嘩であろう。

もし今の自分の心がもう少し元気であったなら、私もこの怒りの感情をここまで爆発させることなく忍げたかもしれない。

主人の心無い言葉に耐えるだけの心のゆとりのようなものが、少しでも残されていたら、こんな醜態を晒すことはなかったような気もするが、実際はわからない。

今までだって毎日の生活の中で、主人が発するさり気ない言葉に、不快感を感じながらも何でもない振りをし、やり過ごしてきたのだ。
〓〓〓

今日、主人を新たな保険に入れるため、保険会社の女性に来て貰った。

前回、初めてこの女性が来たとき、主人は私を軽くあしらい馬鹿にするような態度を何度かとった。

思えばその時からの蓄積された怒りが足し算されたのかもしれないが、その時点ではかなり不快な思いが残りながらも、まぁ実際私も多少愚かな発言を自覚していたので、怒りが爆発するほどのことでは全くなかった。

主人は告知書を記入し始め、手術形式という箇所でまず手を止めた。
私は去年の手術関係のファイル(去年主人は怪我で手術をしている)が役に立たないかと2階から持って来てみた。

私としては良かれと思ってしたのであるが、主人にしてみれば私の行為が余計なことであったのだろう。

それに一瞥を与えただけで、目の前の女性を、女房の馬鹿さ加減に同意を求めるかの如くチラッと見て、鼻で薄く笑ったのである。

私は一瞬、その行為が信じられなかったが、断じて気のせいでも、被害妄想でもなかった。
私はかつて主人が、人に対して意識下になく、そんな態度をとる場面を何度か見たことがあった。

しかしその行為は、どちらかと言えば親愛の情が含まれた冷やかしのようにとれたので、大して気にも止めなかったが、趣が変われば不愉快極まりない態度に変わっていく。

私はかなり不快であったが、彼女がそれに気付いていないことを祈りつつ、冷静を装い得意の気付かぬ振りを決め込んだ。

要するにこういった健康に関する告知書というものは、主人にとっては非常に面倒で厄介なものであり、恐らく心のゆとりもなかったのだろうと思う。

大体が心にゆとりが無くなると、他のことが全く目にも耳にも入らなくなってしまう質の人なのである。

次に主人は今自分が服用している薬の名前がわからない様子であった。考え込んでいるので、ならばと思い、老骨に鞭打ち(大袈裟だが)私は再び2階へ上がり、薬の説明書や薬そのものがないか探しに行った。

ところが説明書はどこにも見当たらず、薬箱には薬さえ一錠も入っていない。

何故薬箱に薬が入っていないのかが何より不思議であった。私はまず主人にそのことを尋ねたのである。

もしかして新たに薬を貰って来ているのであれば、その薬袋の中に薬の説明書も入っているだろう。貰って来ていることを忘れているのかもしれないとも思った。

しかし主人からは信じ難い衝撃の一言が返ってきた。

『お前、ちょっとだまっとけ』と…

いくら告知書を書いていてゆとりがなかったとしても、私には到底想像もつかない言葉であった。

せめて「ちょっと待って」であり
「もうそれはいいよ」ではないのか。

この人は一体全体私を人間として見ているのか?

それを疑いたくなるほどのぞんざいな言葉であった。

もともと主人は普段はこんな言い方はしない人である。決してむやみに人を傷つける発言もしない。
しかしちょっとしたゆとりのない瞬間に、こういった言葉がすっと出てくるのだ。

恐らく本人は全く意識してないのである。

しかしそういった無に近い瞬間に発した言葉だかるこそ、その人間の本心が出るのではなかろうか。

百歩譲ってこれが人前でなければ、私もそこまで悔しい思いもしなかったであろう。

私の虫けらのような頭にだって、プライドもあれば傷つく心も備わっているのだ。

私はただ主人が、私がその一言でどれだけ痛手を負うかということを全く忖度すらしなかったことが憎いし、そんな配慮など心の片隅にもなかったことが許せなくてしかたないのである。

私はは主人の所有物でもなければ、奴隷でもない。

まるで、人間として扱われてないような、屈辱を感じずにはいられない。

私は今まで自分の気持ちをある程度コントロールして生きて来た。
しかし 今日ほどそんな私を抑制する気持ちのたがが外れ、きれいさっぱり吹っ飛んでしまった日はなかった。

いやそんなことさえもどうでもよくなってしまうぐらいに、私の怒りは体の奥深くから沸々と、地底深く眠るマグマのように吹き出して来たのである。

どうあっても抑えることの出来ない怒り、いや屈辱が爆発してしまったのだ。
恐らく私の人生において初めての出来事である。言われた内容ではなく、ここまで感情が高ぶり憤ってしまったことがである。

私は「薬の名前がわかればと思った故のこと、何故そのような言われ方をされなければならないのか」と殆ど喘ぎながら息も絶え絶えに、言葉にならない声でやっと言い返せたように思う。

恐らく主人の耳にその声は何一つ届いてはいなかったろう。

案の定主人は私は居ないかの如く、目の前の女性と平然と話しをしていた。

そんな主人を眺めながら
「やはりこの人は私を人間として見下している」いや「それ以前に人間として認識していない」と確信するしかなかった。

そして私は奈落の底に落ちたのだ。
しばらく呆然としていたが、もうここには一分一秒も座っていたくなかった。

私はもう恥も外聞も消え失せてしまっていた訳で、なんの躊躇もなく3階まで勢いよくかけ上がった。

思い切り閉めた部屋のドアは、自分でも驚くほどの大きな音を家中に響かせた。

ポタポタと大粒の涙が止めどなく落ちてくる。

あ…こんな時いつも思うのは自分の無能さである。所詮自分はいつもどこかで感情を抑え、本当は不満だらけの人生なのに、分相応だと自分を納得させ、幸福だと必死で思ってきた。

所詮人に寄生して生きて行くしか能の無い人間なのだ。

それでも寄生して生きるチャンスを持つことのできた自分は、住む家にも家族にも恵まれラッキーな人生なのだとちゃんと理解し感謝し生きてきた。

しかし本当の自分は浅ましく、意固地で、卑屈で、少しでも自分より幸福な人間を一人残らず妬むそんな卑しく寂しい人間なのだ。

そんな風にしか考えることの出来ない自分がどれほど愚かでいかに哀れな人間であるかも十分理解している。

だからこそいままで、自分を抑え、どんなに傷ついてもプライドを守るため気付かぬ振りもしてきた。本心を明かさず生きてきた。

しかし私が必死で守り大切にし幸福と必死で信じ込んできたものはただの幻であった。

子どもも誰一人とし意のままには行かず、今は私を苦しめるだけの存在である。

生きれば生きるほどに、悲しみの傷は間口も奥行きも広がって行き、深さはどんどん深くなる。

こんなことになるのなら、私は貧しくても寂しくても、一人で自立して生きるべき道を選べば良かった。

あ…言われなくてもどちらも団栗の背比べであることは分かっている。いや一人で居る方が生活は楽ではなかったかもしれない。でも似たような境遇の人間はどこにもいるものだ。私はもともと他人と居る方が気が楽だった。家族といて伸びやかな気持ちになったことなどなかった。適度な距離を保てれば、たにんのほうがお互いに気遣いあい楽なのだ。勝手気ままに家族も作らず、血縁者とも一切付き合わずアウトローな生き方が私には合っていた。家族といたって孤独なら一人の孤独の方が幸せだった。

今更もうボロ雑巾のように朽ち果てた自分をどうすることも出来ない。

後は死だけなのである。
死だけである。

それが残された選択だ


とまあ、本来なら存在すらしなかったかもしれないようなつまらぬ喧嘩をし、挙げ句の果てにはこんな結論までに行き着いた。まじ笑える。

この程度のことで何をカッカしているのだと、お思いの方も多数いらっしゃることだろうが、私は今までの溜まりにたまっていた怒りも、一緒に吹き出したのではないだろうかと思うのだ。
このどちらかと言えば温厚な、私が10時間近くたった今も反省どころか、尚怒りがおさまらないのだから…

ひっそり静かに笑って笑って・・・

2013-06-20 14:03:28 | 心情

馬鹿で結構、私は笑って過ごしたかった

誰とも争うこともなく

心穏やかに暮らしたかった

親も子供も旦那も私も苦しむ顔など一切見ず  

退屈な時を過ごしたかった


今の私に他人の幸福を喜べとはあまりに酷というもの

しかし心は千々に乱れても、私は笑顔で祝福する

私だってできるなら心から喜びたかった

虚飾が作るさもしい心


あまりに違いすぎる幸福の差に人間ならば誰だって卑屈になる

出来れば妬んでしまう相手とは悲しくなるのですれ違いたい

自分にあった人間と分相応に戯れたい


ああ・・・悲しいかな

失敗だらけの人生は私をどんどん空虚にする

どうしょうもないぐらい逃げ腰で

何もかもが面倒で

安らかに眠る術ばかり模索する




覚悟

2013-06-11 07:29:58 | 心情

その時は今ではないかもしれないが

いずれ死の覚悟をしなければならない日が来るかもしれない

今の苦しみを逃れても

又新たな問題で憂悶する日々が訪れる

尽きることなく酸鼻の地獄は繰り返す

今はまだその時ではないし

出来ればその時など来ないことを願いたい

でも来るかもしれないその時を

うろたえることなく受け止めることが出来る自分になりたい