弔 辞
謹んで浦部幸哉様のご霊前にお別れの言葉を捧げます
平成26年元旦にお嬢様や孫娘さんと一緒にお正月のお祝いをされたその日の晩、ご家族に見守られて天国に旅立たれました。2日の朝奥様から電話があり、そんな事があっていいのかとわが耳を疑がいました。
週2回の介護予防デイサービスや奥様とご一緒に散歩をされたりお元気でしたのに
そして一日も病院に入院することなく、あっという間の出来事でお別れのご挨拶も出来ず誠に残念でなりません
浦部さん あなたとの出会いは、畑が丘自治会で総務を担当したことでした。それから貴方が大正15年生れの先輩である事、肥後モッコスで9人兄弟の末っ子であること。海軍兵学校75期生で、その後はずっと警察庁に奉職され全国各地を転任された事などを知り、爾来今日まで家族ぐるみのご厚誼を頂きました。
ご一緒した始めての登山は平成3年丹沢大山(1252m日本百名山)でこれが私達「山歩クラブ創設」の原点になりました。あれから随分山に登りましたね。尾瀬ヶ原、安達太良山(1700m)草津白根山(2138m)谷川岳(1963m)湯の丸山(2098m)美ケ原では私の日本百名山登頂祝賀会、乗鞍岳(3026m)大菩薩峠(1897m)栗駒山(1628m)志賀高原焼額山(2006m)横手山(2305m)等。犬吠埼京成ホテルでは皆で浦部さんの喜寿と金婚式のお祝いもしました。また北京、万里の長城、天安門広場にもご一緒しました。
ウオーキングでは関東ふれあいの道1都6県を海兵同期の佐倉さん杉浦さん土肥さんとくまなくでかけました。小学校の校庭でおにぎりを食べていたら、丁度体育の時間で鉄棒の逆あがりが出来ない子が居り二人で飛び入り教えに行きましたね
鎌倉歴史探訪ウオークで七つの切り通しも歩きました。浦部さんに誘われて東海道五十三次も完歩しました。お江戸日本橋から京都まで行けるだろうか、途中で投げ出すのでないか、全国各県最高峰の踏破もあるし新幹線の時代に酔狂なという思いもありましたが、「箱根峠を越えればそれで充分」と云われ兎にも角にもスタートしました。実際に箱根峠を越えてみると今まで出来そうにないと思っていた事が、これからも出来そうに思え、皆だんだん元気が出てきて、平成13年3月、3年がかり、12回、延べ24日間(550km)で完歩し比叡山延暦寺宿坊で祝杯をあげました。お陰で私も海兵75期生の後塵を拝することが出来ました。有難うございました。
脳梗塞で倒れられましたが奥様始めお嬢様の手厚い看護で復帰され、親和会の行事には進んで参加されました。花島公園ウオーキングでは小川の渕の階段で転び心配したこともありましたが、いつも長老の一員として親身になってご指導ご助言を頂きました。
浦部さんあなたは何時もお洒落でスマートでした。何をするにしても前向きで、礼儀正しい海軍兵学校仕込みの紳士でした。浦部さん貴方はグループの長老で寛容力豊かで頼りになる兄貴分でした。登山における山友であり、ウオーキングにおける歩友であり、そして私が目標とする憧れの先輩でありました。重いザックを背負い汗をびっしょりかきながら共に登山したお姿は忘れる事が出来ません。もうしばらくしたら私もそちらに参ります。その時は西国浄土百名山登山にお供させて頂きましょう。
どうか安らかにお眠り下さい。
平成26年1月6日