尾山喜與人さん さようなら
尾山喜與人さんは平成25年9月13日早朝逝去されました。
9月7日(土)体調を崩し、野瀬はなぞのクリニックから千葉県立がんセンターに入院されたばかりだったので、あまりにも早い旅立ちにただもう驚くばかりでした。
S字結腸癌手術後毎年精密検査を受けてきたが4年半経ったのでどうやらセーフらしいと喜んでいたのに「5月20日胃がんが見つかった。手術が出来るのは生存の可能性があるのだ。余命いかほど残されているか判らないが、出来るだけ良き日を重ねて人生を全うしたい。5月30日入院決まり、まな板の鯉、覚悟を決めて頑張って来ます。親和会の皆さんには大袈裟に伝えないで・・・・・」とメールを頂きました。
小生なら心の動揺治まらずというところですが、「まな板の鯉」と貴兄は既に腹が据わっていました。「心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切巓倒夢想で菩薩の心が窺われ心から敬服します。どのように声援をお送りすればよいのか、言葉が見つかりません。親和会運営については臨時役員会を開いて共に前後措置を考えるなど、小生にとっては大事な友をもがれる感じですが、貴兄はしばし一切を忘れ療養専一にされ、早く元気な顔を見せて下さい。何か小生に出来ることはありませんか、何なりとお申しつけ下さい」と返信しました。
貴方は富山県立高岡高校から東京大学法学部に進み、大蔵省に入省後証券会社に転進し、ロンドン支店長始め要職につかれ日本の金融界の為に活躍されました。背が高く白髪混じりのハンサムボーイで、人の話にじっくり耳を傾けてくれる優しい人でした。
振返ってみると奥様が家内とプールでご一緒だったのが縁で、平成10年12月鎌倉亀ケ谷切り通し歩きが手始めで山歩クラブに仲間入りされ山にもよく出かけました。
立山雄山(3003m)栗駒山(1628m)那須岳(1925m)四阿屋山(772m)・福寿草園北横岳(2473m)・横谷峡、秋田駒ケ岳(1637m)・乳頭温泉郷巡り、塩原渓谷・新湯富士山(1180m)志賀高原・焼額山(2006m)横手山(2305m)一切経山(1949m)吾妻小富士(1705m)・五色沼自然探勝路、早池峰(1917m)栂池自然園・塩の道千国街道、八海山(1778m)等
関東ふれあいの道では、筑波学園都市のみち・予科練ゆかりのみち、大霧山に登るみち、花の美の山公園を訪ねるみち、長瀞の自然と歴史を学ぶみち等。鎌倉歴史探訪 七つの切通し。東京大学演習林・上総亀山湖周遊紅葉狩り、そして5月10日、親和会ウオーキング京成バラ園が最後のウオーキングになりました。
「尾山喜與人の回想」を読むと、平均寿命の79.9歳を卒業している。今更未練を言うべきでない。次の世代にすべてを託して潔く去りゆくのが美学というものだとして、奥様始めご家族一人ひとりにお世話になったとお礼を述べ、最後に思い残すことはもう有りません。心から「さようなら」を言うとあり、溢れ出る涙を抑える事が出来ません。
山歩クラブであちこちに一緒に出かけたこと、自治会の役員も私は環境衛生、貴方は総務で総取纏め役。親和会再発足にも尽力され、何時も和顔愛語で、企画立案と行事の実施に大変お骨折り頂きました。貴方なくして今日の親和会再生は考えられません。貴方は貴方のお名前通り誠に「喜びを与える人」でした。本当に有難うございました。
願わくば千の風になって私達の親和会を見守り給え。謹んでご冥福をお祈りいたします。
平成25年9月