たくのわがまま風来記GOO

夢前 「置塩城跡」

令和  6.5.30 木曜日  

置塩城跡に登ってきました。2003年が最初で6回目の登山です。
当時は発掘していたのか、青いビニールで城跡地はおおわれていました。
この山は「城山」として登山案内があったと思います。
このころは県内の山をすべて登ろうとの意気込みだった。
ある冊子はすべて登ってきました。ほかたくさんの方が発行された冊子も
今も大切に持っています。
そのころからは少しずつ様子も変化してきていますね。
にぎやかになったこの登山口

歴史もしっかり描かれています。

荒れ果てた道ですが、案内はしっかりと。 歴史の山なので
あまり手を加えないほうが、歴史ファンにとっては、いいかもです。

山頂近くになると地形が変化してきます、当時の時代は石垣より土盛りで
高台を作っていました。

城跡にやってきました。

しかし看板はこのあたりを城跡と表現しています。
ふつう我々は、本丸があったところを城跡と思っていますが、
ここは広い城範囲のためこう表現されているのだろう。

看板を見ると本丸は、右のピークとなっています。


さてその本丸にとりあえず進みたいと思います。
そして下から見上げると、土盛りの上に石垣も作られています。

登ってみると確かに広い敷地で展望もありました。
相変わらず当初の青ビニールや土嚢がそのまま放置状態で土と混ざり
いやな風景です。

南側の展望です。瀬戸内海が大きく見えています。男鹿島です。

食事したりオカリナ吹いたりしてすぐに下山しました。
十八丁の距離です。

下山しました。

運動には適した距離でした。  赤松の家系を持つ置塩城は1469年築城後
1581年五代目の赤松則房の時に落城したらしい。


                     ~end~

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