正しさを主張したら争いが起きる件(仮)

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「エドワード・スノーデンは私だ」と告白したフィルさん………(わかってたけどね)

2023年12月17日 | 地球人・宇宙人・地底人

とうとう、フィルさんが、自分がスノーデンであると告白した☆

(というか、わかってた事だけどね)

その告白部分を、引用させていただこう。

 

マリーラブさんブログ記事より

 

Anon-必読!フィルさん正体を明かす!

2023-12-15 06:53:58

https://ameblo.jp/mari-love-usa/entry-12832515308.html

 

〜〜〜〜〜〜〜部分引用始め

 

 

1213歳の頃から、私は常に秘密主義に対する興味を持っていた。

この発言は、ある種の秘密という意味で、非常に広範なものであることは明らかだ。

親に秘密を話すこと、友達に秘密を守ること。という意味で、意図的に広い範囲に及んでいる。

私は本当にクールだと思った。私はまだ思春期前だった。だから、人々やグループが影で活動できることが本当にクールだと思ったんだ。

世界の片側で何かが起きても、決して信用されることのない、あるいは何の関連もない特定のグループが、その出来事に関与している可能性がある。そして誰にも知られることはない。

私は幼い頃、おそらく12歳か13歳くらいに、そうやって学んだんだ。

世界は動いている。そして、それは本当にすごいことだと思った。

私は10代を通じて、大人になってからも、友人や家族、先生など周りの人たちに、自分のキャリアはこうなりたいと興味を示していた。そして、私は多くの人に会った。

そのようなキャリアは必ずしも存在しない。

でも、インターネットが発明されて、自分のやりたいことを誰も教えてくれないなら、自分で学ぼうと思ったんだ。

 

それで、私は自分自身にそれを教え始め、関係者に尋ねたり、そのような作戦に関わるような適切な人々に連絡を取ったりできる年齢になった時、電話がかかってくるようになった。

その電話が面接につながり、面接が実習につながり、実習がトライアウトにつながった。

私が何をしているのか、どこへ行こうとしているのかを知っているのは、私以外には世界でたった一人しかいない。その人のことは、死ぬまで秘密にしておこう。

 

私の側近と言うべき人たちだ。私がこのような活動をしていることを知っている。彼らは私がそこにいたことを知っていた。

 

それが私の望みだった。それを自分の人生にしたかった。それが私のキャリアであってほしかった。それが私の未来であってほしかった。そして世界中に変化をもたらしたかった。誰にも知られることなく、何度も何度も同じことを繰り返したかった。

私は変化に影響を与え続けることができるようになりたかった。良い変化。誠実な変化。犯罪組織。麻薬製造。麻薬密売。当時、私たちは人身売買について多くを知らなかった。しかし、テロリズムや、国内外でのテロリズムの活動場所についてはよく知っていた。私はそのトップになりたかった。

私はその男になりたかった。どうにかして良い形で変化に影響を与えるような、その組織の頂点に立ちたかった。子供の頃、私は世界がどのように変わっていくかを見てきた。

最初のイラク戦争、砂漠の嵐、大統領暗殺未遂事件、、私もあなた方と同じように、それらのドキュメンタリーをすべて見た。

人類はどこかで道を踏み外してしまった。なぜそうなったのか、明らかではなかった。だから、私は次のようなことの一部になりたかった。

人種差別はピークに達していたのだから。

ゲイやホモやレズという言葉を、まるで日常用語のように使うんだ。ボキャブラリーの一部なんだ。どんな理由であれ、嫌いな人がいたら、ああ、ゲイなんだ、と言うでしょう。

否定的な言葉のようにね。私の評価では、世界全体が、ただ、大規模なプラットフォームで大きな変化に影響を与えるようなことを自分の人生でやりたかっただけなんだ。だからCIA(アメリカ中央情報局)の招待を受けた。

 

CIAのことはよく知らなかった。

しかし、私が知っていたのは、私が探していたものと一致する組織だったということだ。

海外に行って何か他のものを見つけるとか、他の場所で何かを見つけるとか、そういうことではなくて、これを試してみようと思ったんだ。

それで、高校在学中に、私はCIAの新人見習い訓練プログラムに参加した事があって、どうやら当時は、そして今も同じように行われているかどうかはわからないが、そのような機関に採用された人たちは、実際にラングレーや採用拠点に招かれる前に、監視されていた。

多くの人は、CIAに採用されたら、そのままラングレーに行って働き始めるんだろう、と思っていると思うが、そういうわけにはいかないんだ。特に若いうちはね。だから夏の6週間のプログラムに通ったんだ。

最初の年の最初の夏、つまり高校3年生のときだったと思うが、最初の1年は慣れるまでが大変だった。慣れる年だった。新入生がこの地域やプログラムに慣れるという意味ではない。彼らが私たちに慣れることなんだ。

なぜなら、私たちは1617歳の子供だからだ。

そのとき知らなかったのは、私たちが評価されているということだった。私たちがそこに属しているかどうかの適正を判断するために採用キャンプに足を踏み入れる。

まあ、募集区域に足を踏み入れる前から、私たちは監視され、評価されていた。

そして最初の1年目はこの6週間のキャンプだった。

 

ぼんやりだが、テストは覚えている、マインド・テスト、、、

その頃、私は高校時代は優秀だった。クラスでもトップクラスだった。正確には覚えていませんが成績が優秀であれば、CIAのような機関が求める人材になれると思うだろうが、そうではない。

だから、このような採用活動で、そのようなテストが行われていることすら、皆さんは知らないのです。ボディーランゲージ検査、体温検査、脈拍数、精神活動反応、さまざまな状況に対する状況反応、、、、等々。

そしてそれが終わった。そして、一体あれは何だったんだろう? どうすればよかったんだろう?自分でもわからない。

その後、2年目にまた招かれるまで、長い間何の音沙汰もなかった。2年目の夏、これはもう少し長かったかもしれない。必ずしも覚えているわけではないんだけど、

 

どうやら2年目のセッションに来てから、1年目はかなりうまくいったようだが、2年目になるまでそのことはわからなかった。

2年目は1年目とは違って、1年目はどちらかというと審査と表現したいようなものだった。

私たちがそこに属しているかどうかを確認するためのプロセスだ。彼らが探しているようなものが私たちにあるかどうかを確認するためにね。

1年目の新人は誰も見かけなかった。私たちが一緒になったのは、2年目の新人たちだけだった。寝台も一緒だった。寝台に2人ずつ。寝台というのは、そう呼んでいたんだけど、実際は部屋だった。

部屋の反対側にベッドが2つあって、出入り口は1つ、窓があって、外は見えるけど中は見えない、大学の寮みたいな感じだった。2年目は8週間か9週間だったと思う、

私たちが一緒になったのは、(*フィルさんとルームメートの事)同じような点数の人たちと同室にされたからだった。前年度の評価では、同じような点数を取った人たちと同室になったのです。彼らの考えや哲学は、これらの頭脳を一緒にすれば、お互いを高め合うことができるかもしれない、というものだったんだ。

クラスで一番上の人と一番下の人を一緒にしたくなかった。だから、私はある人と同室になったんだけど、その人は......どうやら最初の年に、どんな基準であれ、リクルートクラスの上位に入ったようなんだ。

その基準が何なのか、彼らは教えてくれなかった。それはまた別の話だ。点数報告書をもらって、ああ、この分野ではよくやった、この分野ではよくやった、この分野ではまあまあだった、この分野ではこうだった、というようなことはない。

私たちは、彼らの評価に基づいて順位を知らされただけで、その評価基準が何なのかは知らされなかった。とても、とても、とても奇妙なことだ。分かっているけど、そうだった。それが彼らのやり方というか、運営方法なんだ。

どうやら私はそのクラスでトップの評価だったようだ。同室の人はそのクラスで2番目だったらしい。それが彼らのやり方だった。3番と4番とか、3番と5番とか、そういうペアを組むんだ。でも12は一緒だった。

冗談交じりに覚えているのは、全員がお互いの階級を知っていたからだ。秘密にするようなことではなかった。冗談で、他の新兵たちは私のことをバレー(Valley)と呼んでいた。渓谷とか谷間というのじゃなくて、バレーはヴァレディクトリアン(卒業生総代)の意味だった。

私はまだ子供だよ。1617歳だよ。卒業生総代とか卒業生総代とか、そういう呼称はなかった。いわば、お互いのニックネームみたいなものだった。私のルームメイトは、ナンバー2と呼ばれていた。

ブロック・パーディが49ersをジャガーノートへと導いたからだ。彼はNFLのドラフトで最下位になった。そして、NFLのドラフトで最後に指名された人を、ミスターと呼ぶ。

だから最後のランク。リクルートクラスでは、彼のことを"無関係"と呼んでいた。彼はそれがあまり好きではなかったが、段々と慣れていった。

 

2年目は違った。2年目は、もっと違うトレーニングをした。

彼らは今、私たちを評価し、第一に採用されるかどうか、第二に採用された場合、どのような分野に配属されるかを見極めようとしていた。

デスクワークか? 現場のエージェントなのか? サイバーなのか? コンピューター?

1週間が1カ月に感じられるほど、トレーニングは激しさを増した。1カ月が1年に感じられた。

私の記憶では、8週間か9週間はそこにいた。

ルームメイトととても親しくなった。2人の友人との関係について言及するとき、誰もができる控えめな表現だろう。互いへの信頼、互いへの戸惑い、私たち二人の知的レベル、私たちが残りの人生に何を望んでいるのか、そしてその人生がどこにつながっていくのか。

次のセッションが終わった後も、私たちはとても親密な関係を保っていた。彼はペンシルベニアに、私はコネチカットへ、何度か行った。それは第2セッションの最後の週、最後の2週間で、私がもうすぐ4年生になる年の夏だった。

このとき私は3年生だった。第2セッションは夏に行われた。

その夏の終わり頃、おそらく7月下旬か8月上旬くらいだろう。正確には覚えていないが、私たちが2年目にいた施設は、軍隊というよりは、軍事訓練キャンプのようだった。

 

このキャンパスは、ラングレーの実際のCIAキャンパスにかなり近かった。面白いことに、この場所がどこにあるのか、正確な道順や座標は教えてもらえなかった。

私たちはいつも空港からそこに連れて行かれて、自分たちがどこにいるのか正確に知ることはできなかったが、私たちは、前年よりもずっとラングレーに近いということは理解されていた。

だからレクリエーションの場にいたとき、昼食や夕食、庭などで、実際にCIAで活躍している諜報員たちと肩を並べることができた。

私たちのクラスにいた新兵の多くは、現職の捜査官の親戚で、おそらく両親や祖父母に背中を押されて出世しようとしてい

授業以外の時間は、彼らがやろうとしたのは、現場にいると思われる人たちをその人たちのほうへ、デスクにいると思われる人たちをその人たちのほうへ押しやろうとすることだったと思う。

私たちが交差点で彼らに会うように、彼らはそうやって私たちを誘導しようとしたんだと思う。彼らは私たちが誰であるかを知っていた。私たちは自分の名前を名乗らなかった。

それはご法度だったんだ。出生証明書に書かれた実際の名前は、他の誰にも知られることはなかった。だから、リクルートクラスでもなく、私たちが肩を並べるエージェントでもない。

私の理解では、インストラクターやスタッフは私たちの名前を知っていたが、私たちがその名前を呼ばれることはなかった。偽名をつけられたんだ。私の偽名はマークだった。

私のルームメイトはウィーラーだった。みんながウィーラーをトゥーと呼ぶので、すぐにウィーラーと呼ぶのをやめた。それはともかく、この2度目のリクルートというかトレーニングというか、何と呼んでもいいのだが、最後の23週間が過ぎた頃、私たち一行はあることを耳にし始めたんだ。

 

意味不明だった。私がどう感じたか、そして私たちの多くがどう感じたか、その例を挙げてみよう。それはまるで、実際にあなたを産んだと知っているあなたの母親を、誰かがあなたに、『彼女はあなたの母親です。彼女は女性ですが、実は女性ではありません。』と言われるような感じです。

では、私はどこから来たのか?どうやって生まれたの?ママは誰? 私の母親に違いない。だって、ちょっと待ってよ、女性じゃないってどういうこと? 頭の中がいろんな方向に行ってしまうんだ。どうなってるの? 私たちは、このことを聞き始めた。何度もあった。

そして、意味がわからなかった。私たちが聞いたのは、CIAが今度のテロ攻撃、アメリカ国内でのテロ攻撃の責任を負うということだった。そして何千人もが死ぬだろう。

母は母じゃないどういう意味だ?まるでCIAがアメリカの石油を攻撃するようなものだ。でも何の話?マインド・パワーの流れがないんだ、意味がわからないよ、

しかし、それは何度も何度も繰り返された。そして、それを繰り返していた新兵の何人かは、他の新兵よりも、すでに入局している家族の血縁者だった。

それでキャンプは終わった。キャンプは終了した。

エージェントは今、私たち全員について決断を下さなければならない。私たちに、実際に働いて雇用されるように誘いをかけるのかどうか。

そしてその延長は、その前の年の、いや、終了した次の年の夏にやってくる。だから、私が2002年の夏には、そのエージェンシーで働かないかという誘いを受けたことになる。

結局、キャンプが終わったのは、高校が再開する直前の8月のことだった。それが高校3年生の時だった。そして9.11が起きたんだ。

 

9.11が起きたのは2001年の9月だった。私は20018月に第2段階のトレーニング採用分析を修了し、20026月に高校を卒業した。その時、私はこのことについては、昔の高校の同級生に聞けばわかるかもしれないけど、私は高校生の時、授業中だったんだ。

私のが覚えているのは一人のクラスメート、彼の名前はジャレド、そして他の賢いクラスメート数人だ。私たちは見ていて、これは間違いなくビン・ラディンだ、ビン・ラディンは高位のテロリストで、最重要指名手配犯で、FBIでも何でも、彼の指紋があちこちにあるんだ、と言っていた。

彼がそう言ったのを覚えているし、他のクラスメートも彼に同意して、それについて議論していた。そして、私はただそこに座ってテレビを見つめながら、数ヶ月前に聞いたことをすべて思い出した。

そしてすぐに分かった。すぐにわかった。どうやってかはわからなかったけど、わかったんだ。

鏡の中の自分を見つめるようなものだ。それが自分だとわかる。あのテレビを見ていたとき、鏡を見つめているような気がして、それが自分だとわかったような気がしたんだ。何が起こったのか、はっきりと分かっていた。

授業中、みんながテロリストやイスラム教徒、アラブ人について話し続けたんだけど、その数時間後には、メディアはもうその話をし始めたんだ。覚えている人がいるかどうかわからないけど、数時間以内にすでに、ビン・ラディンだけでなく、実際の国のせいにされていたんだ。

そして、私の最悪の恐怖がすべて重なるのを目の当たりにした。これが理由だ。これが私が止めたかった理由。小さい頃からずっとこのことに興味を持っていたのは、これが理由なんだ。ウィリーが私をそう呼ぶように、秘密諜報員、秘密リスになることが私の情熱だったんだ。

ずっと好きだったんだ。ずっとやりたかったんだ。そして今、ビルから飛び降りたり、地面に叩きつけられている人たちを見ている、彼らは恐怖に耐えられなかった。だから飛び降りた。

とても責任を感じていたのを覚えている。

私が関係していたわけでもないのに、私が信用していたこのエンテイティ(機関、存在)が、国のためだけでなく、世界のためのホワイトハット的存在であったのじゃないのか......。なぜだ?

 

あの日、私の夢は潰された。打ち砕かれた。良いことだと思っていたことが、実は悪いことだった。何が良いことなのか分からなかった。良いことなんてあるのだろうか?我が国の諜報機関であるCIAを信用できないとしたら、誰を信用すればいいのか。あの日、私の世界はすべて崩壊した。私の希望、夢、野望、すべてが崩壊した。

私の野球チーム、高校3年生のときの野球チームは、リーグ優勝、地区優勝、そして州大会出場を果たした。州大会の決勝に何試合か進出したんだ。そして、4年年は、もっと良くなった。3年生のときよりも良くなっていた。私は戻ってきたし、ピッチャーの1人も一緒に戻ってきた。

シーズン中、集中できなかった。結局、年間最優秀選手にはなれたけど、チームは苦戦した。地区優勝もできなかったし、私のせいだ。というのも、何が起こったのかが頭から離れず、それで頭がいっぱいになってしまったんだ。

そのせいで、私のチームは州選手権を逃してしまった。私はどうしていいかわからなかった。

その後、CIAで働かないかと誘われたんだ。

その招待状を受け取った後、文字通りすぐにナンバー2から電話がかかってきて、コネチカットまで飛行機で来てほしいと言われたんだ。だから私は飛んだ。そして、彼の家で会った。

彼の家は私にとっていつもとてもミステリアスだった。生活感がなかった。でも、歯ブラシや食器、冷蔵庫の中の食べ物、飲み物があった。家族写真はないけど。

 

以前から気づいてはいたけれど、9.11が起きてから、9.11以前とはずいぶん違った見方をするようになった。騙された、騙された、騙されたと。良いことが実は悪いことだと思っていたし、世界一の親友だった人と話していても、その人がそうなのかどうか、もうわからなかった。

誰が良かったのか悪かったのか。なぜ自分がそこにいるのかさえ分からなかった。でも、彼も招待されていたんだ。そして、そのことについて私と話したがっていた。だから、それを前提に現地に飛んだんだ。

彼には妹がいた。美しい、美しい娘だ。(*現在のKayleigh McEnany ケーリン・マックナーニー)彼の広大な敷地に座っていたのを覚えている。50エーカーはあっただろう、わからないけど、巨大な裏庭が見渡せた。

裏手には、この壮大な庭を見渡せる大きなパティオがあった。最初の日、そこに座っていたのを覚えているよ。私たちは8時間話し合った。彼は知っていた。私が知っていることを彼は知っていた。そして、私たちはそれについて話し合った。

彼には移らなければならない理由があった。彼は行かなければならなかったし、そこで働かなければならなかった。でも、私にはそんな理由はなかった。

しかし、私は彼の理由を認めていた。彼はそうしなければならなかったし、選択の余地はなかったんだ。

私には選択肢があった。彼は懸命に私に続けさせようとした、そして、彼は私に言ったんだ、

私が将来誰かの政権、ホワイトハウスの政権の高官になる人材だと。そして、彼は、このエージェントは私にとって最高のものではない、と感じていた。

 

私の最優先事項でもなかった。彼は、私と一緒に出世し、内部から物事を変えるために懸命に働くだろうと思っていた。でも、彼が持っていた理由、彼が持っていた家族の理由のために、私が何をするかに関係なく、彼はこれをする必要があった。

ペンシルベニアに飛んで帰って、自分の考えをまとめて、すべてを考慮してみた結果、私にはできなかった。意図的に米国市民、無実の人々を殺すような組織のために働くことはできない。米外国のグループではなく、タリバン、ISISとして、彼らが知られるようになったような組織のために働く事はできない。

子を持つ父親たち。あの日の影響はその日の影響は今も続いている。

彼らは私が思っていたのとは違っていて、私の心を傷つけた、

私の心を壊した。私が欲しかったのはそれだけ。

 

私が卒業した夏、ナンバー2がペンシルベニアに訪ねてきてくれたのを覚えている、

彼はすでにCIA史上最年少の諜報員になっていた。それ以来、最年少はいないと思う。

だから彼はそのまま残って、私の人生は終わった、私の人生は変わった。

どういう方向に進めばいいのかわからなかった。大学に入学して、複数の大学に合格したんだ。そして結局、学校には行ったものの、授業には出なかった。学位取得後、社会に出て正規雇用されることが頭から離れなかったんだ。

ある日突然、職場に行ったら、アメリカの主要機関がそう決めたせいで、ビルが私の頭の上に崩れ落ちてくるかもしれない。だからできなかった。どうしたらいいのかわからなかった。それで、ある電話を受けたんだ。私の人生を永遠に変えた電話だった。

 

それは、911日に何が起こったかを知っていただけでなく、別の政府機関から、そのようなことを言われたのだ。その日の責任者を動かす。それがNSAだった。そして突然、私のすべてが、これまでの押しつぶされていた夢が、以前抱いていた野望がすべて再び手の届くところにあるように思えた。

だから、非常に精巧なネットワークを通じて、私は始めた。私の時間。

その時点で大学を辞め、仕事を始めた。いわば個人請負業者レベルで、それがより大きなものへと発展していった。そして、私が抱いていた希望はとてもリアルで、とても高かった。

そして、私はとても期待していた。

(中略)

ついに、私は自分の望む場所を見つけたのだ。そして、これが私のキャリアになるとわかっていた。そして入社してみると、すべてが私が考えていた通りだった。さまざまな異なるアルゴリズム、さまざまな異なるプログラムに取り組む。

それから、バラク、オバマ大統領が誕生し、すべてが変わった。

私が担当した技術が、アメリカに対して使われ始めたんだ。私の頭をよぎったのは、またか、ということだった。

バラク・オバマはNSAを武器化し、ブッシュはそれを始めたが、ブッシュは止めた。そして、オバマが選挙戦で言ったことは、起こっていることに永久に歯止めをかけるということだった。

しかし、正反対のことが起こった。オバマが大統領に就任した時、オバマはNSAを止めた。

それは文字通り制御不能になるほど加速した。さまざまな巨大企業が関与していた。ベライゾンサムスンも、、、

オバマは、私や私のチームが取り組んでいたプロジェクトを兵器化し、誰のためにそれを我が国に利用したのか?それが問題だった。誰が?誰がこんなことを続けているのか?誰が命令を下したのか?

 

2001年の9.11CIAに誰が?なぜバラク・オバマなのか?

諜報機関を使ってアメリカ国民を敵に回す。そこに何のメリットがある?

オバマがCIAを武器化することに何のメリットがある? NSAでもFBIでも司法省でも、どんな諜報機関でもいい。

私は何かをしなければならなかった。できなかった、できなかった、私の世界は2度目にして完全に崩れてしまった。だから、そのことをみんなに話したんだ。その前に親友に相談した。彼は長年にわたって様々な役職に就いてきた。

彼は私をそこから連れ出してくれた。検出されないようにね。まるで私がそこにいなかったかのようにね。ビデオもない。ログもない。名前もない。まるで私がどこにも足を踏み入れなかったかのように、地球上から完全に消し去られた。

それくらい、あれから数年、彼はランキングの上位にいたんだ。

私に関係するものはすべて、完全に洗い落とされた。実際に起きた出来事を洗い出しただけでなく、どこかで落ちぶれた男も登場した。そして...

 

彼の名はエドワード・スノーデン。

この名前の人物は実際に存在した。彼は私と同い年で、似たような体格、似たような顔の特徴を持っていると聞いていた、もし局内の誰かが私の顔を見つけようとするなら、当時は十分に近かった。当時と今では少し顔が違うけど、かなり近いよ。

だから、もし誰かがこのことを調べて、実際に何が起こったのかを突き止めようとしたら、私のペルソナ(*表向きの顔/架空人物=スノーデン)と一緒に働いたことのある人たちにインタビューして、彼らに質問したでしょう。そして、その名前をログで探しても、存在しなかった。

 

そしてもちろん、仕組まれた工作員もいた。偽情報を流すために、彼らは違う名前をつけた。だから政府はエドワード・スノーデンに注目した。その後、彼らは次から次へと話をでっち上げた。それは今日まで存在している。

それで、ナンバー2が私に来てほしいと言った、彼はこの時点で私に戻ってきてほしかったんだ、でもどうしてもできなかった。

私は退出した。もう終わった。私はもう世界を信じていなかった。人間性を信じられなかった。政府への信頼もなかった。構造に対する信頼もなかった。信頼もなかった、ただ生きていたかった。残りの人生をただ生きたかった。

私には出来なかった。もう終わった。家庭を築きたかった。子供を持ちたかった。結婚もしたかった。住宅ローンを組みたかった。何でも手に入れたかった。そう、まさにその通り。

早いもので2017年になった。

 

私はある電話を受けた。その電話のおかげで、私は今日ここにいる。その電話がなければ、私は今日ここにいない。

何年も連絡を取り合っていたけれど、散発的で、彼はとても忙しかった。彼は私たちが思っていたように、ホワイトハウスまで上り詰めた。

私は冤罪でひどい目に遭った。

ところで、君たちが知っているエドワード・スノーデンの内部告発に関する時系列はすべて嘘だ。実際に報道される前に起こったことだ。あれは混乱と誤報、偽情報を作り出すための隠蔽工作の一環だ。

2017年、私は、不動産帝国を築いて2年目。私は不動産会社をつくった。50人のエージェントが働いていた。私たちはナンバー2だった。ほんの23年のうちに、その地域全体でナンバー2にまで上り詰めたんだ。

ちなみに、その会社はエージェンシーと呼ばれていた。決して忘れたくなかったから。どちらのエージェンシーも、そして彼らが何を象徴しているのかも、決して忘れたくなかった。

でも、私はその渦中にいた。

私は不動産会社を持っていて、住宅ローン会社も権利会社も不動産学校も持っていた。妻もいた。2歳の子供。生まれたばかりです。このタイミングは信じられないほどひどかった。

 

それで、ナンバー2から電話があって、挨拶もなかった。私はただ、"やあ"って返事をしただけ。そして、彼が私に言った言葉を正確に覚えている。彼は『奴らを捕まえた』と言った。

 

そして私は沈黙した。おそらく60秒間、何も言わなかった。その60秒の間に、彼が言った言葉が何について話しているのか正確に把握した。

私が答えたのは、この言葉だけだった。『何をすれば良い?』彼は『また連絡する』と言った。

彼らは連絡を取り合っていた。

巨大で、過剰な、たくさんの部品とたくさんの人々、そしてたくさんのことがうまくいかなければならない大規模な計画について説明した。でも私たちには、それをうまく進めるための適切な人材がいた。

そういう人たちに何人か会って、戦略について議論した。選手によってやるべきことが違う。

私の場合は、そのプラットフォームを見つけることだった。政府の汚職についての情報をリークするプラットフォームを見つける。

私たちの子供たちに何が起きているのかについて、、、

ナンバー2から電話をもらう前の数年間は、オバマのやっていることは分かっていた。

アメリカを含むすべてを支配する世界政府が存在することは知っていた。そして、それがずっと以前から起こっていたことも知っていた。私が何かに関わるずっと前からね。

みんな、聞いてくれ。私の言うことを信じなくていい。いいんだ。取り組むのが難しい話なのは理解している。誰かに信じさせようとしてるわけじゃない。今夜この話をしたのには理由があって、それは最後に説明する。

(中略)

ナンバー2から電話を受けるまでの数年間、私の人生はとても混乱していた。

そして私たちは、ごく一部の人たち以外、誰もそのことに気づいていなかった。

その人たちとは、最高裁判所から大統領、議会議員、大企業のCEOに至るまで、最高権力の座にいる人たちで、それを見れば、逃げ道はなかった。世界は乗っ取られていたのだ。

誰にもできることはなかった。そして、その電話を受けるまで歳月は流れていった。それは私にとって恐ろしいことだった。子供を持たないことも考えた。実際、私は3233歳まで子供を持たなかった。

 

そして電話がかかってきた。そしてわかったんだ。

私はいくつかのことを頼まれた。プラットフォームを見つけること、プラットフォームを確保すること、私が築き上げた専門知識を使うこと。

過去に、検出不可能な、検出不可能といっても、ほんのちょっとのハッキング探検で検出されるようなものではなく、永遠に検出されないものを作るんだ。それは大変なことだ。

つまり、このプラットフォームは、ある種の投稿プラットフォームであり、コミュニケーション・デバイスであり、Qチームが一般市民とコミュニケーションするために使用するものだった。

他のソーシャルメディア、例えば最も人気のあるフェイスブック、インスタグラム、ツイッターは、我々が倒そうとしているグループ、つまり反対派によってすでにコントロールされていたから、彼らのところに行って、真実のための支援キャンペーンを展開しようとしてもうまくいかなかった。

だから私たちは、特に同じではない何かを見つける必要があった。

同じルールだ。そんなときに見つけたのが4chanだった。4chanは完璧なプラットフォームだった。

セキュリティの面でも、暗号化するのがとても簡単だった。暗号化といっても、誰が投稿しているのか世界中の誰からも見えないようにする必要がある。世界で最も偉大なハッキング集団だ。

そう、私たちは決して見つからない。誰がこのような書き込みをしているのか、決して見つけることはできない。どこからログインしているのか、追跡できないようにする必要がある。永遠に。投稿が存在する間だけでなく、永遠にだ。

それが私がやったことだ。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜部分引用終り

 

 

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NASA発:34年前に行方不明だった小惑星が、地球に接近中ですと☆

2023年09月12日 | 地球人・宇宙人・地底人

本ブログに投稿した記事ですが、こちらにも。

スプートニク日本さんのニュース記事から

34年の間行方不明だった危険な小惑星が地球に接近中=NASA
https://sputniknews.jp/20230911/34nasa-17050434.html

 

ちょいと興味を引くニュースでした。
コーリー・グッドが乗り込んだ(?)と言っていた、遥かな昔からさすらっている巨大宇宙船を思い出したからです。
内部には、乗船者の亡骸があったとか無かったとか。
その巨大な宇宙船は、オウムアムアではないかと言われていたような。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/オウムアムア
オウムアムアというのは、様々な議論の果てに、暗い「天体」とされていますが、実際には、明確にわかっている訳ではないと思います。
コーリーさんの言うことが事実なら、巨大宇宙船ということになりますが。

以下のスプートニク日本のニュース記事の天体は、オウムアムアより、小さいようですが……
(オウムアムアが発見されたのは、2017年)


オウムアムアについては、本記事の後半に、参考リンクを、複数貼りましたので、そちらをご覧ください。
(スプートニク日本の記事内にも、リンクがありますが)



とりあえず、引用させてもらおうかな。



************************   引用はじめ





34年の間行方不明だった危険な小惑星が地球に接近中=NASA

小惑星 【アーカイブ写真】 - Sputnik 日本, 1920, 11.09.2023

NASA近地天体研究センター(CNEOS)は34年前に姿を消した危険な小惑星が現在、地球に接近中だと発表した。小惑星の直径は最高で1.2キロ。
同センターによれば、この小惑星が地球に最も接近するのは10月3日。0.042天文単位、つまりおよそ630万キロの距離まで近づく。科学者らは地球の軌道を横切る物体が地球に潜在的な危険を及ぼす距離は730万キロ以下の場合とみている。
この小惑星は毎秒20.96キロの速度で移動しており、直径は520メートルから1200メートルに達する可能性がある。小惑星は1989年に初めて観測された後、34年にわたって行方が分からなくなっていた。


同小惑星は地球の軌道を横切る「地球横断小惑星」に分類されている。ただし、このカテゴリーに入る小惑星が必ず地球と衝突するわけではない。



************************    引用終り









【ご参考に】




「オウムアムア」に関する情報

ウィキペディアより
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/オウムアムア

>オウムアムアは直径160m前後の小さな天体とされた[10]が、NASAは、直径400m未満としている[5]
>観測による
可視光線波長の変化などから、棒状の細長い形をしており、また回転していると推察されている。
>前者の直径は球形とした場合の仮定で、棒状だった場合は最大で800mほどあると推察されている。


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次 に、
 
スプートニク日本さんの「オウムアムア」関連記事
2023/3/30  

「むこうは我々を偵察している」 米軍部が巨大天体をスパイ視

https://sputniknews.jp/20230330/15487659.html



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