ブログすっかりご無沙汰しています。
twitterを一月程前に始めすっかり嵌ってしまい、
タイムラインを眺めている時間が多くなりました。
まるで雑踏にでもいるような気分で、
周りで知らない人たちが話しているのを、
素知らぬ振りをしつつ実は興味津々で聞いたり、
ひとりで呟いている人の言葉に耳を傾けたり、
といった感じです。
内容もさまざまで、日常の出来事から時事問題や
哲学的な話題から各種のシモネタもあり。
この各種が大事で(笑)、まあ嗜好にあったものを
探してフォロー先のフォロー先を彷徨ったりしています。
それから私も本を読む時に気になったところをメモしたり
することあるけど、人様のそんなメモ風呟きを読むのも
興味の尽きない楽しみです。
眺めるだけでなく、呟くというか、囀るというか、
ぼやくというか、そちらの方も楽しんでいます。
特に深夜に半酩酊で、思いつくままに、好きな本や曲や
興味あることについて、投稿するのにすっかりやみつきです。
塚本邦雄「王朝百首」(講談社文芸文庫)は読了。
あとがきによると、百人一首歌人は半数強で、
40名もの新たな王朝歌人が採用されている。
馴染みの無い歌人も多く新鮮で、
またお気に入りが増えてしまった。
丹後・小侍従・宮内卿・俊成卿娘など女流が充実。
後京極摂政良経は当然だけど、その弟良平・兄良通にも
良い歌があって、さすが兄弟だなと思う。
御堂関白の歌もおおらかで味があって、違う一面を見た
気分になった、ただの驕れる者ではなかったのだな。
以前から何度も書いているように、私は塚本邦雄の
縦横無尽の評釈が好きで読んでいるのだけど、
「をわりに」の中に、『訳も解説も蛇足であり、
任意の時、任意の作品を、自由に吟誦して楽しむのが
最上の鑑賞である』と書かれている。
【*】『…』内は引用。以下も同様。
私の鑑賞とは正反対だけど、これは究極の鑑賞法だろう。
一体いつになったら、どう読書したら(ブッキッシュな人間
だから「精進」なんて言葉は使いたくないのでこう書きます)、
こんな境地に達せるのだろうか。心許ない。
でも楽しみでもあるのだ、頭の中に歌の花園を作る事が。
『作者名も注釈もすべて虚妄であらう。
真にすぐれた作品はそれらを拒み、無視して聳え立つ』
『絶唱、秀吟は、おのづから作者の、唯一人の小宇宙の
中に浮び、その背後には彼を生かしめた時間と空間が
透いて見えるはずである』 まさに至言。
現在は「定家百首 良夜爛漫」(河出文庫)を読書中。
薄田泣菫「完本 茶話」(上)(冨山房百科文庫)読み始め。
「茶話」は主に大正年間に書かれた新聞コラム。
ちょっと良い話や奥行きのある話もあるんだけど、
単なる当てこすりや相当意地の悪い話もある。
まあ毎日書かなければならないから、日によっては
悪意がむくむくと沸いてくる日もあるのかも。
大正5年5月8日の夕刊に掲載された「酒」。
法学士Kは酒と女が大好き。散々酔払って近くに
突っ立っていた男に絡んだ…
(オチはここでおおよそ分かったけど、
結末はそれを遥かに超えていた)
頭突きをしたら、その法律の条文の詰まった頭は
案外カラッポで空き缶みたいな音がした…
で脳震盪で死んでしまう。勿論立ってた男は電柱。
更に話は続き、死んだ法学士は貶められる。
この悪意…何かの私怨とか思ってしまった。
【テスト】gooブログに付いているtwitterのまとめ機能を
試しに使ってみます。でも流れていった方が良い気もするので、
場合によってはまとめを中止或いは削除するつもりです。
それから誤字脱字や変な文章多いですが、ご容赦。
では、また。