ほとんど興味はなく 今年のある日 3月だった。
昼寝をしていて起きるか起きないかの間の時。
寝ぼけまなこというか、まだ寝ていたのかは不明で
なぜか「さよなら」と言っていた。
自分でもなぞ
何にさよならをしたのか、さよ~ならのお相手は日本
「さよなら日本」。
寿命が尽きるのだろうかとうとう
こんなろくでもない世の中ではさぞかし大変だろうと
お迎えでもくるのかな?さっさと来てくれ。
と思ったがなんか来ないホントに。いつになったら来るのか。
この世に生まれる事は、重荷や役目を背負うことで、ある意味この地球での異常な出来事(自然以外での)のせいで、さんざんな苦労を人や動物が背負う場所ではあるまいかと思う。よく宗教では逆を言う。ただひたすら人間が悪いと・・悪いのは、そういうことを言い出して他人にどうしろこうしろと、強要しだすどうしようもない宗教者の方なのだが。
いまある宗教が問題になっているが、一部の宗教者が好みそうなとにかく立派そうな神様、という存在自体がそもそもの悪の張本人ではあるまいかと思う。人のどうでもよい事にまでうるさく干渉をし、えこひいきをし、時には極悪人や、ちまたの悪人には優しく微笑んだりしもするが、一人苦しみながら悲しみを背負っていたり、そういう人にはすごーく意地悪で厳しく苦難を次から次へと放り込んでくる。
そんなくだらない神より人間の方がまだ「まし」だ。
いろいろな苦しみの中で人は宗教を頼りにしてきたが
一番厄介なのが問題の起因が周囲というよりも、確実に本人であり人間性に問題がある人、ちょっと異常性がある人物が、宗教で狂信的になり宗教指導者になったりして、いろいろな弊害を周囲に与えたりする。
モラル道徳感は劣悪な人物がどういうわけか、宗教指導者的なものになったり、なりたがる。
その人物はそういう自分に陶酔していて、その気になって(神の代理だとか)しまう。さらには
偽善の、うわべだけの見せびらかすためのパフォーマンスによって、心理的に自己陶酔の状態を起こしつつ、自己錯誤の世界へ入ることによって、自身の異常性・自身の間違いから逃げて(自分を神聖化する世界へ引きこもり)いる。
彼らは宣教と得意になってあちこちを動き回っているが、本当は自己錯誤の心の世界に引きこもっているわけで。逆に動き回って回るほど、錯誤の中から出なくても済むようになるわけです。
というか、そうしなければ、いられなくなるという、理屈が成り立ってくるのかもしれません。
パラドックスか
まぁこれを言ってしまったらもともこもないけれど、その人が信じる神というのは、その人の心の中にある風景の一つで、はっきり言えば高慢の種、傲慢を投影させてくれる対象として、そういう神とかの存在が、その役目を果たしているに過ぎず、本来の神と人との関係ではなく投影物、または投影物として利用しているだけ。
もっと突き詰めて言えば、ある少数のサイコパスにとっては、人を踏みつけにしてきても絶対に自分は間違っていないという感覚を持っていて(またはわからない)ので、謝ることは何もない、と言う自信(というか、サイコパスのふてぶてしさ異常性冷酷性、悪の種)をその絶対神をそばに置くことで、とてつもなく強固にすることができる。(が、本人は当然このことには気づかず代わりに、自分が行うことが偽善とは気付かずそれを追求する日々を送る事によって、傲慢さを増長させ、または、周囲の欠点を探すことに喜びを見出したりし)なので、やたら何かと規模の大きい?見た目が立派そうな神を必要とするのかもしれない。これは実際にそういう人を見た観察結果からです。
そういう人に間違いを認めさせようとするとそれは大変なことに攻撃をされる結果となる。不可能に近い。
なので、このような人が信じている神は、本来の神とは異なるものになっていくと思う。
はっきり言えばすごい迷惑なわけで
犯罪者になるでもなく、かと言って、通常の人とも違う。
とにかく周囲を傷つけながら日々を送っている人。芯は犯罪者と同等なので、こういう人物と関わった人は大変な苦労をするのですが、この苦労をしている人たちをこの人物はさらに憎む。彼らの苦しみが自分の汚点であるという事は、なぜかわかっている。その辺がやはり自分が何をしたかという事が本当はわかっているのではないかと思えるところですが。
何やら、だらだらとした、衣装に身を包み登壇し、人にウンチクを言っている時のあの表情。
あれを見れば、何者かがすぐにわかるのですが。優しすぎる人たちは、そのようなどうしようもない人物にさえも愛情を送ってしまう。
登壇し、ろくでもないウンチクを言っている人物たちは、サイコパスのバカにさえ身を削り愛情を注いでしまう菩薩のような悲しみの人たちによって、本当は生かされているんだという事に気づかなければならないのでしょうけれど、無理みたい。
よく、悪い言葉で、終わってると言いますが、
これは独特の自分の中での感覚でしかないのですが、すごーくその人が昔の人に見えてしまう時があるのです。そう、明治とか、大正より前の時代。
色がくすんでいるような・・とてもこれは不思議な雰囲気があるのです。
そもそもきょう、なぜいろいろと、こんなことを書いてしまったかという理由は、
解凍がうまくいかなくていらいらしてしまったので、
マイクロソフトがまた、まだひつこく winzipを買わせようとして、エクスプローラーを関連付けから外し、すべて展開もなく解凍できなくて、もたもたしてしまったからです。すごーく時間が経ってしまった。(これを書いていたもある)