富士吉田で「坂」と言うと、ここを外す訳にはいきません。吉田の北の入り口「暮れ地の坂」です。
吉田の東側「丹沢山塊」と西側の「御坂山地」に挟まれるため富士山から流れ出た溶岩がここでせき止められ、ここから北側が急な坂になっています。
この坂を登ると、富士山が眼前に一段と大きく広がります。
かつて、松尾芭蕉も葛飾北斎もこの付近から見上げる富士山に心奪われ、足を休めたにちがいありません。
私も46年前、ここから目にした富士山は一生忘れられません。
「暮地」という名の由来については、文化11年(1814)に著された『甲斐国志』に「上下暮地本ト一村ニシテ西ニ高山ヲイタダキ其ノ山足ニ人家連ナリタレバ日光早ク暮ルル故ニ暮地ト名ヅケナルベシ」とあり、集落が山の麓にあって日が早く暮れるので「暮地」と名づけたと記されています。
(引用 富士吉田市歴史民俗博物館だより)
そう後、結婚相談員の会議が都留市にあり、車で、大月市の都留高校の後ろ辺りから、見た富士山も、本当にきれいでした。
そんな富士山が、いつも、間近で見られのは、幸せですね。